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2014年11月10日月曜日

1110 観光客と朝の風景

旅ももうすぐ終わりで、気持ち的にもお金的にも余裕があるわけで、そんな中ホテルの張り紙をさらーと眺めていたら西方砂漠へのツアーが一泊二日全て込みで8000円で出ていた。西方砂漠は当初通ろうと思っていたルートだが、当時はシリアからの武装組織が逃げ込んだとかで、すべての観光客は入れなかった。それが今は開通しているようだった。ツアーは性格に合わないと毛嫌いしていたが、普段と違った目線で物事が見えるかもしれないと、行くことに決めた。

出発の朝、ホテル一の無愛想スタッフに連れられて集合場所に行く。でも私は知っている。挨拶してもブスッとしていても、彼がすごく仕事に真面目で、ゲストが喜ぶと彼の無愛想な顔が少しだけ綻ぶのを。スウェットを着て短足胴長小太りのまさしくおっさんな彼の後を着いていく。きっと彼の短足はスウェットのせいに違いないと思われる速さ。電気系小物の露天商店が並ぶ通りを抜けると高速道路が立体的に並行している道路を横切る。絶えず車が走っているので横切るのはタイミング。もうこれには随分慣れた。彼は私を気遣って片手を腰あたりに下げてチューリップの蕾を作る手(エジプトではこのジェスチャーは「待て」を意味する)で車を止めようとするも、朝の通勤で急いでいるらしい車は完全に無視。こうなれば強引に行くしかない。三車線あれば手前からイチ・ニ・サンと車が来る場所を探す。手前の車が通り過ぎてできた空間にすぐ様一歩を出してその後はスイスイスイ。

どうやらモールの中で待ち合わせの様だ。開店前のためか、それともそれがデフォルトなのか分からないが、寂れた感じのモールの地下に向かった。途中でアラビア語で何かアナウンスが入る。そのアラビアの荒波の中に「バフレィヤ」という単語を見つけた。私のバスなり何かがもうすぐ出発なのだということを知る。そもそもこのツアーがどんなものなのかよく知らない。行く場所は大雑把に聞いていたが、何人一緒なのか、どういう場所に泊まるのか、何で行くのか。わからないことが多い。それでも特に気にしなくなっている自分に気がついて、帰国後を憂える。社会復帰できるのだろうか。

私をバスの中まで案内してくれた彼は私の御礼に八重歯を見せて握手で返した。
小さいツアーを想像していたら大きなバスだった。おぉ、東アジア人がいる。このマイルドな顔のおばちゃんは日本か韓国だ。言葉を聞いて韓国の団体様と知る。半分くらいがこの団体様で、数人のヨーロピアン独り男とエジプト人が残りを占めていた。

まもなくして後ろ半分ほどを空席にしたまま、バスは薄暗いモールの地下を抜け、温かみのある朝日に滑り出した。ゆっくりっと、非常ににゆっくりと、人々が働き備える活気の中を進む。整然とロバ車の荷台に積まれたオレンジの山。 ピラミッドを想起させる四角錐のそれは、とても神経質に積まれ朝日に光っていた。失礼ながら、彼らがピラミッドを作った人々の子孫だとうことが信じられないこともあるけれど、こういうのを見ると納得する。ロバはどうしているかって?朝日が当たらない壁の陰に身を潜めて糞を垂れたり、草を食んだり、オレンジも食うのか足元に散らばっている。20頭程が誰かが誰かのケツを目の前にした形で犇めいている。勿論こんな環境だから、あまりオレンジを買いたくなる風景ではない。ピラミッドを建てたはいいが、これじゃ肝心の死者の弔いができないのじゃないかと心配になる。同じく壁が作る日陰には布を纏って荷台の上でまだ眠っている人もいる。布の表面を朝日が走り始めたのでもうすぐ起きるのかもしれない。

サンドイッチ屋のトマトが朝日を受けて三日月を作り、急ぎ足で道行く人々は朝日に優しく背を押されている。パンがいくつも乗った板を二段に重ね、それを器用に頭に載せた兄ちゃんが自転車で颯爽と通り過ぎる。朝はさすがに通りの水タバコは身を潜めているようだった。そんな朝の風景。人々が備え動き出す時間。そんな時間に観光客は期待でバスを満たし出発した。

2014年9月18日木曜日

0918 アカシアに囲まれて

ほとんど毎日宿を取っていたエチオピアから一転、スーダンでは星空の下が宿となった。まだ雨期なのでスーダンといえども雨が降る。
スーダンは2011年にハルツームを首都とするイスラム教の人々を主体にするスーダン共和国と、ジュバを首都とする伝統宗教並びにキリスト教を信仰する人々の国南スーダン共和国に分かれた。宗教だけではなく、気候も両者で全然違う。ウガンダに接する南スーダンは熱帯気候で雨期になると湿地のような大地になり、緑も豊富だ。一方北のスーダンはハルツーム以南を除いて、ほぼ砂漠気候である。植物もナイル川沿いに群がって生えるのみで、ナイルから離れたら最後、殆どの生き物は生きていかれない。

現在走っているのはハルツームよりも南の比較的緑豊かなところ。道の両側に広がる大地がトウモロコシやモロコシ(ソルガム)、ゴマや豆(スーダン料理の豆シチューに使われるソラマメ)の緑で果てなく覆われている。

ロバに乗った親子が道のわきを通り、緑のモロコシ畑に消えていった。鍬を肩に担いで、どこかで水を汲むための黄色いポリタンクを持っている。こんな広大な畑を機械を使わずに手で耕したのだろうか?今の時期には全く耕作機器は見られなかった。

仕事を終えたおじさんが、ロバにまたがり両足でポン、ポン、ポンとロバの歩調に合わせてリズムを取っている。その背中は「今日もよく働いたな」と言っているようだった。ちゃっかりロバのごはんの草も積んで満足そうに走っていた。


ガソリンスタンドがあればそこで夜を過ごそうと思っていたが、見つからない。もう少し行けばあるかな?いや、もう少し。もう少し。あとちょっと。この坂の向こうに。。。あるのかどうかもわからぬ、ガソリンスタンドに期待をするのに疲れてきたとき、身を隠すにはちょうどいいアカシアの森が両手に現れた。エチオピアの国境を越えてから時折、ふわっと香ってくるアカシアの香り。疲れた体にこれは嬉しいご褒美だ。



甘く優しい匂いに誘われて、入っていけそうな場所を探すが、昨日の雨で林床は水浸し。そんな様子を見ていると、時々見える水のない場所も、大丈夫かな、と思ってしまう。殆どあってないような傾斜を登っていくと、少しずつ水が消えていった。そして完全に水がなくなり林に入りやすそうな場所を見つけると、寝床確保開始。村に続く泥の緩い道を少し入って、そこから道なきアカシアの森へ入っていく。道はないが、雨が地面を均して平らで、下草も全く生えていないアカシアの純林だ。こんな場所に泊まれるなんてなんて幸せ者なんだ。この香り、この湿度、鳥のさえずり!最高。

アカシアの棘に時々シャツを引っ張られながらもいい場所を見つけた。道路からも少し離れ、静かな空間を見つけた。四方はアカシアの木々で囲まれ、トゲトゲの枝が新しい緑を纏って空の一部を覆っている。地面は柔らかく、大雨が降ったら沼になるような場所だったが、他の条件の良さに負けた。雨が降ったら移動しよう。


早速テントを張り、荷物をまとめて、全裸になった。全裸になるさ。こんな場所だもの。それに体を洗うんだもの。ただし、次いつ水が手に入るかわからないので使う水はボトル一本750ml。
1本750mlなり
旅を始めた当初はバケツ一杯の水でも少し足りないなぁ、と思うこともあったが、段々その量は減っていった。その過程で二度の革命があった。初めの革命は髪の毛を短くしたこと。そして最大の革命は石鹸を使わなくても気にしなくなったことだろう。体を洗う時の水のほとんどは石鹸を落とすために使われていたのだ。わが社は石鹸をあきらめることで750mlという省エネを達成しました、って広告を出したいくらいだ。まぁ「水浴びをしない」という選択肢が一番省エネではあるのだが、汗をかいたベトベトな体をすっきりさせたいというのは基本的人権で守られるべきであって、わが社もそこまで省エネを推奨するのはいかがなものかと考えています。アカシアの香りがいいからシャンプーなんていらんぜ。スッキリした。寒かったエチオピアはこの「水浴び」が不快で仕方がなかったが、暖かなスーダンでは楽しみになった。何より大自然の中、素っ裸で伸び伸びと水浴びできるのがいい。

陽が沈んだらアカシアの香りがどこかしっとりして、昼間の明るい感じはなくなった。さらに湿った土の香りが僅かに加わる。樹梢に滲む藍の空。
さて、暗くなる前に夕飯を済ませねば。こんな空間でゆるりと飯を食える幸せ。
そしておやすみ。

2時ごろに雨が降った。ここにいてはいけない、沼に沈んでしまう、と夢の中でもがきながらも結局睡魔にささやかれて、この程度では沼にはならないだろう、頼むからもう止んでくれ、と夢とうつつの間を降りしきる雨の音の中、眠りの深みに落ちていった。
そうして迎えた朝は清々しい青空を抱いたアカシアの明るい緑が輝いていた。

2014年9月15日月曜日

0915 最後の晩餐

勝手な思い込みとエチオピア人のアドバイスにより、アイケルAykelからスーダンまではもう下るだけかと思ったら、そんなことはない。まだまだ丘が待ち受けていた。
昨日は食ったものが悪かったようで、夕方から朝までずっと体調悪くて起きたり眠ったりを繰り返してベッドに潜っていた。久々にナンキンムシ・フリーで心地よかったのも、ある。朝早くに目が覚めると気分は良くなり、熱も引いて出発。朝の空気が透明で清々しかった。
谷が深く切れ込んだところを下る、下る。蛇行しながら下る。タイヤのリムを替えてからブレーキがガクガク言うので(エチオピアで買ったいわゆる安物なので繋ぎ目が膨らんでいるため)あまり過激に下りたくないのだが、恐らくこれが最後。自転車に無理言って下った。
あぁ子供達の催促がなければなんと美しい場所なんだろう。黄色い菊が、丘に生した緑を処々に塗り替えて愈々明るい。立体的な大地のそこかしこに黒や茶、白、またはそれらの斑模様の牛たちが、のどかに草を食んでいる。しかし気をつけよ!おクソガキ様は常にこののどかな牛一行の近辺にいることを!のどかだなぁなんて眺めていると、牛の群れの陰からファランジの匂いを嗅ぎつけておクソガキ様が跳びだす。面白いのは農耕タイプよりこの牧童タイプのおクソガキ様の方がスティッキー(粘着質と書くとあまりに負のイメージが強いので)でアグレッシブだということだ。この牧童タイプおクソガキ様、常に棒やムチを持っている。ムチの場合、威嚇のためか、楽しそうに得意げに地面を打ち、パンッとピストルみたいな音を鳴らす。正直、不快だ。それから彼らのトレードマークは半ズボンに裸足、またはいい具合に大地にカモフラージュするほど汚れた長靴だ。そこに寒い地域ではシーツほどに大きい布を纏っている。更に頭には茶色い王冠。今まで上り坂で私を付け回し、マネー攻撃を仕掛け、石を投げてきた奴はこの王冠を被っているものが多かった。だから今ではこの王冠を見ると体が臨戦態勢に入る。この王冠、先日までずっと何か牧童の位を示すものかと思っていたらなんのことは無い、ただ雨が降った時に被るポンチョであった。うまい具合に畳んで、持つのが面倒だから頭に頂いているだけである。雨が降ってる時にこいつらどこからポンチョ出してくるのかなぁと思っていたら、王冠、それであった。雨が降るとそれをすっぽり被り、じっとしている、と思いきやファランジ見るなり「マネー」だから本当にたくましい。
山岳地域は牧童タイプが多いので要注意だ。しかし下りはオジサン強いよ。マネーと叫んだ時には20mくらい先に行っている。君らのマネーがドップラー効果で大人びて聞こえるくらいだ。
随分下って大地が切れた岩山から緩やかな丘に変わった。空気も温く湿っぽい。腹の調子がまだ悪いせいか昼飯食ったあとはどうも気持ち悪くて、何度も吐きそうで涙を目にためていた。どこへでも吐いていいという安心感のみが私を支えてくれていた気がする。そんな最悪のコンディションに子供達のマネー!緩やかな上り下り。更に背後から迫る雷と雨雲。逃げているのに、オエ(追え)ッてのも滑稽な画ではないか。
西の空のみが明るい。そこへ向かってひたすら走る。すでに空気は温くじっとりして、さながら日本の夏だ。日本の皆様はこの蒸し暑さを乗り切って今頃は秋の長夜に虫の音か。秋刀魚が旨そうだのぅ。そう思うとペダルを踏む脚に力が戻った。道の両側を埋めるアカシアの灌木が道路にせり出して風に揺れ、ランナーを応援してくれている。空は常時飛行機のエンジン音の如き雷鳴が響いて私を急かす。
しばし休憩。考えてみたらエチオピアでは道端で休憩を殆どしなかった。何故か。一人になれる空間がなかったからだ。お、ここは人がいないぞ、一服するかな。と腰を据えるとどこぞで臭いを嗅ぎ取ったかおクソガキ様がやって来てマネー攻撃を仕掛ける。ゆっくり休む事が出来ないのだ。だから休憩は町はずれのブナベット(喫茶店)ですることが殆どだった。
それがここへ来て人口密度が減り、一人になれる空間が手に入ったことで可能になったのだ。雷様はまだ少し遠い。気温も高いので濡れるなら濡れてもいいか、という気持ちになってアスファルトに寝転んだ。日光で温められて温かい。鈍色の空に入道雲が立っている。おい、お前は青空に立つべきじゃないのか、と小さく批判しながら、風の音、雷鳴、風で揺れる木々のざわめきを聞いていた。
私は台風が来る前の雰囲気が好きだ。次第に風が強くなり、木々を煽ってゆっさゆっさ揺らし、林に刹那、海を作る。梢の動き、出す音が波のようだ。それを見る私は家の窓の内という安全な場所にいるから、雨で濡れ、風に冷やされ、不快な思いになることはない。そういう嵐の中にある安心感が私に小さな幸福をもたらす。
今はその私を守るべき囲いはない。そのため幸福感までは得られなかったが、久しぶりに自然に懐かれて休める事が嬉しかった。
今日の目的の町マガナンMagananに着いたのは五時近かった。結局雨にやられず宿に着いた。
宿を見つけて入ろうとすると快活な女性が声をかけてきた。宿の前の店兼オープン食堂の人らしい。おばちゃんと言うにはまだ早いような、でも雰囲気が頼りがいがあってなんとなくおばちゃんだからここはおばちゃんと書いてしまおう。早速宿の方へ案内して宿の受付でテキパキとテンポ良く部屋を取ってくれ、自分の食堂でのメニューもちゃっかり取っていった。こういう面倒見がよくサバサバした人に悪い人はいない。
早速シャワーを浴びてさっぱりした体で食堂へ行く。西の空だけが晴れていて山吹色の夕空を低い場所に見せていた。西からこちらに伸びる場所は厚い雲に覆われ、すでに納戸色の世界が広がっていた。店先にはブリキの七輪が置かれて炭に赤く火が入っている。その上では薄手のアルミやかんが置かれて、こーひの注文を待っていた。食堂のおばちゃんに挨拶すると、すでに注文してあったインジェラとトマトのサラダが用意されていた。エチオピアに入った日に食べたのもトマトソースとインジェラで、今日最後の夕飯に頼んだ野菜とインジェラがどういった因果かトマトのサラダ。エチオピアはイタリアの影響を受けており、各所にその名残が散見される。トマトとパスタが至る食堂で見られるのもそういう背景があるからだろう。ちなみにエチオピアでバイバイは「チャオ」だ。パスタに関しては他のアフリカと等しく、アル・デンテを無視した小麦粉の土左衛門であるが、ことトマト料理に関してはハズレがない。今日のトマトサラダも美味しくインジェラと合わせて食べることができた。
私が食べている間、おばちゃんは他の客の料理、ティブス(細切れのヤギ肉をニンニクやタマネギ、唐辛子で軽く煮たもの)を作っていた。側溝を挟んで道路に面した店の前に据えられた、ブリキの七輪の上で30分くらいかけて。これが150円。先日40分くらいかけて散髪した時に払ったのはやはり50円。エチオピアの労は安い。そういう労働の上に私はゆっくりじっくり旅ができている。そういうふうに安く働いている人がいることを心に留めて、安価、高価によらず労働そのものが尊いものである事を覚えておきたい。

2014年9月8日月曜日

0908 卑怯者!

寝首を搔くなんて卑怯だ。エチオピアにはこんな卑怯者がうじゃうじゃいて困る。
お陰で体中、傷だらけ。特にパンツのゴムあたりと腕時計をしているあたり。何なのだ。コイツラは。姿が見えない奴に襲われている。しかし、先日そいつの正体を突き止めた。
体長3-5mm、小豆色、ミジンコみたいな恰好で、更にミジンコを正面から見つめた感じで両手でパチン!そうして潰れた形がこいつだ。更にとてつもない恥ずかしがり屋でめったに姿を表さない。布団に入ってじっとしていると、たまに何かが服の下で動いた気配を感じ、即座に服を捲くると見えたり見えなかったり。現在体には100個近い数のドット(見えぬ敵との戦いに敗れた痕)があるんじゃないか。そんなに戦っているというのに未だ姿を見たのは8回くらい。そして捕獲処刑まで至ったのは3回。まず姿を見てもその跳躍力で瞬時に姿をくらます。そしてはじめの頃はそいつの能力を侮っていて、普通の虫並みに潰せば潰れるだろうと思っていた。そうして何度か逃げられた。その形と、不気味なほどに丈夫な外骨格のため、山椒の実を潰して粉にする如くにすり潰さなくては敵は倒せない。外骨格が硬いというよりもゴムみたいなんだと思う。だから潰すときは景気のいいプチッという音が聞ける。プチプチを越えるプチプチ感だ。きっとプチプチ狂のあなたはハマるに違いない。
そんな彼女の名前はトコジラミ。南京虫、鎮台虫。今日も彼女らはベッドからベッドへ人という乗り物に乗って旅をする。
でも不思議なことにこのトコ ジラミちゃんエチオピアの人にはあまり悪さをしないみたい。宿の人に聞いても、えっ、何?性病?ご愁傷様〜。ってな感じだったから、おそらくジラミちゃんとは仲良くやっている模様。アジスのママによると日本人でも人によってはあまり被害を受けないようだ。おそらくベッドの中ではジラミちゃんも好いた相手にはついつい情熱的に活動してしまうのだろう。
でも私は君の事、好きじゃないから殺虫スプレーで、ごめんね、殺ってしまうよ。君の情熱に付き合っていたら眠れないもんでね。
そして例の如く殺虫スプレーをベッドにかけていたら、ベッドの下からワサワサと二種類くらいのゴキブリがワンサカ出てきた。かつてのトイレと比べれば小さい種だし、数も大したことないのだけど、まぁベッドに寝るのにあまり心地良ものでは無いのだよね。
あー痒い。

2014年8月24日日曜日

0824 チャットルーム

エチオピアには草を食む習慣がある。なんの仲間の植物かは知らないが(学名はCatha  edulis)、格別香りがあるわけではなく、茶葉の味を少し落としたような渋みと葉っぱ特有の青臭さを持っているchatと呼ばれる葉っぱだ。見た目アカメモチの新芽のような赤褐色を呈した柔らかな新葉を噛み噛みする。
ケニア北部ではMirraミラァと呼ばれ同じように消費されていた。近寄ってきた男が話しかけて口を開けた時に、はじめ彼はロバのうんこを喰っているのかと思った。クチャクチャやりながらも繊維は残るようで口の中が緑の繊維で一杯になっているのだ。誰だってロバのうんこと間違える。だってさっきまで同じ色と様をしたロバのうんこを道路の上に見ていたのだから。
今の時期、エチオピアの暦では年末に当たるので町中のカフェと言うカフェには男たちがこのチャットを囲んで屯しているのをしばしば見かける。自転車で走っていると道路脇で偽バナナの葉に包んだチャットを売っている、売り子も暇そうな男たちだ。そして道路に散乱したチャットの葉や茎。バスの乗員やトラック親父もムシャムシャやっているに違いない。
さてこのチャット、彼らに言わせれば軽いマリファナの作用があるようだ。精神を興奮状態にさせたり、逆に落ち着かせたり、どっちが正しいのかわからないが、どっちにしてもその作用は茶葉を食べるのとさほど変わらないように思う。だから麻薬の多くが厳しく法律で禁止されているエチオピアでもこのチャットは禁止されていない。
それにしてもコーヒーといい、チャットといい、エチオピアは人が集まる口実を付けるのには事欠かない。チャットをクチャクチャしながらチャッティング。チャットは英語のchatから来ているに違いない。
今日は昨日に続き、なだらかなる丘陵地帯で道路の隣には牧草がはっとするような緑の大地を広げている。風も穏やかで気持ちが良かった。Ziwayズィワイの町はあまりの心地よさに、気持ちが乗ってそのままサーッと過ぎようと思っていたが、一瞬左目に好物のサンブーサ(インドの影響を受けたアフリカ各地で見られる春巻きの皮の包み揚料理で、挽き肉や豆類が包まれている)が目に入った。急ブレーキ。店の脇のベンチでのほほんとひなたぼっこしていたおばちゃんが「welcome」と言って迎えてくれた。10birr で買えるだけ貰おうと思って、10birrを差し出して「くださいな」と言うと、手に持っていた2birrをさらに奪われ4つも食べることになってしまった。こういうちょっとした認識の違いも面白い。アフリカは持ってる(またはそこにある)お金すべてが使える、または使うべきお金なのだ。別の例を上げると、値段の交渉の際にしばしば聞かれるのは「いくら持っている?」で「いくらなら払える」ではないのも面白い。後の為に取り残しておくという考えには遠い。これに関する事は以前ジンバブエ辺りを走っていた頃の記事「チューブをくれのその心」にも書いたような気がする。
流石に大きな揚げ物を4つも食べるとウップシとなって、ふと辺りを見回すと、いましたよ、チャッティングメーン。6人くらいがコの字形に日陰に配置された椅子に座ってクチャクチャ、クチャクチャ。このチャット、水とシュガーと呼ばれるピーナッツと共に嗜まれる事が多い。私はチャットだけ食うのはまだキツイのでピーナッツと一緒に頂く。これはチャットの苦味によりピーナッツの甘みとコクが引き立つので意外といける。多少繊維が残るのが嫌ではあるが。
このグループは一人年配の男性と仕事のなさそうな若者数人だった。こうやって地域の他世代間がより集まれるシステムは興味深い。
彼らの話ではエチオピアはもうすぐ新年を迎えるという。だから皆緩やかな時間を過ごしているそうだ。そして道中よく目にした鶏(ドロと呼ばれる)を持って行き来していた人々は年末のご馳走の準備をしていたのだ。南アでは鶏が一番手頃で安い肉だったが、ウガンダ辺りで鶏が牛や山羊を飛び越えて高級肉になった。そういうわけで私もウガンダ以降鶏を食べていない。田舎の食堂でも普段あまり出ていないようだ。しかし年末、ご馳走の準備に勤しむ人々はどこか楽しげだ。言うまでもなくエチオピアで私が出会う人は私というチャイナ様の不思議な生き物を見てテンションが上がっているので、みな普段よりも楽しげなのかもしれないが、エチオピアは基本が陽気で楽しげなようにみえる。

2014年8月22日金曜日

0822 雨宿り

さだまさしの「雨やどり」はちょっとした日常を風船のように膨らませて幸せを描いた傑作だと思う。何よりも靴下の穴だとか日常の隅っこに隠れている「可笑し可愛さ」をうまく拾っているのがいい。
エチオピアは雨期だ。なんか通る国通る国が雨期じゃないか、と感じるのは「自分が恵まれていない」バイアスのせいだろうか。しかし幸運な事にエチオピアではいつも走り終えた頃に雨はやって来る。今日は早めにアワサHawassaに着いた。昼飯食べて(4種のフルーツジュースが層状に重なったジュースは掘り出しものだった)宿について水浴びて洗濯して(今日の宿は洗濯サービスがついていた)、銀行でドルをビルに替えて、街に繰り出した。
黒い雨雲とそれに伴う突風が砂とゴミを舞い上がらせて街は賑やかだった。ただでさえ「China!」「ユーユーユーユー!」で私にとっては賑やかなのに、こうなるともうカオスに放り込まれた気分だ。
街角でインジェラの上に茹でじゃがいもを載せている女性の姿が目に入った。自転車を漕いでいるときは殆ど常時、ハングリーモードなので、さっき食ったじゃありませんか、お爺さんというくらいに腹の記憶は悪い。ついさっき食ったばかりなのに、もう次の獲物を探している。
女性が手に持ったジャガ芋をスプーンを使って器用に皮剥く様は私の何かを刺激してしまった。でも店構えがテーブル一つに椅子一つだったので、あれ、これは店ではなくて女性が自分のご飯を用意しているだけなのかなと思った。言葉が通じないので、これが店なのかどうかも判然としない。もし店ではなく女性のプライベートな空間で、それが彼女のご飯だった場合、私はどうしようもない食い意地の張った浮浪人だ。人の飯をくれと言ってるんだから。なんとかジェスチャーでやり取りしていたら、私がどうしようもない食い意地の張った浮浪人ではないことがわかった。よかった。
今日の空模様のようなグレーのインジェラの上のヒヨコみたいに小さくて黄色いジャガイモ。その上にお尻が痛くなりそうなベルベレが載せられた。ベルベレとはエチオピアの七味唐辛子みたいなもので、十数種類ものスパイスを混ぜた赤い粉だ。市場に行くと女性たちが家庭の味を並べて賑わっている。このベルベレは各家庭で混ぜるものが違う、謂わば母から娘へ受け継がれる家庭の味なのだ。そしてこのベルベレを使ってカレーのようなシュロ(豆の粉でとろみが付いている)、ワット(辛いシチュー)、アイバ(フレッシュチーズ)にも混ぜたりその他そのままベルベレと呼ばれるコチュヂャンや辣油みたいなものに使われる。後で出てくるヨーグルトにもかけて使われる。とにかくいろんな料理に関わっており、エチオピア料理には欠かせない材料だ。
そのインジェラの上のジャガイモを頬張り始めたと同時に雨が降ってきた。露店の女性が別の店の張り出した屋根のあるスペースに案内してくれた。それにしても彼女のベルベレは辛いぞ。なかなか情熱的な家庭に違いない。女性は小雨の間はしばらく外でジャガイモを剥いていたが、雨が大粒になり激しくなると彼女も軒下にジャガイモのたらいを抱えて逃げてきた。屋根はところどころめくれてしまっているため、激しい雨は入ってくる。更に強くなったところで私は店に逃げ込んで、この店の名物のヨーグルトを貰った。カウンターの棚にはグラスに入った牛乳が30個ほど律儀に並んで発酵中だ。冷蔵庫には今食べる分のヨーグルトが入ったグラスがこれまた礼儀正しくズラリとスタンバイしている。既に椅子に座って食べている年配の夫婦が「フレッシュで美味しいわよ」と促してくる。ピッタリとくっついて座る夫婦はヨーグルトを食べながら楽しそうに話していた。
ひとグラス5ビル(25円)。手頃な値段が嬉しい。少し雑味はあるが程よい酸味でサッパリしている。さっきのジャガイモのベルベレで舌が熱かったので冷えたヨーグルトが心地よい。ヨーグルトの表面には脂肪分の層があり、それがクリーミーで旨い。ベルベレを振りかけて食べてみる。ヨーグルトに七味はかけないが、なんとなくそんなのもありのような気がする。
先の女性は雨が強くなって軒下に吹き込んでもじっと堪えている。店の中には入ろうとしない。店の主人とは知り合いなのだろうが、それに甘んじようとはしない。おそらく彼女は固定した店を持っていないので、裕福な方ではない。着ている服も地味だ。しかし彼女の佇まいには凛としたものを感じるし、着ている服には清潔感がある。雨が繁くなるのをじっと見つめる彼女は美しかった。
雨やどりは人の出逢いのちょっとしたオアシス。アムハラ語を使えたら私はもっと雨やどりを楽しめたに違いない。
日本に帰ってから雨やどりするか。きっと日本で雨やどりしても一人ぼっちになりそうだが。誰か一緒に雨やどり、しませんか?

2014年8月20日水曜日

0820 蜘蛛は見ていた

宿に辿り着いた時には雨が降っていた。赤道に近いとはいえ、標高が2,000mを越えると雨が降ればそれは氷雨だ。ギリギリでその氷雨にモロに打たれずに済んだのは、坂に続く坂を一生懸命漕いだおかげだろう。
宿の若い男性はオーナーだろうか。片言の英語で「英語はダメ、アムハラ語だけ」と言った。エチオピアに入って少々不便を感じるのはやはり言語だ。今までの国では初等教育から英語を使っている所がほとんどだったので、なんだかんだ言っても結構通じた。しかしエチオピアでは英語は日本語並みに通じない。日本語使って感情込めて言ったほうが通じたりして。でもその通じないことがとても新鮮で、面白い。食堂に入ってメニューを見ても料理名の文字数しかカウントできない。文字数と値段でそれがどんな料理か想像するのもなかなか面白いが、いつもなんとなくジェスチャーと妥協でなんとかなってしまう。
宿の若い男性と会話にならぬ会話をしていたら、別の男性がやってきた。放送局で働いている彼は英語が通じた。二人で話していたら若い男3人に囲まれた。英語が使えなくてもこうやって物怖じせずに入ってくる姿勢は見習わないとな、と思う。
宿の若い男性が水浴び場に案内してくれ、近くの釣瓶式の井戸から水を汲んで用意してくれた。既に6時を過ぎていたので服を脱いだだけで肌寒い。水浴び場は木を組んで囲っただけ。蜘蛛が組まれた木と木の間に美しいまでの住まいを作っちゃったりして、呑気にやっている。水に触れるのも躊躇われる程だが、汗で吹いた塩がベトつききもちわるいので、水浴びしないという選択肢は人としてどうか。こんな時だけ蜘蛛が羨ましい、一日中温かそうな巣の中で獲物を待っているだけなんだから。いや、私は人間だ。思い出すのだ。水浴びの後のあの温もりある幸福を。
水を浴びている時の不快さを取り消せるだけの心地よさがあるからこそ、人は寒い中でも水を浴びる。足し引きして結果的にプラスになればいいのだ。蜘蛛よ、君もそんなところに糸なんて張ってないで、足し引きしたまえよ。いや、蜘蛛も足し引きしてた結果、こんなところに巣を張っているのだろう。世の中みんな足し引き。全く世知辛い世の中だよ。

2014年8月9日土曜日

0809 地元レストラン

Isiolo−Moyale間は二年前くらいまで部族間の紛争や山賊が出るなどで自転車乗りは銃で武装したバスやトラックをヒッチハイクして飛ばす人が多かった。さらにあまり開発されてない場所で町があまりないこと、砂漠地帯で暑いことも自転車乗りに敬遠される要因になっていると思う。しかし砂漠で絞られ、寂しい場所を走るのが好きなマゾヒスト兼、放置されたい私はそんなイスィオローモヤレ間をどうしても走ってみたくなった。そしてここにはSamburuサンブル族という赤や黄色の原色ビーズの装飾を身につけたノマド生活する民族が住んでいる。
イスィオロで情報を集めた結果、現在は件の区間の治安は落ち着いていることが分かり自転車で行くことに決めた。今では部族間の和平合意が成立し、更に警察の警備体制の強化により、ここのところは山賊の被害が出ていないという事だった。
ケニアにはウガンダから入ったためにマサイ族の住む南部にはいけなかった。だからチャンスがあればケニアの伝統的な生活をする民族を見ておきたいという思いがあった。
朝、ムスリム男性が着用するローブ様の白い服トーブにサングラスをかけたオーナーに何だか別れ難いように見送られながらイスィオロを発つ。
七時少し過ぎだというのに太陽の光が熱い。こりゃ肌が痛くなると思い、久しぶりに日焼け止めクリームを使った。南アで買ってずっと手放さずに持っていてよかった。
中国の事業者が昨年辺り道路を敷いたとかでかなり心地よい快走。しかもゆるい下りが多いので、あっという間に水が流れる川のあるアーチャーズ・ポストに着いた。これ以降も川を幾つか渡るがワジだ。このエワス・ンギロ川はケニア山水系からも水を集めて流れるが東にいく過程で水が消えてワジとなる。砂漠の砂の表面を、流れているのかいないのか分からないくらいに極めて緩やかに下ってゆく水。その周りには緑が集まる。そしてその緑を求めて虫たちが、それを求めて鳥たちが集い賑わう。そんなところは人も山羊も牛も集まるんだよね。
アーチャーズ・ポストを越えるとますます景色が乾燥したようになり、人々がラクダを放牧している。その他牛や山羊、羊を追う子供達。遊牧民のためか家々もモンゴルのパオみたいなドーム状で、細くてっv撓る枝でできた骨組みと布やビニールを使って出来ている。太陽が高度を増し、ますます気温が上がり吹く風は温い。例のごとくボトルの水は温水だ。
セレデゥピという町で昼飯に食堂に入った。店に入ってまずはチャイを。むむ、スモーキーテイストですな。これはわざとなのか、それともボロボロの鍋で湯を炭火で沸かすやめに付いてしまう味なのかわからないが次の町で飲んだのも同じだったので、ここで流行っているチャイスタイルかもしれない。次に豆とご飯をいただく。量が多いなぁ。かなり胃袋が大きくなっているがこれは食えなかった。そもそも私の体は大量の豆を食うようにはできていないのかもしれない。この後しばらく豆たちが喉のあたりをウロウロしていた。
食堂で前に座る二人と隣の兄ちゃんはなんとなく格好がユニークだと思っていたら、彼らがサンブル族の男だった。耳たぶにはフエラムネサイズのドーナッツ形の物が打ち込まれ、上半身は裸。マサイのような鮮やかな赤い腰巻きに原色ビーズの首飾りと太い腕輪。黒い肌は汗で光り薄暗い食堂では却ってそれが不気味さを与える。そんなオシャレ系イカツイ男が、前に座った私をジロリ、そしてチャイをずずず。この睨めつけはなんとなく野生のそれを感じさせる。私も彼らのなりを記憶するために山羊のような目でじっと見つめ返す。豆を食いながら。隣の男は私に挑んでくる勢いすら感じる。テーブルの上には彼の木で出来た大きいキセルみたいな物体が無造作に置かれている。男の象徴みたいな物だろうか。武器にもなると聞いたこもある。彼が私の刀であるカメラに興味を持ったので貸してあげる。私も彼のキセル様の物体に惹かれ手を伸ばすと彼がそれを制した。何だお前は俺の刀に触れておきながら自分の刀には触れさせぬ気か。無礼な。
結局ちょこっとだけ触らせてくれたけど。
そして前の二人はチャイをおかわりしてどこからか携帯を出してビデオを見始め二人で笑っている。なんともシュールな光景。ATMに並ぶナミビアのヒンバ族に匹敵する。これが辺境民族の現実。携帯の影響力は世界の末端に達する。しかしこの町では電波が弱くほとんど携帯は使えないと言う。
それから隣の兄ちゃんが鼻ほじったと思ったら、収穫物を壁にこすりつけていた。三十年生きていると世の中には不思議なことがたくさんある事に気が付く。そのうちの一つにいろんな壁についた汚物の存在だ。どうやったら付くんだという所に付いている。付く過程を想像しては、いやそんな筈はないと打ち消しては考え悩んだトイレの時間があった。日本でも見るが、トイレの壁に擦り付けられた汚物。百歩譲って手に付いたとしよう。それがどうして壁に付くんだ。その過程がブラックボックス。でもこの兄ちゃんが鼻クソを壁にこすりつけている光景を見ていたら、それはそんなに不思議なことではなく、サイコロ振って1の目が出るくらいに比較的頻繁に起こり得る事象なのではないかと思えてきた。
メリレに着いたのは3時くらいだった。太陽が低くなりはしたが、相変わらず熱の残渣と砂埃が強風にかき混ぜられている。
始めの宿はおばちゃん達は賑やかで良かったがオーナーらしきオジサンがムズングと見てか値段を釣り上げたうえ、態度がでかく横柄だったのでチェンジ。ムズングを見て値段を変えてくる奴は商売上手なのは認めるがどうも好かんし、信用ならん。変えて正解だった。
二番目の宿は値段もよければ愛想もいい。水を盥に一杯もらって水浴び。トタンで囲われただけの浴場。屋根はない。靄のかかった満月が、乱雑な雲が群れた不機嫌そうな空に浮かんでいる。そんなところで服を脱ぐと何だか砂漠の風に抱かれるみたいで心地よい。野外で裸になるのは気持ちいいのだ。東北の奥地の綺麗な川で、南アのヌーディストビーチで全裸になった時もなんというか自然に抱かれるという気分になって気持ちよかった。これを人という自然の中でやるとわいせつ罪で吊し上げられるから世の中不思議なものだ。よほど用心して生きないと危ない浮世だ。日本は露天風呂という口実があるのでまだいいが。
内陸の乾燥地なので夜は気温が下がってくるが11時頃はまだ建物が吸収した余熱で寝苦しい。外に出てみると夜の砂漠を翔けてきた風たちが頬に心地よくあたっては去ってゆく。その優しさが心地よくて、椅子を持ってきて満月眺む。暗がりの地べた、壁の隣の空間に人が寝ているであろう盛り上がりが見える。暑いからこうして外で寝る人もいる。もう一人どこからともなく敷物を持ってやってきて、寝た。
食堂を締めた宿のおじさんがおもむろに椅子を隣に持ってきて座った。町には電気が通っておらず辺りは暗いが霞がかった満月の明かりで彼の顔の輪郭ははっきりしている。(部屋の電球はLEDでソーラーパネルで点いている)そよそよと頬を撫でるリズムのごとくおじさんの口調は穏やかで静かだ。この辺ではラクダもロバも食い物で、それらのミルクも利用するという。そして乾季はミルクの出が悪くなるので人々は血管に小さな矢を指して血を絞るという。そしてミルクに混ぜて飲むのだと。苺ミルクか。色はいいが味を想像すると私は飲めない。確かにラクダやロバの体には血管が浮いており採血しやすそうだ。しかしミルクが出にくくなるくらいの過酷な環境で採血されるとは家畜も大変だろうの。もちろん死なない程度に絞るのだが、勘弁してくれ、と乞う山羊の目が想像できる。ただでさえなんとなく憐れな目が更に憐れに。ロバは血抜かれても気付かなそうだが。
そうして夜風邪談話を楽しみ部屋と体が冷えてきた頃、私も寝た。

2014年8月6日水曜日

車の流れに乗って

昨日挫けた出発を仕切り直して再出発。今の時期ナイロビの朝はとても冷え込む。長袖に長ズボンを着てシュラフに包まって寝ても朝方は寒さで目が覚める。日が出て間もない7時頃、テントを出ると白い息が視界を邪魔する。毎日同じだった付属の朝食を頂く。バナナ、パンケーキ、ミルクティー。冷えた体に温かな紅茶が嬉しい。大量生産されたような白いセラミックのカップを冷たい両手で包む。温かいもののありがたさ。ついでにカップの口を目ん玉で塞いで目も温める。ここでの最後の朝食。ご馳走さま。
オランダの自転車乗りのロバートも今日出発で、彼はタンザニアのアルーシャに向けて発つ。彼から貰ったサイクルパンツを履いた。彼のゴールであるとそして私のスタートである、南アフリカの国旗をデザインしたRobert入りだ。デザインがかっこよくて気に入った。こういうパンツを初めて履いたがとても気が引き締まっていい。おじさんサラリーマンがブラジャー着けて出社する気分に近いかもしれない。あ、一応誤解を避けるために声を大にして言うが、私はブラしたことは無いよ。30にもなって出社もしたことが無いのは内緒の話だが。出会う自転車乗りは皆南下していくのでいつもすれ違いだ。ロバートともここでお別れ。
ナイロビからアフリカ第二峰のケニア山を西周りに迂回する道路は、モンバサ港からアディスアベバを通ってハルツームへの主要道なので忙しい。
出勤に急ぐスーツ姿の人々を横目に、人で溢れかえったナイロビの街におさらば。片側4車線のThikaロード(A2)をとって市外に出る。町走りはいつだって神経を磨り減らせる。まず道路が縦横無尽(ナイロビは3D)に走っていてどこにいるのかわからなくなる。第二に車線に別の道路が合流すると路側帯を走る自転車は弾かれる。第三に路上にキケンなモノがたくさん落ちていて怖い。そして何より人が多すぎる。
しばらく行くと3車線に減ったが依然として交通量は多く、車線が合流する場所は細心の注意が必要だ。少しずつ緩やかな丘が現れ、建物も低い物になり、くすんでくる。更にトタンのバラックのひしめきに変わり、更にそれらが徐々にまばらになってくる。
そんな折、軽いギヤにチェンジしたらチェーンが引っ掛かってペダルが回らなくなった。またトラブルか、と安全地帯に移り調べてみると、チェーンのある一つのリンクが少し狭くなっており、フロント側の一番小さいギヤ板のある一つの歯に食い込んでしまっていた。問題は何故か歯の一部に突起があり(カンパラで買った中古品だからか)、狭くなったチェーンリンクの一つが偶然重なって生じていた。たまたまナイフについていたヤスリで歯の突起を削り落として調子は良くなった。
隣を勢い良く過ぎていく車の流れに乗せられ、目的のサガナSaganaには3時に着いた。緩やかな丘陵地帯だったのでナイロビで怠けていた筋肉が小さな悲鳴を上げている。
宿はすぐに見つかったが早すぎたためか100円増しと言われたのでそれなら「どっかで暇潰ししてくる」と言うと「じゃあいいよ」と良く分からない流れで、100円増しの話は排水口に黙って消えた。
ウガンダの宿はバー併設だったが、ケニアは肉屋が併設してることが多い。肉屋と言っても日本の肉屋の様な処理済み肉を扱っているのではなく、皮を剥がされ血をぬかれた状態の牛の腿や胴体が金属のS字ハンガーで天井からぶら下がっている。そして骨や肉を斬る道具、糸鋸、山刀、鉈、肉切り包丁などが、まな板代わりの無骨な丸太と共に、ガラス張りの2畳ほどの小部屋に収まっているのである。
0806続き
今日の宿も肉屋が併設されていた。客もちょくちょく来ているようだった。客が肉を頼むと腕っ節の強そうなおばちゃんが20kgはありそうな肉の塊をハンガーからおろして丸太に乗せる。鉈を使ってぶった切る。骨片が肉に埋もれてしまいそうだがお構いなしだ。そして小さく切られた肉を息子らしき若い男がよく切れる包丁でシャクシャク一口大の小間肉にしていく。それを電子天秤を使って重さを計り袋に詰めて客に渡す。
それを眺めていた私にも負けないくらい、じっと見つめる少年がいた。学校の制服だろうか。至るところにほつれのあるそのベージュのセーターは、汚れをカムフラージュできるベージュの許容範囲を超え、砂埃で汚れそぼろだ。男の子は店の台から頭がちょうど出るくらいの身長で、台に手をちょこんと載せてクリンクリンの睫毛の奥で目が煌めかせている。私に気が付くと、ちょこっとはにかんで再び切られていく肉に目を向けた。隣には彼のお姉ちゃんが肉よりも私に興味があるようにチラチラと見て、目が合っては逸らしを繰り返していた。一昔前には日本にもこのような光景があったのだろうか。三丁目の夕日の時代はまさにそんな時代だったのかもしれない。しかし今は肉も魚も工業製品と同じように店に並べられて、彼らの声が聞こえてこない。
私もそんな肉を見ていたら無性に食べたくなった。これ宿でも食べられる?あぁ食べられるよ。そんじゃ夕飯に。と言って部屋に戻った。
夕飯にバーに向かうとその広さには不釣り合いなほど閑散としていた。30程のテーブルは3つくらいしか客がついていない。
楽しみにしていた先ほどの牛で作ったシチューとスクマ(ジンバブエではコヴォと呼ばれていたケールと小松菜の間の子みたいな奴。塩っぱく味付けしてウガリと食べると、白いご飯と野沢菜の漬物を食べているみたいで好きだ)。それにKingFisherなるケニア産苺ワインがあったので奮発した。ワインに鳥の名前をつけるところに惹かれてしまったのだ。いつも通りラッパのみでいこうと思ったら、オーナーである初老のおじいさんがグラスを出してくれた。「これはスペシャルグラスだ。これで飲むと、んまいんだぞぅ」そのグラスは綺麗に磨かれ少しの曇りもなく透き通っていた。奥さんはそう得意げに語るオーナーのそばでくすりと微笑んでいる。すぐさまグラスのカーブを滑らかに伝ってワインは落ち着いた。色付けされているとはいえ、ロゼよりも濃い朱い液体はなんだか美味そうにみえた。そう、こういうちょっとしたことがサービスなんだよなぁ。肉は量は多かれど筋が固くて残念だったが、幸せの苺ワインに救われた。

2014年7月15日火曜日

あなたは何者ですか!?

アフリカでは先生の給料があまりに安いので、先生が副業で何かを販売していたり畑仕事をしていたりする。もちろんさらに給料の安い警備員が各種副業をこなしていることは想像に難くない。
しかし今日は世の中には泥棒を副業とする警備員がいることを知って少しばかりショックを受けたので紹介したい。

レストランは営業が終わって朝までは警備態勢が固くなる。営業中はレストランの警備スタッフが一人だけだが、夜は警備スタッフに警備会社、そして警察の三人によって守られる。というのも以前レストランのシェフが住む離れの建物に強盗が押し入り、シェフのアーロンが頭をバールで殴られ、金庫のお金が盗まれるという事件が起きていたからだ。

警察や警備員が来なかったり、早めにとんずらこいて消えてしまっていたり、椅子を並べて寝てしまっていたりと色々とあったが、一度侵入者を追い払ったりしてここのところは落ち着いていた。

私は会計室のカギを預かっており、毎朝ドアを開けてスタンバイする。その日はドアを開けるとなぜかレジの引き出し(?会計するとチン、と出てくるやつ)が開け放たれ、入っているはずのお金がコイン三枚を残してすべて消えていた。そして机には足跡があり、普段は地面に置かれている煙草のケースもパソコンの隣に乱雑に転がっていた。すぐにこりゃヤラレタ!とわかったがパソコンやプリンターその他機器類が全くの手付かずだったのが不思議だった。そしてもしや、、、と思い机の後ろの見えにくい場所に備え付けてある小さい金庫を見ると案の定無残に破壊されてお金が奪われていた。総額4万円。翌日の野菜支払いに備えて昨晩キャッシャーに多めのお金を残しておいたのが不運だった。

すぐにアリフに連絡するが警察は呼ばないという。はなから警察を信用していない。泥棒はスタッフルームと会計室の間の壁を破って侵入しており、スタッフの服も一着盗まれ、ラウンジミュージック用iPodも盗まれていた。その日はうちの警備スタッフが休みの日で、警察と警備会社の警備だけだった。そしてスタッフルームには警備会社の警備員のものと思われる銃が放置されていた。忘れたのか、それとももう必要ない、というメッセージなのかわからないが、朝は警察も警備員もおらずこの銃だけが残されていた。

残された靴の足跡もコンバースのもので、例の警備員が履いていたのをうちのスタッフが何人も目にしている。そして何よりその警備員と連絡が取れないというのが大きな理由となって警備会社が盗まれたものを全額弁償する話で決着がつくかつかないか、といったところ。警察は直接関わっていなくとも、何らかの事情を知っていたのかやはりこの日以来来なくなった。

信頼すべきものを信頼できないというのはとても悲しいがアフリカではそこまで珍しいことではない。チャールズがよく口にする言葉にこんなものがある。
「自分の母ちゃん以外は信用するな、父親もだ」

ウガンダは凶悪犯罪こそ少ないが窃盗などは頻繁に起こっている。






2014年7月4日金曜日

お金の力

私は子供の頃、自分は正義のヒーローになると思っていた。全身タイツは少し不服だったが、まぁそれも正義のヒーローという栄誉の前には些細なものに思えた。そんな私も今では賄賂を使うまでに汚れてしまった。いや、汚れたなんて思っていない。それが普通なのだと。そうやって自己肯定しているうちに、子供のころに持っていた確固たるヒーロー像は裸眼で見るよりも不鮮明に、霧中一町先を見るがごとくあやふやだ。正直言って正義なんてないんじゃないかと思う今日この頃だ。正義とは何か?
あぁ、これはもう末期、サンデル先生の白熱講義を受講するしかない。

ウガンダのビザは三カ月分だったので少し延長する必要があった。申請書にはカンパラでの滞在先と請け合い人の情報を記す必要があった。素直に今働いているレストランを書けばいいのだが、就労許可もなくレストランに滞在しているというのは些か不審だろうという事で、何でも屋に依頼することになった。まぁ働いているのではなく知人のお手伝いだといえば切り抜けられるだろうが、あまり面倒は起こしたくないということでアリフがいつも世話になっている何でも屋に任せた。

何でも屋は色んなコネクションがあり、もちろん移民局にもコネクションがある。申請の日、移民局で何でも屋と会う約束をした。移民局について電話を掛けるとルーム3に行けという。普通申請をするところの建物の裏側にルーム3があった。あまり人目には付かない。ルーム3に入るとそこには何でも屋ではなく、何でも屋の友人である仏頂面の事務員がいた。私が挨拶し「パーシーに紹介されてやってきた」と言うと、彼は相変わらずの仏頂面を貼り付けて唐突に「パスポートと言う」。むむ、慣れている。今まで何人がパーシーに送られてきたんだろうか。そして事務員は私のパスポートを持って消えた。
そしてすぐに延長許可のスタンプを押してもどってきた。

エチオピアビザを得るためにパスポートを日本に送る必要があったので、先月早めに延長申請をしにやってきたときは、窓口のおばちゃん「まだ有効期限きれないでしょ、なんで延長申請必要なの?ダメよ」と前もって何かをするという概念に乏しいアフリカらしい主張で、私が事情を説明しても聞き入れてくれなかった。そんな頑固なイメージが移民局にはあったのでこのあっさりとした感じに拍子抜け。なんだお金をちょっと払えばずいぶんあっさりやってくれちゃうんだな。

お金こそが正義。そういう世界もきっとどこか世界の片隅にはあるのだろう。

2014年6月30日月曜日

パスポート君の出張

私のパスポートが日本へ一時帰国を兼ねて出張に出かけていた。
日本のエチオピア大使館に用事があったようで今日用事を終えて無事に帰ってきた。

彼は国際宅配便DHLを利用していたのだが、そのシステマティックな様子と快適な旅にいたく感激していた。
私ははじめ彼の出張を聞いたときには無事に帰ってこれるのか?と心配したが、DHLの追跡機能と仕事の素早さにそれらは杞憂に終わった。

そうして私は彼とエチオピア入国できることになった。
それにしても在日エチオピア大使館の担当の女性の文字が可愛らしくて、ふと先日書いた「かわいい至上主義」を思い出した。

2014年6月16日月曜日

受け入れるか、去るか


レストランだからたくさんのフォークや皿がある。それが少しずつまるで計画的なリストラでもされているんじゃなかろうかという風に姿を消していく。しかも去り際は極めて静かに。レストランの七不思議の一つだ。
万が一お客さんが盗んだとしてもスタッフが下げ膳時に気が付くはずなので、おそらく七不思議を起こしているのはスタッフだろう。フォークやスプーンは完全に消えていると経営者側が嬉しゅうないと考えたのか、一枚のスチール板から切り出したような安っぽいフォークが据え戻されているからなんだか憎めない。まぁ経営者は気付いているんだがね。

そんな中で最近少し高価なものがいくつか失くなった。小型の無線機と、あるスタッフの携帯電話、そしてすり鉢。さすがにこう立て続いてなくなると経営者側も見過ごせない。
携帯も無線機も管理していた者が数分のあいだ目を離した隙に盗まれた。すり鉢は陶器製だったことと擂り粉木は残されていたことから盗みではなく、おそらく誰かが割ってしまいそれを隠ぺいするために捨てたものと思われる。ものを壊してしまったら減給はそう簡単にはしないからとにかく報告しなさい、と経営者は訴えているが、スタッフは給料から差し引かれると思って隠そうとする傾向がある。やはりそこでも両者の信頼関係が希薄なことが窺える。そしてアフリカの一般的な教育が過ちを正直に謝罪するような人間を育てるようなものではない。失敗して謝罪したらそれは負けで、大変な目に遭わされることが多い。だから彼らは行動を咎められて、まずすることは自己弁護だ。そして追求者の話しを巧みに(?)逸らして、なかったことに持って行く。もうこればかりは社会が作りだしている現象としか言いようがない。社会が変わらないとこのような自己弁護の傾向はなくならないだろう。

そして経営者は全てのスタッフの減給に踏み切った。3%-8%くらいだ。給料の多い少ないにかかわらず定額を差し引いているのでパーセンテージに開きがある。これはただでさえ少ないスタッフにとっては深刻だ。減給の目的は相互責任を負わせることで相互の監視を促すことのようだ。いわゆる五人組制度だ。しかしこれは一種の危うさを潜ませていると思う。まず第一にスタッフ間に相互不信が芽生える可能性があること。第二にスタッフ間で誰かを貶めることが容易くなる危険があること。大らかなアフリカでそのようなことが起こる可能性は低いかもしれないが、何でも起こるのがアフリカである。五人組は協力を通じて一体感を授けチームワークの向上をもたらすが、一斉減給による相互監視には協力という面での繋がりはなく、相互不信を生むだけだ。おそらく長期的な目で見たらあまりいい方策ではないだろう。しかしとにかくどうしたらいいのかわかないので実験的に減給をしてみたといった感が強い。

仕事を終えて日付が変わろうとしている時間にスタッフ全員が集められ、全員減給の旨がアリフより伝えられた。その日は特に質問はなく意外にみなすんなりと受け入れたようだった。おぉ、さすがアフリカ。運命という川には従順に流れ従うのか。と思った。

そして今日がちょうど給料の前借ができる日だった。一人ずつ私の部屋に呼ばれ(なぜか私の部屋を使う)、チャールズが一人一人に減給額を伝える。開店当初から働いているコールはその長い体をかがめて椅子に座るチャールズとやり合っている。彼はトランシーバーが盗まれた時にはまだ出勤していなかったといって説得しようとしていたが、チャールズのゴリ押しの一言「減給を受け入れるか、それとも去るか?」の一撃で落ちた。次にやってきたのはこれまた古参のヨークだ。減額を聞いてショックだったらしく、チャールズに「ちょっとそれは多すぎるよ」と言っている。しかしチャールズは怯まない。全員が同額減給されているんだ、と言って説得に掛かる。しかしヨークも負けていない。少し声を震わせながら弱った様子を見せて同情を買おうとする。いや、実際に弱っていた。さらにチャールズが大声を出して「減額は絶対だ」と声を荒げると「そんな殺生な、多すぎるよ」ともう泣きそうだ。チャールズも面倒くさくなったのかとどめのイチゲキが口を衝いて出る。「減給を受け入れるか、それとも去るか?」

もうここまで来ると並大抵の猛者でもなければ心が折れてしまいそうなものだがチャールズは譲らない。とどめの一撃があるから。同情心が湧いてしまうアリフではこのういう役は良くも悪くも務まらないだろう。他の者はチャールズに歯向かっても無駄だということが分かっているので「ちょっと厳しいなぁ」と言って受け入れていく。新参者のロナルドは減額を知らされて明らかに動揺していた。すぐに「少し待って下さい、アリフに確認してきます」と言ってアリフのもとへ助け舟を貰いに行った。アリフも減額には同意していたので受けうつけられず。さらにチャールズの怒声に引き戻される。「おい!何でアリフんところへ行くんだ?俺が話している最中だろ?」と言って怒声を張る。もうロナルドはタジタジだ。いくつか言い訳を言ったが、チャールズの一撃「前借で買った自転車を置いて去るか、受け入れるか、どっちだ?」の前に彼も安らかに撃沈。

調理方はチップを貰えないので減給にはシビアに反論してくるが、給仕方は一日分のチップで挽回できることもあるので意外と引き際がいい。気が利きサービスが行き届いているキジトウは常にいい額のチップを得ている。彼はスマートだ。減額を聞かされても「昨日既に聞いています」と言ってあっと間に去った。さらにいつも「ぉはよう!」と可愛らしく挨拶をしてくるアニータは減額を聞いても全く動揺せずに、むしろ前借を貰えてうれしいのか去る時には鼻歌を歌っていた。アニータのこういう所がたまらない。

そうして無事に全員の前借り兼、減給の旨を伝え終えたリチャードは意外にもさっぱりして楽しそうな顔をしている。並みの人間だったらどっと疲れが出てきそうなものだが彼はタフガイだ。「みたか?どんなに反論してきても、去るか残るかを問えばイチコロだろう?」と言って笑っていた。

2014年6月14日土曜日

かわいい至上主義

日本はかわいいものの地位が高い。
かわいいキャラクター、かわいい洋服、かわいい女の子、かわいい鳩山由紀夫、、、しまいにゃご老人までもかわいいとしてもてはやす風潮が若者の間にはある。
外国の人と一緒にいるとそういう文化が極めて異色なものだと気が付く。そもそも日本以外の人はかわいいものへの興味が薄い(最近は日本の文化の影響で外国でもKawaii文化が根付きつつあるという話もあるが)。

女性の外見に対する好み。モテる女はセクシーで美しいという要素が大きい。だからファッションもかわいい要素は殆ど見られず、セクシーさ一本だ。女性を褒めるのも「cool」や「sexy」であり可愛いに相当するようなものは聞かない。一方日本では女の外見を評価するときに(20代くらいまで)は「かわいい」指標が「セクシー」や「美しい」のそれよりも重視されている気がする。日本で女性をセクシーと評価するのは極めてまれで、パッと思い浮かぶのは檀蜜くらいか。30代を越えたあたりから「美しい」が評価の中心になっていくあたり、外国と比べると少し時間にタイムラグがある。それは日本の女性の容姿が他国の女性に比べて幼い傾向(ネオテニー)があり、そう言う遺伝的な特徴も文化に影響を与えているように思う。逆に日本の社会が幼く見える女性を歓迎してきたという事実が長い年月をかけて日本の女性の顔を作ってきたとも言えるかもしれない。

「かわいい」にはどこか儚げで小さく、弱いものを慈しむ心が含意されている。代表されるのは親が子供に持つ感情だろう。おそらく日本の男は日本の女性を見る時にどこかでそういう守ってあげたいと思わせる要素を常に探しているのではないか。それが「かわいい」という評価となって表出してくる。だから世界の流れが男女同権同等の今でも、女性は常に庇護を受けるべき対象であり、必然とそれが女性を社会的に男性よりも下たらしめてしまっている。そういう日本の文化の底辺に流れるものが日本の男女平等を阻んでいる気がしてならない。

では大人の間でかわいいキャラクターが好まれるのはどういうことだろうか。私は親に先生に「弱いものいじめはいかん!」と1000回くらい言われて育ってきたから、弱いものをいじめることがなぜいけないのか、特に探究したことはなくそれは聖書に書かれている事の如くに絶対的真理であると信じている。本当はどうか知らない。まぁ結局人は皆弱いものだし、全体的なバランスの上での平和を考えれば弱者を救済した方がいいということになるのだろう。今回はあまりこれについては考えないようにしよう。
おそらくそうやって育ってきた日本人は多いのだろうと思う。つまり社会全体が弱いものいじめする人=悪者という風潮だ。いたって健全ではないか。そしてそこに日本人の主張しすぎない文化、悟ってほしいという言わずに伝えようとする文化が入り交ざるとかわいいキャラクターを身に付けたり好んだりする傾向が生まれるんじゃなかろうか。
妊婦さんマークというものを思い出してほしい。あれは完全に言わないでもわかってほしい、気付いてほしいという文化が作りだしたものだろう。何でもさりげなく、あまりことを大きくしないように何かを伝えたい。
かわいいものを身に付けるという行為は「かわいいものに対して好感を持っていますよ」つまり「弱い者の味方ですよ」という無意識の暗示なのではないだろうか。声高に弱い者の味方と叫ぶのは日本の文化的コンテクストに沿うと出過ぎている感がある。しかしその旨を何かを介して伝えたい。それが形となってがかわいいキャラクターを身に付けたり好む傾向に繋がっている気がする。もちろん子供がかわいいマスコットが好きなのは別な理由があるだろうが。

また若者がお年寄りに対してかわいいという気持ちが芽生えるのは一見失礼なように見えて、それは素直に表現できない弱者への慈しみの情なのではないかと思う。お年寄りはその多くは肉体的弱者であって、弱者をかわいいと言って慈しむのは日本の文化らしいじゃないか。だから若者に可愛いと言われたからといって怒らないでほしい。むしろ懐に忍び込んでしまえばいいのではないだろうか。

女性の外見を評価する時に美しさ、セクシーさ、聡明さなどに加え、可愛らしさというがあるのはユニークで私は好きだが、外国の人にはもしかした異様に映っているのかもしれない。

しかし鳩山由紀夫がかわいいのはなぜだろう。未だにその謎が解けずに煩悶する日々だ。

2014年6月10日火曜日

なつかしい香り

カンパラもまだ安いとはいえ、地価がどんどん上がってきている。町の中心部は商店やレストラン、高層のホテルなどの小さいスペースで商売のできるものが多く、広大な敷地を必要とする工場などは少し離れた郊外にあることが多い。レストランで利用するお持ち帰り袋のプリントを依頼するために夕凪の中、郊外へ向かった。


カンパラの中心街


都市といっても日本の東京のように高層ビルがどこまでも広がっているのではなく、ビルやモダンな建物があるのは本当に中心部のみだ。渋滞はカンパラにおいては毎度のことだがこの日は特にひどく、車で行こうとしたのを引き返し、ボーダ・ボーダ(バイクタクシー)にアリフと二人ひらりとまたがった。それをボーダ・ボーダマン(ドライバー)が制した。警察に捕まるという。そうなのだ、法律では二人乗り乗りは禁止されている。が、首都以外でそれを気にしている様子は感じなかった。というのも二人も三人も客を乗せて走っているのを見かけていたからだ。しかし考えてみれば危なっかしい交通手段である。乗客はノーヘルメットだ。自転車に乗っている時ですらヘルメットを被っていた私としては何だか頭が寂しいような気がする。

いやー、力を込めずともすいすい走るバイクは気持ちがいいものだ。また寒くも暑くもない夕凪を切って走るのはこの上なく心地よいものである。車は滞っているのにボーダ・ボーダはその隙間を縫うように進んでいく。

忙しい町を抜けると道は空いてスピードが出てくる。横をあっという間に通り過ぎてあいく町並みが茶色に変わってセピア写真のような雰囲気になった。トウモロコシを焼く煙の匂い、肉を炙る匂い、砂埃っぽい空気。そしてそれらの香りの中で人々の営みがある。今生活しているところよりも人が地面に近い感じだ。建物は平屋だし、店は地面に敷物をしいて開いている簡素なものが多い。家もどこからが内でどこからが外なのか判然としない。内と外の融合。

都会の生活の忙しさのためにしばらく忘れて仕舞っていた風景がそこにはあった。日本に帰ったらそういう風景や匂いを同じように忘れていってしまうのだろうなぁ。そのためにもしっかり記録に残しておかないと。お爺さんになって歩けなくなった時に読んだら空を飛んでいる気持ちにすらなれるだろう。と思って書いていこう。

2014年5月10日土曜日

風邪の誕生日プレゼント

一週間前から流行りの風邪を貰い、微熱が続いていた。そして今日は三十の誕生日だというのに高熱が出て仕事を早めに上がらせてもらい寝込んでしまった。またしても39度を越える熱だ。アリフもチャールズも数日前に熱が出て病院に掛かっていた。私も微熱が出てはいたが、マラリアの疑いはなかったのでしばらくすれば治るだろうと思って行かずにいた。

しかし高熱が出るとやはり不安になる。ましてや微熱が続いて体力が消耗していたのでマラリア発症の可能性は高くなる。今日行くべきかな、、、?とベッドで悶えていると仕事を終えたアーロンが「病院に行くか?」と部屋を覗きに来てくれた。それで決心がついた。いちいち悩んでないで血見てもらって白黒つけてもらおう。
そうしてひどい頭痛があったが少し食べて解熱剤飲んで待っていると、店じまいを終えてやってきたアリフとチャールズも付いてくるような雰囲気になった。
結局三十路になる男が三銃士に付き添われて血液検査をしに病院へ行くことになった。その光景はまことに珍妙なものだったろう。病院に行くのにどこか楽し気でジョークを飛ばしあっている。傍から見たら夜中にえっちなピクニックにでも出かけるかのようだ。


病院に着くと受付があり、そこで先に支払いを済ませるはずなのだが(アフリカはお金がないと診療してくれない、シビアだ)、係りの者がおらず先に問診を受けることに。静かで清潔感のある深夜の病院の廊下を四人の男が看護師に案内されて行く。病室に入ると若い男の看護師がテレビに夢中だったようで、面倒くさそうに先生のいる方を指さす。問診は髭の剃り跡が青いアラビア系の先生だった。何となく女性っぽい仕草で丁寧に聴診器で診察してくれたので、なかなか好感が持てた。同性愛が禁止されている国だが、頭が熱でおかしくなっていたためか「あーここで彼がカミングアウトしてきたら俺はなんと答えればいいんだろうなぁ」なんて考えていた。次へ案内してくれるはずの看護師はやはりテレビに夢中だった。そして日本の病院のような採血室で血を採って、再び廊下で待つことに。結果は思いのほか速くでた。
結果は陰性。
しかしまたしても細菌感染しており、それで高熱が出ていたようだ。事務室の清掃で汚い空気を吸い過ぎたか???

そして抗生物質と咳止め、解熱鎮痛剤が出されるとのことで受付の方に戻る。解熱剤が本格的に効き始めていたのと、検査によってマラアリアでないという安心を得たことで、寒々していた廊下も今はただの清潔な廊下だった。四人のおっさんがひたひたと廊下をゆく。突然アリフがハッピーバースデーを歌い始め、それにアーロンとチャールズが加わる。ちょ、ちょ、ここは病院だよー。何だか心配で疲弊していた心がとろんと温かみを増してきたが、私の冷静な部分が廊下を行き交う看護師や事務員を観察していた。ところが、看護師らも別に咎めるような顔をしていなかったので、私も純粋に心を開いて、彼らのハッピーバースデーを中心にじっくりと染み込むままに任せた。そしてケーキをプレゼントしてあげよう、とアリフが言うので「あぁ、でも抗生物質を埋め込むのを忘れずにね」なんていう冗談を私も飛ばせるほど気分が楽になっていた。

30という節目を妙な形で迎えたが、今までの人生で培ってきたことを最大限に生かして、良く生きていこうと思った。そんな一日。

そんなあっけらかんとした仲間たちです。

2014年4月2日水曜日

あげたい衝動

今朝は泊まり客に注目されながらのテント撤収で緊張した。アフリカの注目は凝視に匹敵する。日本のように人を凝視することを憚る文化がないので容赦ない。テントのジッパーを開けたら最後。プライバシーはないよ。うかうか変な習慣でもしようものなら日本人はそんなことするのか!と驚かれてしまうから要注意だ。ここでは私一人のミスが日本全体の恥になる。いや彼らにとっては中国も韓国も日本もどれも一緒なので、東アジア全体の恥だ。まったく朝から荷が重い。しかし宿のオーナーの秘書のグレイスちゃんは可愛かった。はにかむ挨拶がいちいち可愛いんだから朝から幸せだ。メアド交換なんていう洒落たことをしてしまった。いつもメアド交換は男ばっかりだったのでたまにはいいじゃないか。そうそう、ここまで来ると遠くの方に高い山が見え始めた。恐らくムハブラ山Mt.Muhabura(4127m)を含む山系の一角だと思うが、整った三角形が美しい。朝は青々と霞んで消え入りそうだったが、昨日の夕方ははっきりと見えていた。


今日も相変わらずの丘上りで筋肉が泣いている。昨日の昼にレバーを食べたからいい筋肉を作ってくれることだろう。2000mを越えているので涼しいはずなのに、汗だくでニジニジと上っているだけの単調な走り。景色はいいよ。ふと目の前が開けて向こうの尾根が見えると爽快だ。滝もあったりして清涼感のある走りだった。
今日中にウガンダに入れるかな、なんて甘い考えがあったがムサンゼMusanze(旧名ルヘンゲリRuhengeri)で宿を取る。

ムサンゼの直前の急登でオレンジ(と言ってもここら一帯で食べられているオレンジは緑色でとても酸っぱい)を売る子負いの女性が電柱わきにいたので自転車を停めて休憩を取った。電柱を挟んで反対側に座った。買った六個の緑の丸っこが股の間に転がっている。硬い皮にナイフで切れ込みを入れて剥いていく。黄色い果肉が高地の太陽を浴びて瑞々しく輝く。それを酸っぺぇ~!と食べるのだ。いや、本当に酸っぱい。レモンくらいに酸っぱいのもあるから困る。でもフルーツが恋しいので歯がうまくか噛み合わなくなろうとも夢中で食う。

そんなムズングを100mでも200mでも離れたところから嗅ぎ取ってやってくるハイエナがいる。ニコニコの子供たちだ。この辺は服が破けていたり、セピアフィルターをかけたような色の服を着ている子供が多い。首の部分が伸びきっていて肩が出ている子もいる。彼らが少しずつ距離を縮めてきて、私がオレンジをむさぼる周りにいつしか7-8人の子供達が集まっていた。そしてお決まりの「Give me money」それを追っ払う通りすがりのおじさんがいる(今までの国では大人がこういう子供の不躾けを戒めることはあまりなかったので新鮮だった)。一度はそれで散った子供だがそれでも懲りない奴もいる。また様子を見ながら少しずつ距離を縮めて再び射程圏に入った私に「Give me money」、「orange」しまいにゃニコニコのまま「Bicycle」だもんなぁ。もう君たちにはお手上げだぜ。本気で。

そんなひょうきんな子供とは距離を置いて少し遠い場所で水汲みのタンクを両手に持った四、五才くらいの男の子が佇んでこちらを見ている。洋服はボロで汚く、顔にも汚れた上から汗か水が流れたような跡がついている。ひょうきん者とは対照的に顔には明るさがなく真剣な表情だ。私は残っていたオレンジとバナナを渡したくなってしまった。しかし、今まで何度もそういう衝動を抑えてきたある種の引っ掛かりがその衝動にブレーキをかける。私という非日常の人間が介入することが果たしていいことなのか。わからない。苦い思いを引きずりながら私が去ろうとするとオレンジ売りのおばちゃんが少し形の悪いオレンジを選んで一個だけ彼にあげた。水タンクから手を離してそれを掴むとその男の子は齧り付いた。そして私の前を食べながら通り過ぎていった。少しだけ気持ちが晴れて私も出発し、前を行く彼を追い越そうとするとさっきのひょうきん者(10才くらい)が小さい彼が貰ったオレンジを奪い取ろうとしている。弱いものはいつだってどこだって虐げられる運命にあるのかもしれない。

と、そんな出来事。

2014年3月16日日曜日

挨拶とブルンジ



今までの道のりでどれだけの人とすれ違い、目を合わせ、そして挨拶や会釈を交わしてきただろうか。知らない場所に行くと挨拶の重要さが大変よくわかる。挨拶はコミュニケーションの入り口であると共に、相手に自分が無害であることを伝える。時には百回以上どころか二百回に届くのではないかというくらい道で挨拶を交わし、少し疲れることもあったが、挨拶を怠らなかったからこそ、良い出会いに恵まれた気がする。

今いるブルンジはとても挨拶を大事にする国だ。男女問わず口頭で挨拶しながら手を差し伸べて握手するのだが、それが私には自分のバリアを意図的に破るように見えた。挨拶の仕方は国よって様々だがアフリカは一般的に時間をかけて行うような気がする。そしていつの間にか雑談に入っている。急いでいても挨拶はしっかりとする。

そんなんだから自転車に乗って走り過ぎる際に挨拶するのは失礼かなと思ったりもする。かと言って一回一回止まっていては百年あってもエジプトには着けぬ。どうしたものか。

2014年3月14日金曜日

マラリア!?

今日は病気の話だ。今はもう元気に町を歩きまわっているので心配ない。マラリアでもなかった。良かった、良かった、めでたしめでたし。

話をブルンジに入った日から始めよう。
国境の町マニョーブManyovuは標高が2000m近いのでタンガニーカ湖畔のキゴマとは気候がガラッと変わる。雨期ということもあるがジメジメして肌寒い。マニョーブからブルンジに入ってからも標高は変わらず、気温もますます下がる。そして山岳地域らしい霧が山の斜面を舐めているような景色が続く。ブルンジに入って一日目はずーっと雨で、寒かった。自転車ポーター達も今日は休業状態だ。ブルンジは車も少ないこともあり、道ががらんとしている。

そうやって一日中冷たい雨に冷やかされてルタナRutanaに着いた。そうしたら温かいブルンジ人の歓迎が待っていた。町の入り口で一人の青年に声をかけられて止まると、あっという間に30人程の男達に囲まれた。

ブルンジは最近まで続いた内戦で国が疲弊し、世界でも極めて貧しい国とされている。世銀の調べでは一人当たりGNIが$240(2012年)でアフリカではコンゴ民主共和国に次ぐ最貧国とされている。紛争の原因は民族間対立。ブルンジはもともとタンザニア、ルワンダとともにドイツにより植民地支配されていたが、一次大戦後に敗戦したドイツの手を離れ、62年の独立までベルギーの委任統治の時代を経る。ルワンダと同じようにブルンジもツチ族とフツ族という民族で1:9くらいの割合で構成されている。この民族の名前は一度は耳にしたことがあるだろう。あの有名なルワンダ大虐殺のツチとフツだ(映画「ルワンダの涙」「ホテル ルワンダ」の題材にもなっている)。ベルギーは統治を容易にするために少数派であるツチを優遇し、政治や公職の要に多くを起用した。そうした言わば不自然な民族主義や優越感が独立後にも残って、民族間の内戦という形で表面化してきた。ルワンダほどの大規模な虐殺はなかったがブルンジでもこの内戦により数多くの命が奪われた。それが独立からずっと続き、現在も燻っているということで「不安定」であるということがガイドブックには書かれている。そうしたことと観光資源に乏しい(隣には観光資源大国のタンザニアがある)という要因があいまって観光客がほとんど来ないのだろう。

首都ブジュンブラはまだしも、田舎に関しては外国人はめったに足を運ばない。国境の入管事務員に聞いたらムズングは久しぶりだと言われた。だからこそムズングが現れたときの反応は今までのどの国よりも爆発している。もうバーストだよ、バースト。西洋諸国からの経済制裁で経済が破たんしてしまい観光客が少なかったジンバブエも同じような感じだったので、これは言わば観光客飢えかもしれない。しかし観光客にとってはとてもよくしてくれるのでありがたいことなのだが。

そんな温かでむさくるしいくらいの歓迎をあとにして宿を探していると、ある男性が声をかけてきた。彼がいい宿さがしを手伝ってくれるという。彼は学校で英語を教えていると言い、そのため英語での会話が可能であった。給料が少なーい、と言うよく耳にする愚痴を聞きながら坂の多いルタナの町を上がっていく。ブルンジの学校の先生(学校の種類にもよるだろうが)は日本円で一万円くらい。定食一食100‐300円くらいの物価を考えると確かに安いかもしれない。教師をないがしろにする国に未来はないと先生たちが怒ればいいが、温厚そうな彼にはできそうになかった。
彼はミーティングに行かねばならぬと言って、英語を解さぬ友人に私を押し付けて行ってしまった。もうここまで来たらリレーでも何でもしていいから安宿見つけてもらおう。その私を押し付けられた彼も前を歩いていた別の友人をつかまえて色々聞いている。よかった、またバトンみたいに渡されるのかと思ったよ。その別の友人も連れ立って何軒か聞いて回り、それでも意外と高く(タンザニアよりも2割ほど高い)この辺りでは折を付けようと思っていたところに恰幅がよく、優しそうなマダムが現れた。後で知ることになるのだが彼女は宿のオーナーで、一緒に探してくれていた男の知り合いらしい。フランス語とキルンジが飛び交っていて何を話しているのかわからなかったが、おそらく値段を交渉してくれていたのだろう。数分のうちに話がまとまり、BFr6000(400円くらい)で泊めてくれることになった。部屋に通されて、なるほど。部屋にトイレは付いているしダブルベッドだし冷たいけどシャワーはあって、水も出る。これでタンザニアの宿と同じ値段を求める方がどうかしている。

宿のマダムも優しそうだしここに決めた。そうして私を案内してくれた男はよかった、よかったと去っていった。自転車を降りて濡れた体のまま宿を探していたので体が冷えている。このままこの冷たいシャワーを浴びたら、さぞかし不快だろうと思って湯を沸かして紅茶を飲み、途中で買ったバナナの葉包みのキャッサバユガリ(呼び方がウガリからユガリへと変わった)を茹で卵で食べて体を暖めた。

しかし食べ終わって、よっこいしょ、立ち上がると鼠蹊部リンパ節に違和感が。これは何か来る。直観が脳裏を走った。兎に角ちゃちゃっと冷たシャワーを浴びて寝てしまおう。睡眠は最高の薬だ。気合を入れて体を締めて冷水を浴びる。水浴びは浴びた後温かくなるものなのだ。
少し熱っぽさを感じながらダブルのベッドにもぐりこんであっという間に眠りについた。



十二時、頃激しい頭の痛みと身体のだるさ熱さで目が覚める。
やはり来た、風邪の寒太郎。
熱、39度。
もともと熱を出しても40度まではいかないので私にとっては比較的高めの体温だ。
もしやマラリアか?と頭をよぎったがもう少し様子をば、、、とダブルベッドの広さに甘んじて悶えていたらいつしか再び眠りに落ちていた。

朝五時、熱と体の痛みで目覚めて熱を測るも依然として39度

サブサハラアフリカで高温が出たらマラリアを疑え。
潜伏期間1-2週間。あぁタンザニアの片田舎の安宿で何度か蚊に刺されていたことが頭をよぎる。
あぁ、あの時もっと注意していれば、、、

いやいや高熱だからってマラリアと決まったわけではない。なんてったって予防薬はしっかり飲んでいる。
ただの風邪かもしれぬ。他の感染症の可能性だってある。
マニュアル通り、解熱剤を服用、様子を見る。
すぐに眠りに落ちる。

目が覚めると熱が下がっており幾分楽になる。
何とか這って動けるようになった体でベッドから体を乗り出し、石油ストーブで秘薬極甘紅茶を沸かして飲む。
まぁ、言ってしまえばいつも飲んでいる甘い紅茶だね。
大量の汗と悶えでエネルギーと水分が失われている、何とか補給せねば。
大体の病気は薬で治すんじゃない、飯食って水分取って自分の治癒力で治すんだ。これが欠けてはいかん。

更にマラリアであった場合、今後すべきことの確認。
あぁこれを考えると頭が破裂しそうだ。
簡易テストをやって陽性なら南アで買ってあった市販薬でスタンドバイ治療を始める。
それからどうであれ一度は病院に行って医師の判断を仰ぐ必要がある。
マラリアの治癒(治癒自体はもっと早いが、赤血球を多く失うマラリアは体力回復に時間がかかる)には一カ月近くかかると聞く。
ブルンジビザは一週間分しかとっていないからマラリアの場合は首都まで行って延長せねばならない。
首都まではどうやって行く?自転車には乗っては行けまい。ここに自転車を置いて後で取りに来る?そもそも一週間のうちに自分で首都に行けるのか?
病院は?こんな見知らぬ土地で、こんな体で病院をどう探せばいいのだ?
ルタナ?ガイドブックにも載っていない小さな町で果たして見つけられるのか、、、?

考えるのを止めた。熱が上がる、頭がいたくなる。
寝ることにした。

七時半、マラリアであればそろそろ血中に抗体が生産されているはずなのでマラリア簡易テストを行う。
陰性。
よし。
いやいや、まだ油断はできない。
発症してからの時間が短いために試薬に反応するだけの十分な抗体が作られていないだけかもしれない。
そのために簡易テストキットは二回分で一セットになっている。時間を置いて調べられるように。

少しマラリアの可能性も低くな、気持ち的にも余裕が出てきたところで宿のおばちゃんに延泊させてもらうように頼みに行くが、おばちゃんを見つけられず。
再びベッドに戻った途端、眠りに落ちた。

これだけ寝たり起きたりを繰り返していると、時間の感覚がおかしくなる、夢か現かも怪しくなってくる。
宿のトタン屋根に激しい雨が打ち付けている。
カーテンから覗く外は薄暗く夕方なのかと思ったが昼を少し過ぎたくらいだった。
解熱剤が切れたか、再び熱が39度を超えた。

宿のおばちゃんが戸を叩いてやってきた。
英語が使えないことは昨日の時点で知っていたので、紙に「病気で動けないから延泊させてほしい」の図と「病院に行きたい」の図を書いて見せた。
なんとか通じたようだ。
心配そうな顔で、その大きくてふっくらとした手で私の頭を包み込むように体温を見てくれる。
その瞬間にこの人に全てを委ねようと感じた。
ひんやりとしたその手はハンドクリームの香りがした。
彼女も私がフランス語を話せないことを昨日の時点で知っていたので、今日は少し英語ができる息子のアトナスを連れてきてくれていた。
その息子が片言の英語で色々と通訳してくれ、マラリアの可能性も捨てきれないので、すぐにでも病院に行った方がいいということになった。
しかし外は雨。しかもこの体で歩いて病院に行くのも大変だ。
解熱剤飲んで調子のいい時に一気に行くしかない。
少し休んでからでいいか、と尋ねると、「車の手配をしてくるから待っていなさい」とおばちゃんは出ていった。

この間にマラリアの簡易テストの二回目をやった。
陰性。
よし。マラリアではないようだ。
しかし簡易テストはあくまで参考用なので最終的には医療機関の判断を仰ぐのが好ましい。
マラリアでなければこれはなんだ?普通の風にしてはあらゆる症状が重い。
ふと右足の痛みに気付く。
タンガニーカ湖をフェリーで移動中に靴を盗まれて、キゴマで買った新しい靴が足の甲上部に作った靴擦れ。
化膿している。一昨日は水泡に過ぎなかったがこんなに立派に成長して。。。
もしやこいつが原因?
マラリアの可能性が殆どなくなったため少し安心してベッドにいたら、また眠ってしまった。
なんなのだこの眠気は。
どのくらい眠ったか。
アトナスが車が見つかったとやってきた。外は相変わらず薄暗く時間がわからない。

もちろん見知らぬ男性が運転席にいた。私は重く沈んだ体に鞭打って車まで歩くが、この時に始めて足の痛みが強いことに気が付いた。
これは愈々この傷が怪しい。
わざわざ車を出してくれたこの見知らぬ男性に感謝して車に乗った。おばちゃんとアトナスも一緒に付いてきてくれた。

改めて感じたがこの町は坂が多い。道は未舗装のため泥だらけで、岩が露出し穴だらけ。
各所に水の流れが自然に作りだした溝があり、今降っている雨たちがそこに集められて流れていた。
まだ三時頃だというのに町は濃い霧に包まれて薄暗い。
道行く人々の姿が夢の中のように淡く青ざめている。
道の先は霧の中に消えている。
ボコボコと車が揺れるたびに脳みそが頭蓋骨にぶつかるようで痛い。
朦朧とした頭の中でどこに行くんだろうなぁ、なんて考えながら10分ほど走っただろうか、病院らしい場所についた。

建物に入ってすぐ「おぉ、まさによく描かれるアフリカの病院だな」と感じた。
明かりのない待合室には木製の簡単なベンチが設えられており、この空間には不釣り合いなほどの患者がうなだれて待っている。
うなだれた頭が通路にアーチを作りだしている。
何とも言えない陰湿な空気。
氷雨という天気の要素を差し引いても日本のそれとはまったく違う風景がそこにはあった。

体温を測るということですぐに病室に通された。
体温計を慎重に脇に差し込んで、しっかり挟まれているか確認している。
日本だったら大人にここまではしない。体温計の使い方はみんな知っているから。
病室には看護師が三人、いや出たり入ったりで何人なのかわからなかった。
白衣は半袖でその下から汚い長袖がはみ出している。
手の動きよりもおしゃべりが多い看護師が多い。
しかも楽しそうだ。
医者と思われる男がやってきて聴診器をブラブラしながら看護師と楽しそうにおしゃべりしている。
一方の患者は苦しそうにただひたすら順番を待っている。私も含めて。
医者と患者のこの異様なコントラスト。日本では見られまい。
それが薄暗い病室で淡々と繰り広げられている。
どうして苦しそうな患者を前にこんなにも楽しそうなんだ、この人たちは。
聴診器は単なるコスプレか?だとしたら日本の店の方がまだしっかり診察してくれるな。

こんな医者を前にただ患者はじっと待つしかないのだろうか?
そう、ここではそういうものなのだ。
これが無料で診察を受ける者の宿命なのかもしれない。

たぶん一時間半くらい待っただろう。
病院まで連れてきてくれた車のドライバーはは待っていられないと、私とアトナスをコスプレ風俗店へ置き去りにして去った。
アトナスもこれではきりがない、と思ったのか私を支えて病院を後にした。
他の病院へ行くという。
辺りは薄暗くなり人の往来もまばらだった。
車で来た道をこの小雨の中、歩いて帰るのかー、と落胆している私を励ますようにアトナスが手を引いてくれる。
そもそも目の悪い私はこれぐらい薄暗いと視力も利かない。街灯は皆無だ。

何分歩いたか意識の朦朧とした私にはわからなかったが(あとで歩いたら15分位)、アトナスの言う病院とやらに着いた。
しかし先ほどの病院とは打って変わり待ち患者の姿は見られない。代わりに入り口に傘が二つ開かれて置かれているだけだ。
特に病院の看板があるわけでもない。入り口に付くとすぐに女性の看護師が現れ、握手を交わす挨拶をゆっくり確実に行い、アトナスとフランス語でやり取りしている。
私があまりのだるさに空いたベンチに横になっていると、医師と思しき男性が現れ、直ぐに中へ招き入れてベッドに寝かせてくれた。
あぁ、なんて楽なんだー。天国だ。そしてあっという間に浅い眠りについた。体が激しく休息を求めている。

次に呼ばれて気が付くと別の医師が部屋にやってきて血圧を取ってくれた。
宿のおばちゃんも再び駆けつけてくれた。
医師が血液とる準備ができたからいらっしゃいと別の部屋から呼んでいる。
部屋に入ると顕微鏡が一台、壁には様々な感染微生物のスケッチ、採血用アンプルが試験管立てに立てられている。
あまり清潔な感じはしないが、最低限の道具はそろっている。
大学時代に私が通っていた昆虫研究室の方が幾分きれいなくらいだ。

椅子に座らされて隣の椅子に無造作に置かれたゴム手袋で止血バンド。
注射針だけ刺してそこから滴り落ちる血液を開放試験管でキャッチ。
そして採血が終わると部屋へ戻され足の膿んだ箇所を手当てしてくれた。
そして結果を寝て待て、と。なんてスムーズなんだ。これは私立病院に違いない。

ベッドに戻るとアトナスが待っており、安心しまたすぐに眠りに落ちる。
目が覚めると医師が紙切れを持ってベッドの横に座っていた。
結果は、
サルモネローゼ
タイフォイーディ
が血中から見つかったと
マラリア原虫は見つからなかったと。

フランス語なので定かではないが、その似た発音と綴りからサルモネア菌とチフス菌だと思う。
日本ではよく食中毒なんかで聞く細菌君たちだがこいつらって血中から見つかるもんなのか、と不思議に思いながら、アフリカの不衛生さを改めて実感していた。
と同時に、マラリア原虫がいなかったことに安堵した。
熱の出方の兆候や解熱剤服用後の熱の変動から、また湖周辺でちょこちょこと蚊に刺されていたことからかなりマラリアの可能性が大きいな、と思っていたから本当に安心した。
結果を聞いて宿のおばちゃんもアトナスも安心してくれている。
おばちゃんはベッドの準備をするために先に帰ったが、アトナスは最後まで付き添ってくれた。

どうやら熱の原因は右足の靴擦れの化膿のようだ。
そこから雨で濡れた靴内で擦れに擦れ上記両二名が体内に侵入したと思われる。
抗生物質のタブレットを貰い、痛みと炎症を抑える注射を打ってもらった。

足の手当てと薬三種、注射二本込みで1000円くらい。
保険は外国人なので効いていない。それでもこの値段。

病院を去る時にアトナスにこれはもしかして私立病院か?と尋ねると果たしてそうであった。
初めに行った病院は公立で外国人でも安い。ブルンジ人は無料だという。
その無料のために手際の悪い、またモチベーションの低い医者や看護師を苦しみながら待たなくてはならないブルンジ人。
千円という高くはない治療費を惜しげもなく払い、早々と苦しみから解放され安らぎを得る外国人の私。
ブルンジの医療を用いながら、、、

とは言ってもブルンジの国家予算が国民の医療費を全額賄えるほど潤沢なわけはないから、公立病院はおそらくWHOや他国のODAがかなりの資金援助をしているものと思われる。

注射を打ってもらいだいぶ痛みとだるさから解放された。
帰る途中、町の暗さに気が付いた。
州都であるこの町も電気が殆ど来ていない。だから夜は真っ暗だ。
闇の中、霞がかった月の明かりを頼りにアトナスに気遣ってもらいながらボコボコの道を宿へ戻った。
あの苦しみと不安から解放されたせいで饒舌になり夜霧に私が話す声が籠り響いていた、に違いない。

再び宿に戻ると薬の効果もあり、深い深い眠りについた。






















2014年3月3日月曜日

世界の仕組み

朝飯、優雅だろう?


今日はヒマワリ畑がきれいだった



タンザニアはけっこうムスリムが多いキリスト教と半々くらいか。この後宿の裏からコーランを読む声が聞こえてきた。


朝日を浴びて宿を出るとタンザニアンの視線もばっちり浴びる。今日は下調べ兼休息を取ろうと考えているサンバワンガSumbawangaまでの40kmほどを走ればよかった。そんな風に油断していたら案の定出発は遅くなった。

宿を出てから隣のチャイ屋で朝食を取る。ショウガの利いた甘ーい紅茶とファットケーキだ。二つ追加で食べたら昼を過ぎてもむかむかと気持ち悪かった。油があまりよくないに違いない。いや、たんに食べ過ぎか。

カエンゲーサKaengesaからは未舗装道路を走ることになる。2012年までにはサンバワンガまでの道路工事が終わっている予定だがここはアフリカだ。何が起こるかわからない、その中で事業者も精一杯やっているに違いない。途中から舗装されていないかなあ、なんて淡い期待も持ったが、それは水のごとき淡いものであった。案の定今日はずっと未舗装道路をゆくことになった。久々にタイヤが砂に取られる感覚を味わった。それでも今日はとても気持ちの良い天気で最高のサイクリングだった。こんなに空が青いのなんてボツワナ以来かもしれない。また道が赤土だから余計に空の青さが目に沁みる。ふうふう言いながら坂道を地面見ながら上って、上り切ったところで、ふと、目線を上げ見渡すとそこにはどこまでも続く瑞々しい緑の大地が、なだらかな起伏を持って広がっている。

ナミビアの砂漠にいた頃は毎日が晴天で、雲なんかこの世からなくなってしまったかのようなその青すぎる空が恨めしかったこともあった。そして水に、潤いに、飢えた。
しかし一度ジンバブエに入ると雨季に突入し、毎日湿ってばかりで徐々に気持ちにカビが生えた。加えてテントでの生活がだんだん嫌になった(テントが穴だらけで浸水しているということも一因だ)。このお決まりで雨を連れてくる雲たちを恨んだ。今日も連れてきやがったか、と。いつしか心までが雲で覆われ、またマラウィでたくさん考えさせられたこともあり、落ち込んで、なんとなく気持ちが晴れない日々が続いていた。

それが今日の晴れ空でさらっと晴れた感じだ。またタンザニアンのさっぱりした性格にも幾分救われているところがあるだろう。かと言って刺激がないわけではない。気持ちがよいのだ。

サンバワンガに着いて、まず町の入り口でチャイを頂く。何だか限りなく砂糖湯に近い淡白さだが、走った体にはなんでもうまく感じる。木陰がそよ風でゆらゆらと地面の上を揺蕩い、優しい空気を生んでいる。木陰にポットを持ってきて開いているに過ぎないそのカフェは間違いなく素晴らしい憩いの空間に変わっていた。カメラで撮影していると「私も撮りなさいよ~」と言わんばかりにおばちゃんがフレームに入り込んでくる。ついでにそこのカフェでパンケーキを買っていたので、なんとなく店の繁盛に貢献したようで気持ちがよかった。

町の中心に行くとそこは人いきれがムンムンと満ち、砂埃が舞う忙しい場所だった。国道からわきに入った一つの通りに目を付けた。スイカが切って売られていたのだ!もう齧り付いたよ!美味かったなぁ。そして木陰で通りを見ながらオレンジを食べようとしていると、「こっちに座りなよ」と通りに面した椅子に座って勧めてくる男がいた。言われるままに椅子に座りオレンジを食べ始めた。特に彼とは話もせずに、かと言って気まずいわけでもない空気がそこにはあった。日本人だったら何か話さなきゃな、と思って気まずくなりそうなものだが、ここではそうはならない。なんでかって、それはおそらく忙しさに関係しているのではないだろうか?日本などの忙しい国の場合、人と時間を共有することは相手の時間を頂戴している気がして頑張ってしまうのだ。しかしここでは基本的に、自然と意図せずに人と人が居合わせる。ほら隣を見よ。リヤカーに寄りかかって通りをボーっと見つめる男、店番だが暇なので携帯を頬に当ててぼんやり。私の椅子を勧めた男だっていったいこの椅子に座って何をしているのか分からないではないか!こんな風に人と人が同じ時間を居合わせることがごく自然なので、あまり気負わずに済むのだろう。

オレンジを食べ終わった私も彼らに混じってぼんやり何をするでもなく前の自転車屋を眺めていた。客の男を前に店のおじさんが忙しそうに自転車を直している。ふと、誰が書いたかは覚えていないが、Facebookでシェアされていた記事が頭に浮かんだ。その記事はこんな内容のものだった。
「いただきます。料理を食べるということは、それを作ってくれた人の時間を、そしてその人の人生そのものを食べるということ。なぜならそれができるまでには様々な人の手が掛けられており、彼らはそれに貴重な人生の時間を割いているから。だからそれを心に留めておきましょう」
こんな旨の記事だった。

今目の前で手忙しく自転車を修理している男にパンクの修理を依頼したらいくらでやってくれるんだろうか?日本であれば大体相場は1000円くらい(パンク修理の依頼なんてもう20年近くしてないので現在の相場はいくらか知らない)?
値段は聞かなかったがおそらくとんでもなく安い値段で修理するのだろう。私はそういうサービスや作られたものを安い、と感じて何だか外国に来て得した気になっていたりする。うむ、実にさもしい考えだ。今自転車を直してもらっている男は安いとは感じないだろう。彼らの生活では妥当な値段なのだ。

外国を旅し、または輸入されたものが安いと喜んでいるその裏側では彼らの安い労働がある。彼らには「安いと思える下の世界」は殆ど存在しない。つまり毎日がカツカツの生活だ。彼らは我々に余裕の生活を提供してくれているともいえる。彼らが安くてきつい仕事を引き受けてくれているからこそ、我々の生活があることを心に留めておかないといけない。我々は彼らを喰って生きている。それが世界の仕組みの一つの側面なんじゃないかと、自転車屋を見て感じた。

しかし彼らがカツカツで重く辛い人生かというとそうとは限らない。彼らはお金の最善の?使い方を知っている。お金が手に入ったらドカーンと景気よく使うので、楽しく豊かな時間もしばしばある。彼らのその性質が根本的に豊かにならない一因じゃないかな、と思うこともあるが。これについてはいつか別の機会で触れたい。