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Africa!

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2014年6月24日火曜日

自転車のある風景3

タンザニア

タンザニアの金属の採掘町で。警備員の建物の裏に泊めてもらった。久々のテントで雨にやられた。



私の自転車はどこ?


 宿にて。少しね、じめっとしていて快適じゃないんだけど、安値には頭が上がりません。


君の自転車と一緒に写真を撮ってもいいか?と聞かれた。ほう、俺ではないのか、と少し残念だったが自転車がヒーローになれたんだ、いいじゃないか。



ふふん、このムズングが何しているのか気になるのねー。ちょっと空気入れているだけよー。



 学校の先生は英語をつかえる人が多いので沢山声をかけてもらった。そうして生徒のような子供が聞いている。いい授業じゃないか。



道端喫茶にて。供される茶は、限りなく透明に近いテイストだったがブルーにはならなかった。なぜなら木洩れ日が美しく揺らめいて、そよ風が最高に気持ちよかったから。



タンガニーカの湖に向かう途中の宿で 。小さい町だったが宿はいくつもあり充実していた。



ジンバブエ以降、久々に人の気配のない場所だった。静かで静かでついつい雉撃ちに行ってしまった。





色々ごたごたもあったけど最後までフェリーまで送ってくれたラザロ。オンボロトヨタのピックアップで。





渡し料に彼女の十倍払わされた。しかし他に手段がなく仕方なかった。代替手段を持たなかった私の負けだ。見てくれ、ムズングから金を巻き上げたおっちゃんの嬉しそうな顔を。



 砂時計のようにじわりじわりと沈んでいく。水掻きは客の仕事。沈みたくなかったら水掻きな!ってか。



湖のブルーが印象的だった。きれいな湖に汚い箱が一艘浮かんでいる。



カモも乗船中。俺は$50払ったが、お前は払ったのか?俺は喰われないが、お前は喰われる。お前も$50払えば喰われないんじゃないかな。



 いや、昨夜は雨がすごかった。私は最初ベンチの上で彼らの厚意によって体半分のスペースをいただいて寝ていたが、強風と雨で寝るのを諦めた。そしていつしか私も彼が寝ている場所で寝ていた。


タンガニーカの畔にて。船の写真を撮っていたら俺たちもと。




港町キゴマで。バイクタクシー(ボーダボーダ)の兄ちゃんに自転車に乗らせてくれと頼まれる。すると「俺の技を見てくれ」と静止してみせてくれた。




ブルンジ

軍服の男と話していたら子供や女がやってきてその会話をじっと聞いている。いやぁ、大したことはなしていないんだけどね。


山並みと自転車を撮ろうとしていたら「俺も」と言わんばかりにフレームに入ってきた。どうぞおはいりなんせ。



ルワンダ

植林されたユーカリの木が吐く呼気が清々しい。



少しおしゃれしようとバナナを積んでみた。




キガリからの急登の途中で。休んでいたらどこからともなく人が。道沿いには家なんかないし、人っ子一人見なかったんだけどなぁ。そう斜面に家があるんです。



ウガンダの国境で。国境は物流の要所だ。ものが行き来するだけでビジネスになる。ジーンズを運ぶ男。


ウガンダ

トイレが遠い宿だった。



田舎を走る国道の傍らに一軒小さな露店があったので寄ったらそれはそれは太くて立派なサトウキビが売られていたのでした。トマトに、バナナ、アボカド、青い空 彩り豊かな休憩であった。



重力が恨めしいこともあったことは否めないが。



山を切り開いて造った九十九折の道をひぃひぃと登る



 自分の登ってきた道を感慨深く眺めていたら子供がやってきた。何かを求められるのかとドキドキしていたらただ見ているだけだった。ドキドキした自分が少し嫌いになった。



道に飛び出した牛への衝突を避けるべく転んで負傷した私を暗闇の中宿まで案内してくれたヒラリー君の愛の巣で。彼の愛妻が作る料理をたくさん食べてしまった。七面鳥がペット兼非常食。

2014年3月9日日曜日

リエンバに乗り込め!

淡水湖において世界第二位の水深を誇り、そこに生息する魚類、無脊椎動物のユニークさ、また貧栄養のための高い水の透明度で知られるタンガニーカ湖。
 嵐で迎えてくれた


コンゴの山並み


 優しい波音を聞きながらビールを


 さすがリゾート


 湖の碧と木々の蒼


ラムネの瓶を覗いているようだった


人類のゆりかごと呼ばれるアフリカ大地溝帯にそってできた大地の裂け目。そこに水が溜まってできたのがこの湖だ。海のような大きな垂直潮流がないため、下層水は酸素をほとんど含んでおらず生物はもっぱら浅い沿岸域に生息しているという。
深いところで水深1500m弱。
極めて透き通った水。
それでも水底には光は届かない。
どんな世界が広がっているのだろう。
緩やかに沈殿して眠りたい湖だ。

そのタンガニーカに惹かれてルートを急遽変更。本来は湖畔へは行かずに、肉食獣がうるさい国立公園(KataviNP)を通ってムパンダ、キゴマへと行こうと思っていた。地図を見ながらタンガニーカへの思いが強くなったのと、そう思うと、なるほどこれは国立公園を通ると今回はライオンに喰われるという暗示かもしれん、というわけで。あっけなく湖縦断ルートへと変えた。

湖はリエンバLiembaというフェリーで渡る。水上タクシーもあるという話だったが、いつどこから出て、どういう連絡になっているのかまったくもって不明だったのでフェリーを使うことにした。

このフェリーがなかなかの年代物で1913年ドイツ製だ(グラーフ・フォン・ゲッツェンと呼ばれていた)。もともと貨物用だったものが一次大戦の時に当時東アフリカを植民地にしていたドイツ帝国の海軍によって接収され砲艦として造りかえられた。この辺りは世界大戦時にアフリカ戦線としてドイツとイギリスが戦っていた。すでに南部アフリカに多くの植民地を持っていた大英帝国はイケイケだったに違いない。一次大戦中、戦局がイギリスに傾きドイツがいよいよ危なくなると、連合国側にだけは渡したくないという思いから操縦士は独断で後のサルベージを期待してグラーフ・フォン・ゲッツェンを自沈させた。しかし皮肉にも大戦後にイギリスによって引き上げられることになる。それが現在タンガニーカの貨物の主力を担うリエンバ号として現在も健在なのだ。


さてこのフェリーですらもどうやって乗ったらいいのか。情報がなさすぎる。
山羊も知らないというので困った、、、


湖畔の宿のオーナーに聞いてもわからない。湖畔の村人に聞いても正確な時間はわからない。湖畔の宿の多くはリゾートとしてほとんど白人が経営しており、彼らは自船を持っているので庶民の使うフェリーのことなんか知る由もないと納得できるが、村人が寄港時間を知らないとはさすがはアフリカだ。
そうこのフェリーには定刻などというものはないのだ。まぁ大体このくらいにくる、昨日あの村を出たという話だからもうすぐ来る、そう言った感じなのだ。

フェリーが昼ごろに来るという情報を得た。その日は昼から港に待機していた。ザンビアのムプルングMpulunguやタンザニアのキゴマなどの港はきちんとフェリーが寄港できるのだが、他の多くの村の港様入江では、湖底が浅いのでフェリーは岸に近寄れない。つまり小舟を使ってフェリーに乗り込むのだ。あとで書くがこれがまた戦いであった。宿で働いていた兄ちゃんにこの小舟の漕ぎ手のラザロを紹介してもらって待っていた。彼が電話で別の村の人に聞いてくれ、今日はフェリーは来ないことがわかった。明日の朝だと。まぁよくあることだ。気長に待とう。というわけで小舟の漕ぎ手ラザロの家に泊めてもらう。家の前は開けていて湖が眺められるとてもいい場所だった。100万円で売りに出されているという。買いたい人はいかが?

日が暮れるまで町で呑んだくれたちと過ごし、暗くなってから彼の家にお邪魔した。庭、兼見晴らし台から臨むと白んだ湖面に三艘の小舟が音もなく滑らかに滑っている。投網を回収するためであろう。岬は薄暮の中、彩り豊かな空と白んだ湖面にはさまれて黒々と横たわっている。


ラザロが火を起こし、食器を洗い始めたので私も参加して、夕飯になるであろうサツマイモを剥いた。ラザロは部屋に蚊取り線香をつけたり掃除したりで忙しい。



ラザロの寝床には蚊帳も付いており、ここら辺の蚊の多さをうかがわせる。夕飯はサツマイモのトマト蒸しでニンニクとショウガを使う辺り、タンザニア料理はやはり今までの国の料理と違う。素朴な夕飯だがトマトの酸味にサツマイモの甘味が引き立ち、そこにショウガのアジアンテイストが加わって美味しかった。ミルクと言って出された液体も新鮮な体験だった。部屋に入った時に裁縫用ミシンの脇に置かれたペットボトルの液体が気になっていた。それは白い層と薄黄色の透明の層に分離した何かの洗剤のように見えた。ミシンを使うときに使うもんかな?と勝手に納得したが、食べる段になってラザロがその分離した液体のボトルを振り始めた。そして「はい、ミルク」と言って分離を解消して一様に白くなったとろみのある液体を、湖の水で綺麗に洗った私のグラスに注いでくれた。匂いは、、、うむ食器洗い用のゴム手袋の匂い。味はフレッシュなチーズのようでいて少し雑味がある。まぁ旨いものではなかったが、久しぶりの乳製品のまろやかさに喉が喜んでいた。しかしこの味と匂いは記憶にある。どこかで味わっている。記憶をたどって思い出したのは学生時代に、夏の暑い部屋に置き忘れた牛乳の味だ。ほう、あれはダメになっていたと思って捨ててしまったが案外発酵成功していたのかもしれない。牛乳が常温でも保存できることを初めて知った。

それにしても不思議だ。経済的に豊かなタンザニアの農村には電気が来ていないが、経済力で劣るマラウィやザンビアではどこでも電気があった。だからマラウィまではどこへ行っても冷たい飲み物を買えたが、タンザニアに入って以降、温いジュースにビールを飲む毎日だ。温いジュースもあまりよろしくないが、温いビールは豆腐なしの湯豆腐並みに最悪だ。それでもタンザニアンはそれがあたかも普通のように飲んでいる。いや実際普通なのだろう。電気がないので料理も当然木炭を使って行う。初めの火種は自分で点けることもあるが、どこからともなくやってくるから面白い。火種のお裾分けってか。

ラザロは夕飯が終わるとサッカーを見に村へ消えてしまった。私も誘われたが次にいつ眠れるかわからないので先に蚊帳の中で寝させてもらうことにした。




翌朝目覚めると既にラザロは起きて休日の仕事にとりかかっていた。トイレや部屋掃除、湖から水を汲んで綺麗にしていた。フェリーは朝来るという話だったが、なかなかやってこない。ラザロが火の用意をし、林に牛乳を探しに行った。火は点く前に消え、ラザロは帰ってこない、フェリーも来ない。少し不安になる。
一時間ほどして消えた火を点けなおしているとラザロが牛乳は取れなかったと帰ってきた。それと同時にフェリーの音が聞こえる!と。朝食を急いで準備しているとフェリーの音が消えた。ラザロも不審に思ったか他の仲間を呼びに行く。その誰かが誰かに電話して聞くと、現在私のいる村Kipiliには今日は寄港しないと言うではないか!ぬぅわにぃー!?だよ本当に。
ちなみにこのフェリーは一週間に一本という話もあるが二、三週間に一本という話もある。これを逃したら待つか、または来た道を戻って国立公園を抜けなければならない。どうしてそんなに情報があやふやなんだぃ、君たちは!
フェリーは現在キランドKirandoという隣街に向かっているという。今から途中町のカトンゴーロまで自転車で40分、カトンゴーロからキランドまで30分はかかる。そして港はどこだ?と探すのにまた時間がかかる。フェリーはもうキランドについているころだから、どんなに急いで走っても間に合わない。しかしどうしたらいい?と慌てる自分がいる一方で、極めて冷静な自分がいることに気が付いた。

「それが運命だったのだ、仕方ない」

アフリカを旅しているとあまりにも自分の思い通りに行かないことが多すぎて、こういう思考になるのかもしれない。運命だからと受け止めると、いかに楽になるか。今回だって、なんだそれは運命か、わっはっは、と受け止めてしまえば、別の方法を探す方向に気持ちが向き、開けてくる。諦めるのとはちょっと違う。人事を尽くしてダメならしょうがない。こういう気持ちだ。そしてそこに住む人々とできるだけ結びつくこと。それは時に騙されることもあったり、まったく的を射ていないことを教えられることもあるが、私にとっての旅の楽しみはそういうやり取りのきわどいところにある気がするのだ。まずは人を信じることに始まりがある。

先日マラウィで会った旅人はとても自立していて私と対極に位置するスタイルを取っている人だった。彼は言う。「ニガー*の言うことを信じるな。情報はインターネットやガイドブックで調べるだけ調べて備えよ」
これを聞いたとき、彼の旅は修行みたいだな、まったく楽しそうじゃないと思った。しかし彼はもう何十年も旅をしてきたベテランでだ。きっと壮絶な経験をしてきたに違いない。しかし私は彼のスタイルを真似したいとは微塵も思わなかった。他人は自分を映す鏡である。自分が相手を信用しなければ相手もそれ相応の対応を用意してくるだろう。私はいつだって扉をオープンにして旅をしている。一方でやはり一期一会の出会いでは全開とまではいかない。いつでも閉める準備をしている自分がいるし、最近はそういう出会いに疲れ始めている自分を見ることもある。

*ニガー:黒人の別称と取られることもあるが黒人自身も自分たちを指す場合に用いているので使い方によるのだと思う。

ラザロの友人が車を持っている人(牧師)を探してきてくれて、車で行けば間に合うということになったが、ガソリン代がかかるという。値段を言われ「ちょっと吹っかけているな、コイツ、牧師のクセに足元見やがって」と思ったがやれるところまではやってみよう。と言うわけで高い金(私の二日分の生活費)を払って今にもエンジンが火を吹きそうなトヨタのおじい様に自転車と荷物を載せる。いざ、出発!という段でエンスト。何度か試みるもエンジンはかからない。近くにいた男達が車を押してエンジンかけを試みるもダメ。ほう、やはりれはリエンバちゃんには乗るなということかもしれないな、と一人涼しい顔で眺めている(私は自転車を抑えているために車に乗っていた)とエンジンがかかった。そうか、まだまだ分からんな。


ラザロと近くにいた二人の男も一緒に乗り込んでポンコツはものすごい勢いで、道上の人々を蹴散らしてキランド目指して突っ走った。日本車強いよ。こんなにボコボコの道も元気に走るお爺さんがいる。自転車どころか私が跳ねる跳ねる。

キランドはキピリの村よりも熱気があり、港というか小舟乗り場は見送り客でごった返していた。怒声が飛び押し合いへし合い。乗客は既に小舟に分散して乗り、沖に出てしまっていた。



遅かったか!
ところがラザロが小舟を一艘つかまえてきてくれた。しかしこの漕ぎ手がなかなかあこぎな奴で、他に私に手段がないことを知っている。Tsh20000という法外な料金を吹っかけてくる。それでもラザロが何とか値段を下げてTsh15000(千円くらい)まで下がったがそれでもぶっ飛んでいやがる。一緒に乗ったタンザニアン女性はTsh2000だ。差別だ、差別!と言っても始まらない。ものの値段とはそういうものなのかもしれない。フェリーに乗るにはこの小舟を使うしか私に道はない。仕方なく承諾した。漕ぎ手のおっさん、私から金を巻き上げてすごい嬉しそうだ。もう笑顔が溢れて仕方がないといった風でルンルンと漕いでいる。



まぁ人を幸せにしたと思えばいいじゃないか、と自分を納得させた。また、この小舟が水漏れが激しくておっさんが濃いでいる間、私と同乗の女性が水を掻き出さなければならない始末であった。あぁ、ひっくり返ったら自転車も荷物も沈んじゃうなぁ、、、なんて水面ギリギリのところでしみじみと思ったり。


いやぁしかし湖は青くて美しかった。なんか今までのごたごたを忘れさせてくれる力があったくらいだ。どこから空が始まってどこからが湖面なのかわからなくなる。一面水色。その間にごちゃごちゃと人が乗った舟が数艘浮いている。三途の川を渡る船もこんなものかもしれない。遠くに黒煙をあげたリエンバちゃんも見える。大き目の舟の船頭が「そのムズングをよこせ!」と叫んでいる。私の乗っている小舟の船頭は「いやだねー!」みたいなやり取りをしている。そして別の大き目の舟に移れと言われた。客の取り合い、縄張りのようなものがあるのだろう。客としては本当に迷惑な話だよ。そして水上の危うい自転車移動をする羽目になった。ただでさえ足元がぐらついてバランス悪いのに、荷物付いた自転車持って乗り移るのは至難の業だった。しかしここではやるしかないのだ。もう後には引けぬ、進むのみ。えい、ままよ。大きな船では自転車を受け取ってくれた兄ちゃんがいた。これがのちに金を要求してくる厄介な奴だった。

大きな舟は容積が大きいので安定しており、安心して乗っていられた。こんな風に自転車積んで小舟で乗ってくるムズングは珍しいので、乗った瞬間に人々の視線が相棒ともども突きさしてくる。英語を話せるやつが金を要求してくる。リエンバがどんどん近づいてくる。なかなか年季が入っているだけあってその風貌は小さいながらも厳然としている。船腹の小さいドアが開き人が乗り込み始める。私は自転車があったのでしばらく様子を見ていたが早く早くと急かされ入り口に向かう。しかし入り口はやっと一人が通れるくらいの小さなもので荷物の付いた自転車は難しそうだ。かと言って荷物を外すと持ち去られそうで怖い。まごまごしていると入り口の上の船上から乗客が手を伸ばして「こっちに渡せ!」みたいな顔をしている。自転車と離れるのは心配だったが、他に方法も見つからなそうだったので任せることにした。「後で会おうぞ自転車よ」

入り口に入ってからも大変だった。な、な、な、何なんだこのカオスは。今までもいろんなカオスを見てきたが、これほどの密度を持ったカオスは初めてだったので怯んだ。隙間が少しもないよ!まるでどろっとした液体が滞っているようだ。肉と肉のぶつかり合い、汗やら唾やら汁が飛び交い、怒声がBGM、人の臭いに様々な臭いがブレンドされていて、もうこのまま海に飛び込んで窒息してしまいたいくらいだった。そこは三等船室でそこに切符売り場があった。おい、切符売りはいいよな、しっかり小部屋になっていて涼しい顔して居やがる。値段を聞いてぶっ飛んだ。三等船室$50!前もって聞いていた値段の5倍だ。現地通貨で払うから安くならないか?と聞くもIDを持っていなけりゃだめだ。外国人は$50。と素っ気ない。渋々隠していたドルを使う羽目に。百ドル出したら後でお釣りを払うから。と言われた。まぁ密室だから信用してもいいだろうと、その言葉に従った。現地人は$50なんて払ったら一等どころか特上で往復出来てしまうんじゃなかろうか。渡し船の船頭といいフェリーの切符売りといい、、、、あ゛ぁーーーー!ムズング見たらこれかぁ!そんなモヤモヤを抱えて切符売りに一瞥くれてやっている小舟で話していた小柄の兄ちゃんが早くここを抜けようと
手を引っ張った。それにつられて密度の薄い方へ進み二階へ出た。二階は二等船室で三等船室とは格子で遮られており門番みたいなのがいた。現地の人はチケットを見せていたがムズングの私はチケットを見せずともパスできた。とにかく自転車を取り戻さなければと入り口のあった船側へ向かう。
おー自転車ちゃーん!自転車はポツンと誰にいじられるでなく湖の青を後ろに柵に寄りかかって佇んでいた。おとなしく私を待っていたかー!何もとられていないか?変なオジサンに悪いことされなかったか?うんうん、元気そうでよかったよ。

なんだ$50も払わされたんだ三等なんかに黙って押し込まれてたまるか、と意地になって二等船室(といっても部屋ではなく屋根が中途半端にある解放空間)に留まった。


カモも同乗していた。喰われてしまうのだけどね


2014年3月3日月曜日

世界の仕組み

朝飯、優雅だろう?


今日はヒマワリ畑がきれいだった



タンザニアはけっこうムスリムが多いキリスト教と半々くらいか。この後宿の裏からコーランを読む声が聞こえてきた。


朝日を浴びて宿を出るとタンザニアンの視線もばっちり浴びる。今日は下調べ兼休息を取ろうと考えているサンバワンガSumbawangaまでの40kmほどを走ればよかった。そんな風に油断していたら案の定出発は遅くなった。

宿を出てから隣のチャイ屋で朝食を取る。ショウガの利いた甘ーい紅茶とファットケーキだ。二つ追加で食べたら昼を過ぎてもむかむかと気持ち悪かった。油があまりよくないに違いない。いや、たんに食べ過ぎか。

カエンゲーサKaengesaからは未舗装道路を走ることになる。2012年までにはサンバワンガまでの道路工事が終わっている予定だがここはアフリカだ。何が起こるかわからない、その中で事業者も精一杯やっているに違いない。途中から舗装されていないかなあ、なんて淡い期待も持ったが、それは水のごとき淡いものであった。案の定今日はずっと未舗装道路をゆくことになった。久々にタイヤが砂に取られる感覚を味わった。それでも今日はとても気持ちの良い天気で最高のサイクリングだった。こんなに空が青いのなんてボツワナ以来かもしれない。また道が赤土だから余計に空の青さが目に沁みる。ふうふう言いながら坂道を地面見ながら上って、上り切ったところで、ふと、目線を上げ見渡すとそこにはどこまでも続く瑞々しい緑の大地が、なだらかな起伏を持って広がっている。

ナミビアの砂漠にいた頃は毎日が晴天で、雲なんかこの世からなくなってしまったかのようなその青すぎる空が恨めしかったこともあった。そして水に、潤いに、飢えた。
しかし一度ジンバブエに入ると雨季に突入し、毎日湿ってばかりで徐々に気持ちにカビが生えた。加えてテントでの生活がだんだん嫌になった(テントが穴だらけで浸水しているということも一因だ)。このお決まりで雨を連れてくる雲たちを恨んだ。今日も連れてきやがったか、と。いつしか心までが雲で覆われ、またマラウィでたくさん考えさせられたこともあり、落ち込んで、なんとなく気持ちが晴れない日々が続いていた。

それが今日の晴れ空でさらっと晴れた感じだ。またタンザニアンのさっぱりした性格にも幾分救われているところがあるだろう。かと言って刺激がないわけではない。気持ちがよいのだ。

サンバワンガに着いて、まず町の入り口でチャイを頂く。何だか限りなく砂糖湯に近い淡白さだが、走った体にはなんでもうまく感じる。木陰がそよ風でゆらゆらと地面の上を揺蕩い、優しい空気を生んでいる。木陰にポットを持ってきて開いているに過ぎないそのカフェは間違いなく素晴らしい憩いの空間に変わっていた。カメラで撮影していると「私も撮りなさいよ~」と言わんばかりにおばちゃんがフレームに入り込んでくる。ついでにそこのカフェでパンケーキを買っていたので、なんとなく店の繁盛に貢献したようで気持ちがよかった。

町の中心に行くとそこは人いきれがムンムンと満ち、砂埃が舞う忙しい場所だった。国道からわきに入った一つの通りに目を付けた。スイカが切って売られていたのだ!もう齧り付いたよ!美味かったなぁ。そして木陰で通りを見ながらオレンジを食べようとしていると、「こっちに座りなよ」と通りに面した椅子に座って勧めてくる男がいた。言われるままに椅子に座りオレンジを食べ始めた。特に彼とは話もせずに、かと言って気まずいわけでもない空気がそこにはあった。日本人だったら何か話さなきゃな、と思って気まずくなりそうなものだが、ここではそうはならない。なんでかって、それはおそらく忙しさに関係しているのではないだろうか?日本などの忙しい国の場合、人と時間を共有することは相手の時間を頂戴している気がして頑張ってしまうのだ。しかしここでは基本的に、自然と意図せずに人と人が居合わせる。ほら隣を見よ。リヤカーに寄りかかって通りをボーっと見つめる男、店番だが暇なので携帯を頬に当ててぼんやり。私の椅子を勧めた男だっていったいこの椅子に座って何をしているのか分からないではないか!こんな風に人と人が同じ時間を居合わせることがごく自然なので、あまり気負わずに済むのだろう。

オレンジを食べ終わった私も彼らに混じってぼんやり何をするでもなく前の自転車屋を眺めていた。客の男を前に店のおじさんが忙しそうに自転車を直している。ふと、誰が書いたかは覚えていないが、Facebookでシェアされていた記事が頭に浮かんだ。その記事はこんな内容のものだった。
「いただきます。料理を食べるということは、それを作ってくれた人の時間を、そしてその人の人生そのものを食べるということ。なぜならそれができるまでには様々な人の手が掛けられており、彼らはそれに貴重な人生の時間を割いているから。だからそれを心に留めておきましょう」
こんな旨の記事だった。

今目の前で手忙しく自転車を修理している男にパンクの修理を依頼したらいくらでやってくれるんだろうか?日本であれば大体相場は1000円くらい(パンク修理の依頼なんてもう20年近くしてないので現在の相場はいくらか知らない)?
値段は聞かなかったがおそらくとんでもなく安い値段で修理するのだろう。私はそういうサービスや作られたものを安い、と感じて何だか外国に来て得した気になっていたりする。うむ、実にさもしい考えだ。今自転車を直してもらっている男は安いとは感じないだろう。彼らの生活では妥当な値段なのだ。

外国を旅し、または輸入されたものが安いと喜んでいるその裏側では彼らの安い労働がある。彼らには「安いと思える下の世界」は殆ど存在しない。つまり毎日がカツカツの生活だ。彼らは我々に余裕の生活を提供してくれているともいえる。彼らが安くてきつい仕事を引き受けてくれているからこそ、我々の生活があることを心に留めておかないといけない。我々は彼らを喰って生きている。それが世界の仕組みの一つの側面なんじゃないかと、自転車屋を見て感じた。

しかし彼らがカツカツで重く辛い人生かというとそうとは限らない。彼らはお金の最善の?使い方を知っている。お金が手に入ったらドカーンと景気よく使うので、楽しく豊かな時間もしばしばある。彼らのその性質が根本的に豊かにならない一因じゃないかな、と思うこともあるが。これについてはいつか別の機会で触れたい。

2014年3月2日日曜日

本当の値段って?

ラエラLaelaは長距離バスが休憩する場所のため、商売人が物の値段をムズング値で言ってくる。お茶がいくらかアラブ系が混じったような店の女に聞いたらTsh500≒30円という。今までの相場がTsh200-300なのでいつもの倍だ。しかし彼女の子供は英語で300と言っている。そりゃおかしいな、と思い「じゃあいらない」と言うと、Tsh300だと言いなおしてポットを持ってきた。全く素直に茶くらい飲ませてくれよ。バナナを買おうと三本だけくれ、と値段を聞くとTsh1000。下手したら一食飯を食えてしまうよ。隣では正直なおばちゃんがTsh500でしょ?と言っている。フライドポテトを食べたら芋剥きがTsh3000と言う。相場がTsh1000なので相当吹っ掛けている。「バカ言うな、ふざけている!」と言うと、店主がTsh1000だと謝りながら言いなおす。その後も芋剥きは怒ったように、ムズングなんだからTsh2000はとれよ、といった風なことをスワヒリで言っていた。今までの国ではあまりそういう経験はなかった。さすがアラブの商人の魂が入っている。

さてどうなんだろうか?お金を持っている人に対しては商品を高く売る。まるで税金の累進課税だ。平等を求めればそういう考えもあるかもしれない。払ってやるのが良識あるお金を持つ旅行者なのかもしれない。しかし私にはそんな余裕はないし、そんな大きな心も持ち合わせていない。残念だが、高めの値段であれば「買わない」という選択を取らせてもらうよ。

よけいに汚れそう?

タンザニアに入ってからは最初の一日だけテント泊で他は安宿に泊まっている。旅行者が使う宿ではないので、帳簿にはタンザニアンの名前しかない。一泊Tsh5000(300円弱)くらいが相場。マラウィから安宿が出始め200円くらいで泊まれていた。だから少しタンザニアは高めかもしれない。旅行者が泊まるバックパッカーズと呼ばれるような安宿はドミトリー(一部屋を数人が共有する)形式にすることで安くしている。しかしその国の人が泊まるような宿はシングルルームであることが多い。シャワーやトイレなどの水回りがなかったりぞんざいになるのが特徴だ。部屋はこの値段なら大満足するくらいに綺麗でいい。何よりも一人になれることが嬉しい。

さてその安宿なのだが困ったことにウヨレ以降、どんどん宿の質が下がっている。部屋は大体いいのだが水回りが、、、タンザニアでは水道が機能したりしなかったり不安定なため、ドラム缶などに溜めた水で水浴びする。水道水は現地の人も飲んでいないので飲み水は買ったり、雨水をためている人にもらったりなんとかしている。今日はとうとう宿に水がなくなった。はて、水浴びはどうしたもんか。トイレは(トイレは汲み取り式ではなく中途半端に水洗なのだ)?宿の人に聞くと「水はなくなっちゃったのよ~」と踊りそうなくらいに明るい。それでも「汗かいたので水を浴びたい」とジェスチャーで訴えると「待ってね、今何とかするから」とどこからともなくバケツに汲んだ水を持ってきた。それがまた川の水に違いない。茶色い。日本の清潔レベルであればこの水で浴びたら余計に汚れそうという感じだが、今の清潔レベルでは十分綺麗になるものだ。

その水を有難く頂戴し水浴びした。飲み水は仕方なく買った。水を買ったのはボツワナで腹を壊した時以来だ。それだけアフリカも安全な水へのアクセスが可能になっているということだ。マラウィに関しては水はどこだって支援で作られたポンプがあって困らなかった。タンザニアにはポンプはほとんどない。だから水を手に入れるのは結構難しい。

さて宿なのだが今日は部屋も小便臭くて嫌だなぁ、と思っていたらベッドの下に猫が小便していた。あまり臭わない位置に頭を持ってきて寝ることにした。夕飯も宿で食べると少し高い気がしたので隣の定食屋で食べた。どこの肉かわからないような形と硬さであまり旨いものではなかった、残念。


アメリカの支援で最高の道が走る

ジュース飲んでいたら人が集まってきた

子供達が自分で作った木の自転車、意外とまっすぐ進むのは難しい