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Africa!

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2014年6月24日火曜日

自転車のある風景3

タンザニア

タンザニアの金属の採掘町で。警備員の建物の裏に泊めてもらった。久々のテントで雨にやられた。



私の自転車はどこ?


 宿にて。少しね、じめっとしていて快適じゃないんだけど、安値には頭が上がりません。


君の自転車と一緒に写真を撮ってもいいか?と聞かれた。ほう、俺ではないのか、と少し残念だったが自転車がヒーローになれたんだ、いいじゃないか。



ふふん、このムズングが何しているのか気になるのねー。ちょっと空気入れているだけよー。



 学校の先生は英語をつかえる人が多いので沢山声をかけてもらった。そうして生徒のような子供が聞いている。いい授業じゃないか。



道端喫茶にて。供される茶は、限りなく透明に近いテイストだったがブルーにはならなかった。なぜなら木洩れ日が美しく揺らめいて、そよ風が最高に気持ちよかったから。



タンガニーカの湖に向かう途中の宿で 。小さい町だったが宿はいくつもあり充実していた。



ジンバブエ以降、久々に人の気配のない場所だった。静かで静かでついつい雉撃ちに行ってしまった。





色々ごたごたもあったけど最後までフェリーまで送ってくれたラザロ。オンボロトヨタのピックアップで。





渡し料に彼女の十倍払わされた。しかし他に手段がなく仕方なかった。代替手段を持たなかった私の負けだ。見てくれ、ムズングから金を巻き上げたおっちゃんの嬉しそうな顔を。



 砂時計のようにじわりじわりと沈んでいく。水掻きは客の仕事。沈みたくなかったら水掻きな!ってか。



湖のブルーが印象的だった。きれいな湖に汚い箱が一艘浮かんでいる。



カモも乗船中。俺は$50払ったが、お前は払ったのか?俺は喰われないが、お前は喰われる。お前も$50払えば喰われないんじゃないかな。



 いや、昨夜は雨がすごかった。私は最初ベンチの上で彼らの厚意によって体半分のスペースをいただいて寝ていたが、強風と雨で寝るのを諦めた。そしていつしか私も彼が寝ている場所で寝ていた。


タンガニーカの畔にて。船の写真を撮っていたら俺たちもと。




港町キゴマで。バイクタクシー(ボーダボーダ)の兄ちゃんに自転車に乗らせてくれと頼まれる。すると「俺の技を見てくれ」と静止してみせてくれた。




ブルンジ

軍服の男と話していたら子供や女がやってきてその会話をじっと聞いている。いやぁ、大したことはなしていないんだけどね。


山並みと自転車を撮ろうとしていたら「俺も」と言わんばかりにフレームに入ってきた。どうぞおはいりなんせ。



ルワンダ

植林されたユーカリの木が吐く呼気が清々しい。



少しおしゃれしようとバナナを積んでみた。




キガリからの急登の途中で。休んでいたらどこからともなく人が。道沿いには家なんかないし、人っ子一人見なかったんだけどなぁ。そう斜面に家があるんです。



ウガンダの国境で。国境は物流の要所だ。ものが行き来するだけでビジネスになる。ジーンズを運ぶ男。


ウガンダ

トイレが遠い宿だった。



田舎を走る国道の傍らに一軒小さな露店があったので寄ったらそれはそれは太くて立派なサトウキビが売られていたのでした。トマトに、バナナ、アボカド、青い空 彩り豊かな休憩であった。



重力が恨めしいこともあったことは否めないが。



山を切り開いて造った九十九折の道をひぃひぃと登る



 自分の登ってきた道を感慨深く眺めていたら子供がやってきた。何かを求められるのかとドキドキしていたらただ見ているだけだった。ドキドキした自分が少し嫌いになった。



道に飛び出した牛への衝突を避けるべく転んで負傷した私を暗闇の中宿まで案内してくれたヒラリー君の愛の巣で。彼の愛妻が作る料理をたくさん食べてしまった。七面鳥がペット兼非常食。

2014年6月22日日曜日

自転車のある風景2

ジンバブエ

ジンバブエに入ってすぐの警察署にて。敷地内に警官の官舎があり、そこには人々の生活が色濃く滲んでいた。私の小さな家に興味があるのだが初めは警戒して近づかなかったが、一人のなつっこい男の子(ジャージ姿で私のヘルメットを被っている)を皮切りに次々と集まってきた。



グレートジンバブエに向かう途中で。道脇を牛飼いの家族がゆっくり通りすぎる中、パンクを直していたら立ち止まって眺めていた。何を話すでなく、ただじっと見つめており話しかけるとはにかんで顔を見合わせていた。修理が終わって去ろうとすると彼らも満足したのか別の方向へ去った。



 ジンバブエはさすが石の家の国。道路脇に少し入った場所に休憩所があり、大きな石をごろっと転がした空間があった。石がひんやりと汗かいた体に心地よい。



 ブラワヨからマスフィンゴへ向かう途中の休憩所になっている町。あれ、人が誰もいない。写真を見返して気づいた。ここは食堂で、実際はすごい人でにぎわっていた。この写真は一瞬の隙を突いた奇跡の一枚。



キリスト教会を中心に成っていた町。キリスト教的な博愛精神が根付いているなぁと感じた。エンジニア系の職業訓練を受けている若者の家にて。彼らの決して豊かではないが愛情と誠実さのあるサザをいただいた。



ハラレからザンビア国境へ向かう途中の川にて。睡蓮が青空を映す川面に静かに咲いていてハッとした。穏やかな午後のひと時。



ザンビア

 どこの町だったろうか、とにかくにぎやかな街で埃と喧騒に包まれていた。道端で山羊の臓物煮が売られていたのでふらりと。あぁとにかく臭い一杯だった。



 ルサカからマラウィへ向かう長ーい国道で。時折現れる人の気配に安心していた。



 道端商売はザンビアではどこでも見かけた。おかげで買い食いが旅の楽しみであった。写真を撮っている後ろでトマトとマンゴー、バナナを売っていたおばちゃんたちが何かをささやき合っていた。変なムズングが~とでも言っていたのだろう。



炭焼きを現金収入としていた家にて。敷地に建つ屋根付きの場所を空けてもらった。ここで貰った水は茶色いなぁと思って聞いたら裏の小川から汲んでいた。朝から子供たちの声でにぎやかだった。



村の農家のマンゴーの木の下に泊めてもらう。ここに限らずザンビアは女性が主の家が多かった。男はいてもコバンザメみたいな存在。おばあちゃんと娘姉妹が住んでおり、よくわからない位置づけの男たちが5、6人住んでいた。



 ザンビアはそこらじゅうに井戸があり、あまり水には苦労しなかった。



俺を撮れ、と言う。そんなオジサン。ズボンのナチュラルダメージがイカシテイルぜ。



小さな店で買い食いしていたら雨が降ってきた。店の裏の物置で雨宿りをさせてもらっていたら子供達が集まってきた。結局この日はここで泊まらせてもらった。酔っ払いのおじさんもやってきた。



ザンビアとマラウィには自転車タクシーがいる。なかなか屈強な男たちで、次々と私に勝負を挑んでくるから疲れる。彼らのデコトラならぬデコチャリはユニークだ。彼らにはよく「おースゲー!オリジナルじゃんかー!」と私の相棒は褒められていた。



マラウィとの国境近くでザンビアクワチャを使いきるために寄ったスーパーで。タクシーの運ちゃんに「俺に乗せてくれよ」と言われた。そして彼は自分のタクシーのキーを私に預けた。ん?これは人質ということか???


マラウィ

マラウィに入ったのは夕方だった。勝手の知らない新しい国での泊まる場所探しに一抹の不安を抱いていたが、自転車好きの彼に誘われてその日も寝床を確保できた。奥さんの美味しい料理も頂いて、至れり尽くせりの歓待を受けた。



リロングウェに向かって入っていたら眠くなったので安全そうな学校の門の前で寝転がってうとうとしていたら下校生徒に囲まれてしまった。この数は少し怖いよ。



もうすぐでリロングウェ。少し荷物を減らそうと思うの。どうかな?



リロングウェの黄昏時。自転車タクシーの兄ちゃんが屯しているところにお邪魔した。"オリジナル"の乗り心地はいかが?というか乗り方間違ってますよ。サーカスじゃないからね。



リロングウェのマーケットにて。雨が降ると泥だらけでぐしゃぐしゃの場所だけど、フライドポテト+サラダが美味しくてついつい何度も足を運んでしまった。



サトウキビは食べるのが少し面倒くさいが自転車で汗をかいた後には旨い。いつも自転車に積んでいるわけではないよ。



出発前はアフリカはパンクを悠長に直すことができるんだろうか?と思っていたが、悠長どころか手伝ってくれる人と歓談しながら直していた。



ムズズまでの長い坂道の途中でポウポウ売りと。ポウポウを一つぺろりと平らげてしまった。


ムズズまで辿りつかずに寝床を探していたら綺麗な庭のある家を発見。そこは南アからやってきて、布教と農村の自立支援を行っているマークおじさんの家だった。庭には木苺やネギ、大豆などあまり地方では見かけない野菜などが植えられ、きれいに手入れがされてた。なんだかピーターラビットが出てきそうな家だった。



ムズズの町で自転車の修理



日本のサイクルショップの方の助けがあり何とか復帰。


リビングストニアからの急坂を下って迎えてくれたのはアイスちょうだいの子もたちだった。