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Africa!

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2014年10月8日水曜日

1008 月の砂漠



最後の国境ワディ・ハルファ(Wadi Halfa)まであと150㎞ほど。今までの平らな礫砂漠の風景が消え、岩がむき出した山の合間を縫って走る。もちろん動物どころか植物の気配すら感じない。1000m近い高さの山もあるが、ただひたすらに乾き干からび沈んでいる。荒涼とした起伏の綿々。黒い礫の隙間に淡いベージュの砂が風に運ばれてきて溜まっている。



山間部に入ってから気候が変わった。異常に暑いのである。いやもはや「熱い」という表現の方が正しいかもしれない。日中気温45℃くらいのナミブ砂漠を走っていてもこのような異様な暑さはなかった。自転車に取り付けた水ボトルは腕にかけると風呂の湯より熱く感じ、また山から吹き下ろす風は手を刺す様に熱い。温度計は持っていないがあのナミビアの経験から50℃に近かったと思う。
今の時期スーダンは最も暑い夏を終えて秋に入りかけていた。それなのに尋常ではない暑さ。おそらくフェーン現象に近いものだと思う。

この暑さの中、上り坂だともうまるで嫌がらせでしかない。修行だ、修行だと喜んでいる余裕はない。何しろ風が吹いても体温が下がらない。危機を感じた。

そんな中、手元の情報シート(すれ違った自転車乗りがくれた)を見ると、あと数キロで「Hot Spring温泉」とある。ばっきゃろーぃ、だれがこんな中、熱い湯をありがたがるっていうのだ。しかも行って見るとただの水溜り。おそらく温泉ではなく、単にこの暑さで温められた水溜りをさしているに違いない。もう無視。無視。温泉は無視。日影が欲しい。冷たい水が欲しい。

ワディ・ハルファまでの間に砂金採掘所と最後のカフェテリアがある。そこから先、90㎞弱は無人、無水地帯。この環境が続いたら正直走り切れるか心配。
あまりの暑さで気が遠くなり始めたころ、砂金採掘所が現れた。もう男ばっか。女の姿は全くない。みな出稼ぎに来ているのだ。日差しから逃げるようにカフェテリアに逃げると、そこにはなんと生搾りグレープフルーツジュースがあった。もう飛びついたよ。生搾りだからグレープフルーツ果肉がぷつぷつ心地よい。そのうえ冷たくて最高に旨い。一口一口味を楽しみながら飲もうとするが、体がそれを許さない。あっという間にジュースはなくなった。本当に幸せなひと時である。体がかなり消耗していたせいか、ベッドの上になだれ込んだ。日が落ちるまで待とう。

4時になり日が落ちていくらか涼しくなったところで再開。ここに泊まりたい気持ちは山々だったが、それでは明日この暑さの中120㎞を走らなくてはならない。それは今日の様子では無理だ。最後のカフェテリア、アカーシャ(Akhasha)まではなんとしても行かなくてはいけない。アカーシャまであと30㎞。黄昏の中、礫山がアスファルトに大きな青黒い影を落としている。その日影のありがたさ。ペダルに力が入る。風も収まり、スピードが上がる。走る、走る。日影、日向、日影、日向。明暗を繰り返して山の合間を進む。そういうことを繰り返しているうちに日影が多くなり、しまいには日向が消え、いつの間にか山の向こうに日が落ちていた。西の空は茜色、東の空は薄紫、そして納戸色へ変わっていった。それからひょっこり赤銅色の月が出て、世界はある意味月の砂漠へと豹変する。なんて大きな満月だ。じんわり、じんわり高度を上げ、さらに周りは暗くなる。

温い風を切って走る。煌々と照らす月明かりだけで、走るのには十分だ。東の山は月を背に負い黒く沈んでいる。つまり空は月のおかげでいくらか明るく、山の吸い込まれるような黒とは一線を画している。

冷たい満月の光の下、誰もいないアスファルトを自転車のタイヤが転がる音だけが聞こえる。それから耳を切るそよ風の音。道は非常によく整備されているので、ヘッドライトもいらない。月明かりだけを頼りに走ることができる。こんな贅沢ってない。って思った。

明日も夜走ろう。





2014年9月18日木曜日

0918 アカシアに囲まれて

ほとんど毎日宿を取っていたエチオピアから一転、スーダンでは星空の下が宿となった。まだ雨期なのでスーダンといえども雨が降る。
スーダンは2011年にハルツームを首都とするイスラム教の人々を主体にするスーダン共和国と、ジュバを首都とする伝統宗教並びにキリスト教を信仰する人々の国南スーダン共和国に分かれた。宗教だけではなく、気候も両者で全然違う。ウガンダに接する南スーダンは熱帯気候で雨期になると湿地のような大地になり、緑も豊富だ。一方北のスーダンはハルツーム以南を除いて、ほぼ砂漠気候である。植物もナイル川沿いに群がって生えるのみで、ナイルから離れたら最後、殆どの生き物は生きていかれない。

現在走っているのはハルツームよりも南の比較的緑豊かなところ。道の両側に広がる大地がトウモロコシやモロコシ(ソルガム)、ゴマや豆(スーダン料理の豆シチューに使われるソラマメ)の緑で果てなく覆われている。

ロバに乗った親子が道のわきを通り、緑のモロコシ畑に消えていった。鍬を肩に担いで、どこかで水を汲むための黄色いポリタンクを持っている。こんな広大な畑を機械を使わずに手で耕したのだろうか?今の時期には全く耕作機器は見られなかった。

仕事を終えたおじさんが、ロバにまたがり両足でポン、ポン、ポンとロバの歩調に合わせてリズムを取っている。その背中は「今日もよく働いたな」と言っているようだった。ちゃっかりロバのごはんの草も積んで満足そうに走っていた。


ガソリンスタンドがあればそこで夜を過ごそうと思っていたが、見つからない。もう少し行けばあるかな?いや、もう少し。もう少し。あとちょっと。この坂の向こうに。。。あるのかどうかもわからぬ、ガソリンスタンドに期待をするのに疲れてきたとき、身を隠すにはちょうどいいアカシアの森が両手に現れた。エチオピアの国境を越えてから時折、ふわっと香ってくるアカシアの香り。疲れた体にこれは嬉しいご褒美だ。



甘く優しい匂いに誘われて、入っていけそうな場所を探すが、昨日の雨で林床は水浸し。そんな様子を見ていると、時々見える水のない場所も、大丈夫かな、と思ってしまう。殆どあってないような傾斜を登っていくと、少しずつ水が消えていった。そして完全に水がなくなり林に入りやすそうな場所を見つけると、寝床確保開始。村に続く泥の緩い道を少し入って、そこから道なきアカシアの森へ入っていく。道はないが、雨が地面を均して平らで、下草も全く生えていないアカシアの純林だ。こんな場所に泊まれるなんてなんて幸せ者なんだ。この香り、この湿度、鳥のさえずり!最高。

アカシアの棘に時々シャツを引っ張られながらもいい場所を見つけた。道路からも少し離れ、静かな空間を見つけた。四方はアカシアの木々で囲まれ、トゲトゲの枝が新しい緑を纏って空の一部を覆っている。地面は柔らかく、大雨が降ったら沼になるような場所だったが、他の条件の良さに負けた。雨が降ったら移動しよう。


早速テントを張り、荷物をまとめて、全裸になった。全裸になるさ。こんな場所だもの。それに体を洗うんだもの。ただし、次いつ水が手に入るかわからないので使う水はボトル一本750ml。
1本750mlなり
旅を始めた当初はバケツ一杯の水でも少し足りないなぁ、と思うこともあったが、段々その量は減っていった。その過程で二度の革命があった。初めの革命は髪の毛を短くしたこと。そして最大の革命は石鹸を使わなくても気にしなくなったことだろう。体を洗う時の水のほとんどは石鹸を落とすために使われていたのだ。わが社は石鹸をあきらめることで750mlという省エネを達成しました、って広告を出したいくらいだ。まぁ「水浴びをしない」という選択肢が一番省エネではあるのだが、汗をかいたベトベトな体をすっきりさせたいというのは基本的人権で守られるべきであって、わが社もそこまで省エネを推奨するのはいかがなものかと考えています。アカシアの香りがいいからシャンプーなんていらんぜ。スッキリした。寒かったエチオピアはこの「水浴び」が不快で仕方がなかったが、暖かなスーダンでは楽しみになった。何より大自然の中、素っ裸で伸び伸びと水浴びできるのがいい。

陽が沈んだらアカシアの香りがどこかしっとりして、昼間の明るい感じはなくなった。さらに湿った土の香りが僅かに加わる。樹梢に滲む藍の空。
さて、暗くなる前に夕飯を済ませねば。こんな空間でゆるりと飯を食える幸せ。
そしておやすみ。

2時ごろに雨が降った。ここにいてはいけない、沼に沈んでしまう、と夢の中でもがきながらも結局睡魔にささやかれて、この程度では沼にはならないだろう、頼むからもう止んでくれ、と夢とうつつの間を降りしきる雨の音の中、眠りの深みに落ちていった。
そうして迎えた朝は清々しい青空を抱いたアカシアの明るい緑が輝いていた。