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2014年10月18日土曜日

1018 最後の越境

ようやくエジプトビザも手に入れて今日スーダンとお別れ。長らく世話になった宿の兄ちゃんカリットは一度4時半に目覚め、祈ってから再びシーツに全身を包んで宿の入り口の辺りでまどろんでいた。今の時期、朝方は肌寒く、また砂除けのためにスーダンの人はこんな風にシーツを使ってミイラみたいに繭を作って眠るのだ。
「じゃぁ俺もう行くわ」
と彼が眠るベッドのわきを自転車を押しながら別れを告げると、
隠れている顔がシーツからひょっこり出て、
「あぁ、出るんだね、気を付けて」
と見送ってくれた。

太陽はまだ出ていない。東の空がうっすらと白んで、私の行く手が明るい。穏やかな風が腕や脚、頬を撫でていく。まだ誰も吸っていない新鮮な空気を独り占めしている気分だった。
ワディ・ハルファから国境へは二つのルートがある。一つはワディ・ハルファからフェリーに乗ってナサル湖上で越境するのと、一度東に進んで湖を離れて砂漠路を走って越境するのと。後者の場合、越境後にフェリーで湖を渡り、アブシンベル(Abu Simbel)に出る。これが最後の越境で、自転車で越えたかったので後者のルートを取ることにした。
国境事務所が8時に開くという話だったので、国境への道路にはまだ車は走っていなかった。おかげで静かな中走ることができて気持ち良かった。スーダンの砂漠は環境が厳しいのか、生き物がおらず、鳥のさえずりさえも聞こえてこない。

ただ耳をざわつかせる風の音があるのみ。雲一つない青い空にベージュの大地がどこまでも続いている。所々に黒ずんだ岩山や礫の山が強烈な光を吸収して静かに佇んでいる。これらの情景マンネリズムは暑さで弛んだ意識の中に沈滞し、その山の間に時折見える青いナサル湖だけが私を意識の淵へ引き戻してくれた。


国境が開く8時近くになるとバスや自家用車がさらりと私を追い抜いていった。丘を登り切ると遠くに国境事務所が見えた。

まだ腹の調子が完全回復に至っておらず、国境でどれくらい待たされるかわからなかったので、事務所を遠くに見ながら、風に踊る砂の上に出すものを出した。国境に着くと先ほど私を追い抜いていった輩が列をなしていた。大きな運動会で使うようなテントが二つ離れて設置されて、各々大量の人を収容している。どちらに行ったらいいのかわからず、国境に近い方へさり気なく入っていった。皆がじろじろ私に視線を投げてくる。珍しい客だからなのか、ルール違反だからなのか、だれも私に話しかけてくる人がいないのでどちらが本当のところなのかわからない。本当は並ばなければいけないのだろうか?言葉がわからない外国人だからって結構許してもらっていること多いんだろうなぁ、と思う。余ったスーダンポンドでジュースを二つ。本当に旨い。胃に向かって走り落ちる感覚がたまらない。おつりはもらってもしょうがなかったで、たった2ポンドのために「釣りはいらねぇ」っていう恥ずかしさと格闘しながらも断ったら、「シュクラン」と言われて、そして周りが少し盛り上がった。

事務所の整理係のおじさん1が出てきて、自転車を事務所のわきに置いてくるように言われ、従った。そして整理係のおじさん2に中に誘導され、整理係のおじさん3に申請用紙を渡され、これまた不思議にも母親の名前を書かされて無事出国手続きを終えた。最後に整理係のお巡りさん?に荷物チェックを要求され、自転車を「しぶしぶ」持って行き「面倒くさそうな顔をして」バッグを一つ開けると、シールをペタペタと全てのバッグに貼られ終了した。どうやらお巡りさんも面倒になったようだった。それから整理係のおじさん3にエジプト側のゲートに連れていってもらって、、、なんだかとても親切な国境だった。

しかしエジプト側が大変だった。まずゲートでつまずいた。立派なゲートは閉鎖され、隣の小さなゲートも鍵がついて閉められていた。ここ数年で幾つか爆破テロがあったためか、エジプトは敏感になっているのかもしれない。鉄格子越しにこちら側とあちら側で何かを交渉している。私が、「中に入れてくれ」と頼むと、「少し待て」という。手が空いてフラフラしながらおしゃべりしている職員風なのがたくさんいるじゃないか。鉄の門越しに、話し掛けてきた職員風の男が、中国人?と聞くから、いや、日本人だ、と答えると、Welcome, welcomeとふざけたことを言う。何がWelcomeだ、門なんか閉めちゃって。

英語で話していると「おい、こいつ英語だよ」みたいな感じで皆去っていく。そのもの悲しさよ。待てども待てどもゲートが開く気配はない。その間も入れ替わり立ち代わり、鉄格子越しに内と外で言い合っている。やたらとゲート内の職員が多い。そしてケータイいじったり、楽しそうに話している。20分くらい待って車両持ち込みのお金を要求された。料金表には大型トレーラー、トラック、バス、マイクロバス、そして人の絵が描かれている。一番下にラクダの絵が描かれていたのがスーダン、エジプト国境らしい。しかしラクダはあるのに自転車はなかった。ラクダに負けたような気がしたのは思い違いだろう。それでも彼らはちゃっかり自転車料金を勝手に設定して、私からお金を徴収したのでダブルでがっかりした。

お金を渡すと「お釣りがないから5分待て」と。「いいだろう君たちの5分とやらを見てやろう」といった挑戦的な心持で待つこと20分。ようやくお釣りが返ってきて、ゲートも開く気配がしてきた。しかし、ゲートはスパッと開かずに相変わらず、職員は楽しそうにお喋りして人生を謳歌している。「俺もエジプトで君たちのように謳歌したい!」と心の中で叫んだら、ゲートがしぶしぶ少しだけ開いて、入れと促された。そこからも大変だった。荷物のX線検査があって、すべて自転車から外して検査場を通る必要があった。こっちはさんざん待たされた挙句、荷物解きという課題まで与えられてトゲトゲしているが、職員はニコニコして「すごい荷物だな、どこへ行く」などを片言の英語を使って聞いてくる。そうなのだ、別に彼らに悪気はない。彼らは彼らのシステムに沿ってやっているだけで、個人としては珍しい客が来て少しだけ嬉しいに違いないのだ。そう考えると、私のトゲトゲはすぅっと解けて乾燥した空気に消えていった。調子に乗って自転車もX線やる?と聞くとそれはいい、と断られた。

自転車についていたフロントバッグを検査官が検査する。怪しげな黒い錠剤を見つけだした。長野県名物、御嶽百草丸だ。プラシーボに期待して、気持ち的に弱った時にこれを飲んでいたので、すぐ取り出せる場所にしまっていたのだ。「ちょっと待て」と言って彼は中へ消え、すぐに戻ってきた。「これを今ここで飲んでくれないか?」と私を訝るような、またマニュアルだから疑うのを許してくれと言ったニュアンスを持って私に依頼した。私は了解しパクッと気前よくやってやった。いっそのたうち回ってみようとも思ったが、冗談にならないだろうとすぐに我に返った。そして彼に「君も飲んでみる?」と尋ねると、「まさか、よしてくれ」と苦笑いして去っていった。

次に並んだのは入国スタンプがため。荷物検査の時に少し話していたスーダン人家族に再び絡まれ、写真撮影が始まったり、ナツメヤシを頂いたり、何とも緩い入国審査であった。スタンプも無事に手に入れてようやく出発と思いきや、職員に呼び止められて、パスポートを見せい!大事なことかと思ったら、「ただ日本のパスポートを見てみたかっただけ」だった。もうそういうところが憎めない。結局全部で2時間かかった。越境に要した時間最長!ダントツで。

最後の国に入ったという実感はなかった。というのも風景は変わらず砂と岩が織りなす砂漠だったからだ。ただ砂の色が少し赤くなり、空が一段と青さを増したようだった。こうやって自由に走れる有難さを噛みしめながら、「あぁもうすぐこれも終わってしまうんだな」という感慨にふけってみた。相変わらず腹は下り気味で、ここに自分が来た足跡を何度か砂上に残していたのは、決して感慨の極みのためではなかったことをここに宣言しよう。単にお便様の我儘をゲートが止めることができなかっただけだ。こうやって美しい世界に一人ぽつんと生き物として生存していると、こうした本来汚らわしいとされる営みすら、美しいと思えてきてしまうのは砂漠で頭がやられたせいではないと願いたい。

途中で一か所、水環境を管理する施設があり、休ませてもらった。それからお茶と。最終フェリーに間に合うかぎりぎりだったが、国境で時間をロスしたことと、風の戯れによって今日のフェリーはあきらめていた。そう言うこともあって、のんびりしていたら眠くなってきた。ベンチでうとうとしていたら、中にベッドがあるから寝ていきなさい、と言われて少しお世話になった。

国境から40km弱。ナサル湖畔が近づいてきた。不安になるほど青い空が湖面を鈍く青く照らしている。湖畔といえども殆ど緑はない。しかし僅かの緑を求めて虫がやってきて魚がやってきて、ついには鳥がやってきて乾いた空気にさえずりを放つ。





小さな村もあり、灌漑農業を小さく行い、辺りは少し生き物で賑やかになっていた。そんなのどかな風景を写真に収めていたら、後ろから低音を鳴らしてバイクがやってきた。挨拶して通りすぎる。荷物からして彼らも旅人だ。こんなところで仲間に会えると少し嬉しい。知らない人だけど。「フェリー乗り場で会おう」と言って去っていったが、果たしてフェリーはまだ出ているのだろうか?ワディ・ハルファや途中で聞いた話だとフェリーは4時の便で最後だ。今は五時半過ぎ。だから私はとうに諦めていた。情報とは流動できなものである。アフリカで旅をして得たものだ。もしかしたらまだフェリーに間に合うのかもしれない。

太陽が高度を下げ、湖畔の岩山が道路に青い影を投げるようになった。赤砂や黄色い砂と青い影や空のコントラストが美しい中を、ただ自転車のタイヤが地面を蹴る音だけを聞いて走る。湖畔に出てから進行方向が変わっていたので、今は追い風だ。おかげで風の音すら聞こえない。こんなに贅沢な走りがあるだろうか?これだから自転車はやめられない。




いくつもの影を踏み越えて、あと少しでフェリー発着所に着くという頃、先ほどのライダーが戻ってきた。
「フェリーは間に合わなかった。俺らはここらへんでテントを張るが、もしよければ一緒にどうだ?」
私もフェリー発着所で泊まる予定だったので彼らの案に乗った。この選択は正解だった。
できるだけ人目につかない場所へ彼らは進んだ。道路から離れて、砂地を走り、礫地を走り、そうして小高い丘の裏側に出た。バイクは砂にスタックすると自力で出るのが難しいらしい。その点自転車は楽だ。多少きついとは言え、自力で出られなくなることは今までにない。最悪、持ち上げてしまえばいいんだから。

場所が決まると思い思いの場所にそれぞれのテントを立てた。砂漠の中に四つのテントと三つのバイク、一つの自転車が立っている。面白い画だ。

初老のドイツ系ナミビア人のジョン、エジプトの中年コンビ、カリムとオマル。エジプトの二人は一緒に旅をしていたようだが、ジョンとは国境でたまたま出会って一緒に走っていた。そこへあと一年で壮年となる私が加わって、一晩限りの面白チームができたわけだ。一緒に飯を作っているつもりだったけど、なぜかかみ合っていなくて、一人旅の時間の長かったジョンと私だけ先に食ってしまったり、それであとから追加でまたカリムとオマルの夕飯を食べたり。それでもみなそれぞれ持っているものを持ち寄ってフルーツパーティーになったり、、、びっくりしたのがオマルがショットグラスでコーヒーと紅茶を振舞ってくれたことだ。さすがエジプト人、彼らの誇りであるお茶でのもてなしは忘れない。ホスピタリティに乾杯だ。

エジプトの第一夜は涼しく、星の数も多く煌めき素晴らしい夜だった。
アブシンベルの光だろうか?山の裏側がわずかに光を放っていた。

2014年10月8日水曜日

1008 月の砂漠



最後の国境ワディ・ハルファ(Wadi Halfa)まであと150㎞ほど。今までの平らな礫砂漠の風景が消え、岩がむき出した山の合間を縫って走る。もちろん動物どころか植物の気配すら感じない。1000m近い高さの山もあるが、ただひたすらに乾き干からび沈んでいる。荒涼とした起伏の綿々。黒い礫の隙間に淡いベージュの砂が風に運ばれてきて溜まっている。



山間部に入ってから気候が変わった。異常に暑いのである。いやもはや「熱い」という表現の方が正しいかもしれない。日中気温45℃くらいのナミブ砂漠を走っていてもこのような異様な暑さはなかった。自転車に取り付けた水ボトルは腕にかけると風呂の湯より熱く感じ、また山から吹き下ろす風は手を刺す様に熱い。温度計は持っていないがあのナミビアの経験から50℃に近かったと思う。
今の時期スーダンは最も暑い夏を終えて秋に入りかけていた。それなのに尋常ではない暑さ。おそらくフェーン現象に近いものだと思う。

この暑さの中、上り坂だともうまるで嫌がらせでしかない。修行だ、修行だと喜んでいる余裕はない。何しろ風が吹いても体温が下がらない。危機を感じた。

そんな中、手元の情報シート(すれ違った自転車乗りがくれた)を見ると、あと数キロで「Hot Spring温泉」とある。ばっきゃろーぃ、だれがこんな中、熱い湯をありがたがるっていうのだ。しかも行って見るとただの水溜り。おそらく温泉ではなく、単にこの暑さで温められた水溜りをさしているに違いない。もう無視。無視。温泉は無視。日影が欲しい。冷たい水が欲しい。

ワディ・ハルファまでの間に砂金採掘所と最後のカフェテリアがある。そこから先、90㎞弱は無人、無水地帯。この環境が続いたら正直走り切れるか心配。
あまりの暑さで気が遠くなり始めたころ、砂金採掘所が現れた。もう男ばっか。女の姿は全くない。みな出稼ぎに来ているのだ。日差しから逃げるようにカフェテリアに逃げると、そこにはなんと生搾りグレープフルーツジュースがあった。もう飛びついたよ。生搾りだからグレープフルーツ果肉がぷつぷつ心地よい。そのうえ冷たくて最高に旨い。一口一口味を楽しみながら飲もうとするが、体がそれを許さない。あっという間にジュースはなくなった。本当に幸せなひと時である。体がかなり消耗していたせいか、ベッドの上になだれ込んだ。日が落ちるまで待とう。

4時になり日が落ちていくらか涼しくなったところで再開。ここに泊まりたい気持ちは山々だったが、それでは明日この暑さの中120㎞を走らなくてはならない。それは今日の様子では無理だ。最後のカフェテリア、アカーシャ(Akhasha)まではなんとしても行かなくてはいけない。アカーシャまであと30㎞。黄昏の中、礫山がアスファルトに大きな青黒い影を落としている。その日影のありがたさ。ペダルに力が入る。風も収まり、スピードが上がる。走る、走る。日影、日向、日影、日向。明暗を繰り返して山の合間を進む。そういうことを繰り返しているうちに日影が多くなり、しまいには日向が消え、いつの間にか山の向こうに日が落ちていた。西の空は茜色、東の空は薄紫、そして納戸色へ変わっていった。それからひょっこり赤銅色の月が出て、世界はある意味月の砂漠へと豹変する。なんて大きな満月だ。じんわり、じんわり高度を上げ、さらに周りは暗くなる。

温い風を切って走る。煌々と照らす月明かりだけで、走るのには十分だ。東の山は月を背に負い黒く沈んでいる。つまり空は月のおかげでいくらか明るく、山の吸い込まれるような黒とは一線を画している。

冷たい満月の光の下、誰もいないアスファルトを自転車のタイヤが転がる音だけが聞こえる。それから耳を切るそよ風の音。道は非常によく整備されているので、ヘッドライトもいらない。月明かりだけを頼りに走ることができる。こんな贅沢ってない。って思った。

明日も夜走ろう。





2014年10月6日月曜日

1006 犠牲祭

国道なのに車の通りが少なく、店という店が異様に生気を失って閉まっていたり、見張り番みたいな男がいるだけと思ったら、犠牲祭だった。
私にとってイスラム教の国は初めてだったのでその重要さを知らなかった。
イスラムに限らず、聖書を根本に持つキリスト教やユダヤ教でもこの犠牲祭、何かしら特別なことをしているのだろうが、南アフリカに二年いた時は気が付かなかった(南アは80%くらいクリスチャン)。私が鈍感だったからか。
犠牲祭とは、信仰篤いアブラハムが神にその信仰の篤さを示すため、息子であるイシュマエルを生贄として差し出した。アブラハムが苦しみながらも、イシュマエルに手をかけようとした時、アブラハムの信心深さを認めた神により赦される。それを記念するのが犠牲祭で、スーダンでは一人前の男たちは一頭の動物を屠ると言う。確かに近頃至るところで屠殺が行われ、ご馳走をいただくと肉料理が付いていた。(アブラハムの件のシーンはコーランにも聖書にも登場すると思うが手元にないのでどのように書かれているかは分からない。また祝日となった経緯も不明。出会った人々に聞いた話として記述している)
カリマで出会ったモハメッドが犠牲祭があるからこれから休みを取って田舎へ3週間ほど帰る、と言っていたが、彼の休暇の長さ並に皆本気なのかもしれない。だとしたらこの先まともな物を食えそうにない。
店はやっていなくとも金山は動いていた。砂漠に突如怪しげなテント村が現れた。テント村と言っても、テントは風で蹂躙され木骨だけとなり、トタンのバラックだけが生きている。




入ってみると誇りにまみれた男たちが、一抱え程のたらいを揺すったり、水を入れては出して砂を洗っている。物凄い騒音は掘り出した砂から軽い埃を分離する機械の音だった。この機械、凄いのは騒音に収まらずそれ以上にあたりに埃を撒き散らしている。ユニットが各所に点在しているのですでにテント村に粉塵を吸い込まずに呼吸できる空間は一畳と無い。唯一三方をビニールシートで囲われた食堂だけが僅かばかりの憩える空間となっていた。
食堂には冷たい飲み物も氷が入ったこれまたホコリまみれの水が用意され、丁度朝食時で(この国の朝食は遅く10時ぐらい、早い時間にパンなどを食べるお茶の時間がある)ビーフシチューを食べることが出来た。

砂金採りを近くで眺めていると、その区画を取り仕切るおじさんにお茶に誘われた。そして彼の仕事場や金の塊、とは言っても5gくらいを見せてもらった。スーダンはどこへ行っても、お茶付きで社会見学ができるのでいい。


後ろのみんなは写真撮らないでくれと言っていたが、このおっちゃんが強引に俺を撮れ、とポーズ。なんて力強さだ。

この日は道沿いの休憩所に付属の商店は、冷蔵庫が止まっていたり、店の住人が休日モードだが、なんとかものは買える。そろそろ今晩の寝床を探し始めた時に寄った休憩所。バスが二台。遠目に食堂もやっているか!?と思ったが、バスは乗客を乗せていなかった。
六畳ほどの店の入り口が開いている。その3分の1ほどの空間を例のハンモックベッドが占め、その上で老人がラヂオのチューニングをしている。見るからに気だるそうな雰囲気だ。冷たい飲み物はあるかと尋ねると、水瓶がこの裏にあると教えてくれた。世間は休暇で皆里帰り、旅行で家族と過ごしているのに、当老人はこの暑い中、小さな店に籠っている。家族に呼んでもらえなかったのだろうか。老人の将来が少し心配になる。しかしラヂオのチューニングが決まり、少し楽しそう。かかってきた電話でも言い合いをしたり、楽しそうに話したり、なんだ意外と充実してるのかもしれないと感じた。

2014年10月5日日曜日

1005 修行

ナミビアを越えた辺りから食欲の赴くまま、自制心を失ったように動いている。腹が減れば食い物を貪っている。かつてはこれだけエネルギーを消費しているのだからいいじゃないかと開き直っていた。しかしどうだろう、人として自制心のない生活はいかがなものか。いくら旅で自由だからとはいえみっともない。おそらくそんな風に自省するようになったのは、スーダンの人々の祈りによる清く倹しい生活を見ているからだろうと思う。

今日も相変わらず風が強く私を楽しげに阻む。そしてそれが熱風だ。修行に絶好の条件じゃないか。向かい風の中、自転車を漕ぐのはなんとなく禅をするのに似ているんじゃなかろうか。一漕ぎ一漕ぎが功徳となる気がする。だって本来なら一漕ぎすれば10m進むものを3mで甘んじているのだ。わざわざ冷たく厳しい滝に打たれて座禅を組むのと似てはいまいか。
ただ座禅を組んでも悟りに導く者がおらぬ。これではただ苦行を積んでいるだけじゃないか。何か自分の欲を捨てる行いが必要だ。


水を飲みながら腹がグゥと鳴る、休憩時。これだ、これだ。腹減りの合図が脳に行った状態で欲望をいかに抑えるか。旅始まって以来、この合図が出ると頭の中は食い物のことでいっぱいになる。何食べよう、とか、あれがあったらいいな、とか、昨日食ったあれは美味かったなぁ、とか。もう一向抑えが効かなくなる。旅始まってからニューロンの経路がきっと新しく構築されたに違いない。人間の思考回路がエネルギー要求度によっていかに簡単に変わるか身を持って知った。
そんな脳に現れた食べ物絵巻を、如何に首尾よく畳んで収めるか。
次の休憩所まで25kmある。風がなければなんてことはない。一時間ちょいだ。しかし今日の風だと2時間半はかかる。
心に誓う。次の休憩所まで今持っているパンを断じて食べません。この意志薄弱体質の私の守護神に誓って、先述の誓いを守ります。
休憩所を出ると相変わらず熱い光線が迎えてくれる。
(次の休憩所は食堂やってるかな)
おっと、いかん。既に絵巻が広げられているぞ。
前方に500mほどの岩山が聳えている。それを左に巻いて緩やかな坂道を登る。不思議にも向かい風が強い時は上り坂の方が楽な場合がある。上り坂では坂に風が遮られて無風状態となるからだ。フラットな大地風が怨めしく思われる。あぁ、いかん、いかん!無我だ、無我にならねばならぬ。
坂を越えると再びフラットな大地を一本道が突っ切っているだけ。今朝ナイルの畔から離れたため(たった5、6km離れただけ)緑も人も住まぬ不毛の大地を走っている。やはり何かもの寂しい。
(そういやぁ、昨日ご馳走になったビーフシチューは美味かった)ああ"〜絵巻が解けてる!戻さねば。
日が傾きはしたものの熱の残渣が岩や砂から照り返り、一向に暑い。景色に山や丘が多くなる。フラットな大地に突出するそれはまるで浮島のようで、夜になると月に照らされた大地をつぃーと滑るんじゃなかろうかとすら思えてくる。アスファルトの黒いラインはその浮島の間を縫うように流れ、僅かに上り下りはあるものの相変わらずフラットを保つ。
山は黒っぽい礫がまぶされ、薄いベージュの砂地にグラデーションを引く。大地にも車ほどの大きな岩がゴロゴロと無造作に転がり、一瞬ここが地球ではないのではないか、と楽しくなる。しかし次の瞬間、火星に行っても一日で飽きるなと思う。目の前の砂礫に覆われた山は殺伐としている。生き物のいない山に登りたいとは思えない。しかしあれに登ると世界はどう見えるのかは気になる。
(あの山はパンケーキみたいだ。あっちはココアパウダーをまぶしたチョコレートケーキ。Mont Chocolatと名付けよう)ごゎっ、また絵巻がぁー!煩悩を捨て去る道は遠い。
腹の虫が忙しそうになると腹式呼吸。不思議にも腹式呼吸をすると腹の虫はどっかに隠れる。恨めしそうにずっと伸びる道路を睨み、腹式呼吸。漕ぐことに集中。しばし絵巻はしまわれしなり。
残り5km。あれ意外に早く着くな。2時間くらいかな。と、その時後ろから私を拔いた車が脇に停まった。中年の男がスマートフォンを持ってにこやかに出てきた。「どこへ行く?どこから来た?日本?トヨォータ!日本は最高だよ!写真撮っていいか?(もう撮ってますが、、、)」など質問攻めだ。彼らもこれからワディ・ハルファへ行きエジプトへ渡ると言う。休暇か何かだろう。一族総出と見えて、トヨタのランドクルーザーが4台ほど続いてやってきた。
私の修行は一時中断された。しかもおじさん「パンいるか?」って、そんなもの今の私に見せるなー!ちゃっかり頂くところが、未ダ未ダ私ハ煩悩ノ塊デアル。しかし他にも色々くれようとしたのは丁重にお断りした。修行の身なもので。
残り3km。(パンに何つけて食べよう。蜂蜜かごまペーストしかないけれど)腹式呼吸!集中。
残り2km。休憩所の建物が見えてきた。(食堂やってないかなー、フルー(スーダンのナショナルフードでソラマメを煮込んだシチューでピーナッツオイルやカッテージチーズをかけてパンに付けて食べる)食べたいなぁ)これはもうペナルティだ。休憩所に着いても一分間瞑想、反省。
休憩所。一人迷彩服の男がいるだけ。どうやら今日は休日のようだ。残念。約束通り一分間のお預け。
そうしてようやくごまペースト付けた美味しいパンを食べることが出来たのでした。
修行の道のりはまだまだ長い。

2014年10月3日金曜日

1003 孤独について

村もなく、人もいない、ただ無機質な車が時折通る砂漠にいる。スーダンの砂漠は生き物もいない。動くものは太陽と風。

稀にこいつがいた。ヒョウタンの一種で、この球に種子がたくさん入っていて風で転がって種子散布する。まるで放課後の校庭の風景だ。

毎日太陽が昨日と同じ方から昇って、昨日と同じ方へ沈む。風はいつも北西から。


孤独は好きじゃないけれど、一人でいる時間は好きだ。一人になることへ逃げていて気づいたことがある。
孤独とは人がいるから感じるのであって、一人でいるときはむしろ孤独を感じることは少ない。そんなことを思い始めていたらこんな言葉をどこかで見つけた。

孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の「間」にある。


Wikipediaより


三木清という戦中の哲学者の言葉だ。彼はさらに言う。

独居は孤独の一つの条件に過ぎず、・・・(中略)・・・むしろひとは孤独を逃れるために独居しさへするのである                                       *両方とも三木清『人生論ノート』より引用

めったに人の通らない砂漠を走って、知人のみならずあらゆる人からも遠ざかって、私はとことん孤独を味わってやろうと思っていた。しかし、そこで感じるのは孤独という絶望ではなく、むしろ歓迎すべき暖かな孤独であった。というのも独りになるという状況が、私に次から次へと家族や友人への愛しさを抱かせていったのである。孤独を求めた結果、結局孤独になりえなかった。深く考えたことがなかったためにはっきりと意識していたわけではないが、きっとこうなることが分かっていて、つまりもっと身近な人への慈しみを持とう、という潜在意識が働いていたのだと思う。おそらく孤独とは私の中から家族や友人への暖かな気持ちがなくなった時のことだろう。

人を想う時間的、空間的余裕のある中で、私の中では人恋しさが増していった。そんなんだったから、砂漠の真ん中で緑を発見した時は嬉しかったなぁ。蜃気楼なんかじゃない。人が地道に慈しみ育んできた木々だ。家族親族で砂漠の真ん中、農業を営んでいた。道の反対側20mほど入ったところには広く日影が設えてあり、その三分の一ほどの小さな土壁の家があった。日陰の下には相変わらずハンモックベッドが並べてあり、年配の女性と4人ほどの小さな子供たちがいた。人に飢えた私は思わず手を振ってみたが、こちらを見つめているだけで特に反応はしなかった。

人がいるところには水瓶がある。これがスーダンだ。ここも例にもれず、ナツメヤシの葉で葺いたあずまやにたっぷりと水が湛えられた水瓶が六つも置かれていた。

私は遠くで子供らをあやす女性に身振りで「水、頂きます」と伝えて飛びついた。冷たくて美味しい。砂漠で拾ったスチールのコップで5,6杯飲んだ。ナツメヤシと一緒に。我慢せずとことん水を飲める幸せ。肉体的な渇望は消え、水の心配という精神的な渇望、さらに人に会いたいという渇望も少し満たされていった。

反対側の緑豊かな農地から二人の男がやってきて、道を渡っていった。それから元気のいい男の子を連れて一輪車を押して戻ってきた。写真を撮ってくれとポーズを決める。何枚かシャッターを切る。私のレンズに映る彼ら。彼らのレンズに映った私はどんなだったろうか。


2014年10月2日木曜日

1002 地平に落ちる杏

カリマの街は毎日風が吹いていた。細かい砂混じりの風。少し遅めの出発だが今日は特別風が強いせいか、さほど暑くない。
カリマで出会った人たちに別れを告げて。

子供がたくさん来ていたが、お金払っていなかったっような。。。

ちょっとぼさっとしているけど自転車修理に毎日精を出していた自転車屋のおやじハサブー、言葉は通じないがいつもウェルカムで迎えてくれたモハメッドの叔父、毎日料理の値段が変わっていた食堂のおやじ、そして何かと紅茶を勧めてくれた携帯屋のおやじ。どれもみんなおやじだがこぞって気さくな人達だった。日本からアフリカを見に旅しにやってきた。たったそれだけ、本当にそれだけで「おぉ、そうかそうか、日本はいい国だよ、ホントに、ワッハッハ」ともてなしてくれた。そうやって私は彼らの生活の一部を垣間見ることができ、本当に来てよかったと思うのだ。
最後に1杯砂糖で甘い搾りたてのオレンジジュースをゴクッと、昼飯にタミヤのサンドイッチを持って、再び砂漠に向けて出発。暑い中登ったジェベル・バルカルの雄壮な岩肌が遠ざかっていく。街の外れのスタジアムの背中は果てしない白っぽいベージュの砂漠へと続いている。


北風に押し戻される。なかなか進まない。まるで坂を登っているようだ。それにしてもカリマ以降、道路を走る車の数がぐんと減った。そして今までの砂漠には人の生活感や、動物たちの息づきが感じられたがこの道沿いにはそれが全く感じられない。ここまで孤立すると少し不安になる。加えて水の補給地点を見込んで次の街ドンゴーラに行けるだけの水は持っていない。地図には一箇所water tankという表記があるが期待できるのだろうか。

50kmくらいのところに白黒の水タンク発見!しかし寂れて人の気配なし。と思って近づいたら一人の男がドアも窓も取り外されて、極めて開放的な小屋でAK銃を解体して掃除していた。上半身裸である。警備員らしいが、一体なにを警備しているんだろうか?辺りには他にも建物があったからおそらくそれを。水を貰えないか、と尋ねるとバケツに半分ほど汲まれた水を全部くれた。水タンクは機能していないようだったが、一体この男はどこから水を得ているのだろう。そもそも車もないが彼はここに住んでいるのだろうか。詮索すれば次々と謎が出てきそうだったのでやめにした。
そして水を貰って日陰で休んでいると、彼の銃掃除が終わったようで彼は寝た。むむぅ、謎の多き男よのぅ。

まだ十分とは言い難いが、うまくすればドンゴーラまでもつだけの水が手に入って安心して走るが、風は止むどころかますます強くなって顔面を容赦なく叩く。目が痛い。時速6,7km。
止むこと知らぬ  砂漠の風よ  何処より来る 旅の途中でただ刹那  出会った君は  何時まで生きる
風が小さな砂丘の峰の端を撫で砂を攫ってゆく。その金の砂が青黒いアスファルトを蛇のごとく左右にうねりながら横断する。
いつの間にやら日が落ちそうだ。ヌビア砂漠の空はパステルカラーで優しい。夕方はいくつもの穏やかな色が空を踊る。太陽の周りの空はとっぷりとマンゴージュースの色。次第に陽の色が濃くなり干した杏の様。ハルツームでもっと買っておけばよかった、干し杏。
今日も杏が地平に落ちるのを見ることができた。地面を潜ってまた明日会おう。夜は上弦の月と遊ぶから。

月が明るい。半月だというのに、月の光だけで調理ができる。夜半だというのに未だ風やまず。しかしヌビアの砂漠は虫が鳴かぬ。風の音のみ。今日は気温も低く寝やすかろ。

2014年8月14日木曜日

0814 ガルガル砂漠を抜けて

目覚めてテントから顔を出すと外は地面の匂いがした。空は雲で覆われ太陽は隠れている。
この辺りまで来るとなんだか空気にも湿り気を感じる。水は近いぞ。
相変わらず車が刻んだボコボコの悪路を揺られ揺すられ私と自転車は進む。振動しすぎて尻回りが痛い。正確に言うと尻の谷間と前立の丘だ。そんなにイジメないでくれよ。
目の前に山が迫ってきてそれを登るとトルビTorbiの町だった。緑が多くて久しぶりに癒やされた。人も久々にこんなに大勢見た気がする。まずは乾いた喉に一杯ソーダをば。温いけど。くぁーっつ!このために走っているようなもんだ。
店の若い男が言う。「君は英語が通じるから良かったよ。一昨日辺りに来たヨーロッパ人自転車乗りは英語が通じなくて大変だったよ」まさかそんなはずはない。おそらくそのヨーロッパ人は先日道で出会ったオランダ人だ。私とは普通に英語で会話していた。それに旅しているヨーロッパ人で英語を話せない人を見たことがない(ナミビアの砂漠で私を囲んだ赤いほっぺのチェコ人くらいだ)。その瞬間ピンときた。むむ、彼もかの手を使ったな。何人かの旅人に聞いた話では、面倒臭くて誰とも話したくない時、英語を話せないふりをする、と。そうなのだ常に自分の時間を確保できていないと相当な疲れ出る。みんなお話好きだから。英語を話せなくなりたくなる気持ちはわかる。
特に下心のあるやつに関しては即刻話せなくなりたいね。
バスも休憩でトルビの町に停車していた。食堂あたりで急いでチャイを飲んでいる一人のアジア人を見つけた。黒いロングヘアで肌が異様に白い。旅をしている人であんなに白い人には出会ったことがない。ハロー!と声をかけた。がそっけ無く返されてしまった。久しぶりのムズング、それもアジア人に嬉しかったのに少し残念だった。シュン。
気を取り直していざソロロへ。今日は太陽がお隠れになっているので比較的涼しくていい。ソロロには2時頃着いた。まだ時間があったのでチャパティを二枚と水を持ってすぐに出た。道を作る工事業者のトラックが頻繁に通っている。明日は国境越えでできるだけ余裕を持ちたいので、できるだけ進んだ。ボコボコでお尻が泣いても鞭打った。って言ってもSMじゃぁないよ。
そうして見つけたテント場は最高の場所だった。数種のアカシアから成る林の中。動物たちが歩いたおかげで藪が拓かれていた。風が凪いで動くものは鳩くらいの大きさの嘴が大きい鳥だけ。サイチョウの仲間だろうか?羽はヤマセミを思わせる黒と白の縞で、喉のあたりに赤いアクセントが入る。くちばしも黄色と赤でハッとさせられる。地面に落ちている何かを嘴で摘んでは上を向いて喉に流し込んでいる。時々木の上に飛んでは滑空してまた地面に降りてくる。マヌケそうな鳴き声もその場所ののどかさを演出していた。
砂埃で体が汚れて気持ち悪かったので中国の道路工事事業者のキャンプで貰った大量の水の少しを鍋にとってそれで水浴びをした。砂漠の中で水を浴びられる幸せ。おお気持ちいい。静かな夕暮れ。呑気なサイチョウの鳴き声が響いている。
夕飯を食い終わって本を読んでいたら、遠くの方でコロコロというカウベルの音が聞こえてきた。人の声も風に乗ってやってくる。テントから半身を出して横寝の姿勢でいたら背中の方で何かの気配を感じて振り向いた。
黙駱駝 枯れ木に紛れて 覗きかな
あの長い首を目一杯伸ばしてジッと私を窺っている。あの愛らしい口の動きも止めて、ただジッと。変なんがおる!まずった、という彼の表情はラクダにしては上出来だ。ふん、お前も私から見たら相当に変な生き物だがな。コブあるし、なんでいつもそう笑顔なんだよ。眩しそうな目だし。やけに隊列作るのうまいしさ。
しばらく私を眺めてから彼は元来た道を戻っていった。しかしやたらと家畜や人の声の塊が近づいてくる。ふと気付いた。ここ、私がテントを張った場所は彼らの帰り道だ。だからこそ藪が無く広々としていたのだ。またラクダが来ては遠巻きに見て戻っていった。おぉ、そおか、そうか君たちはここを通りたかったのだね。いや、彼らに悪いことをした。それでも人のいいラクダは静かに藪の中を通って帰っていった。本当にいいやつだよ、全く。そしてラクダの主人にも見られてしまった。「やぁ」と普通を装ったが主人は訝しみながらも見逃してくれた。
そうして静かに夜は更けていった。

2014年8月13日水曜日

0813 夕凪を待つ

テントから頭を出して、暮れゆく空を眺めている。ケニア北部のガルガル砂漠は砂埃のせいか、または湿気が多少なりともあるせいか、ナミブ砂漠のような真っ青な空は見えない。日本の麗らかな春日のような淡い空だ。その輪郭のはっきりしない雲が薄暗い空に滲んでゆっくりと動いていく。そんな雲を目で追いながら、取り留めもないことを考える。こういう生活もあと少しで終わりかと思うとなんだか名残惜しい。今日はあまりにだだっ広い砂漠を見て走っていたら無性にテント泊りをしたくなって、こうやって空を見る穏やかな時間を得ることできた。
明るい空に隠れていた星たちが氷が溶けるように少しずつ姿を現し始めた。星たちの出勤。今日もしっかりお輝き頼みますよ。
日の入りと同時に風が弱まり、気温も下がり始める。
遠くの方ではノマド達が牛や山羊を集めている。風音の切れ目に耳を澄ますと、牛の嘶きやカウベルの乾いた音を見つけることができる。そうそうロバの嘶きを聞いたことあるかい?もう凄いのなんの。ふいぃーハオッ、ハオッ、ハオッ、ハオッ、ハオッ!って過呼吸でも起こしたような苦しそうなものである。鳴いてるのか欲情しているのか定かではないがボツワナでも同じく聞こえていたので結構一般的な嘶きなんだと思う。多少方言があるかのしれないけれど。
そうして夕飯はスパゲティを茹でてウガンダで貰ったインスタントの味噌汁で食べた。今の私は相当なものでない限り「旨い!」と言って食える自信はある。ナイロビでFacebookを覗いたら友人達が大変うまそうなものをたくさんアップしていたのを思い出し、俺は一体何を食っているんだろう、と惨めになるつもりがなんだか無性に可笑しくて独りで笑った。いや風も一緒に笑ってくれていたな。
いやぁそれにしても風がこんなに優しくて気持ちいいのなんてなかなか味わえないよなぁ。頬が嬉しいってよー。
今日の道は最高だった。モヤレまでの半分は中国の工事会社がとてもいい道を作ってくれている。マルサビットから60kmくらい全く漕がなくても進んでいた。緩い下り、追い風。そして気温は標高が高いので涼しく、追い風なのでほぼ風音無し。そうすると虫の音や鳥のさえずりが耳に入ってくる。もう今日は何かのご褒美かと思うくらいに気持ちよかった。そして砂漠の香りを嗅いでやろうと肺を精一杯膨らませるんだけど、もう一つ肺があっても足りない。それだけ砂漠の香りは繊細。
そしてとうとう道が未舗装になる辺りに小さな店が。私を見つけると店の女の子が嬉しそうに、でも恥ずかしそうに、それでも珍しいムズングを喜んで歓迎してくれた。なんとソーラーパネルのお陰で冷たいジュースが飲めた。あ〜喉に沁みるわい〜
そして彼女は私の地図を抱えて一生懸命ルートを見ている。彼女は私が今日すっ飛ばしてきた町から、中国の事業者がいる間だけ出稼ぎで母親と妹とここに住んでいた。住居はモンゴルのパオのようにドーム状の籠のような骨組みに布を被せたもの。ここらのノマド達の家はこのタイプが多い。ここは本当に雨が降らないようで、水のタンクがいくつも並べられていた。そんな水を少しおすそ分けしてもらった。プールの浮き輪みたいな味がした。そうして私はテント泊り体制に入った。

2013年11月2日土曜日

日本人と出会う〔Campsite (83km from Betta) → Sesriem〕

C27(from the CampSite last night to Sesriem): Gravel, bad, sandy and bumpy, you have to get off your bicycle and push it in some parts of the way.
CampSite: Everywhere you want you can get a water at a toilet on petrol st. 
but I think you would better to stay at proper camp site because Sesriem is Tourist place. 
Campsite outside of the gate(at ENGEN): Usually NS150 for Campsite + NS125 p.p., 
but when you negotiate or ask the owner of that stand it might be NS115 with his favor at different campsite.
Shop by ENGEN: There are lots of kinds of foods(ready-to-eat) and drinks. Also rather fresh veges & fruites are available with afordable price.
Campsite inside of the gate: NS140(In oreder to arrive at Dune 45 before sun rises up you have to stay inside of the gate)
Park permission: NS80 at the reception of camp site




土が赤くなってきた。霜降り牛かもしれない。


曲線が美しい。


長い年月が描き出す曲線の数々。

相変わらず道は悪い。手押しの道が続く。
途中バナナをもらった。バナナがこんなに旨かったなんて、露知らず。
その甘さと独特ネバリに舌鼓を打ちながら、昔バナナは高級品だったという話を思い出した。
昔の人は日本にはなかったその独特な触感にさぞ感動しただろう。
そしてそのエキゾチックな甘さにも。
今はバナナが一本30円くらいで手に入る。
そしてヨーグルトやチョコレートに絡められて食べられてしまうほど地に落ちてしまった。
すでに単独では役不足になろうとしている。
しかし私はバナナの旨さを再発見した。
とにかく久しぶりの生もの、果物に私は喜んだ。

水は十分あるのでもう一日かかってもいいのだが、今日中にはセスリムに着きたかった。
しかし急ごうにも友人の車輪が砂と戯れなかなか言うこと聞かぬ。
途中タイヤが破裂して履き替え中の老夫婦に出会ったが、
君はカイロに向かうんだろう?とズバリあてられた。
今までにも何人もの私のような人を見てきたのだろう。
ずいぶん旅慣れた人のようだった。

道は悪く歩いてばかりだが、歩くとは意外に進むもので着々と進み、セスリムに14時には着いた。
町の入り口にはガソリンスタンドがあり、町の中は高いだろうと思い、そこで買い物をすることにした。
入ってみると先ほどのあの黄金に輝くバナナが山積みになっているではないか!
飛びついた。
そしてその隣には少々濃い黄金色のオレンジが輝いている。
さらに頬を赤く染めて神々しく輝くトマトも!
今度はずいぶん青ざめて伸びてしまった、髭剃り残しのキュウリが!
もうすべての野菜と果物が食べたくなってしまった。
しかも値段が思ったほど高くない。
トマトに至っては(これを打っている)ナミビア第二の都市スワコップムンドよりも安い。
そしてサンドイッチも安かったので買ってしまった。
さらにもちろん冷たい飲み物も。
あぁ、私はこのために走っているのかもしれないと錯覚してしまう(違うと信じている)ほどに、幸せを感じていた。

一人の黒人がガソリンスタンドのテラスでコーラを飲んでいたので、席を同席させてもらった。
彼は旅行のガイド兼ドライバーをしているボツワナ人でイノキという。
「日本の旅行客にも随行したことがあるが、もう毎日いろんな言葉が飛び交っているので少し覚えた日本語は忘れた」と言っていた。
「日本語で名前を書いて」というので、
「猪木」という字を紙に書いて渡す。
「この名前は日本の有名なプロレスラーの名前でもあるんだな、これが」
とどうでもいいことをぼそっと言ったが、
「ふーん」と言って特に喰いついては来なかった。ぼそっと言ってよかった。
彼はドライバーでいろんな国を回ってきていたのでこれから行く町のこと、道のことをいろいろ教えてくれた。

セスリムの町から砂丘のある場所までは最低でも45km離れている。
そしてゲートが二つあり、外のゲートと内のゲート(砂丘側)の間にキャンプ場がある。
外のゲートと内のゲートの開く時間が異なり、内のゲートの方が一時間ほど早い。
そのため外のゲートと内のゲートの間にある国営のキャンプ場に泊まったものだけが、
砂丘が最も美しく見られる日の出の時間に間に合うという仕組みだ。
何とも厭らしいシステムだと思いながらも、観光地だから仕方ないかと納得。
そして受付の時に「自転車で行きたいのだが公園内で泊まらせてくれないか」と聞くも、もちろん「No」と言われた。
決まり事なのだから仕方がない。
今日中に内側のゲートをくぐり、砂丘まで行き「帰れなくなっちゃった」戦法を使うか、、、と心中思っていると、受付のお姉さんが「まさかあなた自転車で砂丘に登らないでしょうね?」と聞かれた。
「何年か前に日本人が自転車で登って、大ヒンシュクだったのよ!」笑いながら言うので、
「いやぁ、まさか!そんなことしないよ」と言って去った。
あぁこれで向こうで泊まってなんか起こすと「また日本人か」と日本人を貶めることになるので、心が揺れた。
私は日本人の名誉のために向こうで泊まるのを止めた、ということにしておこう。
それでも最後の悪あがきで、シュラフを持って内側のゲートに向かいゲートのおじさんを探ってみた。
答えは「断固としてノー」だった。取り付く島もなかった。
仕方ないので今日行けるところまで行って何かしら見られればいいかな、と思って夕暮れの舗装道路(セスリムから砂丘までの区間だけは舗装されている)を爽快に走った。
そして明日の朝はヒッチハイクで捕まえられればラッキー。捕まえられなければ、自転車で行って、つまらないのっぺりとした砂丘の写真を撮って帰るか。。。と。

夕暮れになると風が出てきて涼しくなる。
しかし砂漠と言ったら夜は寒いというのとは異なり、セスリムは寒いというほどではなく快適なくらいだ。
園内に入ると早々に一頭のスプリングボックがお出迎えだ。
あいつったら面白いんだ。
こっちが遅いってのを悟ると、人をおちょくるように飛ぶんだな。
ぴょーんって空中で追われているスリルを味わっているかのように滞空時間を長くとる。
またそれが楽しげなのだ。
高校の同期に似たような感じで飛び回る奴がいたなぁと懐かしみながら私も観賞させてもらっていた。
しばらく行くとオリックスも出てくきた。
相変わらず、私の様子を見ながら草を食んだりしている。

そういえば私の自転車はオリックスの色合いに似ている。
なるほど、似ているがために親近感があるのか。
角や目鼻立ちがカッコいいし。
スプリングボックは間抜けでおっちょこちょいな感じがするが、オリックスは気高く気品がある気がする。
単独でいるのをよく目にするせいか孤高の旅人みたいだ。
ゲド戦記のハイタカのイメージにぴったりだ。
黄金色の夕日で満ちた丘の足元に一頭のオリックスを見つけた。

その立ち姿と言ったら獅子神様に匹敵するかもしれない。
夜になるとディダラボッチになって砂丘を動かすのだ。
だから砂丘は日々その形を変える。
昔の日本人が砂丘に住んでいたらそう考えていたかもしれない。

草が少々生えているが砂丘が見えた。
いい感じで光と影が分かれている。
でも満足いかない。明日何とかして朝の澄んだ光の中、光と影の織りなす造形を拝んでみたい。

日が丘に沈み遠くの山々が色づく。
ダチョウも1km位離れたところを寝床にダッシュしている。

いや、私から逃げているのか。。。

気持ちの良いクールランを終える。
ゲートが閉まるのは20時だが、すでに辺りは暗い。
どうせ誰もいないからランプを出さないでいいか、と真っ暗な中走っていた。
道路の凹凸は見えないが、来るときにすでに完璧に整備された道路であることは確認したので見えなくても平気だ。
ところがどっこい。暗がりのブッシュからスプリングボックが道路に飛び出してきた。
寝ようとしていたところをびっくりさせてしまったらしい。
危害を加えることはないと思っていてもこれにはびっくりした。
ゲートが閉まる20秒前に到着。
ところがすでにゲートのおじさんはおらず、たぶん向こうで泊まってもだれも気付かずに終わっていたに違いない。

さてテントに戻る。
受付嬢が私に気を使ったのか、他の客に気を使ったのか私には知る由もないが、私の周り200mくらいにはだれもいない。
私に気を使ってくれたものと信じたいが状況がそれとは反対のことを示している。
私のキャンプサイトからトイレやシャワーを浴びに行くには歩いて10分弱かかる。
予約をしなかったかららしい。
道の反対側が正規のキャンプ場で、こちら側は混雑時の臨時キャンプ場だった。
受付の時、正規のキャンプ場は予約で埋まっているから臨時の方に泊まってくださいと言われた。
ところが夜シャワーを浴びに行くと正規のキャンプ場には空きがたくさんあった。
少し腹が立ったので、キャンプ場のおっちゃんに皮肉の一つでも言ってやろうかと、
バーに顔を出すとなんと日本人らしい方がバーのおっちゃんと話しながら白ワインを飲んでいた。
この乾いた気候に白ワインはさぞかしうまそうに見えた。
まさしく日本人だった。久々の日本の空気に勢いよく話してしまって少し鬱陶しかったかもしれない。
大変失礼なことをした。 
しかし彼は極めて穏やかに対応してくれた。
彼はインドはムンバイで日本と現地企業の合弁会社で働いており、飲料の販路開拓などに勤しんでいる。
海外で働く苦労話や今まで行った国の話をしてくれた。
すでに60か国も行っているベテランの旅人だ。
しかし今は働いているため、上手く休暇を利用し、アフリカ各地を回っているそうだ。
今回も4泊という忙しい日程。
飛行機やレンタカーをうまく利用しナミビアを回る彼が大変スマートに映って格好良かった。
それに比べて私は泥臭く地を這うような旅だ。
いつか私も彼のようにスマートに旅ができるようになるのだろうか。それが心配だ。
まぁ今やっている旅も今しかできない。最大限楽しもうと思うが。

その彼もちょうど明日砂丘を早朝に見に行く、ということだったので、私は早朝ヒッチハイクをしなくて済むことになった。
5時にゲートで待ち合わせて床に着いた。

2013年11月1日金曜日

気のいいバイク乗り〔Betta → 83km from Betta on the road C27〕

C27(from Betta): Gravel road, bad,sandy and bumpy, you have to get off your bicycle and push it in some parts of the way.
CampSite: Everywhere you want

案の定、朝は冷え込んだ。昨夜は暖かかったが前日の経験からセーターを着ておいて正解だった。
牛の夜鳴き、ではなく朝鳴き(こいつらは一晩中鳴いていたのか・・・)で目が覚める。
餌を要求しているのか、夜よりもうるさい。
テントから這い出て牛舎の方へ行くと、ちょうど丘の辺りから日が出てきたところだった。
朝日が枝を広く張ったアカシアの木を透かして私のところまで届く。

朝の空気の冷たさと朝日の温かさに触れ、眠っていた体が目を覚ます。
牛が動き回りもうもうと砂埃が舞い、それに朝日が当たり美しく輝く。
一方で山羊たちは別のアカシアの木の下で、極めて静かに温かな朝の光に感謝しているようだった。

テントに戻ろうとすると、ちょうどオーストラリアからやってきた青年が朝のジョギングから戻ってきたところに出くわした。
親友がナミビア人と結婚することになり、その式に出席するために来たのだそうだ。
そのついでにレンタカーでナミビア観光もしてしまおうという彼はとてもスマートに見えた。
昨夜はずいぶん遅くまで車で走っていたようで、夜の遅い時間に到着していた。
それでもこの早起き。むう、お主、なかなかできるな。と言った感じである。
朝ごはんを宿でささっととり、出発が私と一緒だった。
彼のその行動のその速さがとてもさわやかだった。
少しでも彼を見習えたら私ももう少しましな人間になるのだろうになぁ、と羨望の眼差しで彼と別れた。
彼が言っていた印象的な話にこんなものがある。
「日本人が働き過ぎなのはよく言われていることだけれど、あまり日本人は長期の旅行もしないよね。今まで出会ったことがないよ」と。
確かに日本人で長期旅行に出ている人はいない。
もちろんいるにはいるのだが、職を辞めてきたり、職を持っていないいわゆる放浪者がほとんどだろう。
西洋人には長期休暇をとって旅行をしている人が多い。
もちろん日本の会社のシステムがそれを阻んでいるのは歴然とした事実なのだが、西洋は少し違うのだろう。
生産性はさほど変わらないのに不思議と言えば不思議だ。
日本の社会で働いたことのない私がとやかく言える立場にないのはわかっているが、そんなゆとりを持った西洋のシステムに少し見習ってもいいのでは?と思ってもいいだろう。
まぁ、あんたはゆとりだらけだからいいじゃないの、と言われたら返す言葉もないが。


一昨日の砂地獄よりはましなものの相変わらず砂と砂利が速度を落とす。
しかし三日かけて着けばいいかと準備していたので、多少進まなくともそんなに焦りはなかった。
途中5リットルボトルが振動のあまりに取っ手が外れて地面に落ち、割れてしまったのは、
そんなにかからないから一日分減らしなさいと、見えざる何ものかが教えてくれたのだと思っている。
それでも水への執着が強くなっているせいか、割れたボトルからこぼれ残った水のやり場に困っていると、一台の車が止まって60歳くらいの夫婦が降りてきた。
そして空いたペットボトルをくれ、そこに移すことができた。
「他に必要なものはない?」と念を押してくれるおばちゃん。
「彼(旦那)と写真を撮ってもいい?」とシャッターを切るおばちゃん。
「旅の安全を祈っているわ」と応援してくれるおばちゃん。
水を少し失ってがっかりしていたが救われて元気が出た。
しかし、この道は本当に体力を消耗する。



途中から再び砂地獄となり先へ進むのが困難になる。
自転車に乗ることができない。
そんな落ち込んでいるときに一台の車が止まり、若い二人の男が降りてきた。
で、デカい。両方とも。

しかし彼らの人のよさそうな顔がその威圧感を相殺した。
「おぉ、乗ってるね。轍見たよ。相当苦労してるね。二輪は大変だよな。
俺らもバイクで南アフリカから巡っているんだが、先日この砂で転んで修理中だよ」
と二輪乗りにしかわからぬ苦労を察してくれた。

車に乗っている人も「大変でしょ」と労ってくれるが、砂の上の本当の意味での大変さは二輪を運転していないとわからないだろう。
バランスを取る難しさ。少し調子に乗ってスピードを出した時のハンドルを取られる恐怖。
まぁかく言う私も車の運転の大変さなどは露知らずなのだが。

その二人は「まぁまぁ冷たいものでもどうだ?パンは食うか?」などと話しながら色々なものを出してくれた。
本当に貰ってばかりの緩んだパンツのゴムみたいな自転車乗りだな。
彼らはオランダから来ており、こんなことを言っていた。
「お前みたいなクレイジーなことをやるのはいつだって日本人か、ドイツ人か、フランス人だよ」
確かに他のアジア人でこういう旅をやっている人の話は聞いたことがない。
中国人の観光客は南アでは多かったがナミビアに来てからはまだ出会っていない。
結構旅をしている欧米人に日本人の印象を聞くと、「クレイジー」というものがあったりして意外な印象を受ける。
というのもやはり日本のサブカルチャーのすごさが影響していると思われる。
特に男性はかなり日本のAV(アダルトビデオ)産業にお世話になっている人が多いようで、日本の底力に感心していた。
それからアニメのなどのオタク文化。
そういった他の国の人が目を付けない部分に光を当てることに、もしかしたら我々日本国民は優れているのかもしれない。
頑張れ、日本。
でも日本ってすごいよね、AVの質と量が。と言われても素直に喜べない私がいるのは気のせいだろうか?
いやいや喜ぶべきことかもしれぬ。

それともう一つクレイジーと呼ばれる原因に「アジアの国には珍しい、お金や名誉にはならない(なることもある)であろうと思われる(≒無駄な)チャレンジ精神」がある気がする。
だから日本人では岳人や冒険家と呼ばれる人が存在しえたし、今も少ないながら存在している。
そもそもそういう価値観は西欧に由来している(だから大航海時代なんていう時代があって世界がつながったのだろう)。
それを島国であった日本も潜在的に持っていたに違いない。
島に渡ろうなんてのはチャレンジ精神に富んだ人だったに違いない。
島流しもあっただろうが、あきらめなかった。
陸から離れた日本はそう言ったいい意味でのバカなチャレンジ精神を持った人たちによって始まっており、そういう人たちの遺伝子をもとに組み上げられた集団が日本人であると考えると現在もそんなバカなチャレンジ精神を持っているのも必然的な気もする。
そしてその一見無駄なチャレンジ精神が日本の産業や文化の発展に寄与していることは疑う余地はないと思う。

さて、話を戻そう。
明日一緒にソッサスフレイに砂丘を見に行こうと誘われたが、到底この調子では明日までに辿り着けそうになかったので断った。
それでも「帰りにまたビールでも持って来るよ」と言って別れた。
まったくスポーツマンは気のいい兄さんたちばかりだ。


今日の道も険しかったが、色々な人に声をかけられたこと、また水がなくなるという焦りがあまりなかったために、気持ち的に余裕があり、景色にも目が行った。
右手には漆に金の蒔絵で描いたような岩山が聳え、

左には谷筋が青く刻まれている岩山。

遠く前方にはこれから向かうであろう雄大な山並みが、空気の青いフィルターを透かして、遠いものほど青く淡く続いていた。


そこへ消えていく白い砂利の道。
そこを悠然と歩くオリックス。

私を取り巻くすべてが偉大で清く、厳しく、優しい。
そしてその神聖な場所を通らせて“いただく”という畏敬の念。
しかし私はそこで縮こまるのではなく、ゆっくりと緩く解かれていく。
私がなぜここへ来たのか、そんなことを問うまでもない、と受け入れてくれる自然。

かつて私は南アにいたころ同僚のパセリと宗教について熱く語り合ったことが何度かある。
協力隊の講座でも宗教についてはあまり突っ込まないほうがいいと、忠告を受けたが、
やはり一番核心に近づける良いテーマなので何度も話題にしたことがある。
もちろん危険を孕んでいるのだが。
その時に、私は多くの日本人にはイエス様やいわゆる絶対的な神はいない。
あるのは自然だけだ。というようなことを言ったことがあった。
この時に感じたのも“自然”という畏敬の念をもって接すべき漠然としたものだった。
神やイエスという聖書によって形作られた具体的なものではなく、
ただ、そこにあるもの、という漠として抽象的な何か。
でも時々思う。
具体的、抽象的にしろ、結局見ている、感じているものは一緒なのかもしれないな。と。
私も科学者を目指していたくらいだから、ビッグバンも、進化論も極めて妥当なものと思っている。
我々ができるまでに神の存在は必要ないし、「偶然」と偶然と偶然が作用しあって生まれる「必然」によって今の世界ができるのだろうと思っている。
つまり、偶然という偉大な存在が我々を作り上げたという点では、
彼らの言っている神が偶然という形をとって現われただけであって、大きな違いはないのかもしれないということだ。

何の本だったか忘れたが、日本人にとっての神様は畏れを示す対象のことであると書かれていたのを思い出す。
そう、今日私は確かに畏敬の念を抱いてその自然に接していた。
つまり確かにそこに日本人としての私が感じる神様は存在したのである。


ある場所には赤い花が咲いているような丘があった。
南アフリカのナマクアランドは春の一時に一斉に枯れた大地に花が咲き、そこここの丘や草原が紫やピンク、オレンジ、黄色、白の花で染まり、あたかもスーラの描く点画のようであるという。
私はその光景を目にしたことがないが、まさしくこれがそれなのか!?
と勇んで近寄ってみると、実は砂地がオレンジで遠くから見ると赤い花のように見えていたのだ。

少し残念だったが、またそれはそれで驚きだった。
光の具合でオレンジが濃くなり赤い花のように見える。
これから行くセスリムの砂丘と同じ砂なのだろう。
以前見たカラハリ砂漠の砂と同じ色だ。
他にも砂地や岩肌が茶色と言っても多彩で目を楽しませてくれる。
チョコレート三種盛りだってある。








ビター








オリジナル








キャラメル














旨そうだ。


頭の真上にあった太陽が幾分落ち斜陽となると今度は別のドラマを見せてくれる。

カサカサになって風に細かく揺れる枯草を照らし、まるで黄金色の砂漠にいるような気になる。


そこを悠然と歩くオリックス。
途中で出会った一頭のオリックスはなかなか面白いやつだった。
一応道路の両側にフェンスがあるのだが、そこらに抜け道があるので、道路を横断する動物は多い。
このオリックスもそういった輩で、フェンスから出て私としばらく並走していた。
そして私が止まると、「どうした、へばっているのか?だらしない」と言った体で道の真ん中に出てきて見ている。
この様子は20分くらい続いた。
しかし別の件で気付いたのだが、フェンスから出たはいいものの、今度は入ることができなくなっているオリックスだったということが分かった。
だから、並走して逃げ(彼らの本能として、抜かれる、横に並ばれることは死を意味しており並走して逃げるしか手段がないのだろう)ながら、
フェンスの抜け道を探していたのだ。そして、ある程度距離が開くと、逃げる必要もないので止まってこっちの様子を窺っていたのだ。
この日はスプリングボックに加え、見たこともない狐のようでワラビーのようなやつも道に出てきてにぎやかであった。


今日はテントを広い枯草の原にどーんと立てさせてもらった。

温くなってしまったが、バイクの兄ちゃんにもらった元冷え冷えのスプライトで乾杯。


日が落ちるその刹那、風が凪ぎ無音の時間がやってきた。

無音の中に自分も一緒に溶け込んで自然の中に沈んでくような気がした。
日が沈んで藍のとばりが落ちてくるとギュムギュム虫の登場。
苦しそうな、でもどこか楽しげな鳴き声で一生懸命鳴いていた。
暗くなるまでのわずかな間、彼らの独擅場となる。
暗くなると彼らの宴は終わり、今はまた微風のそよぐ音だけである。
今日も星がきれいだ。
木星が天の川に出航した。


遠く山に星が落ちる。