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2014年10月25日土曜日

1025 寝床と踏み切りと

寝床は大事だ。寝床の如何で疲れの癒えがやはり違うからだ。しかしある程度以上の質を確保できれば、あとは今の私にはあまり違いがない。その満足のボーダーは、旅の間に広げに広げられ(まぁもともとどこでも寝られるタイプではあったが)、今では以下の条件さえあれば満足行くようになった。
0. 安全が期待できる
1. 雨に濡れない
2. 水、トイレに相当するものがある
3. 騒音(クラブ並みの)がない

寝床探しはこの基準をできるだけ満たすような所を探すことである。
エチオピアでは雨が毎日のように降っていたのと、数え切れぬ人間と恐怖のおクソガキ様がいたのでエチオピアでは安宿を利用していた。テントは雨を一応防いでくれるが、毎日降られると、テント生活は嫌になる。何よりもエチオピアは宿がどこにでもあり、なおかつ安かった事が私に宿を使わしめた。エチオピアの安宿は悪い人はあまり利用しないので、とても安全な気がした。鍵も壊れていて無かったり、それでも何も取られる心配は感じなかったので実際安全なのだろう。また基本的にお湯は出ないし、水もない場合がある。しかし水を浴びたいアピールをすればどこからともなく、バケツ一杯の水が供されるから不思議。それから南京虫との戦は毎夜毎夜繰り広げられ、かなり不満だった。が、殺虫剤という必殺技を手に入れてからは、安眠を手に入れやすくなった。また宿は売春宿であったり、バーが併設されているので騒音は深夜まで続く場合が多い。しかしエチオピアの宿の良い所は、多くの宿に大衆食堂が付属していていつでも気軽にチャイやコーヒー、インジェラを食べられる。また宿主はだいたい親切であった。

次にスーダン。エチオピアとは打って変わって、全く宿を利用しなかった。今思い出しても囲われた、いや屋根のある施設に泊まったのは一ヶ月のうちで二度だけだ。人がいない砂漠では野宿で、ハルツームではキャンプ場、人のいる場所では警察署内、ガソリンスタンドの裏、カフェテリア(サービスエリアのようなもの)のハンモックベッド、または人の家に誘われてもハンモックベッドを出して外で寝る、とスーダンではどこでもかでも夜風に吹かれて砂塵にまみれて寝ていた。


イスラムの人は体を祈りの前に清めるのでどこでも人がいれば水は手に入ったし、酒を飲まないのでクラブもなく、騒音源たりうるものがない。安全面においても皆が寝ている分、日本以上に外で寝ることに対しては安全な気がした。そして雨なんか滅多に降らないんでね、あそこは。二回ポツポツと雨季の残り涙に優しく触れられただけ。とにかく彼らの寝るスタイルを見れば、如何に私の通った場所の治安が穏やかかが窺い知れるだろう。ついでに言うと恐らく スーダンで宿に泊まろうとすると高い。なぜなら数が少ないから。大衆向けではない。多くの人は知り合いの家に泊まる。お互いに旅を支え合う。イスラムのスタイルがここにも見られる。

最後にエジプト。エジプトでも同じく宿にはアスワン以外泊まっていない。どこに泊まる?警察署?ダメ、恐らく警察を狙ったテロを警戒しているせいか、100m離れた場所ならいいよ、と言われた。容赦なく無慈悲な感じが却って心地よい。ガソリンスタンド?ちょっと嫌、オイルまみれになりそうだし、何よりも夜中に車に潰されないという保証ができる場所がない。
エジプトでは新しい場所を見つけた。踏み切り番の小屋の脇。これが書きたかった。寝床はそれぞれの国、地域でそれぞれ適当な場所が違い、それを探し見つけるのもひとつの楽しみなのだと。踏み切り番の小屋の脇なんて我ながらマイナーな空間を見つけたな、と満足している。

エジプトにはナイル川沿いに国鉄が走っており、 各所道路が交差する場所に踏切がある。大きい道路には自動の踏切だが、小さな街や村には線路脇に小屋、水道、トイレと全て揃った施設があり、踏み切りの守人がいる。
こういう仕事はなんて呼ぶのだろうか。転轍手とは違うし、、、昔は日本にもいたのだろうが私は見たことはない。
電車が通ることを知らせるジージーという音が鳴る。するとこの踏み切りおじさんが紅白の踏み切りを手動で下ろす。そして電車が通り過ぎると再び上げる。彼らの仕事は、単純だがとても重要だ。なにせ一歩間違えば事故になる。自動でいいのでは?という意見もあろう。それが違うのではないか、という日本への提言。日本は人件費削減の名の元、自動化によっていくつもの職業が消え、かつ消えかかっている。電車やバスの車掌、券売する人、タバコ屋(少雑貨屋)、八百屋肉屋などの商店。

私が小屋の隣で夕飯を作っていると、仕事を終えた人々が踏み切りを渡る。踏切で足を止める人、そのまま渡る人。その誰もが皆、もれなく踏み切りおじさんに挨拶し、しばし話し込んでいるのは印象的だった。時には興奮気味に話している人もいた。アラビア語なので何を話していたのかはわからない。きっと「今日の仕事はなかなかハードだったよ」とか「革命以降世知辛い世の中になったよ」とか「うちの嫁に今の彼女の事がバレちまった!」とかを話していたのかもしれない。

朝は朝で農作業に赴く親子や男たちが足を止め、ロバに乗って今日の仕事の名乗りを上げていた。きっとこの踏み切りおじさんは街のものすごい情報を持っているに違いない。
こういうポジションが今の日本には必要なんじゃないか。友人未満知人以上。気軽に声をかけられる人。人と人をジェネラルに緩く繋げられる人。かつての街角のタバコ屋の婆ちゃんは、街の相談係であり、消極的に治安維持にも関わっていたかもしれない。また仕事の効率化によって、緩い部分が削られて仕事が無機質な気がしないでもない。あらゆる方面で無駄を省き、低コストを計ってきた日本。しかしその反面、精神も切り詰めてしまって、心のゆとりがお猪口一杯。多くて湯のみ一杯。予測できない世の中。何が無駄で何が無駄ではないなんて、誰が言えるのだ。無駄か、軟骨。軟骨なしではいつか骨は磨り減ってしまう。踏み切りを通り過ぎる人々を見てそういうことを思った。

2014年10月16日木曜日

お知らせ

エチオピアでの記事
奥様たちのおいしいランチ
が途中で切れているという指摘を受けました。
ネットが不安定だとアプリが正常に機能しないようで、いくつか記事も消えてしまっていました。ブロガーアプリに直接保存していた時期で、消えた記事の復元は不可能でした。上記奥様たちのおいしいランチは途中まで残っていたため、書き直して追加しましたのでどうぞご覧ください。

2014年9月16日火曜日

0916 国境を越える

最後のインジェラ、トマトをベルベレで炒めて卵でとじたものと一緒に朝飯にした。今朝のおばちゃんの服は濃紺に絞り染めを施した清々しいワンピースだった。ふと夏の朝の涼しい時間に咲く朝顔を思い出した。
太陽が高度を徐々に上げ今日も蒸し暑くなりそうだ。たおやかな丘をいくつか越えると国境が見えてきた。今回の国境は少々面倒だ。スーダンでは外国人は滞在登録証を取らねばならない。いくつか大きな街で取ることができるようだが、申請費が二倍かかる。陸路で入る場合は国境で安く取れるという、珍しくオーバーランダーが得するシステムだ。 それから写真撮影の許可申請も必要と古いガイドブックには書いてあったので、これも確認する必要があった。そしてエチオピアブルからスーダンポンドへ換金。もうスーダンディナールは使われていないみたいね。
国境の町メテマMetemaに入って余った小銭でジュースを一本。店の前のベンチで飲んでいると、換金マンがどこからか臭いを嗅ぎつけてやってきた。レートを聞くと事前にネットで調べていたものよりも少し良いくらいだったので、交渉成立。なんだか少し得した気分。鼻歌交じりで国境に行くと、正規トラベルエージェンシーと自称する、「あ、命」と言って体文字を作るかの芸人(名前を忘れた)に体も勢いもよく似た男性現れ、「換金は?レートはいくら?それはやられたね。レートは普通40だよ」と私のレートの1.3倍のレートを言う。え、そんなにすぐに変動するのか、とよくよく聞いたらエチオピアはブラックマーケットがかなりあり、レートがブラックマーケットの方が遙かにいいということだった。確かにケニアとの国境でも、エチオピア側のレートが異様に良くて胡散臭いなぁ、と感じていた。 「命」さんが戻って払い戻してもらってきな、と言う。え、アフリカでそんなことが可能なのか!?と驚いていると「正規トラベルエージェントとして、ズルは許せない、換金した場所に行くぞ」とついてきてくれた。なんか胡散臭い親切。50、50なので距離を保つ。彼は町往くバジャジを乗り継いで私の自転車の後を追う。もちろん換金した場所に換金マンの姿は既になく。当たり前だ。それでも彼は探すぞ、と人脈を使って動く。彼の狙いが何なのか、少し興味が湧いてきた。直感的に悪い人ではなさそう。何てったって「命」を芸の糧にしているんだ。携帯電話で話していた「命」さんが「見つけたぞ」と言って、来た道を一緒に戻る。「自転車に一緒に乗った方が速い」とトライする。荷物を積んだ後ろに乗せてフラフラ進もうとすると「あ、ちょちょちょ、やっぱ無理!」と意外に臆病。やっぱり悪い人じゃなさそう。こういう臆病者に悪人はいない、はず。 「ちょっといいこと教えるから、まぁそこに座りな」とブナベットに入る。太陽が燦々と射す正午、ブナベットは木の影に隠れて涼しい。昨日の雨に濡れてか足元は少しぬかるんでいる所もあったが、それでも木漏れ日がチラチラ踊って気持ちが良い。 「ブラックマーケットでドルを替えても得だぞ」 答えが出た。彼はドルが欲しいようだ。そしてベンチに腰掛けた私の隣にはもう一人黄色い服の男が加わっていた。彼は言う。「ハルツームで替えると5.6だが俺だったら6.5でいいよ」 本当かい?と思う。いい話には裏がある。あるのだが彼らはブラックマーケット。ただドルが喉から手が出るほど欲しいだけ。恐らく両者のベネフィットが釣り合うから、安全だ。替えても大丈夫。交渉成立。「200ドルなら6.5、100ドルなら6.3」 まだこの先何があるか分からないので100ドルだけ換金することにした。
「命」さんと再び国境に戻ってきた。その間に「滞在登録は国境で取っておけ」とか「国境越えたら20kmと40㎞先に町がある」など有益な情報を教えてくれた。おそらく彼はもちろん自分の利益のことも考えて行動していたが、純粋にエージェントとして旅行者を助けたかったのだと思う。しかし長旅で警戒心に身を固め、擦れてしまった私は、イミグレまで案内してくれようとする彼を制して「後は自分でできるから」と言って、別れた。もちろん失礼の無いように最善を尽くしたが何というか、自分に40%くらい警戒心が残っていたのが嫌。かと言って警戒心がなければどこぞの獣に喰われるのもまた事実。バランス。イミグレを指差す彼に出来る限りの謝意を示して別れた。彼は「俺はシャワーを浴びに行ってくる」と言い残して。
相変わらずイミグレわかりにくいよ。もう少し頑張れ、ランドボーダー。敷地の外ではノマドっぽい格好のおじさんたちが座談している。木陰に人が集うのは暑い場所に来た印。イミグレの建物の隣には待合室みたいなのが簡易的に設置されており、一人のおじさんがムンクの叫びの如く両手で頭を抱え眠っている。ムンクのそれと違うのは、オジサンが叫んでいるのではなく、それどころか幸せそうに、極めて安寧に眠っているのだ。午睡。他に人は無し。建物の中、昼休みのためか事務の女性が一人。忙しく何かを勘定している。室内は古いクーラーがかろうじて動いて冷やされていた。何も問題なく出国。
スーダン入国。イミグレ同じくわかりにくい。殺風景の部屋。アラビア文字を見てまた新たな異国へやってきたことを感じる。入国審査無事終了。滞在登録できるか聞くと少し渋り気味。面倒なのか、ハルツームでやりなさい、と促される。「ここでやってしまいたい」と粘ると別男性が「332Sポンドかかるよ」と顔を近づけて言う。「承知」と言って手続きに入る。無事終了。スーダンのビザ取りの時もだが、申請書に何故か母親の名前を書かせる欄がある。立て籠もり犯に母親使って交渉する作戦と心理的には同じやつだったりして。母の名のもとにおいて、嘘書いちゃダメよ、って。
スーダン側はエチオピア側よりもこじんまりした町で、100m程で町が終わった。人々の服装もよりイスラムらしく白いシンプルなものになった。 スーダンに入ったらすぐに砂漠を走るのかなぁ、と漠然と考えていたが緑の大地、どこまでも続いている。今夜は雨も少し降った。 小さなガソリンスタンド風の場所で今日はテント泊。店番のお兄ちゃんが「石がゴロゴロして痛いでしょう」とマットレスを貸してくれた。夜は涼しいがどことなく温かな気持ちで眠れそうだ。但し隣のエンジン音が非常にうるさいけどね。無私無心、南無妙法蓮華

2014年9月15日月曜日

0915 最後の晩餐

勝手な思い込みとエチオピア人のアドバイスにより、アイケルAykelからスーダンまではもう下るだけかと思ったら、そんなことはない。まだまだ丘が待ち受けていた。
昨日は食ったものが悪かったようで、夕方から朝までずっと体調悪くて起きたり眠ったりを繰り返してベッドに潜っていた。久々にナンキンムシ・フリーで心地よかったのも、ある。朝早くに目が覚めると気分は良くなり、熱も引いて出発。朝の空気が透明で清々しかった。
谷が深く切れ込んだところを下る、下る。蛇行しながら下る。タイヤのリムを替えてからブレーキがガクガク言うので(エチオピアで買ったいわゆる安物なので繋ぎ目が膨らんでいるため)あまり過激に下りたくないのだが、恐らくこれが最後。自転車に無理言って下った。
あぁ子供達の催促がなければなんと美しい場所なんだろう。黄色い菊が、丘に生した緑を処々に塗り替えて愈々明るい。立体的な大地のそこかしこに黒や茶、白、またはそれらの斑模様の牛たちが、のどかに草を食んでいる。しかし気をつけよ!おクソガキ様は常にこののどかな牛一行の近辺にいることを!のどかだなぁなんて眺めていると、牛の群れの陰からファランジの匂いを嗅ぎつけておクソガキ様が跳びだす。面白いのは農耕タイプよりこの牧童タイプのおクソガキ様の方がスティッキー(粘着質と書くとあまりに負のイメージが強いので)でアグレッシブだということだ。この牧童タイプおクソガキ様、常に棒やムチを持っている。ムチの場合、威嚇のためか、楽しそうに得意げに地面を打ち、パンッとピストルみたいな音を鳴らす。正直、不快だ。それから彼らのトレードマークは半ズボンに裸足、またはいい具合に大地にカモフラージュするほど汚れた長靴だ。そこに寒い地域ではシーツほどに大きい布を纏っている。更に頭には茶色い王冠。今まで上り坂で私を付け回し、マネー攻撃を仕掛け、石を投げてきた奴はこの王冠を被っているものが多かった。だから今ではこの王冠を見ると体が臨戦態勢に入る。この王冠、先日までずっと何か牧童の位を示すものかと思っていたらなんのことは無い、ただ雨が降った時に被るポンチョであった。うまい具合に畳んで、持つのが面倒だから頭に頂いているだけである。雨が降ってる時にこいつらどこからポンチョ出してくるのかなぁと思っていたら、王冠、それであった。雨が降るとそれをすっぽり被り、じっとしている、と思いきやファランジ見るなり「マネー」だから本当にたくましい。
山岳地域は牧童タイプが多いので要注意だ。しかし下りはオジサン強いよ。マネーと叫んだ時には20mくらい先に行っている。君らのマネーがドップラー効果で大人びて聞こえるくらいだ。
随分下って大地が切れた岩山から緩やかな丘に変わった。空気も温く湿っぽい。腹の調子がまだ悪いせいか昼飯食ったあとはどうも気持ち悪くて、何度も吐きそうで涙を目にためていた。どこへでも吐いていいという安心感のみが私を支えてくれていた気がする。そんな最悪のコンディションに子供達のマネー!緩やかな上り下り。更に背後から迫る雷と雨雲。逃げているのに、オエ(追え)ッてのも滑稽な画ではないか。
西の空のみが明るい。そこへ向かってひたすら走る。すでに空気は温くじっとりして、さながら日本の夏だ。日本の皆様はこの蒸し暑さを乗り切って今頃は秋の長夜に虫の音か。秋刀魚が旨そうだのぅ。そう思うとペダルを踏む脚に力が戻った。道の両側を埋めるアカシアの灌木が道路にせり出して風に揺れ、ランナーを応援してくれている。空は常時飛行機のエンジン音の如き雷鳴が響いて私を急かす。
しばし休憩。考えてみたらエチオピアでは道端で休憩を殆どしなかった。何故か。一人になれる空間がなかったからだ。お、ここは人がいないぞ、一服するかな。と腰を据えるとどこぞで臭いを嗅ぎ取ったかおクソガキ様がやって来てマネー攻撃を仕掛ける。ゆっくり休む事が出来ないのだ。だから休憩は町はずれのブナベット(喫茶店)ですることが殆どだった。
それがここへ来て人口密度が減り、一人になれる空間が手に入ったことで可能になったのだ。雷様はまだ少し遠い。気温も高いので濡れるなら濡れてもいいか、という気持ちになってアスファルトに寝転んだ。日光で温められて温かい。鈍色の空に入道雲が立っている。おい、お前は青空に立つべきじゃないのか、と小さく批判しながら、風の音、雷鳴、風で揺れる木々のざわめきを聞いていた。
私は台風が来る前の雰囲気が好きだ。次第に風が強くなり、木々を煽ってゆっさゆっさ揺らし、林に刹那、海を作る。梢の動き、出す音が波のようだ。それを見る私は家の窓の内という安全な場所にいるから、雨で濡れ、風に冷やされ、不快な思いになることはない。そういう嵐の中にある安心感が私に小さな幸福をもたらす。
今はその私を守るべき囲いはない。そのため幸福感までは得られなかったが、久しぶりに自然に懐かれて休める事が嬉しかった。
今日の目的の町マガナンMagananに着いたのは五時近かった。結局雨にやられず宿に着いた。
宿を見つけて入ろうとすると快活な女性が声をかけてきた。宿の前の店兼オープン食堂の人らしい。おばちゃんと言うにはまだ早いような、でも雰囲気が頼りがいがあってなんとなくおばちゃんだからここはおばちゃんと書いてしまおう。早速宿の方へ案内して宿の受付でテキパキとテンポ良く部屋を取ってくれ、自分の食堂でのメニューもちゃっかり取っていった。こういう面倒見がよくサバサバした人に悪い人はいない。
早速シャワーを浴びてさっぱりした体で食堂へ行く。西の空だけが晴れていて山吹色の夕空を低い場所に見せていた。西からこちらに伸びる場所は厚い雲に覆われ、すでに納戸色の世界が広がっていた。店先にはブリキの七輪が置かれて炭に赤く火が入っている。その上では薄手のアルミやかんが置かれて、こーひの注文を待っていた。食堂のおばちゃんに挨拶すると、すでに注文してあったインジェラとトマトのサラダが用意されていた。エチオピアに入った日に食べたのもトマトソースとインジェラで、今日最後の夕飯に頼んだ野菜とインジェラがどういった因果かトマトのサラダ。エチオピアはイタリアの影響を受けており、各所にその名残が散見される。トマトとパスタが至る食堂で見られるのもそういう背景があるからだろう。ちなみにエチオピアでバイバイは「チャオ」だ。パスタに関しては他のアフリカと等しく、アル・デンテを無視した小麦粉の土左衛門であるが、ことトマト料理に関してはハズレがない。今日のトマトサラダも美味しくインジェラと合わせて食べることができた。
私が食べている間、おばちゃんは他の客の料理、ティブス(細切れのヤギ肉をニンニクやタマネギ、唐辛子で軽く煮たもの)を作っていた。側溝を挟んで道路に面した店の前に据えられた、ブリキの七輪の上で30分くらいかけて。これが150円。先日40分くらいかけて散髪した時に払ったのはやはり50円。エチオピアの労は安い。そういう労働の上に私はゆっくりじっくり旅ができている。そういうふうに安く働いている人がいることを心に留めて、安価、高価によらず労働そのものが尊いものである事を覚えておきたい。

2014年9月14日日曜日

0914 エチオピアにさようなら

もうすぐエチオピアも過ぎ去ろうとしている。振り返ってみれば一番言葉が通じず難儀したものだが、また一番エネルギッシュで忙しく、何よりも学び多き国であった気がする。相変わらず今日も子供達には「金ー」「バナナ」「ペン」とモノをせがまれ、マグソにたかるハエの如く執拗に追いかけられ、石つぶてや棒切れを投げつけられ、「ファッキュー!」と罵られ、それでも悪びれずに笑顔でファランジをおちょくって。
エチオピアの子供はひとまず脇においておいて、エチオピアの大人には大変温かく迎えてもらった事をまず書きたい。
言葉が通じずとも色んなところで手料理をご馳走してくれ、薄暗いブナベット(喫茶店)から手招きされて、甘ーいコーヒーや紅茶で体を温められ、アムハラだろうとオロモだろうと、とにかく関わろうと声を掛けてきてくれたのが、その星の数ほどの頻度から言えば煩わしくもあったが、ともすれば言語ができないので孤立しがちになる私を彼らの世界に引き留めてくれたことは何よりもありがたかった。またエチオピアは礼儀を重んじる人々でもある。興味深いのはお辞儀だ。エチオピアでは挨拶の時、アジアと同じように頭を下げてお辞儀する。だからすごく挨拶しやすかったし、なんだか親しみを持てた。道に座って何かを待っている人に、いやただ日がな座っていた人も多かったに違いないが、挨拶するとオシリをヒョイっと上げて中腰になって挨拶を返してくれる。田舎で年配の人に挨拶すればこちらが恐縮するくらい丁寧に立ち止まって手を差し伸べて返答してくれる。いかにも砕けた感じの若者も挨拶にははにかみながらも応じてくれる。礼には礼を持って尽くすエチオピアの文化を垣間見た気がする。
しかしだ、どうして子供はあんなに無礼なのだ。エチオピアの人間界にはある境界が存在しているにちがいない。だいたい15,6歳くらいだろうか。人ではない何者かから、人になる境がある。その辺りを境にまるで人格が変わったようにその態度が変わる。いくつかこれに対して仮説を立ててみた。一つは、本当にある境を機に人が変わるメタモルフォシス仮説。二つ目は、年齢が上がると無礼な態度の子供は地下に潜る、または社会的に消える淘汰仮説。そして最後に今の若い世代に蔓延してる一種の風潮のようなもので、世代特異的仮説と名付けよう。
どれも可能性があって短期間の滞在からは判然としないが、とにかく子供たち(絶対的な貧困からは抜け出している)に蔓延している「ファランジ=カネ」、挨拶するよりもカネ、という共通のイメージはいちファランジとしては薄気味悪いし、人として金を求める対象にしか見られていないのは悲しいし、極めて不快。何が彼らをそのようにしているのかいくつもの要因があろうが、今まで彼らと関わりのあったファランジが何でもかんでも無条件で与えすぎたことは一要因として外せないだろう。彼らは貧しいから、人の生きる権利を守る、と言って中途半端な支援をして彼らの人として大事な何かを、尊厳を奪ってしまったのではないか、と感じる。
ともあれどんな事があろうと、アフリカは世界の流れに容赦なしに食われていく(今の様子からはどうしても「組み込まれる」という表現は適切ではない気がする)。中国やインドを始めとするいろんな国々からの投資で翻弄されていくことだろう。その時に目先の金にうつつを抜かしていれば、いずれ大きな痛手を食う。本当に大事なものは何か、金か、それは先進国が間違えた道ではなかったか。彼らを見て自分自身も国へ帰ってからもう一度考えねばならないと思った。
おそらく今日明日でスーダン入りをする。また新たな発見と気付きがあるに違いない。大きな期待を胸に、いざ灼熱の国スーダンへ。寒さに震えたエチオピアから一気に標高を下げて乾燥と暑さの国へ行くのは少々体が心配。クマムシが羨ましい。

2014年9月13日土曜日

0913 テジを訪ねて三千里

エチオピアは蜂蜜生産が盛んで、至るところで蜂蜜が売られているのを見かける。いくつか品質にランクがあり、純度の高い黄金色のものから不純物をたくさん含んで褐色のものまで様々だ。中でもアジスのママの友人宅で戴いた地蜂のものは高級なのだそうだ。確かに花の香りが仄かに香って蜂蜜とは別物のようなものだった。
更にエチオピアではテジと呼ばれる蜂蜜から作られたワインがある。もともと蜂蜜は祝い事の時に供される貴重なものでそれから作られるお酒はきっと天にも登るような貴重なものであったに違いない。そしてその味たるや、あぁ考えただけでもミツバチさんを祝福できる。そのようなお酒があると聞いてエチオピアに入ってからずっと探し求めていた。消極的に。普通のバーでも場所によっては飲めるようだが、砂糖が添加されていたりしてなかなかいいものに出会うのは難しいようだ。ゴンダールにいいテジベット(テジ飲み場)があると知って楽しみにしていた。
一日思う存分遺跡や教会を回った後、日が落ち始めた頃にテジを求めて雑踏へ繰り出した。何とgoogle mapにテジベットの場所が標されている。(スマートフォンのGPS機能は便利だがその分、孤立を促す)
そのポイントに行くが、それらしきものは見当たらない。またしてもよくある古い情報か。辺りを彷徨いて、ふと、空を見上げると、入道雲が黄昏の淡い空に伸びている。ちょうど太陽を背に立っており、雲の縁がじりじりと紙が焼けるように光っている。そして入道雲の突端に富士山などの独立峰ににしばしば掛かるような笠雲が靡いている。なんと、それが真珠のように輝いているのだ。いや、形的には牡蠣の貝の内側といったところか。こんな光景、一度も見た事がなかったのでなんだかありがたい気持ちになって、お辞儀をしていた。その時、私の視界の隅っこに子供がChina!と言って侵入してきた。何も悪びれず、決して物を乞う顔ではなく、まるで格下の人間に命令するように「China money!」と言ってのけるところを見ると中国人を馬鹿にしてるのか、と感じる。中国人はあなた方の財布ではありませんので悪しからず。無礼には無礼を持って、蝿を追い払うように追い払う。こういうくだらない事に忙しいところがエチオピアを旅する醍醐味かもしれない。

ありがたい光を見ることができたのだテジは見つかるに違いない。ヤケクソに一軒の小さな酒場のようなところで「テジはあるか」と聞いてみる。ない、という女主人の答え。めげずに次、と店を出ようとすると、一人のくすんだピンクのトレーナーを着た少年が「テジを飲みたいの?僕知ってるよ」という仕草で付いてきて、と合図する。おぉ、早速来たか!とわくわくして少年と並んで歩く。少し歩いて少年が入ったのは小さな工場のような煤けたブルーの建物。え、ここが!?と後に続くと確かにそこにいるおじさん達の前にはそれらしい色の液体が。おじさんに「テジ?」と聞くと静かに頷いて旨そうに飲んでみせた。テジの隠れ家に連れてきてくれた少年に少しばかりのお礼を渡したら、嬉しそうに受け取って走って去っていった。

さてこの薄暗い倉庫の様な場所がテジベットであった。内装も煤けたブルー一色で、そこに所々窪んだスティールのテーブル二つと、長椅子がそれぞれ二つ、これまたブルーのスティールの棚が傾いて配置されている。壁には聖母子像や後光が射したキリストの絵が安っぽい額に入って掛けられている。広さに対して物が少ない印象だ。二十畳弱ほどの空間に蛍光灯一本で、部屋のブルーも相まって寒々しい空気が充満している。二人のおじさんの間に呼ばれ座っ た。二人の若い女性が切り盛りしているようで、そのうちの一人がメニューを持ってきてくれた。

  • 1st Quality

    1 bottle=100birr, half bottle=50birr, 1/3 bottle=35birr

  • 2nd Quality

    1 bottle=60birr, Half bottle=30birr

とあった。

せっかくなので1st Qualityのハーフを頂く。面白いのはテジを飲むグラスだ。今もあるのかわからないが、昔"いいちこ"のボトルで丸フラスコみたいな面白い形のものがあった。そこに水草やメダカ、小エビを入れて机に飾っていたことがある。まさしくあの形の瓶がテジ専用グラスのようなのだ。その細い首の突端ギリギリまで注がれた濁った黄褐色の液体が私の目の前に置かれた。蜂蜜が寒い時に結晶化した時の色だ。ハーフで300mlくらいあるのだろうか。これで50birr=250円(シロとインジェラで15-20birr)だからやはり少し高級品なのだろう。

待ちに待った出会いに胸をときめかせ、一口含む。「むむっ、ッコンジョ!」と言って、親指を立てると、心配そうに横目で見ていたおっちゃんが氷が溶けたように破顔した。安心したおっちゃん二人は再びアムハラ語で話始め、私はその間で満足げにテジをググっとやっている。テジの味は蜂蜜独特の風味を僅かに残しながら、白ワインの風味とビールのコクと旨みが後に引くような感じである。どうやって作るのかは言葉が分からず聞けなかった。店の裏の所蔵タンクを見せてくれと頼んだが、代わりに彼らの生活空間を見せてくれて終わった。

一人のおっちゃんは一杯やって帰った。もう一人のおっちゃんは大きいボトルを抱えて飲んでいるのでまだまだやるのだろう。おっちゃんがアムハラ語で話しかけてきた。壁にかけてある営業店許可証を指差して、政府がどうの、お金がどうのとポケットを指し示して何か言っている。推測するに許可証は政府のお金儲けみたいなもんなんだ、というような事を言っていたのだろう。正直分からなかったが酔っぱらい同士、なんとなく通じてしまうものである。

その後も「お前は中国人か?」みたいな事を聞いてきたので「ジャパニーズだ、エリトリア人やソマリア人、エチオピア人は似てるけどディファレントでしょ?それと似たようなもんで、うちらも日本人、中国人、韓国人、台湾人が似てるけどディファレントなんだ」と言ったら分かったのか定かではないが妙に納得した顔をしていた。

そしておっちゃんがアムハラ語を愛している風だったので「In Japan, No English, Japanese only, mother, father, brother, sister everybody speaks Japanese only 」と身振り手振りで言ったら、もうおっちゃん嬉しそうに店の女性二人に向かって「ほらな、日本も英語使わないんだって、バンザーイ!」みたいな感じで右拳を上げて盛り上がっている。それで調子に乗った私はこれでもか、と「文字も日本の文字を使う、アムハラの様に」と言うと、またしてもバンザーイ!もうヨッパライ二人でバンザーイ!店の女性は面白そうに微笑んでいる。そんな楽しいテジ呑みとなった。

0913 王達の棲家

エチオピアはかつて王国であった。アラビア圏の南部に触れるか触れないかの位置にあるため、歴史的にもアラブの交易やキリストやイスラム、ユダヤの影響を色濃く受けてきている。かの詩人ホメロスもエチオピアに言及しているほど、古くから歴史の舞台に上がってきている。宗教は独特のエチオピア正教なるものが人口の半分弱を占めており、教会に掲示される十字も雪の結晶のような繊細なものが多い。人々が首から下げる十字も菱形に近い十字であることが多い。エチオピア正教はユダヤ教の流れを汲んでおり、ユダヤ教に見られる割礼や食べ物の制限、屠殺方法など文化的共通点も多く見られる。
昨日宿で出会ったモーゼ君もエチオピアから祖父の代にイスラエルに移り住んだユダヤ人で、アムハラ語とヘブライ語を話す。英語はあまり使えないようだった。キリスト教が広まる以前はエチオピアにもユダヤ教徒は多く住んでいたが迫害などを受けてイスラエルやアメリカへ移り住んだ。現在はタナ湖周辺に少数が残るのみだと言う。
近代以降になってキリスト教が入った南部及び東部アフリカとは違い古くからキリスト教と関わってきたエチオピアには古い修道院や教会が多く残る。またキリスト教とともに歩んできた王国の足跡も各地に残されている。
私の旅におけるエチオピア最後の都市ゴンダールGonder、ここには1636年にファシラダス(Fasiladas)王が都を移して以来、1755年イヤス2世(Iyasu Ⅱ)の崩御まで栄えた街である。その後もしばらく都として残るが各派閥が争い合う不安定な時代で、もはや王は傀儡に過ぎない存在にまで落ちてしまっていた。
ゴンダールの街の真ん中にドーンと石造りの壁に囲まれた空間がある。王の囲いと呼ばれるその中に、かつて栄華を極めた王たちの住まいである宮殿があった。宮殿というと美しい白壁で金や色のタイルで装飾が施されているイメージがあるが、ゴンダールの宮殿は石造りのまさにその石の色(黒や灰、茶などの)で暗い印象を受けた。蒼と茂る草ぐさの中、どうと構えるそれはまさに遺跡らしい華やかさとは無縁の遺物であった。
ゴンダール建築の特徴は卵型のドーム屋根を持つ尖塔にある。無骨な石積みの外見に突如ツルッとした滑らかな卵が屋根に現れる。石積みもジンバブエの積んだだけで支える構造ではなく、石と石の空隙にはモルタルの様な、しかしもっと柔らかい材で石灰石を砕いて練ったものの様なものが詰め込まれ補強されていた。エチオピアは石には不足せぬと見えて、これでもかというほどに石が積み上げられていた。死んだように暗く静かな色の石壁に、雨季の水分を吸って勢いづく小さな草や苔、羊歯が石の隙間に僅かに滞った土に命を燃やす。遺跡の鑑賞はこの対照がたまらない。死に息づく生。生の下に眠る死。
もう一つ面白いのが王様が変わる度に次々と自分の宮殿を敷地内に建てていった。周りの囲いはいつ閉じたのか。新たに建てるごとに拡張していったのか。だとしたらその無計画っぷりになんとなくアフリカを感じる。そしてそれぞれの宮殿が違った時期に違った影響を受けているので特徴が異なり興味深い。これらはポルトガル人やインド人、ムーア人の影響を受けているようだ。イヤス1世は肌の病気を持っていたようで、トルコ風呂を造って療養に励んだという。トルコ風呂は日本語だと如何わしい感じだが、小学生でも入れるくらい真面目な施設だったのだろう。浴槽と思われる枠に腰掛けて行けなくなったトルコへ思いを馳せていたら「そこに座らないでね!」と注意されてしまった。おっと悪い。柵も何もないオープンな感じの世界遺産だから、つい行き過ぎてしまった。実際通路に崩壊した壁があって、踏み越えていくとかね。
そうそう最近まで、と言っても二十年以上前だが、アビシニアライオンなるエチオピアに住むライオンが中心にある檻で飼育されていたそうだ。それにしてもライオンにしては随分小さく陰湿な檻で、きっとおかしくなって檻の中を行ったりきたりしていたに違いない。王は自分の姿を檻の中の百獣の王に見ることもあったか、どうか。なかったとしたら、まぁ幸せな王様だったに違いない。
この宮殿から2kmほど離れたところに、余暇に利用されていたと考えられる別邸があるというので行ってみた。同じ切符で入れるので行かなきゃ損、の貧乏根性が現れ出て行ってしまった。ミニバスで途中まで行って少し歩く。途中昼飯に好物サンブーサと甘い紅茶を。
行くが場所がわからん。子供が教えてくれた。相変わらずなんの標識もなくて愛嬌がある。秘密の園かっ。
近くの芝生で寝転んでいた男が受付だった。見学者は私だけだった。本当に秘密の園みたいに大樹が枝を張り、空を隠して、またひっそりとして。ファシラダスの風呂と呼ばれるこの別邸には大きなプールがある。とは言っても現在は一年に一回ティムカットと呼ばれるキリスト教のお祭りの時だけ水が張られる。そして何百、数千の人々でごった返し、このプールに人々が叫びながら飛び込むと言う。今日の静けさからは想像もできない数日が一年に一回あるという事だ。
敷地はここもやはり石壁で囲われており、門をくぐると40m先の正面に小さな石造りの建物が見える。その周りにお堀のようにプールがあるのだ。つまり建物が小島のようになっている。そして建物へは一本石造りの橋が通っており、その橋の下はアーチ上にくり抜かれて泳いでくぐれるようになっている。水を張ったら深さ3-5mくらいになりそうだ。ティムカットの時は2週間かけて水を張るという。
プールの周りはプールサイドのごとく広場がとってあり、プールから上がって緩やかな午後を過ごすにはもってこいだ。かつて貴族が水浴びした光景が目に浮かぶ。
そのプールサイドの外側は少年の背丈ほどの石積みの壁が張り巡らされており、その石積みを鷲掴むように根を張る大樹たち。仄かに暖色を滲ませた燻し銀の根っこ。しめやかなる空気が一帯に満ちている。木々の葉のざわめきも殆どない。水たまりに落ちる木の葉の音が聞こえてきそうだ。これがこの別邸の目玉だ。網の目のように石を押さえ込むその姿は豪快だ。きっと壁の上に落ちた種が芽生え、壁の上でしばらく成長した後、仕方なしに石壁を伝って根を地に伸ばしたのだろう。人の寿命は短いが木は人よりも少し長く生きる。だから人がいなくなって消えた記憶もきっと木は知らない裡に秘めているに違いない。でも人も負けちゃいない。文字を使い、今ではデジタルに記憶させて留める術を発明した。でも、なんというか、あまりにそれに頼りすぎて大事な記憶も自分の中に取り込み忘れてしまう事がありそうで怖い。些細な記憶も大事できたらそれは煩雑になるけど、やっぱり素晴らしい。
最後に行ったのはデブラ・ベルハン・セラシエ教会(Debre Berhan Selassie Church)。この教会は18世紀に建てられたとされ(1690年に建てられた最初の物は雷で壊れた)、19世紀後半に起きたスーダンムスリムの大規模な教会破壊でゴンダールの他の教会が被害に合う中、蜂の群れがスーダンムスリムを追い払って難を逃れたという話が残っている。
屋根は竹と木で骨組みが組まれそこに萱が葺いてある。その屋根に青草や苔が生えている様は日本の古い農家を彷彿させる。建物自体は石造りだ。
中に入ると壁一面の絵に囲まれる。キリストが磔にされている絵から、天使やマリア、馬に乗った王様、最後の晩餐。そして一番興味深かったのは日本の絵本で見るような閻魔様の様な鬼が悪魔として描かれていた事。やっぱりエチオピアはなんとなくアジアに近い。天井には顔に直接翼が生えた天使が100体以上も描かれており、その顔がどれも困り眉毛で、あれこの顔どっかで見たことあるぞ、と思ったらエチオピア女性の顔だった。困り眉毛の島崎遥香もエチオピアの困り眉毛もまたよろしである。
壁に描かれたキリストやマリアの顔はゴシック時代の絵を半分柔らかくしたようなもので、中東系の顔なんだけども、その他諸々の人物はエチオピア人の顔で小さく微笑んでしまった。

2014年9月8日月曜日

0908 卑怯者!

寝首を搔くなんて卑怯だ。エチオピアにはこんな卑怯者がうじゃうじゃいて困る。
お陰で体中、傷だらけ。特にパンツのゴムあたりと腕時計をしているあたり。何なのだ。コイツラは。姿が見えない奴に襲われている。しかし、先日そいつの正体を突き止めた。
体長3-5mm、小豆色、ミジンコみたいな恰好で、更にミジンコを正面から見つめた感じで両手でパチン!そうして潰れた形がこいつだ。更にとてつもない恥ずかしがり屋でめったに姿を表さない。布団に入ってじっとしていると、たまに何かが服の下で動いた気配を感じ、即座に服を捲くると見えたり見えなかったり。現在体には100個近い数のドット(見えぬ敵との戦いに敗れた痕)があるんじゃないか。そんなに戦っているというのに未だ姿を見たのは8回くらい。そして捕獲処刑まで至ったのは3回。まず姿を見てもその跳躍力で瞬時に姿をくらます。そしてはじめの頃はそいつの能力を侮っていて、普通の虫並みに潰せば潰れるだろうと思っていた。そうして何度か逃げられた。その形と、不気味なほどに丈夫な外骨格のため、山椒の実を潰して粉にする如くにすり潰さなくては敵は倒せない。外骨格が硬いというよりもゴムみたいなんだと思う。だから潰すときは景気のいいプチッという音が聞ける。プチプチを越えるプチプチ感だ。きっとプチプチ狂のあなたはハマるに違いない。
そんな彼女の名前はトコジラミ。南京虫、鎮台虫。今日も彼女らはベッドからベッドへ人という乗り物に乗って旅をする。
でも不思議なことにこのトコ ジラミちゃんエチオピアの人にはあまり悪さをしないみたい。宿の人に聞いても、えっ、何?性病?ご愁傷様〜。ってな感じだったから、おそらくジラミちゃんとは仲良くやっている模様。アジスのママによると日本人でも人によってはあまり被害を受けないようだ。おそらくベッドの中ではジラミちゃんも好いた相手にはついつい情熱的に活動してしまうのだろう。
でも私は君の事、好きじゃないから殺虫スプレーで、ごめんね、殺ってしまうよ。君の情熱に付き合っていたら眠れないもんでね。
そして例の如く殺虫スプレーをベッドにかけていたら、ベッドの下からワサワサと二種類くらいのゴキブリがワンサカ出てきた。かつてのトイレと比べれば小さい種だし、数も大したことないのだけど、まぁベッドに寝るのにあまり心地良ものでは無いのだよね。
あー痒い。

2014年9月7日日曜日

0907 腹立ち鎮める十七字

あぁ、道端におクソガキ様がやって来ては「まねー」やら「ぺん」やら叫ぶのが本当に鬱陶しい。子供を見たら98%来ると見て間違いない。ここまで日常的にやられると精神的に辛い。無視すればいいが、挨拶されて無視するのもなんだか気分が悪い。どちらをとっても気分の悪さは避けられ無い。ノイローゼになってしまう。どうしたらいいのだ。まだこの「マネー街道」を抜けるまでには一週間くらいある。精神が壊れる。いつも逃げ道を持っているずるい人間なので、この30年精神的に狂うことはなかったが、ここ数日は精神が危ない。追って物を取ったりいたずらしようとする子供があればドスの聞いた声で脅し散らせ、マネー!と手を出して迫ってくる子供あればその手を蹴り飛ばし、イシツブテを投ぐる者あれば停まって「ゴルァ!オンドリャ、クソガキ!」と叫び。実害があるからこっちも本気なのだ。先日は予備のメガネをバッグから盗まれた。カメラも手を伸ばして触るし、洗って走行中に乾かしている服も取ろうとする。もういや。君たち嫌い。道端で出会うヒヒの方がおとなしくて好き。かつての雷親父の気持ちがわかる。
そして今日夏目漱石の「草枕」を読んでいたら漱石さんからいいことを聞いた。
「腹が立ったところを十七字にする。十七字にする時には自分の腹立ちがすでに他人に変じている」
そうなのだ、人は二つのことをそう器用にできるものではない。詩的情景を作り上げるのに集中すれば、心は腹に宿ったままではいられない。
街道の 石を拾うや 物狂い
珍客や 石を投じて 呼び止めん
牧童の 牛追う暇に 白い人
ついでに短歌も。
五月雨の 幽かに見ゆるは 異邦人 
石見て投げるは 恋の始まり
貧しさに 石持て追うは 希望かな
くれるなら ずっとくれよ 白い人
永遠に くれると思った 学用品
貧しさは 他人が作る 夢の中
うむ、確かにこれは有効かもしれぬ。なんだ、彼らの石を投げてくる動きすら愛おしく思えてくるではないか。おクソガキ様を超越してしまったぞ。さらばおクソガキ様よ。君たちも可愛い。愛に飢えているだけなんじゃないか。
さぁ明日も雨の中、石を投げられ、金をせびられ、暴言を浴びせられ、それでも私は君らの間を走り抜けるから。17文字で遊びながら。かかってこいや。

2014年8月28日木曜日

0828 奥様たちのおいしいランチ

「私の友達とランチがあるからもう一日延ばしたら?日本人だけど」
とアジスのママに言われ、もう一日だけアジスアベバに滞在することにした。
日本人ということで「そうか言語の壁が無いから気持ちが楽だ」と安易な気持ちで参加の返事をしてしまった。友達と言うからせいぜい一人か二人、それとアジスのママの数人だけと勝手に思い込んでいた。
当日アジスのママの美味しいシロの入った日本の器を抱えて、車に乗ってそのお宅へ向かった。途中、誰かの送別会だということを聞く。みんなで料理を持ち寄って開くビュッフェスタイルのようだ。
アジスの中でも比較的落ち着いた感じの住宅街に車は入っていく。車を外に駐車して門をくぐり緑が生い茂った庭を通ると大きく喧しい番犬が迎え出てくれた。吠える吠える、客人にまとわりつきながら吠える。二階から若い女性が玄関に下りてきた。彼女もゲストだった。彼女の存在が少しばかり犬の興奮を抑えてくれているようだった。会場の二階に通される。扉を開けた瞬間、私は驚いてしまった。だって高校生、もしかしたら大学生の子を持つくらいの方から、先ほどの20代後半の女性まで実に幅広いレディー達、総勢15人ほどが窓を大きくとった広いリビングに既にいたのだもの。いくら男女分け隔てなく、と云う時代とはいえ、こうまで黒一点だと少し怯む。しかもアジスのママの家に滞在させてもらっていると言うだけで、このようなオープンではない会に参加してもいいのだろうか。アフリカはあらゆる面でオープンなので問題ないように思うが、閉じられた社会をどちらかというと好む日本人に対してはアウトのような気がした。更に 一介の見窄らしい旅人がしかも手ぶらで参加するなど図々しいにも程がある。本気で動揺した。
そんな動揺をマダムたちは気にする様子もなく、宴が始まった。さすが、世界各国に赴任する夫と伴にそれぞれの食文化に触れてきたマダム達だ(もしかしたら女性自身がエチオピアに赴任している方もおったかもしれぬが、そこまで把握できなかった)。名前も聞いたこともないような料理がずらりと並べられ、私の腹を誘う。さっぱりした日本の料理もそこに加えられ、一回目の皿はあっという間に埋まってしまった。席に戻るとマダムたちはすでに会話で盛り上がっている。「誰々さんの料理は〜でとてもおいしいわ」と口々に言う。私も真似して言おうとするが、そもそも名前すら把握するのが難しい状態で、誰がどの料理を作ったのかもわからず、とにかく食べるもの食べるもの 阿呆になったように無修飾のまま「美味しい」と言うのも胡散臭い気がして、時々「美味しいです」と言って食べた。
ある女性が「料理の感想も言わない男はダメよね!」と言い、内心どきりとする。その後、亭主が感想を言うだの言わないだので少し盛り上がっていた。食べ物の感想をうまく言えるように、表現力を鍛えようと少し感じた出来事だった。
その後しばらく子供の話などで盛り上がっていたが、次の会話を聞いて私は嬉しくなった。
「熟女好きとか、あんなの嘘よねぇ」
「そうそう、あれは絶対に愛以外の他の物狙いよ」
「でも○○と△△(芸能人の名前)はどう?あれは結構恋愛してるんじゃない?」
「いや、ないわね。あれも結局は金よ。××(作家)だって作家希望の若い男でしょ?熟女好きに愛はないわね」
私は何故嬉しくなったのだろう。恐れおののいていたマダムたちが、意外にも私達男ども(一般化されて不快になった男にゴメンナサイ)と同様な会話を楽しんでいたから?いやもっと突き詰めて言えば、どんなに世間的に絶大なる力を持った集団(私信だが世間においてマダムほど強力な発言力を持った集団はなかなかない気がする)にも、白馬の王子様は未だ健在で、それに対する欲求が歪んだ一般化をもたらしていると言う、我々の世代、また男集団と何ら変わりがないことが嬉しかった。
歪んだ一般化と言ったのは、私の知ってる限り男は若い女性ばかりを好むわけではなく、人それぞれだからだ。
そもそも愛とはなんだ?生物学的に考えれば、若い女性を選ぶ行為こそ不純で愛とはかけ離れた行為なのではないか。若いとは健康である確率が高く、生殖に有利であり、かつ将来への希望に満ちていて、むしろそういうことを男の性は無意識のうちに算段しているわけで、実に愛からかけ離れた行為なのではないか?結局のところ愛とは色々な欲望の化身であり、愛という本質は恋愛を行っている時点において認めるのは極めて難しいのではなかろうか。つまり愛があるかないかを追求するのに、熟女好き、幼女好き、若人好きという嗜好レベルにおいて議論するのは無理がある。
こんな事を書いてみたが、当の議論の最中は、たった一人の貴重な男の意見をいつ議論に載せようかと優柔不断にもまごついていたのである。とは言えその時に貴重な意見として持ち合わせていたのは、
「性的な対象としては現在の日本では70歳位まで、恐らく50代であれば私が子供の頃の消費税位%の男は惹きつけられるのではないかと思う。なぜなら性産業として実在しているからだ。マイナーではあるが。もちろん性的な欲求と愛が重なる部分はあるかもしれないが、イコールではない事は言うまでもない」
と言うなんとも心もとない意見のみだった。
フィクションだが石田衣良の「娼年」はその辺りの、青年が年配女性に性を売る話が描かれていて、非常に興味深く読んだのを憶えている。
そんな意見を出して、じゃぁ何、あんたはどうなのよ?と個人的に攻められマダムたちに弄られるのを恐れて躊躇っているうちに話は別に移った。
緊張も解れ、次第にマダムたちの会話に混ぜ込んで貰え、旅の話を興味深く聞いてもらったりした。ただやはり彼女達とはまだ住んでいる場所が違うなと感じたのは、ある女性が「○○にはお湯の出る宿がないから大変よ」と気遣われた事である。
私はお湯の出る宿など、エチオピアにおいては一回しかお目にかかっていない。寧ろお湯が出る事が非常に珍しく、そして非常にありがたく、またこ感動的な出来事なのだ。いつか私も大人になって、金に苦労することがなくなれば、若い貧乏旅人を捕まえて「君、○○はお湯の出る宿なぞ無いぞな!がっはっはっはっはー(頑張れよ)」と笑って言える日が来ようか。将来の自分を信じて笑おう。そうだ将来への期待ですら「愛」に転化しうるかもしれない。今気がついた。だから自分を愛せる。
そうして結局3皿も美味しい料理を戴いて、美味しいお酒、美味しいデザートに包まれ幸せな一時に包まれたのでした。
子供の話で思い出したが、最近は私の友人達がFacebookで子供関連の話題を多くあげるようになった。もう自分もそういう歳なのだ。まだそんな未来が見えない私にとっては、置いて行かれるようで一抹の寂しさを覚えずにいられないが、子供を持つと話題が子供に多く向かっていくことから、子をもつことの大きさを感じる。楽しいのだろうなぁ。将来に期待しよう。やはり将来への期待、これに尽きる。これだから自分が愛しくてたまらない。

お知らせ

滞っていた記事をアップしました。スマートフォンからのアップとあって、撮った写真の掲載はできませんが、できるだけ風景をイメージできるように書いていきます。長くなりくどいかもしれませんどうぞお赦しください。
また、スマートフォンのアプリでは日にち指定ができないため、記事の時系列がバラバラですがタイトルに併記しますのでそれを頼りにして頂ければと思います。
あと2国の旅ですが、今後もお付き合い頂ければ書いているものとしてこれ以上の喜びはありません。どうぞよろしくお願いします。

2014年8月26日火曜日

0826 他園の花

アジスのママの家は温かかった。
物理的な暖かさよりもなんだか色々な人々の幸せが詰まった温かさがあった。隊員同士で結婚し日本に住んでいる夫婦の幸せそうな写真や隊員の近況報告の葉書、子供達からのバースデーカード、家族の写真。。。そうした一つ一つのものに対してコメントするママの本当に嬉しそうな顔が私の心にある何かを少しずつ温めた。
人の幸せを喜べる人になりなさい。いつだったか、また人生のどのステージで誰から聞いた教えだったか忘れてしまったが、いつだって心掛けてるんだけど実際なかなか難しい。人の幸せを喜ぶには人の痛みや苦労を知らなければならないし、自分だって不幸や苦しみのどん底にいては喜ぶのは難しい。人の幸せを心の底から喜ぶには多くの学びと少しの余裕が必要なんだと思う。そうして人の幸せを喜べた分だけ自分も幸せになれる。そうして得た幸せこそが揺るぎない本物の幸せなんじゃないかな。湿った紙に墨汁を一滴垂らした時の様な、じんわり広がりのある幸福。中心の外側も染めるような幸福。
自分の庭の福寿草が咲くのをじっと待つのもいいが、知り合いの庭で咲いたら喜んでそれを愛でに行くのも、春うらら、いいものであるのに違いないのだけども。人の心は万事が万事、春うららではありませんでなぁ。四季があるのもまたいい事であるのに違いないけれども。

2014年8月24日日曜日

0824 チャットルーム

エチオピアには草を食む習慣がある。なんの仲間の植物かは知らないが(学名はCatha  edulis)、格別香りがあるわけではなく、茶葉の味を少し落としたような渋みと葉っぱ特有の青臭さを持っているchatと呼ばれる葉っぱだ。見た目アカメモチの新芽のような赤褐色を呈した柔らかな新葉を噛み噛みする。
ケニア北部ではMirraミラァと呼ばれ同じように消費されていた。近寄ってきた男が話しかけて口を開けた時に、はじめ彼はロバのうんこを喰っているのかと思った。クチャクチャやりながらも繊維は残るようで口の中が緑の繊維で一杯になっているのだ。誰だってロバのうんこと間違える。だってさっきまで同じ色と様をしたロバのうんこを道路の上に見ていたのだから。
今の時期、エチオピアの暦では年末に当たるので町中のカフェと言うカフェには男たちがこのチャットを囲んで屯しているのをしばしば見かける。自転車で走っていると道路脇で偽バナナの葉に包んだチャットを売っている、売り子も暇そうな男たちだ。そして道路に散乱したチャットの葉や茎。バスの乗員やトラック親父もムシャムシャやっているに違いない。
さてこのチャット、彼らに言わせれば軽いマリファナの作用があるようだ。精神を興奮状態にさせたり、逆に落ち着かせたり、どっちが正しいのかわからないが、どっちにしてもその作用は茶葉を食べるのとさほど変わらないように思う。だから麻薬の多くが厳しく法律で禁止されているエチオピアでもこのチャットは禁止されていない。
それにしてもコーヒーといい、チャットといい、エチオピアは人が集まる口実を付けるのには事欠かない。チャットをクチャクチャしながらチャッティング。チャットは英語のchatから来ているに違いない。
今日は昨日に続き、なだらかなる丘陵地帯で道路の隣には牧草がはっとするような緑の大地を広げている。風も穏やかで気持ちが良かった。Ziwayズィワイの町はあまりの心地よさに、気持ちが乗ってそのままサーッと過ぎようと思っていたが、一瞬左目に好物のサンブーサ(インドの影響を受けたアフリカ各地で見られる春巻きの皮の包み揚料理で、挽き肉や豆類が包まれている)が目に入った。急ブレーキ。店の脇のベンチでのほほんとひなたぼっこしていたおばちゃんが「welcome」と言って迎えてくれた。10birr で買えるだけ貰おうと思って、10birrを差し出して「くださいな」と言うと、手に持っていた2birrをさらに奪われ4つも食べることになってしまった。こういうちょっとした認識の違いも面白い。アフリカは持ってる(またはそこにある)お金すべてが使える、または使うべきお金なのだ。別の例を上げると、値段の交渉の際にしばしば聞かれるのは「いくら持っている?」で「いくらなら払える」ではないのも面白い。後の為に取り残しておくという考えには遠い。これに関する事は以前ジンバブエ辺りを走っていた頃の記事「チューブをくれのその心」にも書いたような気がする。
流石に大きな揚げ物を4つも食べるとウップシとなって、ふと辺りを見回すと、いましたよ、チャッティングメーン。6人くらいがコの字形に日陰に配置された椅子に座ってクチャクチャ、クチャクチャ。このチャット、水とシュガーと呼ばれるピーナッツと共に嗜まれる事が多い。私はチャットだけ食うのはまだキツイのでピーナッツと一緒に頂く。これはチャットの苦味によりピーナッツの甘みとコクが引き立つので意外といける。多少繊維が残るのが嫌ではあるが。
このグループは一人年配の男性と仕事のなさそうな若者数人だった。こうやって地域の他世代間がより集まれるシステムは興味深い。
彼らの話ではエチオピアはもうすぐ新年を迎えるという。だから皆緩やかな時間を過ごしているそうだ。そして道中よく目にした鶏(ドロと呼ばれる)を持って行き来していた人々は年末のご馳走の準備をしていたのだ。南アでは鶏が一番手頃で安い肉だったが、ウガンダ辺りで鶏が牛や山羊を飛び越えて高級肉になった。そういうわけで私もウガンダ以降鶏を食べていない。田舎の食堂でも普段あまり出ていないようだ。しかし年末、ご馳走の準備に勤しむ人々はどこか楽しげだ。言うまでもなくエチオピアで私が出会う人は私というチャイナ様の不思議な生き物を見てテンションが上がっているので、みな普段よりも楽しげなのかもしれないが、エチオピアは基本が陽気で楽しげなようにみえる。

2014年8月22日金曜日

0822 雨宿り

さだまさしの「雨やどり」はちょっとした日常を風船のように膨らませて幸せを描いた傑作だと思う。何よりも靴下の穴だとか日常の隅っこに隠れている「可笑し可愛さ」をうまく拾っているのがいい。
エチオピアは雨期だ。なんか通る国通る国が雨期じゃないか、と感じるのは「自分が恵まれていない」バイアスのせいだろうか。しかし幸運な事にエチオピアではいつも走り終えた頃に雨はやって来る。今日は早めにアワサHawassaに着いた。昼飯食べて(4種のフルーツジュースが層状に重なったジュースは掘り出しものだった)宿について水浴びて洗濯して(今日の宿は洗濯サービスがついていた)、銀行でドルをビルに替えて、街に繰り出した。
黒い雨雲とそれに伴う突風が砂とゴミを舞い上がらせて街は賑やかだった。ただでさえ「China!」「ユーユーユーユー!」で私にとっては賑やかなのに、こうなるともうカオスに放り込まれた気分だ。
街角でインジェラの上に茹でじゃがいもを載せている女性の姿が目に入った。自転車を漕いでいるときは殆ど常時、ハングリーモードなので、さっき食ったじゃありませんか、お爺さんというくらいに腹の記憶は悪い。ついさっき食ったばかりなのに、もう次の獲物を探している。
女性が手に持ったジャガ芋をスプーンを使って器用に皮剥く様は私の何かを刺激してしまった。でも店構えがテーブル一つに椅子一つだったので、あれ、これは店ではなくて女性が自分のご飯を用意しているだけなのかなと思った。言葉が通じないので、これが店なのかどうかも判然としない。もし店ではなく女性のプライベートな空間で、それが彼女のご飯だった場合、私はどうしようもない食い意地の張った浮浪人だ。人の飯をくれと言ってるんだから。なんとかジェスチャーでやり取りしていたら、私がどうしようもない食い意地の張った浮浪人ではないことがわかった。よかった。
今日の空模様のようなグレーのインジェラの上のヒヨコみたいに小さくて黄色いジャガイモ。その上にお尻が痛くなりそうなベルベレが載せられた。ベルベレとはエチオピアの七味唐辛子みたいなもので、十数種類ものスパイスを混ぜた赤い粉だ。市場に行くと女性たちが家庭の味を並べて賑わっている。このベルベレは各家庭で混ぜるものが違う、謂わば母から娘へ受け継がれる家庭の味なのだ。そしてこのベルベレを使ってカレーのようなシュロ(豆の粉でとろみが付いている)、ワット(辛いシチュー)、アイバ(フレッシュチーズ)にも混ぜたりその他そのままベルベレと呼ばれるコチュヂャンや辣油みたいなものに使われる。後で出てくるヨーグルトにもかけて使われる。とにかくいろんな料理に関わっており、エチオピア料理には欠かせない材料だ。
そのインジェラの上のジャガイモを頬張り始めたと同時に雨が降ってきた。露店の女性が別の店の張り出した屋根のあるスペースに案内してくれた。それにしても彼女のベルベレは辛いぞ。なかなか情熱的な家庭に違いない。女性は小雨の間はしばらく外でジャガイモを剥いていたが、雨が大粒になり激しくなると彼女も軒下にジャガイモのたらいを抱えて逃げてきた。屋根はところどころめくれてしまっているため、激しい雨は入ってくる。更に強くなったところで私は店に逃げ込んで、この店の名物のヨーグルトを貰った。カウンターの棚にはグラスに入った牛乳が30個ほど律儀に並んで発酵中だ。冷蔵庫には今食べる分のヨーグルトが入ったグラスがこれまた礼儀正しくズラリとスタンバイしている。既に椅子に座って食べている年配の夫婦が「フレッシュで美味しいわよ」と促してくる。ピッタリとくっついて座る夫婦はヨーグルトを食べながら楽しそうに話していた。
ひとグラス5ビル(25円)。手頃な値段が嬉しい。少し雑味はあるが程よい酸味でサッパリしている。さっきのジャガイモのベルベレで舌が熱かったので冷えたヨーグルトが心地よい。ヨーグルトの表面には脂肪分の層があり、それがクリーミーで旨い。ベルベレを振りかけて食べてみる。ヨーグルトに七味はかけないが、なんとなくそんなのもありのような気がする。
先の女性は雨が強くなって軒下に吹き込んでもじっと堪えている。店の中には入ろうとしない。店の主人とは知り合いなのだろうが、それに甘んじようとはしない。おそらく彼女は固定した店を持っていないので、裕福な方ではない。着ている服も地味だ。しかし彼女の佇まいには凛としたものを感じるし、着ている服には清潔感がある。雨が繁くなるのをじっと見つめる彼女は美しかった。
雨やどりは人の出逢いのちょっとしたオアシス。アムハラ語を使えたら私はもっと雨やどりを楽しめたに違いない。
日本に帰ってから雨やどりするか。きっと日本で雨やどりしても一人ぼっちになりそうだが。誰か一緒に雨やどり、しませんか?

2014年8月21日木曜日

0821 救う時代は終わった、次は、、、

今日は快晴なり。日に焼けた肌がますます日に焼ける。
相変わらず上り下りが多いうえ、子どもたちの「ユーユーユーユー!」が鬱陶しい。ただ挨拶したくて寄ってくるのであれば可愛い。しかし「お金」「キャラメル」「ペン」「ボール」なんかのモノへの期待がこどもたちの表情の何処かに潜んでいる。いや、通り過ぎた時には表情にへばりついていられなくなって「Give me !」となって出てくるから正直しんどい。エチオピアの子供のパワーは他国の比ではない。どうしてこんなにしつこいのかというくらいに「ユーユーユーユー!」をしながら追ってくる。そもそも数が多すぎる!
石は投げるは、ボール投げるわ、食いかけのサトウキビ投げるはで、全く御クソガキヤローだ。近くで見ている大人もあまり関与しない。もしかしたらけしかけている?
でもふと思ってみる。子供は本来これくらいがいいのかもしれない。日本では最近クソガキー!と叫んで追ってくる雷親父がいないと聞くが、そもそも雷を落としたくなうような御クソガキ様が不在ではないだろうか。その代わりに同級生を陰湿にイジメてしまうような子供が増えているというではないか。雷が落ちる避雷針が見当たらないのだ。そうこう雷の落ちどころを探している内にとても大きな問題になっている。現代の日本の風景に足りないのはクソガキ!と公然と呼べる子供達じゃないだろうか。どこへ行った日本のクソガキ、戻ってこい。寂しいぞ。
そんなふうに考えたら私は御クソガキ様が非常に可愛く見えてきて、気がつけば彼らが「You! Pen!」と言えばペンを差し出し、 「You! Many(何がいっぱい欲しいのかずっと分からなかったが、今日ようやくManyじゃなくてMoneyであることに気づいた)!」と乞われればお金を差し出し、「Ball!」と聞けばボールを差し出し、随分羽振りが良くなったものである。なんだあげられる人間になればこんなに心地良いことはない。お金をあげれば子供の明るい顔は愈々明るくなり、ペンをあげれば子供は勉強できるようになる、と自分自身も良いことしたと満足でき、ボール一つをあげてみんなで楽しくサッカーを楽しんでいる子供らが夢に出てきて。。。なんだ彼らを喜ばすのなんて簡単じゃないか。モノをあげればいい。今までずっとあげることが出来ない立場にいたから色々悩んでいただけなのだ。何だ、世の中はなんてシンプルに出来ているんだろうか。彼らよりも金を持っているんだ、くれてやればいいんじゃないか。
白昼夢。
暑さで頭がおかしくなったか。子どもたちの際限ない「ユーユーユーユー!」でノイローゼになったか。
あげるのは簡単だ。先進国で稼いだお金で学校でも教会でも建てて道路を通してやれば人々は喜ぶ。先進国ではモノが簡単にゴミと化すから、言い方は悪いがそのゴミみたいなペンやカバンを送ってやればアフリカの人々はモノがタダで手に入り、先進国は人助けだと悦に入る。
我々にとってあげるのは簡単な行為で非常に短時間で完了する。でもそれが彼らの意識や価値観に与える影響は場合によってはその後何十年も引きずるだろう。
「支援」という言葉はあまりに無条件で歓迎されすぎている気がしてならない。先進国では物が余っているから、、、アフリカでは子どもたちが勉強できないからと支援名目でペンやノートが送られてくる。短期的な目で見たらどちらも嬉しい支援かもしれない。でもペンやノートが貰えると知れば親はただでさえきつい家計から、もらえるかも知れないノートやペンにお金は出さなくなるだろう。支援は永続的にできないし、するものでもない。長期的に見たら、私には彼らの自立を妨げているようにしか見えない。彼らに必要なのは限られたお金(資源)で必要なものに対する費用をどう捻出するかというアイデアやスキルであってモノでは無い。
それに事あるごに触れているのでしつこいと思われるかもしれないが、これも聞いてほしい。ODAなんかで道路や学校がボンって建つ(もちろん紆余曲折があって、関係者はいろいろ苦労しながら建てるわけではあるが)。これは「国」という、現代ではまだ重要さを失っていない結び付きを揺るがす恐れがある。何か足りないものがあった時に自分の国で解決しようと考えず、お金のある国に頼る。外国が助けてくれるから、政府は民衆の声に真剣にならず、あるお金をポケットにしまいこんでしまう。別の見方をすれば支援のお陰で国民の監視の目が甘くなる可能性がある。つまり民主主義の大原則の民衆の監視の目を育む妨げになるという事。
それにコミュニティにはコミュニティの事情がある。それらを一切無視して「はい、どーぞ」なんて支援したら、今まで培ってきた彼らの掟やルールが危うい。生態系に例えれば、外国がパワーショベルに任せて森林を切り開けば見通しは良くなるかもしれないが、バランスを持って成り立っていたエコシステムを壊す恐れがある。
身近な喩えを一つ。今日あったこと。
Dillaディラの街は今までのエチオピアでも一番大きい75,000人都市だ。都市は物がある分、人がいる分、田舎以上に闇を持つ。
道のわきに簡易喫茶が出ていた。仮住まいっぽいが、おそらく固定した店なのだろう。屋根はあるが壁はないので道路から丸見えだし、こちらから道路も丸見えだ。自転車を道路脇に停めて喫茶に入る。空間の隔たりが無いから入るというのも不思議な感じがするが。店内にはコーヒーセットがあり、魔女の宅急便のおソノおばさんみたいな元気のいいおばちゃんがバリスタだ。ここではコーヒーとジンジャーティーを供していた。ほんのり生姜の辛味を喉に心地よく受けながら、隣のおじさんに倣って通りを眺めていた。忙しくチビタクシー(三輪のタクシーで何て言うんだ、あれ、きっと名前があるぞ)が往来し、人も頻繁に行き来している。みすぼらしい格好の子供が私の自転車に付いている水ボトルを見ている。エチオピアはちょっと油断すると水ボトルを奪われるので要注意なのだ。ダメだあっちいけと追い払う。次は子供を背に負うた女がやって来て私の視線を捕まえようと自転車の脇に立つ。チラッと見て目を逸らしていたら、店の中に入ってきてお金をくれのジェスチャーをしてきた。しかしすぐにおソノおばさんに追い出されていた。他の客も何かを言って追い払っている。何を言っていたのかは分からない、しかしそこにいた6人の客のうち、一人として彼女にお金を与えたものはいなかった。もちろん例外(特に障害を持っている人)はあるが、お金を求めてくる人はファランジ(ムズング)の匂いに誘われてやってくる。ファアランジは甘い。物理的にも甘いんじゃないか、本当にもう。彼らは自分の国の人には求めない。何故か?ファランジはちょっとボロを身に纏っているだけ(ヘタしたら彼らにとっては普通の服)で同情を買えるからだ。自分の国の人は自分の状況にもっと近いところにおり、ちょっとやそっとじゃ同情に流されない。しかも同じ場所に住んでいるとなれば、その人が真面目なのにいつも苦労しているのか、そうでないのか分かり、お金を施すかどうかシビアな検査が入る。状況を知られている分手強いというわけだ。彼らには彼らのルールがある。そのルールも把握しないで手を差し伸べるのは調和を持って成り立ってる森を破壊することに等しいシステムの崩壊を招く。
なにが今のアフリカに必要なのか。飢餓や紛争、病気の蔓延で緊急の支援が必要なところはまだあるのだろうが、何でもかんでも無条件で与えてきてしまったのが現在のアフリカを作っている。もう「救う」付き合いは止めて、良きパートナー、良きライバルとして「付き合う」姿勢を常に保っていくべきだ。

0821 食堂の女の子

地図にもない小さな町だったが宿はなんとか見つけられた。エチオピアでは宿はPensionと表記されていることが多い。Hotelの場合もあるがただのレストランである事もあるので紛らわしい。
私はアムハラ語を話せないのでPensionを連呼していろんな人に聞いて回る。ちょっと間違えば変なオジサンだ。エチオピアで気を付ける必要があるのは、俺が案内してあげる、と言って寄ってくるハンミョウ男だ。まぁ、道案内されてチップを払うような成熟した心得を持ち合わせている余裕ある旅人なら何ら問題は無いが、そもそも道が一本のところなので、指差して貰えばこと済むものをわざわざ着いてきて「はい、チップちょうだい」と言うのに耐えられない狭小貧乏旅行者には少々鬱陶しい。しかもだいたいそういう奴が案内するのは貧乏旅行者の要求に答えるようなものではなく、満足したことがない。自分の足と感覚を頼りに良心的な人々の助けを借りて見つけたほうが圧倒的に良い物が得られる。でも難しいのは本当に困っている外国人を助けたいと思って近づいてくる人も排除しかねない事だ。こればかりは経験で見分けるしかない。
今日は珍しく宿探し時にハンミョウ男に付け回されなかった。
宿はまだ新しく綺麗だった。相変わらずドアの建付けは悪いけど。宿のオーナーなのか、管理人なのか分からなかったが、物静かなおばちゃんが管理していた。やって来る知人に丁寧に挨拶し、ハグして喜ぶ彼女は一瞬一瞬を大事に生きていうように見えた。そして娘らしい10歳になるかならぬかという少女が敷地をフラフラしていた。そもそも私がアムハラ語を話せないので、おばちゃんは最初ですでに言葉を使うことを諦めたようだった。困ったファランジですねぇ、、、といった素振りも見せずに。慣れたもので一見冷たく見える無言のジェスチャーで的確に宿のことを説明してくれた。
ドアを開けて荷解きしていたら興味津々の少女が覗いていた。何だーい?と尋ねるとフニャッと照れ笑いして何処かへ行ってしまった。
夕飯に近くのレストランに出かけた。店内には中学生、高校生くらいの女の子が3人。と子猫一匹。コーヒセットの前には物静かな少女が座っている。彼女がバリスタだ。はじめにニッキのような味の甘い紅茶を頂いた。
千切れた焼そばが散らばったようなアムハラ文字一色のメニューに苦戦しているファランジを哀れに思った快活な一番年少の女の子が、一生懸命知っている英単語を駆使してメニューを説明してくれた。学校で英語を習っているという。自分が中学生くらいの時は英語をしゃべる人がいたら避けていたに違いない。しかしいま目の前にいる女の子はエチオピアの言葉を理解し得ない怪しいオジサンに物怖じするどころか積極的にコミュニケーションを取ろうとしてくれている。これは最高のホスピタリティだと思う。こうやって私もホスピタリティを日々学んでいる。お陰で野菜がたっぷり載った美味しいインジェラを食べることができた。そして店の大ママも出てきて私が食べるのを皆で見守っていた。美味い顔して食うのは私の得意とするところ。いや心の底から美味いと思うのが得意なのだ。今日もおいしい料理を食べられる事に感謝して、ありがとう。
帰るときは女の子達が手を引いて宿まで連れて行ってくれた。町はあまり灯りがない上、穴だらけで危ないのだ。アフリカはどこでも男でも女でも手を繋いでくる。ちょっと照れながらもなんだかその柔らかな手に引かれ宿まで戻った。
日本で中学生くらいの女の子と手を繋いだらアウトかもしれない。エチオピア人でもそうかな。これは外国人特権ってやつかもね。

2014年8月20日水曜日

0820 蜘蛛は見ていた

宿に辿り着いた時には雨が降っていた。赤道に近いとはいえ、標高が2,000mを越えると雨が降ればそれは氷雨だ。ギリギリでその氷雨にモロに打たれずに済んだのは、坂に続く坂を一生懸命漕いだおかげだろう。
宿の若い男性はオーナーだろうか。片言の英語で「英語はダメ、アムハラ語だけ」と言った。エチオピアに入って少々不便を感じるのはやはり言語だ。今までの国では初等教育から英語を使っている所がほとんどだったので、なんだかんだ言っても結構通じた。しかしエチオピアでは英語は日本語並みに通じない。日本語使って感情込めて言ったほうが通じたりして。でもその通じないことがとても新鮮で、面白い。食堂に入ってメニューを見ても料理名の文字数しかカウントできない。文字数と値段でそれがどんな料理か想像するのもなかなか面白いが、いつもなんとなくジェスチャーと妥協でなんとかなってしまう。
宿の若い男性と会話にならぬ会話をしていたら、別の男性がやってきた。放送局で働いている彼は英語が通じた。二人で話していたら若い男3人に囲まれた。英語が使えなくてもこうやって物怖じせずに入ってくる姿勢は見習わないとな、と思う。
宿の若い男性が水浴び場に案内してくれ、近くの釣瓶式の井戸から水を汲んで用意してくれた。既に6時を過ぎていたので服を脱いだだけで肌寒い。水浴び場は木を組んで囲っただけ。蜘蛛が組まれた木と木の間に美しいまでの住まいを作っちゃったりして、呑気にやっている。水に触れるのも躊躇われる程だが、汗で吹いた塩がベトつききもちわるいので、水浴びしないという選択肢は人としてどうか。こんな時だけ蜘蛛が羨ましい、一日中温かそうな巣の中で獲物を待っているだけなんだから。いや、私は人間だ。思い出すのだ。水浴びの後のあの温もりある幸福を。
水を浴びている時の不快さを取り消せるだけの心地よさがあるからこそ、人は寒い中でも水を浴びる。足し引きして結果的にプラスになればいいのだ。蜘蛛よ、君もそんなところに糸なんて張ってないで、足し引きしたまえよ。いや、蜘蛛も足し引きしてた結果、こんなところに巣を張っているのだろう。世の中みんな足し引き。全く世知辛い世の中だよ。

0820 ゴルァ!

エチオピアを自転車で走っていると石を投げられるというが、まだその現象には出会っていなかった。ケニア北部ではやられたが。
エチオピアは子供が、、、御クソ餓鬼様だ。大人と子供の境界がどこにあるか見当もつかないが、ある時からちゃんとしたエチオピア人になるようだ。
エチオピアは子供の数が他国に比べて多いと思うのは気のせいだろうか。子供がいない100mは存在しない。また100mくらい離れたところから道路めがけてぶっ飛んでやってくるのは正直怖い。どうしてそんなに君たちのセンサーは鋭敏なんだ。
自転車で走っていると、沿道に走り寄って来た子供らの
「ユーユーユーユー!」に始まり、
「ファランジ!」コール。
このユーは英語のYouなのか?
一人の「ユーユーユーユー!」が他を喚起し別の「ユーユーユーユー!」が発っせられる。いつも最初の「ユーユーユーユー!」が聞こえると思う。
「あぁ、アラームを鳴らしてしまった」
一度鳴ったらそのアラームの区間を通り過ぎるまで鳴り続ける。区間がどこで切れるかって?
だから問題なのだ。ほとんど切れない。もの凄いストレス。旅の途中で出会った先人がイヤホン嵌めて音楽を聴いていた、そうじゃないとあそこは越えられない、と言っていた意味がわかった。
「ユーユーユーユー!」「ファランジ!」だけであればまだいい。
「Give me sth!」がほとんどの場合付いてくるのには精神が擦り切れる。
そしてそういう中で少し気持ちがささくれていたんだと思う。6人ほどの子供が例の如く沿道で「金くれ」「ペンくれ」「洋服くれ」だの戯言を抜かしていたので、手で追い払う仕草をして通り過ぎた。すると彼らのうちの一人が私に向かってボールを投げ付けた。自転車にあたったが別にどうってことはなかったので、無視して通り過ぎても良かったのだが。一発ガツンとやってみようということで、自転車を止めて振り返り、ゴルァ!。すると子供たちがビクリと止まり、二人が脱兎のごとく逃げた。「おいっ、誰だ?今投げたの、こっち来い!」と餓鬼に対し鬼の形相で睨んだ。すると残った子供らが逃げたやつを一斉に指さし、「連れてこい!」と言うと一人が駆けていった。仲間を庇って「知るか、バーカ、糞オヤジ」とでも言われると思ったのとは裏腹に子供達の意外な素直さに驚いた。やっぱり子供は子供なのだ。いや現金な奴らなだけか。
そして近くを歩いていた大人が子どもたちに注意をして済んだかと思って走り始めたら、子どもたちの親と思われる男性がやってきて謝ってきた。これには正直びっくり仰天。エチオピアのガキは無法地帯だが、大人社会はどこか安心できるものがある。
バイクに乗ったおっちゃんが変なファランジを気にかけてしばらく話しながら一緒に走っていた。そしてひとつの小さな町に着いた時に私は写真を撮るからと、止まった。それがまた大変なのだ。子供が「ユーユーユーユー!」と言って10秒もしないうちに10人くらいの御クソガキ様に囲まれた。町の写真を撮ろうとするとフレームにニコニコしながら入ってくる。手で「あっちいけ、どけどけ」と言うが、どだい無理な話で一番大きい10歳くらいの男の子はもう意地でも写真に収まってやろうとして、嫌がらせの如く腕を組んで5mくらい離れたところに立っている。先程のバイクのおっちゃんが石を投げて追い払うも「へっへーん、そんなん当たらないよー」と言った小賢しい笑いを見せている。最高の御クソガキ様でしょう?
目の前の子供が私のフロントバッグを指差してなにか言っている。私が弁当として後で食べようと楽しみにとっておいた茹でトウモロコシがなくなっていた。盗んだ奴は既に姿をくらましていた。ちょっとした油断があった。大事なものではなくてよかったと冷や汗が出た。エチオピアの御クソガキ様を侮っていた。

2014年8月18日月曜日

0818 エチオピアン・コーヒー

エチオピアが面白い。それは植民地化を免れて独自の文化が色濃く残っているからだと思う。
エチオピアは植民地時代地の利(不利?)と政治的な緩衝地帯であったために、イタリアの影響をある程度受けはしたが独立を守った。
公用語はアラビア語と同じくセム語族に属するアムハラ語で、今までのアフリカの言語であるバンツー諸語とは起源が異なる。よって私を呼ぶのも「ムズング!」ではなく「ファランジ!」で肉もNyamaではない。
食べ物もよりスパイスが効いた物が多く、イタリアの影響かパスタやトマトソースをよく見る。そして何よりトウモロコシ主体の主食が消えインジェラが主流になったことが大きい。インジェラはTefと呼ばれるエチオピア高原で育てられる穀物の粉を水で溶き、数日放置して発酵させて作るパンケーキで、見た目はちょっと汚れたおしぼりのようだ。クタッとした様子も使われた後のおしぼりみたいでなかなかリアルだ。色は茶ばんだ薄いグレーから濃いグレーまで。これが4,50cmはあろうかという銀の皿に広げられて、またはまさにおしぼりのようにクルクルっと丸められて乗っけられてくる。その上にカレーの様なスパイシーシチューであるワットやシロ、ガーリックとチリが効いたトマトソースが乗ってくる。今日食べたのはベジタリアンメニューでインジェラの上にケール煮炒め、キャベツ煮炒め、そら豆に味が似た豆を潰してウコンかサフランで黄色に色を付けたもの、サフランの炒飯、煮ジャガイモが輪を描いて並び、中心にトマトソースが鎮座していた。
そして色んなところでコーヒーをご馳走してもらう。おもてなしの文化。なんだか歓迎されているなあと感じる瞬間。今日も店でインジェラをむしゃむしゃ食べたらオマケしてくれた。ファランジ料金を取ろうとする人もいるけど、年配の男性は「どうだ、エチオピアは?楽しんでいるか?」と肩をたたいてくれる感じ。
コーヒー(ブナと呼ばれる)はエチオピアでは人が人と繋がるのにとても重要な役割を果たしている。あまり一人では飲まない。朝のおはよう一杯に始まり、昼なんかもカフェで老若男女が小さな茶碗に注がれた黒い液体を啜りながら歓談している。そして夕方もカフェがにぎわい、夜もやっぱりにぎわい。。。コーヒー天国だ。
今のところすべてのモテル、カフェにはコーヒーセレモニーのセットがあり、注文すると濃くて甘いコーヒーを供してくれる。30cm×40cm大の木製の四角いちゃぶ台にお猪口よりも一回り大きいくらいの小さな陶器茶碗が20個程並んでいる。その台や陶器茶碗には植物をモチーフにした模様が彫られたり描かれていたりする。動物モチーフじゃないのも今までのアフリカとは違う。それから炭の上でコーヒーを温めるポット。丸フラスコのような形の花瓶に注ぎ口と取っ手を付けた粘土づくりのポットである。それ自体は底が平らでないので置けないが、ボコボコの炭の上では却って安定する。床に置く際はそれを受けるものがあるのでそれの上に置く。コーヒーはその場で白い豆を焙煎する。そして機械やすりばちで挽いたものを直接湯に入れて抽出しているんじゃないだろうか。それだけ濃いし粉っぽさを感じることもある。が苦味や酸味は非常に少ない。
そしてエタンと呼ばれる樹脂(松脂みたいなもの)を火の点いた炭に載せて香を焚くのもコーヒーを供する際には大事なもののようだ。これは針葉樹林を思わせるような爽やかな香りを生み、線香も焚くことがありこれは甘い香りがする。道行く女性とすれ違うと(自転車に乗っていても!50m先の女性に気がつくこともある)みんなこれの香りがする。
詳しいことはまだ分からないが、カフェにいる人が「入れ替わって」いつも賑わっていることを期待したい。
そんなわくわくの毎日 in Ethiopia。

2014年8月15日金曜日

0815 何かが来る予感

雨がテントと叩く音で目が覚めた。ソロロSololo以降は緑も出てきており、既に砂漠から抜けていた。エチオピアへケニアから北上する道路はソロロ辺りで東に折れ、メガ山脈に沿って走っている。このメガ山脈がケニアとエチオピアを隔てており、空気を遮り気候を全く違うものにしている。おそらく山が雲を作り、今朝の雨を降らせたのだろう。一帯がアカシアの林になっており、低いのから高いのまでトゲトゲしているツンデレだから困ってしまう。テントを張っていた場所のアカシアは私が去ろうとすると「去らんでくれかし」と服を引っ張りおる。
雨季が近いのかもしれない。木々に緑が戻りつつあり、緑に先駆けて白い綿毛のようなアカシアの花が辺りいっぱいに香りを放っている。その眠る木々が葉よりも先に花をつけ、枯れ林をわっとにぎわす様は、ダンコウバイやマンサク、ウメでにぎわう日本の里山の春を思わせる。そのアカシアの叢生林を切り拓いて道を通しているので自転車での走りは最高に気持ちが良い。一息一息が新鮮なのだ。
モヤレ峠までは500mほど標高を上げなくてはならないのだが、一向に登りが始まらない。メガ山脈が急峻なためずーっと東に行き、緩めの尾根を巻いてのぼりはじめるのだ。しかし緩い上り。ダチョウクラブが今日も結成されたようで、二羽が道路を横切ったり並走したりパニックぶりが冴え渡っていた。オシリのフサフサが走ると上下に揺れて、小学生の頃運動会で作らされたすずらんテープボンボンのようで可愛い。今の小学生もサキサキしてるのかしら。
途中道路工事の調査隊が迷彩服で武装した警備員を伴って測量していた。高価な機材を持っているためか、警護が厚い。道路は予定ではあと三年かかるそうだ。舗装されたらおそらくアフリカの中でもかなり気持ちの良いコースになるんじゃないだろうか。
モヤレの郊外か?と思ったのはフェイクでここから急登。ギヤ最軽でもひぃふぅみぃむぅ、ぜぇはぁもぇめぇ。この辺りは高い木も出てきて緑が濃くなった。その木陰でおっさんグループが私を見つけて「China!China! Bring water!」と抜かすのに「なんだてめぇら、水を持ってこいって、日陰にしゃがんで随分上から目線じゃねえか。そんな奴に誰がこの聖水をやるかってんだぃ。これはなぁ、100㎞離れた中国人が掘った井戸で汲んだ天然のポカリスエットなんだぞ。それにチャイナは人じゃねぇ、国だ!覚えとけ、おっさん共!」と横目で睨みつけて、ゼェハァ、ゼェハァ。呼吸が乱れているので心の声も乱れてしまっているのは許して欲しい。
そうしてたどり着いたモヤレではさっきのオッサンたちのように「China!」と呼ばれて迎えられた。もういちいち修正しない。きりない。
国境越えの前にケニア最後の晩餐に食堂を探していたら、バスの兄ちゃんが教えてくれた。行こうとすると、若い男が俺が教えてやると道を先導し始めた。でた、此のタイプ。案内と称して、俺はガイドで何でも知っていると言ってチップを要求する奴。自分で行けるから君はいらん、と言う私の言葉を遮る彼。好きにさせた。まぁ、俺は払わんよ。頼んでないからね。彼が先をゆく食堂の隣にわざわざ入る。敢えて君の世話は受けん、という意思表示。食堂でも先立って注文を聞こうとしているので、それを遮って注文。諦めたように彼は食堂の外に出た。が待機している。構うもんか。ふん。
冷え冷えのファンタはここまで砂漠と未舗装を越えてきたご褒美。あ、途中でもいくつかご褒美あったけどね。あぁ超新星爆発級の旨さだ。オリオン座のベテルギウスに先立って爆発してしまったよ、もう。
それに料理もボリューム満点で大満足。雑巾みたいな牛の腸とその打診でとったスープと、ケール炒め、じゃがいもトマト煮込み、ご飯。なんか給食の献立みたいじゃないか!
食べ終わって外に出ると、さっきの奴がチップをくれと言ってくる。私もあげれば事はすんなり済むのに、一度あげないと決めたら意地でもあげない。強情でケチだ。何が嫌だって、彼らの考えが嫌いだ。ムズングを見つければ、どうせ金を持っているんだから吹っかければいいと考え、寄って集って金をせびる。そっちがその気ならこっちも固くなるからな、という心持ちだよ、まったく。イスィオロを過ぎたあたりからだ。そういう輩が増えてきたのは。それまではあまり気を張って固くなる必要はなかった。攻撃的な奴がいなかったから。
途中で出会った旅人はエチオピア辺りはあまりにも鬱陶しかったから英語を話せないふりをした。と言っていたのも何となく気持ちはわかる。今週砂漠で出会ったオランダ人自転車乗りも同じ手で乗り越えていた。
でもなんだかね、こういう場所の方がワクワクするのもまた事実。何かが起こりそうな予感。なにか来るぞ、ってね。あ、誤解の無いように。信頼できる方もたくさんいる。特に年配の男性、女性ほとんどは信頼するに足る人ばかり。年配の男性で白髪になった生え際やヒゲをオレンジに染めてるのは何だろう。ファッションかな?
さて越境。相変わらず入管事務所が不明瞭だ。迷彩服の女性が座っている。挨拶すると「私は警備員。事務員はお昼からまだ帰ってきてないわよ」という。二時に帰ってくるそうだが既に二時は過ぎている。しょうがないので壁の掲示板に目を通していると、24年間自転車で旅をしているドイツ人の記事が貼らていた。
◯◯は毎日尿を飲んでいた!
とのキャッチーな見出しが踊る。本文中もその箇所に赤線が引かれていた。確かに飲尿はショッキングだ。24年間の自転車旅をはるかに凌ぐ程のショックをケニア人に与えた彼は今どこを走っているのだろう。彼は言う。規則正しく生活するには毎日飲尿しなきゃ。流石だ。しかしそんな飲尿哲学者の彼も独身走っていて無性に寂しくなることがあるようだ。
そこへ事務員登場。なんなり出国スタンプを押してもらえた。残りの記事を読んでいたら事務員が「あ、エチオピアVISA確認するの忘れた、持ってるよね、君?」だって。そんなのほほーんとした昼下がりのけだるい事務所。
エチオピア側の事務所までの200mくらいの区間にも「China!」 「China!」 「Chinaー!」 来ましたよ。こりゃ面白くなりそうだよ、エチオピア。私も本気で行かないと失礼だな。よしっ。
事務所に行く前に道端でマスクをした怪しい白衣の、木陰に座ったおっちゃんに呼び止められた。パスポートを見せよ。と言う。「え、ここが事務所?」と聞くと「エボラがなんたらかんたら」と言う。ああ、検疫所か。パスポートを見せ、いくつか質問に答える。黄熱病の予防接種証明も要求された。ウガンダを通ってきたことに妙に引っ掛かっているおっちゃん。ん?ウガンダではまだ出ていないだろう、エボラ。リストを確認して頭痛はあるか?と言う。ない。それだけ。ぽい、と打ち捨てられた黄熱病の予防接種証明書が風に飛ばされそうだよー!なんだかこの緩い感じ。全然切迫感ないね、東側は。
渡された紙にはアムハラ文字でクニャクニャと何か書かれているがわからない。とにかくこれで事務所に行けばいいのだという。
事務所では事務員同士が言い争い中で、入っていったら「ちょっと待ってろぃ」と言われて外のベンチで待ちぼうけ。隣のベンチには白ひげに白いイスラム帽子でハンバーガーされたおじいちゃんが一人。午後の穏やかな一時。事務室からは怒声が聞こえてくる。チーン。
30分くらい待ってようやく中に入れてもらえた。手続きに入る、がまだ言い争いは燻っているようで、その言い合いの度にいちいち作業が切られる。まぁ今日はもう走らないでモヤレ泊りだからいいよ、ゆっくりでも。でも入国はさせてね。最近はどこの入国でも全指の指紋を取られる。右手四本指、右親指。そして同じく左手。さらにカタツムリの目みたいなやつで顔写真も撮られる。それが終わると私のパスポートが宙を飛んだ。おっちゃんからおっちゃんへAIR MAIL。もう一人のおっちゃんは入国者名簿を作っているようで「ヨシュケ?ヨウシュク?」と首を捻っている。こんな感じの手続きに、着ている服は小学校の先生みたい感じ。パソコンの絡まったタコ足配線。机は曲がって、、、もうね、なんかこの緩さに脱帽だ。それだけこのモヤレの国境が落ち着いているということだろう。
そしてめでたくエチオピア入国。このビザはパスポート君が日本へ出張して取ってきた、非常に手間のかかったものだけに喜びもひとしお。
宿に入って3日ぶりのシャワー。砂漠の砂埃で服も体もまっ茶色。汚れが落ちていくカ・イ・カ・ン。
それから楽しみにしていたエチオピア名物のインジェラ。いつもアンジェラ・アキのメガネが甘くていいなぁ、って思うんだけどもインジェラの仄かな酸っぱさも負けずに良かった。インジェラだけだと酸っぱい蒸しパンってだけであまり好ましくないけど、今日食べたのはツナ缶トマト煮込みが付け合せで、ニンニクとチリが効いたそれがインジェラの酸味と非常にマッチしていて美味かった。しばらくこいつにお世話になると思うと、よろしく頼むよ、ってね。