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Africa!

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2014年9月15日月曜日

0915 最後の晩餐

勝手な思い込みとエチオピア人のアドバイスにより、アイケルAykelからスーダンまではもう下るだけかと思ったら、そんなことはない。まだまだ丘が待ち受けていた。
昨日は食ったものが悪かったようで、夕方から朝までずっと体調悪くて起きたり眠ったりを繰り返してベッドに潜っていた。久々にナンキンムシ・フリーで心地よかったのも、ある。朝早くに目が覚めると気分は良くなり、熱も引いて出発。朝の空気が透明で清々しかった。
谷が深く切れ込んだところを下る、下る。蛇行しながら下る。タイヤのリムを替えてからブレーキがガクガク言うので(エチオピアで買ったいわゆる安物なので繋ぎ目が膨らんでいるため)あまり過激に下りたくないのだが、恐らくこれが最後。自転車に無理言って下った。
あぁ子供達の催促がなければなんと美しい場所なんだろう。黄色い菊が、丘に生した緑を処々に塗り替えて愈々明るい。立体的な大地のそこかしこに黒や茶、白、またはそれらの斑模様の牛たちが、のどかに草を食んでいる。しかし気をつけよ!おクソガキ様は常にこののどかな牛一行の近辺にいることを!のどかだなぁなんて眺めていると、牛の群れの陰からファランジの匂いを嗅ぎつけておクソガキ様が跳びだす。面白いのは農耕タイプよりこの牧童タイプのおクソガキ様の方がスティッキー(粘着質と書くとあまりに負のイメージが強いので)でアグレッシブだということだ。この牧童タイプおクソガキ様、常に棒やムチを持っている。ムチの場合、威嚇のためか、楽しそうに得意げに地面を打ち、パンッとピストルみたいな音を鳴らす。正直、不快だ。それから彼らのトレードマークは半ズボンに裸足、またはいい具合に大地にカモフラージュするほど汚れた長靴だ。そこに寒い地域ではシーツほどに大きい布を纏っている。更に頭には茶色い王冠。今まで上り坂で私を付け回し、マネー攻撃を仕掛け、石を投げてきた奴はこの王冠を被っているものが多かった。だから今ではこの王冠を見ると体が臨戦態勢に入る。この王冠、先日までずっと何か牧童の位を示すものかと思っていたらなんのことは無い、ただ雨が降った時に被るポンチョであった。うまい具合に畳んで、持つのが面倒だから頭に頂いているだけである。雨が降ってる時にこいつらどこからポンチョ出してくるのかなぁと思っていたら、王冠、それであった。雨が降るとそれをすっぽり被り、じっとしている、と思いきやファランジ見るなり「マネー」だから本当にたくましい。
山岳地域は牧童タイプが多いので要注意だ。しかし下りはオジサン強いよ。マネーと叫んだ時には20mくらい先に行っている。君らのマネーがドップラー効果で大人びて聞こえるくらいだ。
随分下って大地が切れた岩山から緩やかな丘に変わった。空気も温く湿っぽい。腹の調子がまだ悪いせいか昼飯食ったあとはどうも気持ち悪くて、何度も吐きそうで涙を目にためていた。どこへでも吐いていいという安心感のみが私を支えてくれていた気がする。そんな最悪のコンディションに子供達のマネー!緩やかな上り下り。更に背後から迫る雷と雨雲。逃げているのに、オエ(追え)ッてのも滑稽な画ではないか。
西の空のみが明るい。そこへ向かってひたすら走る。すでに空気は温くじっとりして、さながら日本の夏だ。日本の皆様はこの蒸し暑さを乗り切って今頃は秋の長夜に虫の音か。秋刀魚が旨そうだのぅ。そう思うとペダルを踏む脚に力が戻った。道の両側を埋めるアカシアの灌木が道路にせり出して風に揺れ、ランナーを応援してくれている。空は常時飛行機のエンジン音の如き雷鳴が響いて私を急かす。
しばし休憩。考えてみたらエチオピアでは道端で休憩を殆どしなかった。何故か。一人になれる空間がなかったからだ。お、ここは人がいないぞ、一服するかな。と腰を据えるとどこぞで臭いを嗅ぎ取ったかおクソガキ様がやって来てマネー攻撃を仕掛ける。ゆっくり休む事が出来ないのだ。だから休憩は町はずれのブナベット(喫茶店)ですることが殆どだった。
それがここへ来て人口密度が減り、一人になれる空間が手に入ったことで可能になったのだ。雷様はまだ少し遠い。気温も高いので濡れるなら濡れてもいいか、という気持ちになってアスファルトに寝転んだ。日光で温められて温かい。鈍色の空に入道雲が立っている。おい、お前は青空に立つべきじゃないのか、と小さく批判しながら、風の音、雷鳴、風で揺れる木々のざわめきを聞いていた。
私は台風が来る前の雰囲気が好きだ。次第に風が強くなり、木々を煽ってゆっさゆっさ揺らし、林に刹那、海を作る。梢の動き、出す音が波のようだ。それを見る私は家の窓の内という安全な場所にいるから、雨で濡れ、風に冷やされ、不快な思いになることはない。そういう嵐の中にある安心感が私に小さな幸福をもたらす。
今はその私を守るべき囲いはない。そのため幸福感までは得られなかったが、久しぶりに自然に懐かれて休める事が嬉しかった。
今日の目的の町マガナンMagananに着いたのは五時近かった。結局雨にやられず宿に着いた。
宿を見つけて入ろうとすると快活な女性が声をかけてきた。宿の前の店兼オープン食堂の人らしい。おばちゃんと言うにはまだ早いような、でも雰囲気が頼りがいがあってなんとなくおばちゃんだからここはおばちゃんと書いてしまおう。早速宿の方へ案内して宿の受付でテキパキとテンポ良く部屋を取ってくれ、自分の食堂でのメニューもちゃっかり取っていった。こういう面倒見がよくサバサバした人に悪い人はいない。
早速シャワーを浴びてさっぱりした体で食堂へ行く。西の空だけが晴れていて山吹色の夕空を低い場所に見せていた。西からこちらに伸びる場所は厚い雲に覆われ、すでに納戸色の世界が広がっていた。店先にはブリキの七輪が置かれて炭に赤く火が入っている。その上では薄手のアルミやかんが置かれて、こーひの注文を待っていた。食堂のおばちゃんに挨拶すると、すでに注文してあったインジェラとトマトのサラダが用意されていた。エチオピアに入った日に食べたのもトマトソースとインジェラで、今日最後の夕飯に頼んだ野菜とインジェラがどういった因果かトマトのサラダ。エチオピアはイタリアの影響を受けており、各所にその名残が散見される。トマトとパスタが至る食堂で見られるのもそういう背景があるからだろう。ちなみにエチオピアでバイバイは「チャオ」だ。パスタに関しては他のアフリカと等しく、アル・デンテを無視した小麦粉の土左衛門であるが、ことトマト料理に関してはハズレがない。今日のトマトサラダも美味しくインジェラと合わせて食べることができた。
私が食べている間、おばちゃんは他の客の料理、ティブス(細切れのヤギ肉をニンニクやタマネギ、唐辛子で軽く煮たもの)を作っていた。側溝を挟んで道路に面した店の前に据えられた、ブリキの七輪の上で30分くらいかけて。これが150円。先日40分くらいかけて散髪した時に払ったのはやはり50円。エチオピアの労は安い。そういう労働の上に私はゆっくりじっくり旅ができている。そういうふうに安く働いている人がいることを心に留めて、安価、高価によらず労働そのものが尊いものである事を覚えておきたい。

2014年9月14日日曜日

0914 エチオピアにさようなら

もうすぐエチオピアも過ぎ去ろうとしている。振り返ってみれば一番言葉が通じず難儀したものだが、また一番エネルギッシュで忙しく、何よりも学び多き国であった気がする。相変わらず今日も子供達には「金ー」「バナナ」「ペン」とモノをせがまれ、マグソにたかるハエの如く執拗に追いかけられ、石つぶてや棒切れを投げつけられ、「ファッキュー!」と罵られ、それでも悪びれずに笑顔でファランジをおちょくって。
エチオピアの子供はひとまず脇においておいて、エチオピアの大人には大変温かく迎えてもらった事をまず書きたい。
言葉が通じずとも色んなところで手料理をご馳走してくれ、薄暗いブナベット(喫茶店)から手招きされて、甘ーいコーヒーや紅茶で体を温められ、アムハラだろうとオロモだろうと、とにかく関わろうと声を掛けてきてくれたのが、その星の数ほどの頻度から言えば煩わしくもあったが、ともすれば言語ができないので孤立しがちになる私を彼らの世界に引き留めてくれたことは何よりもありがたかった。またエチオピアは礼儀を重んじる人々でもある。興味深いのはお辞儀だ。エチオピアでは挨拶の時、アジアと同じように頭を下げてお辞儀する。だからすごく挨拶しやすかったし、なんだか親しみを持てた。道に座って何かを待っている人に、いやただ日がな座っていた人も多かったに違いないが、挨拶するとオシリをヒョイっと上げて中腰になって挨拶を返してくれる。田舎で年配の人に挨拶すればこちらが恐縮するくらい丁寧に立ち止まって手を差し伸べて返答してくれる。いかにも砕けた感じの若者も挨拶にははにかみながらも応じてくれる。礼には礼を持って尽くすエチオピアの文化を垣間見た気がする。
しかしだ、どうして子供はあんなに無礼なのだ。エチオピアの人間界にはある境界が存在しているにちがいない。だいたい15,6歳くらいだろうか。人ではない何者かから、人になる境がある。その辺りを境にまるで人格が変わったようにその態度が変わる。いくつかこれに対して仮説を立ててみた。一つは、本当にある境を機に人が変わるメタモルフォシス仮説。二つ目は、年齢が上がると無礼な態度の子供は地下に潜る、または社会的に消える淘汰仮説。そして最後に今の若い世代に蔓延してる一種の風潮のようなもので、世代特異的仮説と名付けよう。
どれも可能性があって短期間の滞在からは判然としないが、とにかく子供たち(絶対的な貧困からは抜け出している)に蔓延している「ファランジ=カネ」、挨拶するよりもカネ、という共通のイメージはいちファランジとしては薄気味悪いし、人として金を求める対象にしか見られていないのは悲しいし、極めて不快。何が彼らをそのようにしているのかいくつもの要因があろうが、今まで彼らと関わりのあったファランジが何でもかんでも無条件で与えすぎたことは一要因として外せないだろう。彼らは貧しいから、人の生きる権利を守る、と言って中途半端な支援をして彼らの人として大事な何かを、尊厳を奪ってしまったのではないか、と感じる。
ともあれどんな事があろうと、アフリカは世界の流れに容赦なしに食われていく(今の様子からはどうしても「組み込まれる」という表現は適切ではない気がする)。中国やインドを始めとするいろんな国々からの投資で翻弄されていくことだろう。その時に目先の金にうつつを抜かしていれば、いずれ大きな痛手を食う。本当に大事なものは何か、金か、それは先進国が間違えた道ではなかったか。彼らを見て自分自身も国へ帰ってからもう一度考えねばならないと思った。
おそらく今日明日でスーダン入りをする。また新たな発見と気付きがあるに違いない。大きな期待を胸に、いざ灼熱の国スーダンへ。寒さに震えたエチオピアから一気に標高を下げて乾燥と暑さの国へ行くのは少々体が心配。クマムシが羨ましい。

2014年9月7日日曜日

0907 腹立ち鎮める十七字

あぁ、道端におクソガキ様がやって来ては「まねー」やら「ぺん」やら叫ぶのが本当に鬱陶しい。子供を見たら98%来ると見て間違いない。ここまで日常的にやられると精神的に辛い。無視すればいいが、挨拶されて無視するのもなんだか気分が悪い。どちらをとっても気分の悪さは避けられ無い。ノイローゼになってしまう。どうしたらいいのだ。まだこの「マネー街道」を抜けるまでには一週間くらいある。精神が壊れる。いつも逃げ道を持っているずるい人間なので、この30年精神的に狂うことはなかったが、ここ数日は精神が危ない。追って物を取ったりいたずらしようとする子供があればドスの聞いた声で脅し散らせ、マネー!と手を出して迫ってくる子供あればその手を蹴り飛ばし、イシツブテを投ぐる者あれば停まって「ゴルァ!オンドリャ、クソガキ!」と叫び。実害があるからこっちも本気なのだ。先日は予備のメガネをバッグから盗まれた。カメラも手を伸ばして触るし、洗って走行中に乾かしている服も取ろうとする。もういや。君たち嫌い。道端で出会うヒヒの方がおとなしくて好き。かつての雷親父の気持ちがわかる。
そして今日夏目漱石の「草枕」を読んでいたら漱石さんからいいことを聞いた。
「腹が立ったところを十七字にする。十七字にする時には自分の腹立ちがすでに他人に変じている」
そうなのだ、人は二つのことをそう器用にできるものではない。詩的情景を作り上げるのに集中すれば、心は腹に宿ったままではいられない。
街道の 石を拾うや 物狂い
珍客や 石を投じて 呼び止めん
牧童の 牛追う暇に 白い人
ついでに短歌も。
五月雨の 幽かに見ゆるは 異邦人 
石見て投げるは 恋の始まり
貧しさに 石持て追うは 希望かな
くれるなら ずっとくれよ 白い人
永遠に くれると思った 学用品
貧しさは 他人が作る 夢の中
うむ、確かにこれは有効かもしれぬ。なんだ、彼らの石を投げてくる動きすら愛おしく思えてくるではないか。おクソガキ様を超越してしまったぞ。さらばおクソガキ様よ。君たちも可愛い。愛に飢えているだけなんじゃないか。
さぁ明日も雨の中、石を投げられ、金をせびられ、暴言を浴びせられ、それでも私は君らの間を走り抜けるから。17文字で遊びながら。かかってこいや。

2014年8月20日水曜日

0820 ゴルァ!

エチオピアを自転車で走っていると石を投げられるというが、まだその現象には出会っていなかった。ケニア北部ではやられたが。
エチオピアは子供が、、、御クソ餓鬼様だ。大人と子供の境界がどこにあるか見当もつかないが、ある時からちゃんとしたエチオピア人になるようだ。
エチオピアは子供の数が他国に比べて多いと思うのは気のせいだろうか。子供がいない100mは存在しない。また100mくらい離れたところから道路めがけてぶっ飛んでやってくるのは正直怖い。どうしてそんなに君たちのセンサーは鋭敏なんだ。
自転車で走っていると、沿道に走り寄って来た子供らの
「ユーユーユーユー!」に始まり、
「ファランジ!」コール。
このユーは英語のYouなのか?
一人の「ユーユーユーユー!」が他を喚起し別の「ユーユーユーユー!」が発っせられる。いつも最初の「ユーユーユーユー!」が聞こえると思う。
「あぁ、アラームを鳴らしてしまった」
一度鳴ったらそのアラームの区間を通り過ぎるまで鳴り続ける。区間がどこで切れるかって?
だから問題なのだ。ほとんど切れない。もの凄いストレス。旅の途中で出会った先人がイヤホン嵌めて音楽を聴いていた、そうじゃないとあそこは越えられない、と言っていた意味がわかった。
「ユーユーユーユー!」「ファランジ!」だけであればまだいい。
「Give me sth!」がほとんどの場合付いてくるのには精神が擦り切れる。
そしてそういう中で少し気持ちがささくれていたんだと思う。6人ほどの子供が例の如く沿道で「金くれ」「ペンくれ」「洋服くれ」だの戯言を抜かしていたので、手で追い払う仕草をして通り過ぎた。すると彼らのうちの一人が私に向かってボールを投げ付けた。自転車にあたったが別にどうってことはなかったので、無視して通り過ぎても良かったのだが。一発ガツンとやってみようということで、自転車を止めて振り返り、ゴルァ!。すると子供たちがビクリと止まり、二人が脱兎のごとく逃げた。「おいっ、誰だ?今投げたの、こっち来い!」と餓鬼に対し鬼の形相で睨んだ。すると残った子供らが逃げたやつを一斉に指さし、「連れてこい!」と言うと一人が駆けていった。仲間を庇って「知るか、バーカ、糞オヤジ」とでも言われると思ったのとは裏腹に子供達の意外な素直さに驚いた。やっぱり子供は子供なのだ。いや現金な奴らなだけか。
そして近くを歩いていた大人が子どもたちに注意をして済んだかと思って走り始めたら、子どもたちの親と思われる男性がやってきて謝ってきた。これには正直びっくり仰天。エチオピアのガキは無法地帯だが、大人社会はどこか安心できるものがある。
バイクに乗ったおっちゃんが変なファランジを気にかけてしばらく話しながら一緒に走っていた。そしてひとつの小さな町に着いた時に私は写真を撮るからと、止まった。それがまた大変なのだ。子供が「ユーユーユーユー!」と言って10秒もしないうちに10人くらいの御クソガキ様に囲まれた。町の写真を撮ろうとするとフレームにニコニコしながら入ってくる。手で「あっちいけ、どけどけ」と言うが、どだい無理な話で一番大きい10歳くらいの男の子はもう意地でも写真に収まってやろうとして、嫌がらせの如く腕を組んで5mくらい離れたところに立っている。先程のバイクのおっちゃんが石を投げて追い払うも「へっへーん、そんなん当たらないよー」と言った小賢しい笑いを見せている。最高の御クソガキ様でしょう?
目の前の子供が私のフロントバッグを指差してなにか言っている。私が弁当として後で食べようと楽しみにとっておいた茹でトウモロコシがなくなっていた。盗んだ奴は既に姿をくらましていた。ちょっとした油断があった。大事なものではなくてよかったと冷や汗が出た。エチオピアの御クソガキ様を侮っていた。

2014年2月16日日曜日

カボチャのスープ

上る


ゴム採集

お、強そうだな



ポウポウ売り






連日の雨であらゆるものが濡れに濡れ、乾きもせず、臭くなるばかりだ。今日も例にもれず朝から小雨がぱらつき、テントの中でぐずぐずしていた。キャンプ場のチェックアウトが9:30となっていたので、雨がやんでも洗濯したり湖を眺めたりゆったりしていた。

今日は北部地域の中心都市ムズズMzuzuまで行く予定でいた。そこに安宿があるので久しぶりにドミトリーに泊まってやろうともくろんでいた。ドミトリーに泊まるのなんていつ以来だろう。ケープタウン以来初めてではないか!(人に招かれて屋根のある場所には何度か泊めてもらっていたが)
距離は湖畔の村チンテチェChinthecheから80km弱。チンテチェの手前で泊まっていたので、ムズズまで90kmくらいだ。平坦なら楽に走れる距離だが、湖畔の標高400mくらいから1300mまでの登りがある。一日では少しきついかもしれない。

マラウィに入ってからどこにでも村があり人がいるので、テントを張る場所には困らなかった。いや、心配になったことはあるにせよ、人々の温かな厚意によって、旅始まって以来泊まる場所に困ったことはなかった。この日もあまりにも登りがきつければムズズまでのどこかにテント泊を挟めばいいかと考えていた。

アンパンマンに出てきたホラーマンみたいなキャンプ場の女主人に別れを告げ、湖畔から国道までのきつい坂を自転車を押して上がる。なんだかギアチェンジが調子悪くて軽いギヤに入れられない。リロングウェを出てから兆候が表れ始めたが、ムズズまではこのままで何とか頑張ってもらおうと思っていた。

国道に出てからはンカタ・ベイNkhata Bayまで緩い上りや下りが続き徐々に高度を上げていく。両脇はツルが絡まった木々が鬱蒼とした森を作っている。標高が高くなり少し涼しい気候になったためか、木材用の植樹林やゴム採集用の樹林が緩やかな丘に広がっている。製材所が丘の上に立っており、その前では子供らが凍らせたビニール詰めのジュースや茹でトウモロコシ、バナナなどを売っている。雨は出発時に止んだとはいえ、何時降りだしてもおかしくない重たそうな雲が空に張りついていた。

その子供たちからバナナとトウモロコシを買い、いつ降りだしてもおかしくない雨に腹を備えた。雨が降っている中で物を食べるほど萎えることはない。雨が降ったらこぎ続けて体温をあげるか、店があったら雨宿りするに限る。そうやって酸味のある小さいバナナとトウモロコシを頬張っていると、日本の高校一年生に当たる少年が話しかけてきた。彼は医者になりたいと夢を話してくれた。JICAのプログラムも知っていて、たくさん勉強して日本に留学したいと言っていた。勉強はあまり好きではなかった私だが「うむ、勉学に励みたまえ」なんて偉そうなことを言ってしまった。マラウィから日本へ留学できるのなんてほんの一握りの、超エリートだけなのだろうから、もうとびっきりの勉学に励めコールを送ってやった。いつの間にか雨が降り始めていた。火照った体が急速に冷めていく。何人かの売り子は彼らの家へ避難していったが、少年とバナナを売っていた子は雨に濡れながらも店番をしていた。この医者になりたいと言う少年には親がなく、叔父のところへ身を寄せている。学費を稼ぐためにジュースを凍らせたものを売っていると話してくれた。一日に多いときで200-400円を稼ぐという。ジュースじゃたかが知れている、せっかく製材所があってたくさん働いている人が来るのだから弁当でも売ったらどうだ?というが、これで稼ぎは十分なのだという。あまり欲がない。困ったものだ。弁当を昼時に集中して売れば、朝から夕方までジュース売りに身を費やさずに済み勉学に励めるではないか、と言いたかったが、仲間と売っていること自体が楽しそうでもあったのでそれ以上は言わなかった。雨が強くなってきたので、じゃあね、将来のお医者さん!と言って別れたら少し照れていた。アフリカに必要なものの一つはサクセスストーリーだと思う。努力が報われるというサクセスストーリー。今のアフリカは金持ちがもっと金持ちになる、または外部からやって来る中国人やインド人が成功するというストーリーばかりだ。アフリカンがサクセスストーリーを駆け上ることは難しいのが現状だ。この少年にも頑張ってほしいと思った。

雨の中を無心に走る。上りはいいが下りは少し寒い。それでも清浄な空気が胸に入り込んでくるのはとても気持ちがいい。いくつか小さい店が並ぶ村のような集落を過ぎて森を突っ切る。いつしか雨は止み、ンカタ・ベイとムズズの分岐に出た。ンカタ・ベイも見てみたい気もしたが観光地化されていると聞いていたので、今回はいいや、と行かずに左へ折れムズズへ道を取った。ここから急登が始まった。道も今までの国道とは違い継ぎはぎだらけで狭く、いかにも田舎といった風だ。道行く人は教会帰りだろう、女性は美しく着飾り、男性は黒いスーツで決めている。

そのわきを変なアジア人が自転車キコキコさせてるもんだから、みんなジロジロ、でも挨拶すると途端に顔がほころんで笑顔で答えてくれる。いやぁそれにしても坂が急だなぁ。ギヤも軽いのに入らないし、ますます調子が悪くなっている気がする。使えるギヤ比もシュコシュコ変な音が鳴り始めた。むむぅ、これはいよいよいかんなぁ、と紅の豚のポルコ・ロッソを気取って口に出してみる。途中パパイヤ屋があったのでよって、自転車の調子を見てみることにした。アフリカではパパイヤをポウポウ(Pawpaw)と呼んでいる。このポウポウ屋がまたノーんびりしているんだ。道端の露店にはたいてい店主とそれに付き添う(いや付き纏う?)男が何人かいることが多い。みんな仕事がないから店のある奴にタカっておこぼれを貰っていたり、おしゃべりの相手をしたりと、多種多様な輩が付属しているのだ。このポウポウ屋も何人かの男と子供達が集まっていた。まぁ、子供は店主と甥っ子たちだからいいとしよう。いや、おっさんたちもいいじゃないか。店主は早めに農業系の公共機関を退職し、今後はコミュニティに農業のトレーニングをするのだと夢を語ってくれた。大の日本車ファンでインターネットで注文したが、今期は支払いをできずお預けの状態だという。

ポウポウは南アで食べて以来久しぶりである。ポウポウってあまり個性のない果物なのであまり好きではなかったがこうして食べると意外とうまい。半分に割って中に入っているカエルの卵みたいな黒い種をほじくり除いてから食べる。何よりも安い。わらじサイズくらいで30円くらい。一個食べるともう腹いっぱい。

自転車の調子を見てみるが特に問題はない。あるとしたらスプロケット(ギヤの板の塊で後輪の軸に付いている鋼の巻きグソ、汚い表現しかできずにすみません)の歯が削れているくらいだ。念のために注油はするも音は消えたもの歯飛びは益々酷くなった。使えるギヤ比は数個だけ。これでは急登は押して登るしかあるまい。

何とかなるだろうと思ったがいよいよ深刻な事態になってしまった。ムズズまでも今日はたどり着けそうになくなった。まぁそれでも使えるギヤ比でコツコツ登っていればそれなりに進むもので、ムズズまで15kmのところまできた。標高も1300mを越えた。相変わらずいつ降りだしてもおかしくない雨雲が空を覆っていたが、一日中隠れていた太陽が高度を下げたために雲の下を明るく照らしている。しかし標高も高いため肌寒い。

あぁ、今日も終わりかぁ。というわけで寝床を探し始める。あまり人通りもないのでブッシュキャンプでもいいかな、と思ったが、雨季の潤いのおかげで勢いづいた草が茫々であまり良い場所が見つからない。一見家を見つけたが火が燻っているものの人は不在だったので諦めた。そんな調子で先へ進むとRose Fallという小さな看板がたてられた門が見えた。小奇麗な庭を持ち白く壁が塗られた家が林の中に見え隠れしている。径を進んで家に向かって挨拶すると、主人が出てきてくれた。静謐な中に厳しさを潜ませた表情に私はシャンっとなった。彼の話し方もとても優しく且威厳があり、全てを委ねてしまいたくなるような気になるものだった。後で知るのだが彼は南アのダーバンからマラウィへキリスト教の伝道と農業指導の目的で、家族とともに移り住んだという。彼の静謐でどこか神聖なものを感じさせるものはそういう使命からくるものであるらしかった。芝生のあるとても綺麗な庭だったので、さぞかし気持ちのいい睡眠がとれるだろうと期待したが、それ以上の待遇でもてなしてくれた。離れにあるゲストルームを私に空けてくれたのだ。ベッドもあり、雨が降っても濡れない心地よさを想像して雨と仲直りしたよ、もう。

母屋に案内されると台所では奥さんが料理をしていた。奥さんも口数は少ないが、とても穏やかな表情で私を迎えてくれた。そして庭で採れたカボチャで作った濃厚なスープとマーガリンが塗られたパンを用意してくれた。なんて美味しいんだー!と腹が鳴いた。汗と雨による濡れで冷えた体が一気に温められていく。旦那さんがしているように、パンで器にこびり付いたスープもすっかり払って綺麗に平らげた。そして彼らの二人の子供も紹介してくれた。柔らかな手が印象的だった。そういえばここのところずっとゴワッとした手としか握手していなかったのだ。子供の手であってもだ。

その後、家族皆がリビングに集まって映画を見るという話だったので、私も加えてもらった。白い壁にプロジェクターで映し出された。二人ずつ奥さん手作りのポップコーンが配られ、観賞開始だ。少し古いハリウッド映画で、意思を持った車に出会ったレーシングドライバーが成功していくという話だった。日曜日に毎週こうやって家族が集まって映画を一本見る。なんだかいいなぁ、と思った。映画が終わると皆が散り、私は薪で温められたお湯でシャワーを浴びた。久しぶりのお湯シャワー。

部屋に戻って地図とにらめっこしてから、ベッドに滑り込んだ。なんて心地の良い眠りなんだ。

朝目6時に目覚めると外は小雨が降っていた。既に主人は起きて、カッパをまとって今日の農業研修の準備をしていた。離れの裏には大豆畑が広がり、他にもショウガやニンニクなどのあまりここらでは見かけない作物が育てられていた。畑と住居の間には木苺が赤く色づき、鮮やかな花々が咲いている。朝ごはんも頂いてしまった。全く遠慮というものを私は忘れてしまったのだろうか。主人とともに朝ごはんをいただいた。食べる前に一緒にお祈りをした。奥さん手製のカップケーキに庭の木苺のジャムと、飼っているミツバチより頂戴した蜂蜜。ケーキに使われている卵も薪ボイラーの脇にある鶏小屋から朝採りたてのものを使っている。こういう生活っていいなぁ、と思う。食べる物に責任を持った生活。食べるものを大事にする生活。

ムズズにある信頼できる自転車好きを紹介してもらい、彼の家を出た。
























2014年2月15日土曜日

世界を耕す音

本当にマラウィの子供たちはよく「お金ちょうだい」「ペンちょうだい」「お菓子ちょうだい」と求めてくる。きっと英語の先生が「How are you?」を「Give me money」と間違えて教えているに違いない。
冗談はさておき、少し真剣に考えてみたい。
比較的満たされている、満足に食わされていると思われる子供が挨拶くらい軽い気持ちで言ってくるのはこっちも冗談で返したり、たいていは英語が通じないので変な顔で笑わせたり驚かせたりして遊べるのでいいのだが、こと本当に貧しいんだろうな、常にひもじい思いをしているんだろうなと見える子供に関しては、冗談など言っていられない。言われるたびに落ち込む。それが心に残って、ぼろぼろの服を着てあまり笑顔が見られない子供と向かっていると、いつ「マネー」という言葉を発せられるのかと何時もビクビクしている自分がいる。例えお金を求めてこなくても、本当はお金が欲しくて欲しくてたまらないんだろうな、と思ってしまう自分がいる。まるで彼らが発する「マネー」という単語が私の心に罪過の澱となって沈殿していくようだ。しばらく沈んだまま自転車をこいでいることもしばしばだ。

私は日本に生まれ、しっかり働き口のある親の元で育ち、多少改善点はあるにせよしっかりとした日本の教育を、大した苦労もなく与えられるがままに享受してきた。彼らはまともに教育を受けていない親の元に、たくさんの兄弟の一人として労働力として生まれた。親はまともに教育を受けていないので、教育の仕方がわからず、またその重要さも理解しておらず、子供も親と同じ境遇に陥っていく。いくら学びたくても親にお金がないから学校にも行けないし、お金があっても学校行くぐらいだったら働けと言われる。そもそも学校に行きたいと思わないのかもしれない。貧困の世代間連鎖。

世界は平らなどではない。山があれば谷もある。谷があるから山が存在できる。朝から晩まで汗水たらして働いているのにボロをまとって、何時も腹をすかしている人がいる一方で、パソコン上でクリック一つで彼らの一生分の1000倍も稼ぐ人がいる(勿論彼らだってそこに至るまでの努力はあるだろうが)。しょうがないことなんだけど、やっぱりそこに違和感を感じてうぃまう。絶対に世界は平等でもない。機会は平等にあるなんてこともアフリカでは断じて無い。だからせめて機会は平等に与えようと外部のものが手を添え、世界を少しでも平らにしようとする試みがあちこちに転がっている。努力する人間がいたら、それが少しでも多く実るように、その道を整えているのだ。

今日子供に言われたマネーに私はふと思った。もしかしたら彼らも、山と谷が際立っていく世界を耕して平らにしようとしている、小さな抵抗力なのかと思った。目の前に持てるものがいたら求めない手はない。いや、平らにしようとするなら求めねばならないのだ。
子供たちよもっと求めよ!君たちの手で世界を平らにせよ!だがそれでも私は君たちにお金を渡しはしないだろう。

2014年2月12日水曜日

GMS症候群の子供と孤児たち








雨が来る


GMSだけど明るいから救われる

孤児院の子供

首都からサリマへ向かう道沿いはGive me somethingのオンパレードだ。もうGMS Roadと名付けよう。大人も言ってくるので閉口するが、多くは子供で、言い方の潔さと明るさがあるのでいくらか気持ちは楽だ。それでも中にはしつこいのもいるので、じわじわと効いてくる。このGMSはハリーポッターに出てきた死喰い人(Death Eater)のような力を持つ。明るい気持ちがどんどん吸収されるのだ。しかし今までにも大人がGMS → 断る → 舌打ちされる、を何度も味わっているのでそれの破壊力と比べたらなんてことはない。
「ムズングー、ムズングー!Give Me Money」「何もあげんよー」「ペンちょうだい」「あげないよ」「じゃあバッグー」「いやいやあげないって」「じゃあ自転車!」「いや、もっとあげられないよ!」
数回こういうのが続くだけなら我慢もしよう。しかしマラウィの沿道には人が延々と住んでいる。ご想像通り上記のやり取りは数回では済まない。十回を越えると腹立たしさよりも少し落ち込んでくる。だんだん効いて来るんだ、これが。

でも、のほほんとするのも混じっている。
「Give...give...○△×#?」おいおい大事な部分が現地語じゃわからないよ。。。
「Gife me, give....haw are youin?」なんでもいいから習った英語を使いたいに違いない。
「Are you money?」off course not!

彼らはムズングを見ると条件反射的にGive me ○○○が出るように教育されている。誰に?
親?先生?いやいや。
やはりそれはムズング自身に違いない。
GMS症候群の子供達がいる場所には大抵、どっか先進国の国旗とマラウィの国旗が仲良く並んで描かれた看板が見つかる。ムズングが支援しているのだ。どんな支援?地域によって求めてくるものが違う。ペンであったり、バッグであったり、ボールであったり。。。推測の域を出ないが、先進国が物をあげる支援をしているのではないか?しかもムズングが顔を出してダイレクトに。子供は授受関係をよく観察している。親も親で学用品は支援で賄われるのが当然、という意識が芽生える。教育推進という名の元で彼らをスポイルしているにすぎない。親子ともども。

支援する側はアクションがもたらすインパクトを慎重に評価しなくてはならない。ムズングが支援といって物をあげた結果が、GMS症候群の子供たちを作ってはいないだろうか?あげる側は常に依存心を芽生えさせないように配慮していく必要があるのではないか?例えば物を支援する際は、先生や親を介して子供に渡すようにさせ、その際に先生や親に子供に対する説明義務を持たせるようにするなど、あげて終わりにしないことが大事ではないかと思う。

その一方で支援がうまく行っている例もたくさんある。今日テントを張らせてもらったのはアメリカのキリスト教団体が支援して運営している孤児院兼教会兼託児所でここの子供は親がなくとても寂しい思いをしているのだろうが、何かものを求めてくる者は一人もいなかった。ただし人として求められているのを感じることができて嬉しかった。。暗くなり始めてそろそろ寝床を決めないとなぁ、と思いながら走っていると一人の少年が「夜走ると危ないよ」と言って紹介してくれたのがここだ。

警備員にテントを張らせてもらえまいか、と尋ねると例の如く色々な人が動いてくれて、すごく遠回りなんだけど、最終的にボス(この場合は牧師さん)のもとへ伝令が走る。その間、気を利かせてガードを派遣してくれたのか、私の周りは子供たちでいっぱいになった。何かを話すわけではない、それでいて私のすること一つ一つをじっと観察している。この不思議な空気。警備員は遠くの方で見守ってくれている。そしてようやくボスがやってきたと思ったら、セカンドボスでした。そして許可を貰えたのでテントを張らせてもらう。しかも屋根のある場所にだ。空では雨雲が夕陽を隠していたので、これはとてもありがたい。こう毎日濡れていたんじゃカビてしまうよ。

私がテントを立てている間も子供らがじーっと見ている。これが俺の家なんだよ、と教えたらおかしそうに笑っていた。そして小さくなったシュラフを出して広げると、感心したように頷いている。そうやって私の持ち物一つ一つをチェックし終わると、散っていった。と思ったらまた別の子供達が入れ替えで来るので絶えず10人くらいの子供らに一挙手一投足を見られていた。そして国境で貰ったマラウィの地図を広げて見せてあげると、一気に食いついてきた。私は地面に落ちた飴か。まずは首都リロングウェはどーこだ?に始まり、ブランタイア、そして我々が今いるところ。そして町間の距離表があったので、町を見つけさせて距離を求めさせて遊んだ。もうボロボロの地図がますますボロボロになるくらいに頭をゴリゴリぶつけあって、熱心に探していた。英語がわかる年長の子供がしっかりと通訳してくれている。

南アフリカの職業訓練校で教えていたころに、地図を読める生徒がほとんどいないことに驚いた。距離を求めるのはもちろん、東西南北がわからない生徒が多かった。子供のうちに地図や図解など空間認識に関する物事にあまり触れる機会がないからだろうと思う。日本では本棚の組み方の説明書なんて学校では教えてくれないけれど、誰しもがわかって組み立てられる。南アでは算数の時間に図解の単元が割かれていた。

子供たちの中にノートを持ってきて勉強している者が目に付いた。ちょっと貸して、とノートを借り、アフリカの地図を書いてみた。ここが南アフリカでここがナミビア、、、、そしてこの真ん中辺りにある細長い国が君らのマラウィだ。そして地図を中央アジアに広げて東南アジア東アジアに広げ日本の場所を教えたら、そんなに遠いのかぁとわかったような分からないような反応をしていた。そうなのだ地図で見たってわかるもんじゃない。知りたかったら、勉強して働いて旅に出て、自分で実際に行ってみればいい、と言ったら目を輝かせていた。今はまだマラウィの人が旅をするなんてことは滅多にないけれど、いつかは普通の人も旅ができるようになるだろう。人を旅に誘うのも楽しい。そのためには自分自身の旅が実りあるものである必要がある。私の旅はどうだろうか。日々省察。

旅も中盤に差し掛かっている。最近は慣れから来る倦怠に襲われることが出てきた。またこれか、という悪魔のささやきである。
ギリシャ、トルコ、イラン、中央アジアも見たいがお金が。。。何とかしなくては。

大雨が降った後、もう食べたからと断ったものの、食べんしゃい、と子供達が暗闇の中を夕飯を持ってやってきた。昔の給食のアルミ皿がどら焼きみたいに二枚重ねられたのが二つ。開けてみると一つはスィマ、一つはヤギ肉のシチューだった。一人分かと思うようなてんこ盛りのスィマ。誰かも一緒に食べるのかな?と聞くと一人分だという。わーい。さっき食べたばかりだったがペロリと食べてしまった。最近の私の胃は四次元ポケットだ。
旨い、旨い、これは誰が作ってるんだぁ?と聞くと給食のおばちゃんだという。その後も子供たちに見守られながら夕飯をいただいた。ありがとう。

2014年2月2日日曜日

返答なしのHow are you?

朝は村の子供が泣く声で目覚めた。子供らが朝っぱらから騒ぎまわって、それはもうにぎやかだ。水は裏の川から汲んできているようで黄色く濁っている。彼らも飲んでいるので私も昨夜の調理に使ったが、そのまま飲むのは気が引けた。

小さな丘が多く筋肉が大変な疲労だ。
今日は昼頃からとても暑くなった。湿度が高いので風が吹いてもなお暑い。
途中小川を見つけ行水。日本の沢ほどきれいではないものの浴びたら気持ちよいだろうな、と思わせる川だった。実際この暑い日には束の間の安らぎだった。ルサカぶりの洗濯もできた。

道沿いにはアフリカ式の住居が点在しており、そのほとんどの家に子供がいるようで、私を見つけては「How are you」と投げかけてくる。私が「Fine, and you?」と返すと、何も返ってこない。最初は何だか片脚しか靴下をはいていないようで気持ち悪かったがすぐにそんな挨拶にも慣れた。それでも子供らが道端に駆け寄ってきて「How are you, how are you, how are you」と連発して去った後も、しばらく言っているのは少しコワカッタヨ。あれは一体何なのだ。何かを期待しているのか、と疑ってしまう自分がいる。