雨が来る |
GMSだけど明るいから救われる |
孤児院の子供 |
首都からサリマへ向かう道沿いはGive me somethingのオンパレードだ。もうGMS Roadと名付けよう。大人も言ってくるので閉口するが、多くは子供で、言い方の潔さと明るさがあるのでいくらか気持ちは楽だ。それでも中にはしつこいのもいるので、じわじわと効いてくる。このGMSはハリーポッターに出てきた死喰い人(Death Eater)のような力を持つ。明るい気持ちがどんどん吸収されるのだ。しかし今までにも大人がGMS → 断る → 舌打ちされる、を何度も味わっているのでそれの破壊力と比べたらなんてことはない。
「ムズングー、ムズングー!Give Me Money」「何もあげんよー」「ペンちょうだい」「あげないよ」「じゃあバッグー」「いやいやあげないって」「じゃあ自転車!」「いや、もっとあげられないよ!」
数回こういうのが続くだけなら我慢もしよう。しかしマラウィの沿道には人が延々と住んでいる。ご想像通り上記のやり取りは数回では済まない。十回を越えると腹立たしさよりも少し落ち込んでくる。だんだん効いて来るんだ、これが。
でも、のほほんとするのも混じっている。
「Give...give...○△×#?」おいおい大事な部分が現地語じゃわからないよ。。。
「Gife me, give....haw are youin?」なんでもいいから習った英語を使いたいに違いない。
「Are you money?」off course not!
彼らはムズングを見ると条件反射的にGive me ○○○が出るように教育されている。誰に?
親?先生?いやいや。
やはりそれはムズング自身に違いない。
GMS症候群の子供達がいる場所には大抵、どっか先進国の国旗とマラウィの国旗が仲良く並んで描かれた看板が見つかる。ムズングが支援しているのだ。どんな支援?地域によって求めてくるものが違う。ペンであったり、バッグであったり、ボールであったり。。。推測の域を出ないが、先進国が物をあげる支援をしているのではないか?しかもムズングが顔を出してダイレクトに。子供は授受関係をよく観察している。親も親で学用品は支援で賄われるのが当然、という意識が芽生える。教育推進という名の元で彼らをスポイルしているにすぎない。親子ともども。
支援する側はアクションがもたらすインパクトを慎重に評価しなくてはならない。ムズングが支援といって物をあげた結果が、GMS症候群の子供たちを作ってはいないだろうか?あげる側は常に依存心を芽生えさせないように配慮していく必要があるのではないか?例えば物を支援する際は、先生や親を介して子供に渡すようにさせ、その際に先生や親に子供に対する説明義務を持たせるようにするなど、あげて終わりにしないことが大事ではないかと思う。
その一方で支援がうまく行っている例もたくさんある。今日テントを張らせてもらったのはアメリカのキリスト教団体が支援して運営している孤児院兼教会兼託児所でここの子供は親がなくとても寂しい思いをしているのだろうが、何かものを求めてくる者は一人もいなかった。ただし人として求められているのを感じることができて嬉しかった。。暗くなり始めてそろそろ寝床を決めないとなぁ、と思いながら走っていると一人の少年が「夜走ると危ないよ」と言って紹介してくれたのがここだ。
警備員にテントを張らせてもらえまいか、と尋ねると例の如く色々な人が動いてくれて、すごく遠回りなんだけど、最終的にボス(この場合は牧師さん)のもとへ伝令が走る。その間、気を利かせてガードを派遣してくれたのか、私の周りは子供たちでいっぱいになった。何かを話すわけではない、それでいて私のすること一つ一つをじっと観察している。この不思議な空気。警備員は遠くの方で見守ってくれている。そしてようやくボスがやってきたと思ったら、セカンドボスでした。そして許可を貰えたのでテントを張らせてもらう。しかも屋根のある場所にだ。空では雨雲が夕陽を隠していたので、これはとてもありがたい。こう毎日濡れていたんじゃカビてしまうよ。
私がテントを立てている間も子供らがじーっと見ている。これが俺の家なんだよ、と教えたらおかしそうに笑っていた。そして小さくなったシュラフを出して広げると、感心したように頷いている。そうやって私の持ち物一つ一つをチェックし終わると、散っていった。と思ったらまた別の子供達が入れ替えで来るので絶えず10人くらいの子供らに一挙手一投足を見られていた。そして国境で貰ったマラウィの地図を広げて見せてあげると、一気に食いついてきた。私は地面に落ちた飴か。まずは首都リロングウェはどーこだ?に始まり、ブランタイア、そして我々が今いるところ。そして町間の距離表があったので、町を見つけさせて距離を求めさせて遊んだ。もうボロボロの地図がますますボロボロになるくらいに頭をゴリゴリぶつけあって、熱心に探していた。英語がわかる年長の子供がしっかりと通訳してくれている。
南アフリカの職業訓練校で教えていたころに、地図を読める生徒がほとんどいないことに驚いた。距離を求めるのはもちろん、東西南北がわからない生徒が多かった。子供のうちに地図や図解など空間認識に関する物事にあまり触れる機会がないからだろうと思う。日本では本棚の組み方の説明書なんて学校では教えてくれないけれど、誰しもがわかって組み立てられる。南アでは算数の時間に図解の単元が割かれていた。
子供たちの中にノートを持ってきて勉強している者が目に付いた。ちょっと貸して、とノートを借り、アフリカの地図を書いてみた。ここが南アフリカでここがナミビア、、、、そしてこの真ん中辺りにある細長い国が君らのマラウィだ。そして地図を中央アジアに広げて東南アジア東アジアに広げ日本の場所を教えたら、そんなに遠いのかぁとわかったような分からないような反応をしていた。そうなのだ地図で見たってわかるもんじゃない。知りたかったら、勉強して働いて旅に出て、自分で実際に行ってみればいい、と言ったら目を輝かせていた。今はまだマラウィの人が旅をするなんてことは滅多にないけれど、いつかは普通の人も旅ができるようになるだろう。人を旅に誘うのも楽しい。そのためには自分自身の旅が実りあるものである必要がある。私の旅はどうだろうか。日々省察。
旅も中盤に差し掛かっている。最近は慣れから来る倦怠に襲われることが出てきた。またこれか、という悪魔のささやきである。
ギリシャ、トルコ、イラン、中央アジアも見たいがお金が。。。何とかしなくては。
大雨が降った後、もう食べたからと断ったものの、食べんしゃい、と子供達が暗闇の中を夕飯を持ってやってきた。昔の給食のアルミ皿がどら焼きみたいに二枚重ねられたのが二つ。開けてみると一つはスィマ、一つはヤギ肉のシチューだった。一人分かと思うようなてんこ盛りのスィマ。誰かも一緒に食べるのかな?と聞くと一人分だという。わーい。さっき食べたばかりだったがペロリと食べてしまった。最近の私の胃は四次元ポケットだ。
旨い、旨い、これは誰が作ってるんだぁ?と聞くと給食のおばちゃんだという。その後も子供たちに見守られながら夕飯をいただいた。ありがとう。
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