あぁ、道端におクソガキ様がやって来ては「まねー」やら「ぺん」やら叫ぶのが本当に鬱陶しい。子供を見たら98%来ると見て間違いない。ここまで日常的にやられると精神的に辛い。無視すればいいが、挨拶されて無視するのもなんだか気分が悪い。どちらをとっても気分の悪さは避けられ無い。ノイローゼになってしまう。どうしたらいいのだ。まだこの「マネー街道」を抜けるまでには一週間くらいある。精神が壊れる。いつも逃げ道を持っているずるい人間なので、この30年精神的に狂うことはなかったが、ここ数日は精神が危ない。追って物を取ったりいたずらしようとする子供があればドスの聞いた声で脅し散らせ、マネー!と手を出して迫ってくる子供あればその手を蹴り飛ばし、イシツブテを投ぐる者あれば停まって「ゴルァ!オンドリャ、クソガキ!」と叫び。実害があるからこっちも本気なのだ。先日は予備のメガネをバッグから盗まれた。カメラも手を伸ばして触るし、洗って走行中に乾かしている服も取ろうとする。もういや。君たち嫌い。道端で出会うヒヒの方がおとなしくて好き。かつての雷親父の気持ちがわかる。
そして今日夏目漱石の「草枕」を読んでいたら漱石さんからいいことを聞いた。
「腹が立ったところを十七字にする。十七字にする時には自分の腹立ちがすでに他人に変じている」
そうなのだ、人は二つのことをそう器用にできるものではない。詩的情景を作り上げるのに集中すれば、心は腹に宿ったままではいられない。
「腹が立ったところを十七字にする。十七字にする時には自分の腹立ちがすでに他人に変じている」
そうなのだ、人は二つのことをそう器用にできるものではない。詩的情景を作り上げるのに集中すれば、心は腹に宿ったままではいられない。
街道の 石を拾うや 物狂い
珍客や 石を投じて 呼び止めん
牧童の 牛追う暇に 白い人
珍客や 石を投じて 呼び止めん
牧童の 牛追う暇に 白い人
ついでに短歌も。
五月雨の 幽かに見ゆるは 異邦人
石見て投げるは 恋の始まり
五月雨の 幽かに見ゆるは 異邦人
石見て投げるは 恋の始まり
貧しさに 石持て追うは 希望かな
くれるなら ずっとくれよ 白い人
永遠に くれると思った 学用品
貧しさは 他人が作る 夢の中
くれるなら ずっとくれよ 白い人
永遠に くれると思った 学用品
貧しさは 他人が作る 夢の中
うむ、確かにこれは有効かもしれぬ。なんだ、彼らの石を投げてくる動きすら愛おしく思えてくるではないか。おクソガキ様を超越してしまったぞ。さらばおクソガキ様よ。君たちも可愛い。愛に飢えているだけなんじゃないか。
さぁ明日も雨の中、石を投げられ、金をせびられ、暴言を浴びせられ、それでも私は君らの間を走り抜けるから。17文字で遊びながら。かかってこいや。
さぁ明日も雨の中、石を投げられ、金をせびられ、暴言を浴びせられ、それでも私は君らの間を走り抜けるから。17文字で遊びながら。かかってこいや。
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