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Africa!

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2014年10月18日土曜日

1018 最後の越境

ようやくエジプトビザも手に入れて今日スーダンとお別れ。長らく世話になった宿の兄ちゃんカリットは一度4時半に目覚め、祈ってから再びシーツに全身を包んで宿の入り口の辺りでまどろんでいた。今の時期、朝方は肌寒く、また砂除けのためにスーダンの人はこんな風にシーツを使ってミイラみたいに繭を作って眠るのだ。
「じゃぁ俺もう行くわ」
と彼が眠るベッドのわきを自転車を押しながら別れを告げると、
隠れている顔がシーツからひょっこり出て、
「あぁ、出るんだね、気を付けて」
と見送ってくれた。

太陽はまだ出ていない。東の空がうっすらと白んで、私の行く手が明るい。穏やかな風が腕や脚、頬を撫でていく。まだ誰も吸っていない新鮮な空気を独り占めしている気分だった。
ワディ・ハルファから国境へは二つのルートがある。一つはワディ・ハルファからフェリーに乗ってナサル湖上で越境するのと、一度東に進んで湖を離れて砂漠路を走って越境するのと。後者の場合、越境後にフェリーで湖を渡り、アブシンベル(Abu Simbel)に出る。これが最後の越境で、自転車で越えたかったので後者のルートを取ることにした。
国境事務所が8時に開くという話だったので、国境への道路にはまだ車は走っていなかった。おかげで静かな中走ることができて気持ち良かった。スーダンの砂漠は環境が厳しいのか、生き物がおらず、鳥のさえずりさえも聞こえてこない。

ただ耳をざわつかせる風の音があるのみ。雲一つない青い空にベージュの大地がどこまでも続いている。所々に黒ずんだ岩山や礫の山が強烈な光を吸収して静かに佇んでいる。これらの情景マンネリズムは暑さで弛んだ意識の中に沈滞し、その山の間に時折見える青いナサル湖だけが私を意識の淵へ引き戻してくれた。


国境が開く8時近くになるとバスや自家用車がさらりと私を追い抜いていった。丘を登り切ると遠くに国境事務所が見えた。

まだ腹の調子が完全回復に至っておらず、国境でどれくらい待たされるかわからなかったので、事務所を遠くに見ながら、風に踊る砂の上に出すものを出した。国境に着くと先ほど私を追い抜いていった輩が列をなしていた。大きな運動会で使うようなテントが二つ離れて設置されて、各々大量の人を収容している。どちらに行ったらいいのかわからず、国境に近い方へさり気なく入っていった。皆がじろじろ私に視線を投げてくる。珍しい客だからなのか、ルール違反だからなのか、だれも私に話しかけてくる人がいないのでどちらが本当のところなのかわからない。本当は並ばなければいけないのだろうか?言葉がわからない外国人だからって結構許してもらっていること多いんだろうなぁ、と思う。余ったスーダンポンドでジュースを二つ。本当に旨い。胃に向かって走り落ちる感覚がたまらない。おつりはもらってもしょうがなかったで、たった2ポンドのために「釣りはいらねぇ」っていう恥ずかしさと格闘しながらも断ったら、「シュクラン」と言われて、そして周りが少し盛り上がった。

事務所の整理係のおじさん1が出てきて、自転車を事務所のわきに置いてくるように言われ、従った。そして整理係のおじさん2に中に誘導され、整理係のおじさん3に申請用紙を渡され、これまた不思議にも母親の名前を書かされて無事出国手続きを終えた。最後に整理係のお巡りさん?に荷物チェックを要求され、自転車を「しぶしぶ」持って行き「面倒くさそうな顔をして」バッグを一つ開けると、シールをペタペタと全てのバッグに貼られ終了した。どうやらお巡りさんも面倒になったようだった。それから整理係のおじさん3にエジプト側のゲートに連れていってもらって、、、なんだかとても親切な国境だった。

しかしエジプト側が大変だった。まずゲートでつまずいた。立派なゲートは閉鎖され、隣の小さなゲートも鍵がついて閉められていた。ここ数年で幾つか爆破テロがあったためか、エジプトは敏感になっているのかもしれない。鉄格子越しにこちら側とあちら側で何かを交渉している。私が、「中に入れてくれ」と頼むと、「少し待て」という。手が空いてフラフラしながらおしゃべりしている職員風なのがたくさんいるじゃないか。鉄の門越しに、話し掛けてきた職員風の男が、中国人?と聞くから、いや、日本人だ、と答えると、Welcome, welcomeとふざけたことを言う。何がWelcomeだ、門なんか閉めちゃって。

英語で話していると「おい、こいつ英語だよ」みたいな感じで皆去っていく。そのもの悲しさよ。待てども待てどもゲートが開く気配はない。その間も入れ替わり立ち代わり、鉄格子越しに内と外で言い合っている。やたらとゲート内の職員が多い。そしてケータイいじったり、楽しそうに話している。20分くらい待って車両持ち込みのお金を要求された。料金表には大型トレーラー、トラック、バス、マイクロバス、そして人の絵が描かれている。一番下にラクダの絵が描かれていたのがスーダン、エジプト国境らしい。しかしラクダはあるのに自転車はなかった。ラクダに負けたような気がしたのは思い違いだろう。それでも彼らはちゃっかり自転車料金を勝手に設定して、私からお金を徴収したのでダブルでがっかりした。

お金を渡すと「お釣りがないから5分待て」と。「いいだろう君たちの5分とやらを見てやろう」といった挑戦的な心持で待つこと20分。ようやくお釣りが返ってきて、ゲートも開く気配がしてきた。しかし、ゲートはスパッと開かずに相変わらず、職員は楽しそうにお喋りして人生を謳歌している。「俺もエジプトで君たちのように謳歌したい!」と心の中で叫んだら、ゲートがしぶしぶ少しだけ開いて、入れと促された。そこからも大変だった。荷物のX線検査があって、すべて自転車から外して検査場を通る必要があった。こっちはさんざん待たされた挙句、荷物解きという課題まで与えられてトゲトゲしているが、職員はニコニコして「すごい荷物だな、どこへ行く」などを片言の英語を使って聞いてくる。そうなのだ、別に彼らに悪気はない。彼らは彼らのシステムに沿ってやっているだけで、個人としては珍しい客が来て少しだけ嬉しいに違いないのだ。そう考えると、私のトゲトゲはすぅっと解けて乾燥した空気に消えていった。調子に乗って自転車もX線やる?と聞くとそれはいい、と断られた。

自転車についていたフロントバッグを検査官が検査する。怪しげな黒い錠剤を見つけだした。長野県名物、御嶽百草丸だ。プラシーボに期待して、気持ち的に弱った時にこれを飲んでいたので、すぐ取り出せる場所にしまっていたのだ。「ちょっと待て」と言って彼は中へ消え、すぐに戻ってきた。「これを今ここで飲んでくれないか?」と私を訝るような、またマニュアルだから疑うのを許してくれと言ったニュアンスを持って私に依頼した。私は了解しパクッと気前よくやってやった。いっそのたうち回ってみようとも思ったが、冗談にならないだろうとすぐに我に返った。そして彼に「君も飲んでみる?」と尋ねると、「まさか、よしてくれ」と苦笑いして去っていった。

次に並んだのは入国スタンプがため。荷物検査の時に少し話していたスーダン人家族に再び絡まれ、写真撮影が始まったり、ナツメヤシを頂いたり、何とも緩い入国審査であった。スタンプも無事に手に入れてようやく出発と思いきや、職員に呼び止められて、パスポートを見せい!大事なことかと思ったら、「ただ日本のパスポートを見てみたかっただけ」だった。もうそういうところが憎めない。結局全部で2時間かかった。越境に要した時間最長!ダントツで。

最後の国に入ったという実感はなかった。というのも風景は変わらず砂と岩が織りなす砂漠だったからだ。ただ砂の色が少し赤くなり、空が一段と青さを増したようだった。こうやって自由に走れる有難さを噛みしめながら、「あぁもうすぐこれも終わってしまうんだな」という感慨にふけってみた。相変わらず腹は下り気味で、ここに自分が来た足跡を何度か砂上に残していたのは、決して感慨の極みのためではなかったことをここに宣言しよう。単にお便様の我儘をゲートが止めることができなかっただけだ。こうやって美しい世界に一人ぽつんと生き物として生存していると、こうした本来汚らわしいとされる営みすら、美しいと思えてきてしまうのは砂漠で頭がやられたせいではないと願いたい。

途中で一か所、水環境を管理する施設があり、休ませてもらった。それからお茶と。最終フェリーに間に合うかぎりぎりだったが、国境で時間をロスしたことと、風の戯れによって今日のフェリーはあきらめていた。そう言うこともあって、のんびりしていたら眠くなってきた。ベンチでうとうとしていたら、中にベッドがあるから寝ていきなさい、と言われて少しお世話になった。

国境から40km弱。ナサル湖畔が近づいてきた。不安になるほど青い空が湖面を鈍く青く照らしている。湖畔といえども殆ど緑はない。しかし僅かの緑を求めて虫がやってきて魚がやってきて、ついには鳥がやってきて乾いた空気にさえずりを放つ。





小さな村もあり、灌漑農業を小さく行い、辺りは少し生き物で賑やかになっていた。そんなのどかな風景を写真に収めていたら、後ろから低音を鳴らしてバイクがやってきた。挨拶して通りすぎる。荷物からして彼らも旅人だ。こんなところで仲間に会えると少し嬉しい。知らない人だけど。「フェリー乗り場で会おう」と言って去っていったが、果たしてフェリーはまだ出ているのだろうか?ワディ・ハルファや途中で聞いた話だとフェリーは4時の便で最後だ。今は五時半過ぎ。だから私はとうに諦めていた。情報とは流動できなものである。アフリカで旅をして得たものだ。もしかしたらまだフェリーに間に合うのかもしれない。

太陽が高度を下げ、湖畔の岩山が道路に青い影を投げるようになった。赤砂や黄色い砂と青い影や空のコントラストが美しい中を、ただ自転車のタイヤが地面を蹴る音だけを聞いて走る。湖畔に出てから進行方向が変わっていたので、今は追い風だ。おかげで風の音すら聞こえない。こんなに贅沢な走りがあるだろうか?これだから自転車はやめられない。




いくつもの影を踏み越えて、あと少しでフェリー発着所に着くという頃、先ほどのライダーが戻ってきた。
「フェリーは間に合わなかった。俺らはここらへんでテントを張るが、もしよければ一緒にどうだ?」
私もフェリー発着所で泊まる予定だったので彼らの案に乗った。この選択は正解だった。
できるだけ人目につかない場所へ彼らは進んだ。道路から離れて、砂地を走り、礫地を走り、そうして小高い丘の裏側に出た。バイクは砂にスタックすると自力で出るのが難しいらしい。その点自転車は楽だ。多少きついとは言え、自力で出られなくなることは今までにない。最悪、持ち上げてしまえばいいんだから。

場所が決まると思い思いの場所にそれぞれのテントを立てた。砂漠の中に四つのテントと三つのバイク、一つの自転車が立っている。面白い画だ。

初老のドイツ系ナミビア人のジョン、エジプトの中年コンビ、カリムとオマル。エジプトの二人は一緒に旅をしていたようだが、ジョンとは国境でたまたま出会って一緒に走っていた。そこへあと一年で壮年となる私が加わって、一晩限りの面白チームができたわけだ。一緒に飯を作っているつもりだったけど、なぜかかみ合っていなくて、一人旅の時間の長かったジョンと私だけ先に食ってしまったり、それであとから追加でまたカリムとオマルの夕飯を食べたり。それでもみなそれぞれ持っているものを持ち寄ってフルーツパーティーになったり、、、びっくりしたのがオマルがショットグラスでコーヒーと紅茶を振舞ってくれたことだ。さすがエジプト人、彼らの誇りであるお茶でのもてなしは忘れない。ホスピタリティに乾杯だ。

エジプトの第一夜は涼しく、星の数も多く煌めき素晴らしい夜だった。
アブシンベルの光だろうか?山の裏側がわずかに光を放っていた。

2014年9月16日火曜日

0916 国境を越える

最後のインジェラ、トマトをベルベレで炒めて卵でとじたものと一緒に朝飯にした。今朝のおばちゃんの服は濃紺に絞り染めを施した清々しいワンピースだった。ふと夏の朝の涼しい時間に咲く朝顔を思い出した。
太陽が高度を徐々に上げ今日も蒸し暑くなりそうだ。たおやかな丘をいくつか越えると国境が見えてきた。今回の国境は少々面倒だ。スーダンでは外国人は滞在登録証を取らねばならない。いくつか大きな街で取ることができるようだが、申請費が二倍かかる。陸路で入る場合は国境で安く取れるという、珍しくオーバーランダーが得するシステムだ。 それから写真撮影の許可申請も必要と古いガイドブックには書いてあったので、これも確認する必要があった。そしてエチオピアブルからスーダンポンドへ換金。もうスーダンディナールは使われていないみたいね。
国境の町メテマMetemaに入って余った小銭でジュースを一本。店の前のベンチで飲んでいると、換金マンがどこからか臭いを嗅ぎつけてやってきた。レートを聞くと事前にネットで調べていたものよりも少し良いくらいだったので、交渉成立。なんだか少し得した気分。鼻歌交じりで国境に行くと、正規トラベルエージェンシーと自称する、「あ、命」と言って体文字を作るかの芸人(名前を忘れた)に体も勢いもよく似た男性現れ、「換金は?レートはいくら?それはやられたね。レートは普通40だよ」と私のレートの1.3倍のレートを言う。え、そんなにすぐに変動するのか、とよくよく聞いたらエチオピアはブラックマーケットがかなりあり、レートがブラックマーケットの方が遙かにいいということだった。確かにケニアとの国境でも、エチオピア側のレートが異様に良くて胡散臭いなぁ、と感じていた。 「命」さんが戻って払い戻してもらってきな、と言う。え、アフリカでそんなことが可能なのか!?と驚いていると「正規トラベルエージェントとして、ズルは許せない、換金した場所に行くぞ」とついてきてくれた。なんか胡散臭い親切。50、50なので距離を保つ。彼は町往くバジャジを乗り継いで私の自転車の後を追う。もちろん換金した場所に換金マンの姿は既になく。当たり前だ。それでも彼は探すぞ、と人脈を使って動く。彼の狙いが何なのか、少し興味が湧いてきた。直感的に悪い人ではなさそう。何てったって「命」を芸の糧にしているんだ。携帯電話で話していた「命」さんが「見つけたぞ」と言って、来た道を一緒に戻る。「自転車に一緒に乗った方が速い」とトライする。荷物を積んだ後ろに乗せてフラフラ進もうとすると「あ、ちょちょちょ、やっぱ無理!」と意外に臆病。やっぱり悪い人じゃなさそう。こういう臆病者に悪人はいない、はず。 「ちょっといいこと教えるから、まぁそこに座りな」とブナベットに入る。太陽が燦々と射す正午、ブナベットは木の影に隠れて涼しい。昨日の雨に濡れてか足元は少しぬかるんでいる所もあったが、それでも木漏れ日がチラチラ踊って気持ちが良い。 「ブラックマーケットでドルを替えても得だぞ」 答えが出た。彼はドルが欲しいようだ。そしてベンチに腰掛けた私の隣にはもう一人黄色い服の男が加わっていた。彼は言う。「ハルツームで替えると5.6だが俺だったら6.5でいいよ」 本当かい?と思う。いい話には裏がある。あるのだが彼らはブラックマーケット。ただドルが喉から手が出るほど欲しいだけ。恐らく両者のベネフィットが釣り合うから、安全だ。替えても大丈夫。交渉成立。「200ドルなら6.5、100ドルなら6.3」 まだこの先何があるか分からないので100ドルだけ換金することにした。
「命」さんと再び国境に戻ってきた。その間に「滞在登録は国境で取っておけ」とか「国境越えたら20kmと40㎞先に町がある」など有益な情報を教えてくれた。おそらく彼はもちろん自分の利益のことも考えて行動していたが、純粋にエージェントとして旅行者を助けたかったのだと思う。しかし長旅で警戒心に身を固め、擦れてしまった私は、イミグレまで案内してくれようとする彼を制して「後は自分でできるから」と言って、別れた。もちろん失礼の無いように最善を尽くしたが何というか、自分に40%くらい警戒心が残っていたのが嫌。かと言って警戒心がなければどこぞの獣に喰われるのもまた事実。バランス。イミグレを指差す彼に出来る限りの謝意を示して別れた。彼は「俺はシャワーを浴びに行ってくる」と言い残して。
相変わらずイミグレわかりにくいよ。もう少し頑張れ、ランドボーダー。敷地の外ではノマドっぽい格好のおじさんたちが座談している。木陰に人が集うのは暑い場所に来た印。イミグレの建物の隣には待合室みたいなのが簡易的に設置されており、一人のおじさんがムンクの叫びの如く両手で頭を抱え眠っている。ムンクのそれと違うのは、オジサンが叫んでいるのではなく、それどころか幸せそうに、極めて安寧に眠っているのだ。午睡。他に人は無し。建物の中、昼休みのためか事務の女性が一人。忙しく何かを勘定している。室内は古いクーラーがかろうじて動いて冷やされていた。何も問題なく出国。
スーダン入国。イミグレ同じくわかりにくい。殺風景の部屋。アラビア文字を見てまた新たな異国へやってきたことを感じる。入国審査無事終了。滞在登録できるか聞くと少し渋り気味。面倒なのか、ハルツームでやりなさい、と促される。「ここでやってしまいたい」と粘ると別男性が「332Sポンドかかるよ」と顔を近づけて言う。「承知」と言って手続きに入る。無事終了。スーダンのビザ取りの時もだが、申請書に何故か母親の名前を書かせる欄がある。立て籠もり犯に母親使って交渉する作戦と心理的には同じやつだったりして。母の名のもとにおいて、嘘書いちゃダメよ、って。
スーダン側はエチオピア側よりもこじんまりした町で、100m程で町が終わった。人々の服装もよりイスラムらしく白いシンプルなものになった。 スーダンに入ったらすぐに砂漠を走るのかなぁ、と漠然と考えていたが緑の大地、どこまでも続いている。今夜は雨も少し降った。 小さなガソリンスタンド風の場所で今日はテント泊。店番のお兄ちゃんが「石がゴロゴロして痛いでしょう」とマットレスを貸してくれた。夜は涼しいがどことなく温かな気持ちで眠れそうだ。但し隣のエンジン音が非常にうるさいけどね。無私無心、南無妙法蓮華

2014年8月15日金曜日

0815 何かが来る予感

雨がテントと叩く音で目が覚めた。ソロロSololo以降は緑も出てきており、既に砂漠から抜けていた。エチオピアへケニアから北上する道路はソロロ辺りで東に折れ、メガ山脈に沿って走っている。このメガ山脈がケニアとエチオピアを隔てており、空気を遮り気候を全く違うものにしている。おそらく山が雲を作り、今朝の雨を降らせたのだろう。一帯がアカシアの林になっており、低いのから高いのまでトゲトゲしているツンデレだから困ってしまう。テントを張っていた場所のアカシアは私が去ろうとすると「去らんでくれかし」と服を引っ張りおる。
雨季が近いのかもしれない。木々に緑が戻りつつあり、緑に先駆けて白い綿毛のようなアカシアの花が辺りいっぱいに香りを放っている。その眠る木々が葉よりも先に花をつけ、枯れ林をわっとにぎわす様は、ダンコウバイやマンサク、ウメでにぎわう日本の里山の春を思わせる。そのアカシアの叢生林を切り拓いて道を通しているので自転車での走りは最高に気持ちが良い。一息一息が新鮮なのだ。
モヤレ峠までは500mほど標高を上げなくてはならないのだが、一向に登りが始まらない。メガ山脈が急峻なためずーっと東に行き、緩めの尾根を巻いてのぼりはじめるのだ。しかし緩い上り。ダチョウクラブが今日も結成されたようで、二羽が道路を横切ったり並走したりパニックぶりが冴え渡っていた。オシリのフサフサが走ると上下に揺れて、小学生の頃運動会で作らされたすずらんテープボンボンのようで可愛い。今の小学生もサキサキしてるのかしら。
途中道路工事の調査隊が迷彩服で武装した警備員を伴って測量していた。高価な機材を持っているためか、警護が厚い。道路は予定ではあと三年かかるそうだ。舗装されたらおそらくアフリカの中でもかなり気持ちの良いコースになるんじゃないだろうか。
モヤレの郊外か?と思ったのはフェイクでここから急登。ギヤ最軽でもひぃふぅみぃむぅ、ぜぇはぁもぇめぇ。この辺りは高い木も出てきて緑が濃くなった。その木陰でおっさんグループが私を見つけて「China!China! Bring water!」と抜かすのに「なんだてめぇら、水を持ってこいって、日陰にしゃがんで随分上から目線じゃねえか。そんな奴に誰がこの聖水をやるかってんだぃ。これはなぁ、100㎞離れた中国人が掘った井戸で汲んだ天然のポカリスエットなんだぞ。それにチャイナは人じゃねぇ、国だ!覚えとけ、おっさん共!」と横目で睨みつけて、ゼェハァ、ゼェハァ。呼吸が乱れているので心の声も乱れてしまっているのは許して欲しい。
そうしてたどり着いたモヤレではさっきのオッサンたちのように「China!」と呼ばれて迎えられた。もういちいち修正しない。きりない。
国境越えの前にケニア最後の晩餐に食堂を探していたら、バスの兄ちゃんが教えてくれた。行こうとすると、若い男が俺が教えてやると道を先導し始めた。でた、此のタイプ。案内と称して、俺はガイドで何でも知っていると言ってチップを要求する奴。自分で行けるから君はいらん、と言う私の言葉を遮る彼。好きにさせた。まぁ、俺は払わんよ。頼んでないからね。彼が先をゆく食堂の隣にわざわざ入る。敢えて君の世話は受けん、という意思表示。食堂でも先立って注文を聞こうとしているので、それを遮って注文。諦めたように彼は食堂の外に出た。が待機している。構うもんか。ふん。
冷え冷えのファンタはここまで砂漠と未舗装を越えてきたご褒美。あ、途中でもいくつかご褒美あったけどね。あぁ超新星爆発級の旨さだ。オリオン座のベテルギウスに先立って爆発してしまったよ、もう。
それに料理もボリューム満点で大満足。雑巾みたいな牛の腸とその打診でとったスープと、ケール炒め、じゃがいもトマト煮込み、ご飯。なんか給食の献立みたいじゃないか!
食べ終わって外に出ると、さっきの奴がチップをくれと言ってくる。私もあげれば事はすんなり済むのに、一度あげないと決めたら意地でもあげない。強情でケチだ。何が嫌だって、彼らの考えが嫌いだ。ムズングを見つければ、どうせ金を持っているんだから吹っかければいいと考え、寄って集って金をせびる。そっちがその気ならこっちも固くなるからな、という心持ちだよ、まったく。イスィオロを過ぎたあたりからだ。そういう輩が増えてきたのは。それまではあまり気を張って固くなる必要はなかった。攻撃的な奴がいなかったから。
途中で出会った旅人はエチオピア辺りはあまりにも鬱陶しかったから英語を話せないふりをした。と言っていたのも何となく気持ちはわかる。今週砂漠で出会ったオランダ人自転車乗りも同じ手で乗り越えていた。
でもなんだかね、こういう場所の方がワクワクするのもまた事実。何かが起こりそうな予感。なにか来るぞ、ってね。あ、誤解の無いように。信頼できる方もたくさんいる。特に年配の男性、女性ほとんどは信頼するに足る人ばかり。年配の男性で白髪になった生え際やヒゲをオレンジに染めてるのは何だろう。ファッションかな?
さて越境。相変わらず入管事務所が不明瞭だ。迷彩服の女性が座っている。挨拶すると「私は警備員。事務員はお昼からまだ帰ってきてないわよ」という。二時に帰ってくるそうだが既に二時は過ぎている。しょうがないので壁の掲示板に目を通していると、24年間自転車で旅をしているドイツ人の記事が貼らていた。
◯◯は毎日尿を飲んでいた!
とのキャッチーな見出しが踊る。本文中もその箇所に赤線が引かれていた。確かに飲尿はショッキングだ。24年間の自転車旅をはるかに凌ぐ程のショックをケニア人に与えた彼は今どこを走っているのだろう。彼は言う。規則正しく生活するには毎日飲尿しなきゃ。流石だ。しかしそんな飲尿哲学者の彼も独身走っていて無性に寂しくなることがあるようだ。
そこへ事務員登場。なんなり出国スタンプを押してもらえた。残りの記事を読んでいたら事務員が「あ、エチオピアVISA確認するの忘れた、持ってるよね、君?」だって。そんなのほほーんとした昼下がりのけだるい事務所。
エチオピア側の事務所までの200mくらいの区間にも「China!」 「China!」 「Chinaー!」 来ましたよ。こりゃ面白くなりそうだよ、エチオピア。私も本気で行かないと失礼だな。よしっ。
事務所に行く前に道端でマスクをした怪しい白衣の、木陰に座ったおっちゃんに呼び止められた。パスポートを見せよ。と言う。「え、ここが事務所?」と聞くと「エボラがなんたらかんたら」と言う。ああ、検疫所か。パスポートを見せ、いくつか質問に答える。黄熱病の予防接種証明も要求された。ウガンダを通ってきたことに妙に引っ掛かっているおっちゃん。ん?ウガンダではまだ出ていないだろう、エボラ。リストを確認して頭痛はあるか?と言う。ない。それだけ。ぽい、と打ち捨てられた黄熱病の予防接種証明書が風に飛ばされそうだよー!なんだかこの緩い感じ。全然切迫感ないね、東側は。
渡された紙にはアムハラ文字でクニャクニャと何か書かれているがわからない。とにかくこれで事務所に行けばいいのだという。
事務所では事務員同士が言い争い中で、入っていったら「ちょっと待ってろぃ」と言われて外のベンチで待ちぼうけ。隣のベンチには白ひげに白いイスラム帽子でハンバーガーされたおじいちゃんが一人。午後の穏やかな一時。事務室からは怒声が聞こえてくる。チーン。
30分くらい待ってようやく中に入れてもらえた。手続きに入る、がまだ言い争いは燻っているようで、その言い合いの度にいちいち作業が切られる。まぁ今日はもう走らないでモヤレ泊りだからいいよ、ゆっくりでも。でも入国はさせてね。最近はどこの入国でも全指の指紋を取られる。右手四本指、右親指。そして同じく左手。さらにカタツムリの目みたいなやつで顔写真も撮られる。それが終わると私のパスポートが宙を飛んだ。おっちゃんからおっちゃんへAIR MAIL。もう一人のおっちゃんは入国者名簿を作っているようで「ヨシュケ?ヨウシュク?」と首を捻っている。こんな感じの手続きに、着ている服は小学校の先生みたい感じ。パソコンの絡まったタコ足配線。机は曲がって、、、もうね、なんかこの緩さに脱帽だ。それだけこのモヤレの国境が落ち着いているということだろう。
そしてめでたくエチオピア入国。このビザはパスポート君が日本へ出張して取ってきた、非常に手間のかかったものだけに喜びもひとしお。
宿に入って3日ぶりのシャワー。砂漠の砂埃で服も体もまっ茶色。汚れが落ちていくカ・イ・カ・ン。
それから楽しみにしていたエチオピア名物のインジェラ。いつもアンジェラ・アキのメガネが甘くていいなぁ、って思うんだけどもインジェラの仄かな酸っぱさも負けずに良かった。インジェラだけだと酸っぱい蒸しパンってだけであまり好ましくないけど、今日食べたのはツナ缶トマト煮込みが付け合せで、ニンニクとチリが効いたそれがインジェラの酸味と非常にマッチしていて美味かった。しばらくこいつにお世話になると思うと、よろしく頼むよ、ってね。