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Africa!

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2014年6月12日木曜日

自転車のある風景1

ここまでの旅を自転車とともに振り返ってみようと思う。私も色々な人に出会ったが彼もまた色々な人に出会い、乗られ、褒められ、きっと幸せだったに違いない。もう少し楽しもうな。

南アフリカ


プレトリアのバス停にて。旅の始まりにわくわく。しかしバスの荷物でぞんざいに扱われて壊れはしないか、一抹の不安はあった。



ケープタウンのカラードが多く住んでいるボ・カープにて。ねぇ僕にもその自転車に乗せてよ! 街角に座ってぼんやりしていたら元気のいい子供の声を掛けられて。




緩やかな丘陵が続く道にて。黄色い可愛い花のじゅうたんを見ながら走った、気持ちの良い日々。




西海岸の海沿いの町。呑兵衛に捕まった。。。



幹線道路の脇にて。まだ旅が始まったばかりで野宿にビクビク。木の陰に隠れたつもりだったが完全に見えていたな。朝目覚めたら朝日が美しかった。

ナミビア

 南アフリカとナミビア国境に流れるオレンジ川を越えたところ。世界でも最も降水量の少ない地域。暑いんだけど、乾燥しているから日陰は涼しくて気持ちいい、、、と思ったら日陰になるものが何もなかった。




時々ある四阿とごみ箱にほっとする。あづまやカタツムリになりかけた。



 ナミビアって砂漠で平らかと思ったら岩山がずーっと連なっていた。


誰もいない草原を独り占め。と思ったらオリックスとスプリングボックがいた。夕方はギュムギュムと鳴く虫の演奏、日の光が失せると空気が静かになり、漆黒に鏤められた光の粒の微かな奏でが聞こえてくるようだった。


黄昏にパンク修理。砂漠を走っていたころはそこらじゅうが泊まる場所だったので楽だった。この夜は車に乗った牧場のオッちゃんが野宿の私に気付いて声をかけてきた。しかしよく気が付いたなぁ。標識からぶら下がっているのは体臭のきついボコムちゃん(川魚の干物。南アからずっと一緒だった)標高が高かったため朝方は冷え込んだ。足元に可憐に咲く小さな花が朝日に輝いていた。



いつも美しい橙の夕日が迎えてくれた。


 毎日雲が一つもないので空のてっぺんから地平線まで色のグラデーションをいつも見ていた。少し空が暗くなると月に始まり、惑星たち、そしてシリウス、カノープスなどの星々、なんとなくもやっとマゼラン星雲が現れる。



 この辺りが一番過酷だったかもしれない。砂がこんなに憎らしく思えるのは今後はないと思われる。それでも道があることに感謝する毎日だった。


家畜が出てきたら何となくほっとする。


 おい山羊君、それは君の食べ物じゃないよ。君には草があるだろう。ボコムちゃん狙いの山羊。


 長い長い未舗装砂漠地帯を越えて、海沿いのワルビスベイヘ。内陸の砂漠は杏色の砂、海沿いは白砂。海沿いも少し内陸に入ると乾燥しているから砂丘だらけ。



砂丘の反対側はなーにもない。


海辺町スワコップムント。ナミビアの第二の都市。自転車で散歩していたら土産物商に捕まった。俺の自転車と交換しようぜ。嫌だよ。


 海辺はしっとりしていて植物もたくさん。樹木は少ないけど。一面のアイスプラント。


 内陸の町オタビ。協力隊の方とその友人と楽しいひと時。


 牧場内にて。牛糞に囲まれて。まるでタンポポのように生えていた。警備員のおじさんが言葉は通じなかったが色々気にかけてくれる人でよかった。



 内陸のこれまた乾燥地帯にて。牧場のおじさんに泊めてもらった。ここの水はミルクティーが分離するほど個性的な味だった。


 ヘレロ族のおばちゃんと。家族旅行の帰りでおしゃれしていた。頭の角はヘレロの女性の特徴。あ、実際に角があるわけじゃないよ。イミテーション。



 ナミビアも北部のアンゴラ国境付近、カプリヴィは緑が豊かだ。モパニの森。やっぱり緑が近くにあるとホッとする。


こうやって木の下のベンチで休憩するのがなんだか日常的で嬉しかった。


ボツワナ

 カサネのザンベジ川畔にて。家族連れが釣りをしていた。そこへ孫を連れたお爺さんがやってきて、さらに若い母親も子供を連れて、、、桟橋はあっという間ににぎやかに。


野生動物の多い公園を抜けてまた何もないところへ。この時期は水が干上がり、白いひび割れた大地がむき出しになっていた。


静かな時間を独りでゆっくりと過ごすことができた。




 第二の都市フランシスタウンにほど近い村にて。一つの屋根を貸してくれた。雨が降ったのでありがたかった。


ジンバブエの国境に近い町の警察署の敷地を貸してもらって。珍しい客を見に婦警さんがやってきた。



2013年12月7日土曜日

ライオンに喰われるよ

相当疲れが出てきていたがKasaneまで行って休息を取ろうと出発。



新緑が曇りの柔らかな光に美しい。林床に若草が茂っている様は日本の苔寺を彷彿させる。

点在する村を、Money、Sweets!などというBGMを聞きながら、ンゴマNgomaに近付く。

ミルクを二つ自転車のハンドルにぶら下げた男にで出会った。彼もやはり車輪の軸がぶれた自転車を漕いでいた。ナミビアで見た自転車は悉く軸が歪んでおり、車輪が回転するたびにプルプルと左右に揺れているのだ。もともとも部品の質があまりよくないのだろう。私の一漕ぎが彼らの二漕ぎも三漕ぎにもなる。

前方から雨雲が現れ突然の大雨となった。

まさしくバケツをひっくり返したとはこういうことだ。通り雨と見て、丁度良い軒下を見つけて雨宿りした。そこには小学生から高校生くらいの子供が数人私と同じように雨宿りをしていた。高校生くらいの青年がすぐそこに国境が見えていることを教えてくれる。前方の木が鬱蒼と茂っている丘が見える。そこはすでにボツワナだ。

雨がやみ空が明るくなった。ところどころに雲の切れ目があり、澄んだ青が眩しい。雨で黒く湿った道路に水溜りができ、そこへ輝く入道雲が映っている。それを自転車の車輪が切って乱すのだが、もったいなく思われるほどに美しかった。


国境は広い湿地(雨季は川になるのだろうか)にあった。湿地を突っ切る高くなった道路の両側は一面緑の草に覆われ、牛や人が点々といた。


No Mans Landではないのか?さっき遠くから見た小高い丘の林には異様な風体のバオバブが他を圧倒して聳えている。緑が濃くなったのを感じる。


ボツワナ側では獣類のペストコントロールが行われており、水が張られたプールに自転車のタイヤを付けろ、と言われた。しかし、なんだか深そうだ。先の雨で嵩を増したに違いない。「深くてバッグが濡れるんじゃないか?」と言ったら、農薬散布用のポンプを持ってきて処理を施してくれた。危うくバッグが薬漬けになるところだった。

入管所に行くとチョベ国立公園内は自転車では走れないよ、と言うではないか。なんとっ!聞くとライオンが結構いて危ないから、とのことだった。そう言われると通るわけにいかないのでヒッチハイクをするしかなくなった。あまりメジャーな国境じゃないので車がほとんど来ないここではすぐに捕まえられないだろうと、公園のゲート前で一泊しようと思ったら、ボツワナ側の今日泊まる場所を教えないと入国させてあげないと、女性管理官がふざけて意地悪そうに言う。


「公園ゲート前で」と言うと、「それはダメ、ちゃんとした場所でないと」とまた正論を振りかざす。
しょうがないのでメモしてあったカサネのキャンプ場を教えて、今日中にカサネまで車をつかまえて公園を抜けることを条件に入国させてもらった。本当に車が捕まるのだろうか。心細くなっているところへ別の非番らしい男の管理官が現れた。彼がこの後私を救ってくれるのだ。彼は私としばらく話をした後、来る人来る人に「彼をのっけてやってはくれまいか?」と尋ねてくれたのだ。しかしやってくるのは小さな自家用車ばかりで自転車を積めそうなものはやってこない。そうこうしているうちに彼がどこからか自転車を積めそうな車の持ち主を連れてきてくれた。彼はこれに乗れ、と言うがゲート前までしか連れていってくれないらしい。それじゃ意味ないじゃん!入り口までなら自転車で行けるしそこまで行ったら更に車を捕まえにくくなるじゃないか。と思って渋っていると大型トレーラーがやってきた。
これは行ける!と思って近寄ろうと思ったら助っ人の彼がすでに声をかけていた。ドライバーは「$100ね」と意地悪そうに笑っている。冗談なのか、本気なのか、「あわよくば」といった感じだろうか。こっちは真剣だ。
「冗談はよしてくれよ、頼むよ」と懇願していると、
「まぁいいから積む準備をしろ」とOKが出た。
高く積まれた木材の上に自転車をしっかり固定し、荷物をトレーラーの脇腹のトランクに押し込んだ。座席が自分の身長よりも高い位置にある大型トレーラーだ。梯子を上るように車に乗り込む。初めての経験に少しワクワクした。最高の乗り心地だ。座席の後ろ側には二段ベッドが備え付けられており、彼は長距離運転の場合はここで寝ているのだそうだ。もう一つは現地妻の?と冗談めかして聞くと、「俺は妻がいるからそういうのはできないよ、妻子はンゴマに置いてきている」と思った以上に誠実な答えが返ってきた。ナミビアを旅していて南アの文化(一口に南アのとは言えないが)ほど恋愛が「自由ではない」ように感じた。あまり多妻の男性を見かけなかったし、夫婦が歳をとっても一緒に暮らして一緒にいる風景を多く目にしてきた。一対一の関係が比較的継続しているというか。


ゲートをくぐってすぐにキリンのお出ましだ。ドライバーは先週はライオンが6頭ゲートのそばにいたのを見たという。そういう話を聞いていると、ふむ、これはさすがに生身の体を晒して走るのは怖いな、と思った。
道の両側は木々が濃緑に染め、下草には動物が何度も通ってできた径が幾筋も通っていた。暫くすると象が5頭、そしてキリン、象、、、大型動物は豊富だった。が、肉食動物は見られなかった。

走行中ドライバーが車の写真が入ったチラシを見せてきた。インターネットで車を買ったのだという。今は日本から輸送されるのを楽しみに待っていると。彼が購入した車を見せてもらうと、なんと実家で使っていた車と同じトヨタのレジアス、色も同じ。ナンバープレートには「つくば」と入っている。
「いい車か?」と聞かれたので、無難に「乗り心地はいいよ」と答えておいた。こっちで走っている乗合タクシーと比べればどんな車も乗り心地はいいに決まっている。日本からの輸送料など色々な手数料込みで30万円くらいだ。他にもMarkⅡなどの有名どころが並んでいる。ナミビア、ボツワナ、ジンバブエ、ザンビアでの日本車の人気は極めて高い。彼の持っていたチラシのディーラーは日本車を専門にしていた。南アフリカは自国に工場があり(日本車の)それらを守るため、日本からの中古車輸入を制限している。しかし、他の国はその制限がないので中古車がじゃんじゃん入ってきておりそこら中を日本車が走っている。特にトヨタの車は各部品も安く簡単に手に入るので人気だ。この日本車の人気とは逆に日本人の存在感は極めて低いのも面白い。まず聞かれるのは「中国人か?」だ。中国人のプレゼンスの方が圧倒的に強い。ただ、中国人に対するイメージは芳しくないものもしばしば耳にする。日本のイメージは良くも悪くもなく、ゼロといった感じか。ただ、日本のことを知っている人は比較的好印象を持っているようだ。まぁ私が日本人なので気を使って、いいように言っているのかもしれないが。。。


自転車で一日かかるところをたったの一時間弱で車は走ってしまうことに理不尽さを感じながらトラックを降りる。辺りはすでに薄暗い。暗くなってからの見知らぬ土地での行動はあまりしたくないが仕方がない。ドライバーがいくらでもいいからくれ、と言うので、余っていたナミビアドルを渡した。ヘッドランプを頭の前後に付けカサネの町の中心向かった。町の入り口で降ろされてしまったため2kmくらい夜道を走らされる羽目になった。ガソリンスタンドを見つけここにテントを張っていいか尋ねるが、マネージャーが不在で許可できないと断られ、警察署はどうか、と行ってみたらあまりに立派で気が引けてしまい、つい「キャンプ場はないか?」と弱気なことを聞いていた。ソロモンという大層な名の気のいい警官が親切にキャンプ場まで連れていってくれた。

キャンプ場は豪華なロッジに併設された大きな場所だった。スイートルームまで用意されている観光客向けの宿だ。アフリカには観光客向けの宿しかないのではないか。ソロモンは「明日仕事が午前中に終わるからカサネを案内してあげる」と言って暗がりの中去って行った。結局翌日彼は現れなかったがボツワナに入ってすぐに彼らのホスピタリティーを感じた。出来事だった。この日は夜八時を過ぎてようやくテントを張ることができた。すでに疲れ切っていた。

2013年12月1日日曜日

神はさうのたまったのか?

今日は日曜日。
昨夜泊まった家のみんなも私の出発前に教会に出かけていった。
残っている子供たちに見送られて、美しく着飾った人々の歩く道をゆく。
4kmくらい行くとお世話になったおばちゃんが少しだけお洒落して歩いていた。
朝、見送ってくれた子供たちに教わっていた「チョクウェ!」で感謝を伝えた。
そしたら優しく笑って手を振ってくれた。

どんよりとした雲の下、唯一の舗装道路を行き交う人々。
その多くは色とりどりに着飾っているので教会に行く人々であろう。
走りながら美声を聞いた。
涼しい空気に沁み渡るようだ。
この辺りは絶叫系の教会ではないので、優しい歌声にホッとする。
旅始まって以来の雨中走行となった。
路面が潤い、雲の模様がダークグレーの路面に映っている。
その模様を自転車のタイヤが切って走る。
水飛沫が足に掛かり気持ちよい。

清々しい朝に気持ちよく挨拶ができるという喜び。
人がいるという安心感。
それだけで雨というマイナス要素を吹きとばしてくれる。

道脇にはロバもいる。
雨が降っているというのに何かを考えているフリをしながら突っ立っている。
だからウスノロと呼ばれてしまうんだ。
それにしても意外とかわいい顔してるな、お前。
私はそんなお前が好きだよ。

道の両脇から始終子供の声が飛んでくる。
単に「お金ちょうだい」から、あいさつしてから「お金ちょうだい」、「お菓子ちょうだい」。
挨拶だけする子供。
なんだか嬉しくなってしまったのは、
遠くから大声で私を呼び、大腕を振って、私が気付いて手を振り返すと、
まるでボールのように飛び跳ねて転がって喜んでいた子供の姿だ。
この差はどうして生まれるのだろう。
私と話すとき「sir」を付けて丁寧に話す子供がいる村もあれば、
出合い頭に「金くりゃぁあー!」なんてのもある。
普段見慣れぬ人を見たら「お金くれ」ってのは、以前そういうことをやって成功した、
いくらかの金を手の入れた者がいるということかもしれない。
誰があげたのだろう。迷惑なもんだ。

一番驚いたのはサンデースクール(子供を対象にした聖書を読んだりする教室)の先生のような女性に、
「お菓子はないの?」と聞かれたことだ。
スクールで子供たちが集まっていたので自転車で走りながら眺めていると、先生が気付いて子供らに私を呼ぶようにけしかけていた。
すると子供たちは行儀よく先生のいうことを聞いて私を呼ぶではないか。
呼ばれたら行きますよ。
そして子供たちがお菓子を求め、先生の口から出たのが先の言葉。
本当にこんな教育でいいのだろうか?
神はそのように教えているのか。
教会に属していると慈悲とやらで色々なものを貰えるのだろう。
慈善とか慈悲とか美しい言葉だけど、一歩間違えると依存心の強い人間も作り出してしまう。
もしかしたら以前自転車に乗ったサンタがここを通って、子供たちのお菓子を配ったのかもしれない。
だから私を見てサンタクロースが来たと思ったのかもなぁ。なんて考えていた。

魚のフライやファットケーキ、果物を売る露店が目につき停まった。
子供とおばちゃんが並んで売っている。
魚20円、ファットケーキ10円と言われ、一つずつ買って食べる。
魚が思っていたのよりもうまい。
日本で食べたら骨が歯茎に刺さるアジなのだがここはアフリカだ。
骨?それは少し硬い繊維に過ぎない。
旨かったのでもう一つ買おうとすると少年がやってきて、
「魚は一個10円だからもう一個食べていいんだよ」と教えてくれた。
私は意味がよくわからず呆然としていると、魚を売っている女がバツの悪そうな顔をしている。
それで私にもようやく状況が飲み込めた。
魚屋の女が値段を偽って私に売ったのだ。
「この野郎、騙したな」と悪戯っぽくいうと、渋々ともう一つ魚を渡してくれた。

今教えてくれたということは、少年の中にも葛藤があったのかもしれない。
一度しか来ないであろう見知らぬ外国人の肩を持つより、いつも一緒に物を売っている仲間の肩を持った方が彼にとってもいいに違いない。
それでも私に真実を教えてくれた。
嬉しかった。
彼の売っていたジュースを凍らせただけのアイスを買って、お釣りをあげた。
「君の正しい行いに、ありがとう」と言うと、
「God bless you」と返してくれた。
何が正しいかなんて私にはわからない。
でも私が住みたい世界にすべくできることをやる。
正直者が損をする社会には住みたくない。
見知らぬ人をだますような人間がのさばる世界には住みたくない。
私ができるのはただそれだけ。

行動中に飲む水ボトルが空になっていたのでどこかで補給しようと村に寄った。
大樹が作る大きな木陰で、大勢の女と子供達がエウニと呼ばれる野生の果物を売っている。
ソフトボール大の黄色い殻に包まれた果物で、殻の中に茶色いゼリー状の果実が入っている。
味パッションフルーツのような味で、とても濃くて目が覚める味だ。
唯一困った点は種が大きく実離れが極めて悪いことだ。
自転車を降りて押しながら近寄ると、もうそれはそれはすごい人だかりができた。
みんなエウニを持って、いくらだ、私のを買え、と押しかけてくる。
ところが困ったことに、どのそれも同じものだし、値段も変わらない。
買う方にとってはどれも同じものなので正直どれでもいい。
適当に選んで買い、もう十分と!と人だかりを振り払って少し離れた木陰に逃げた。
売る側に個性がない。
アフリカでは露店もそうだ。
同じように傾いた小屋で同じように退屈そうに座ったおばさんが同じものを売っていることが多い。
どうして個性を出して買ってもらおうと考えないのだろうか。
そういうところが商売下手で、美味しい部分をみんな中国人やインド人に持ってかれてしまうのではないだろうか。

私が砂地に座ってエウニの実を口の中で転がしていると(何せ実離れが悪いので口が疲れる)、目の前に子供が4-5人やってきて寝転がってエウニを食べて始めた。
ある男の子と目が合うと、眉毛をクイッと上げてお互い何かを確認し合ったようにしてから、またエウニの果実を頬張る。
私の一挙手一投足が気になるのだ。
いつの間にやら周りには子供が二十人くらいやってきていた。
桃色のフリルの付いたシャツ、首には黒いスカーフを巻き、白のスカートを揺らして一人の中学生くらいの女の子がやってきて、
「これ、持って行って。あなたのだから」と一つエウニを差し出してきた。
くれるの!!と驚いていると、彼女はどうやら私がお釣りを取っていないことに気付いて返しに来たようだった。
一個5円と言われて10円払い、あまりの人の多さに釣りをもらうのを忘れていたのだ。
私にとっては5円を貰うより、早くあの人だかりから逃げ去ることの方が大事だったようだが、
エウニを一つ5円で売っている彼女にとっては意外と大きかったのかもしれない。
そういう律儀な人はそれだけで美しく見える。
木々の葉が作る憂鬱そうな影も桃色のシャツの上では楽しそうに揺れていた。
他にもエウニで汚れた手に「洗いなよ」と言って水をかけてくれる女の子がいたり、
この村では何かを求められる空気がまったくなかった。
何かをあげられない状況において、何かを求められている空気にいるのはとても疲れる。
気にしなければいいのだろうが、相手が人である以上気にしないわけにはいかない。
まだ旅慣れていないからかもしれない。
だからこの「何も求めない空気」がとても心地よく感じられた。
しかしこのエウニ何かに加工できないものか?
これだけ売っている人がいるのに買いに停まるのは稀に通り過ぎる車の客だけだ。







2013年11月30日土曜日

村の水汲み

ナミビアの北東部は不思議な形をしている。
まるでビクトリアの滝が欲しくて手を伸ばしているようだ。
それでも結局ビクトリアの滝までは届かず、その手前でザンビア、ジンバブエ、ボツワナと接している。
この地域はアンゴラとの戦争時に地雷が使われ、現在も埋まっている場所があるという。

グルートフォンテイン(Grootfontein)から北上しルンドゥ(Rundu)に入り、そこからアンゴラとボツワナにはさまれたこの細い回廊を東進する。
ツメブ(Tsumeb)から雲が多くなり始め、グルートフォンテイン以降ずっと曇りで、とうとうルンドゥの手前で雨にやられた。
この辺りから緑も多くなり、雨が比較的多い地域になっていく。


ようやく乾燥とはおさらばなわけだ。
ちょうどこれから雨季になるということもある。
今までが乾燥しすぎていたので、湿った空気が嬉しい。
唇は荒れないし、指先も潤っている。

グルートフォンテインからルンドゥまでは町はなく、小さな村がいくつか点々とあるだけだ。
村があるので水は手に入る。
それだけでも気持ち的にすごく楽だ。
だいたい17時くらいに疲れが出てくるので、行動を切り上げる。
丁度その時間になると村から灯油タンクやバケツのようなものを頭にのせた女性や子供が出てくる。


水を汲みに行くのだ。
共用の蛇口は村にいくつもあるわけではないので、こうして水汲みを毎日行うのである。
泊めてもらった村人の家は歩いて蛇口から10分程の距離にあった。


私が村で「テントを張ってもいいか」と交渉していると、どこからともなく容れ物を頭に乗せて、静かに会話しながらみな同じ方向へ収束していく。
なんだか面白そうだ、テントを張ってから家の人に付いていった。
共同の水汲み場にはたくさんの女性と子供たちがいた。



私も行動中の水ボトルが空だったので少し貰った。
この辺りから少し水道水(井戸からポンプで汲み上げている)が塩類を含むようになる。
まだここのはさほど強くはなかった。
暫くしてタンクに溜まった水がなくなり、今日の配水は終わった。
管理している若い男に対して、一人だけブツブツと文句を垂れていたが、他は概して「しょうがないかぁ」と諦めて空のポリタンクを手に頭に帰っていった。
空のタンクを持った6、7歳の子供たちが楽しそうに帰っていく夕暮れであった。
水を手に入れた人々も満足そうにゆっくりと歩いて帰っていった。


私も自転車で来ていたので一つ大きいのを運ぼうとしたが大変重い。
片手で持ち、それをサドルからハンドルに伸びるバーに乗せて走るのだが難しい。


村に戻って夕飯の支度をしていると、10mほど離れた柵の向こうから子供達が顏をを覗かせている。

その後村の男の子が私に興味をもって、やってきた。
辺りはだいぶ暗くなっており、私には彼の顔がはっきりと見えなかった。
日本人は中国人にそっくりだね、と彼に私は見えていたようだ。
その後、日本やナミビアの話、彼がなりたいパイロットの話をした。
いつか彼も私のように自転車で旅をしたいと言っていた。
10年後くらいにはいろんなアフリカ人が自分の住む大陸を自由に行き来できるようになっているのだろうか。
雲を避けるように惑星が西の空に輝いていた。

朝目覚めて朝飯を取っていると、体から出たいものの声が尻の方から聞こえてきた。
家主のおあばちゃんにトイレ貸して!と聞くと、
道を挟んだ林の方を指さしている。
そうか、なんとも大きなトイレじゃないか!
道行く車を茂みの中から見送りながらする朝の一仕事は気持ちよい。

朝飯を食いながら準備していると子供達が興味津々で覗き込んできた。
何してるの!?


これまでの村で必ず何かをねだられてきたので、この子らにも何かねだられるのではないかとハラハラしていたが、
何も求めてこず気持ちよく私を見送ってくれた。

2013年11月26日火曜日

ごみ捨て場の住人たち

愛すべきサッキーが私に提案してくれたことがある。
ごみ捨て場に行ってみろ、と。
そこには人が住んでおり、ごみを食って暮らしている、サルも時々やってきて一緒にごみを食っている、と。
まるで彼は私が旅で何を求めているのかを理解しているようだった。

彼に提案されてから実際に行くまでには3日あり、様々な想いがよぎっては去って言った。
趣味は悪いかもしれないが、彼らがどのように暮らしているのかを見てみたいという気持ちはとても強かった。
しかし、自分のような別の世界に住んでいるような人間が見ることで、彼らは不快な思いをするのではないか。
彼らと対峙すれば、どう転んだって「持てる者」ー「持たざる者」の関係が生じ、何かを要求されるのではないか、と思い、足がなかなか動かなかったのだ。
さらにその場が持つ独特な空気に飲み込まれてしまうのではないかという不安もあった。
そしてようやく三日後に私の中で見たいという気持ちが勝り、行く決心がついた。

サッキーに教えてもらった通りの方角に歩いていく。
パステルカラーに塗られた家が並ぶ住宅街を抜けると給水塔が現れた。
警備員がいるが、水が駄々漏れしおり、そこだけ緑が豊かになっている。
給水塔の向こうは森が広がっているが、芽吹いておらず冬の様相だ。
警備員にごみ捨て場への行き方を尋ねると、連れていってやると森の中を先導してくれた。
人が通ってできたいく筋かの径が、葉のない透けた森の中を不規則に通っていた。
警備員は黙々とその径を辿り、私も後を付いていく。
15分位歩いたろうか、警備員は警備そっちのけでいいのだろうか。
裸の森に人が住んでいる気配が出てきた。
毛布やごみが散らばっている。
ごみの密度が高い方へ高い方へ行くと、果たして5メートルほどのごみの壁が立ちはだかったではないか。
裸の木々には白いビニールの花が咲いている。


風で舞ったものが木々の枝に捉えられたのだ。
ごみの壁を左に巻いて向こう側へ行くと何軒かの家が現れた。
道に3人の若い男が座って話し込んでいる。
挨拶をするが軽い返事があるのみで、怪訝な目で私を見ている。
ごみを運んできたトラックとそれを追う人も遠くに見えた。

警備員も暫く興味深そうに見ていたが、「そんじゃ、俺は行くでね」と言って来た道を帰っていった。
警備員が消えると、さっきの若い男が鉈を持ってゴミの山を登って近づいてくるではないかぁ。
あぁ、ここがやられる場所か、と手にしたカメラをしまいながらスタスタと速足で鉈男と反対の方へ歩いた。
それからおばちゃんたちのいる、安全そうな方へ行った。
後でこの鉈男とは会話もしているのでで、おそらく私を襲おうとしたのではなかったのだろう。
でも怖かったよ、兄さん。
自分が鉈を持っているということを考えて行動してくれよ。

タイヤを削っている男(タイヤは強い繊維が入っているので色々なものに使える、タイヤの繊維を売っている露店があるくらいだ)。


ごみ山から何かを集めてビニールに詰めている女。
ごみを運ぶトラック。
それを追う若い人々。


つむじ風に空高く舞うビニール。


石を詰めた土嚢を積んで建てられた家。




その家の前を掃除する小学生くらいの兄と幼い妹。


木陰で話し込んでいる女たち。
収穫物をビニールにたくさん入れて森の小道を帰っていく男。


意外にも平和な空気がそこにはあった。


ここに来るまではごみ捨て場に住んでいるくらいだから荒んだ人々なのだろう、と思っていた。
ところが違った。

トラックからゴミが降ろされて、人が群がっている場所に向かった。


初め変な来客に警戒していたので遠巻きに見ていた。
近くに8、9歳くらいの男の子が本を漁っていたので見ていると、
「オジサンも本を探しに来たの?」と聞かれた。
うん?そう見えるかい?
彼らは教科書を探しに来ていたのだ。
これは理科だぞ、とか、算数ない?とか話しながら3人で仲良くやっている。
そうここには争いはない。
収穫物と共に



少し遠くで食べ物を漁っている大人たちも何か話しながら、時には笑いながらやっている。
その風景はもはやごみを漁っているようには見えなかった。
買い物をしている。
新しいものではないし、欲しいものが必ず手に入るわけでもない。
そしてレジでお金を払う必要はない。

少し私の存在に違和感がなくなってきたので、
食べ物を漁っている、いわば核心部に行ってみた。
子供達が写真を撮れ、撮れと言っている。
それでも女性たちは恥ずかしいからやめとくれ、といった様子で顔を隠す。


ゴミと言っても多様で、場所によって異臭を放ってハエを遊ばせている場所もあれば、段ボールや紙類だけで長時間いても嫌にならないような場所もある。
比較的きれいな場所に女性は陣取って座り、採集している。
子供はジュースのペットボトルを開けて、中に残った僅かな蜜を蓋をコップ代わりにしてすすっている。
その様がお猪口で酒を飲んでいるみたいで面白かった。
男はフラッとやってきて、えっ、それ大丈夫か!?というような残飯を手ですくって食べていた。
十代の若い女性は熟れに熟れたトマトを手に持って齧っていた。
離れたところではお爺さんが缶を集めていた。
これをどっかに持って行ってお金にするのだと身振り手振りで教えてくれた。
カメラを向けると嬉しそうに缶を見せてくれた。


ここで一番驚いたのはお金を要求してくる大人がいなかったことだ。
みな自分の生活を独力で営もうという気概持っていた。
金銭的に貧しいことが他人への依存を生むわけではない。
さらに意外にも彼らの生活に笑いがあったこと。
私のカメラから逃げるのでさえ楽しそうであった。
ごみ山という要素がなければ、それは何ら変哲もない普通の生活と言っていいものだった。
それにごみ山では彼らを養うだけの十分な食べ物が手に入っているようだった。
日本のごみ山は恥ずかしいことであるが、彼らにとっては宝の山と映るだろう。

見ておいてよかった。