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2013年11月26日火曜日

ごみ捨て場の住人たち

愛すべきサッキーが私に提案してくれたことがある。
ごみ捨て場に行ってみろ、と。
そこには人が住んでおり、ごみを食って暮らしている、サルも時々やってきて一緒にごみを食っている、と。
まるで彼は私が旅で何を求めているのかを理解しているようだった。

彼に提案されてから実際に行くまでには3日あり、様々な想いがよぎっては去って言った。
趣味は悪いかもしれないが、彼らがどのように暮らしているのかを見てみたいという気持ちはとても強かった。
しかし、自分のような別の世界に住んでいるような人間が見ることで、彼らは不快な思いをするのではないか。
彼らと対峙すれば、どう転んだって「持てる者」ー「持たざる者」の関係が生じ、何かを要求されるのではないか、と思い、足がなかなか動かなかったのだ。
さらにその場が持つ独特な空気に飲み込まれてしまうのではないかという不安もあった。
そしてようやく三日後に私の中で見たいという気持ちが勝り、行く決心がついた。

サッキーに教えてもらった通りの方角に歩いていく。
パステルカラーに塗られた家が並ぶ住宅街を抜けると給水塔が現れた。
警備員がいるが、水が駄々漏れしおり、そこだけ緑が豊かになっている。
給水塔の向こうは森が広がっているが、芽吹いておらず冬の様相だ。
警備員にごみ捨て場への行き方を尋ねると、連れていってやると森の中を先導してくれた。
人が通ってできたいく筋かの径が、葉のない透けた森の中を不規則に通っていた。
警備員は黙々とその径を辿り、私も後を付いていく。
15分位歩いたろうか、警備員は警備そっちのけでいいのだろうか。
裸の森に人が住んでいる気配が出てきた。
毛布やごみが散らばっている。
ごみの密度が高い方へ高い方へ行くと、果たして5メートルほどのごみの壁が立ちはだかったではないか。
裸の木々には白いビニールの花が咲いている。


風で舞ったものが木々の枝に捉えられたのだ。
ごみの壁を左に巻いて向こう側へ行くと何軒かの家が現れた。
道に3人の若い男が座って話し込んでいる。
挨拶をするが軽い返事があるのみで、怪訝な目で私を見ている。
ごみを運んできたトラックとそれを追う人も遠くに見えた。

警備員も暫く興味深そうに見ていたが、「そんじゃ、俺は行くでね」と言って来た道を帰っていった。
警備員が消えると、さっきの若い男が鉈を持ってゴミの山を登って近づいてくるではないかぁ。
あぁ、ここがやられる場所か、と手にしたカメラをしまいながらスタスタと速足で鉈男と反対の方へ歩いた。
それからおばちゃんたちのいる、安全そうな方へ行った。
後でこの鉈男とは会話もしているのでで、おそらく私を襲おうとしたのではなかったのだろう。
でも怖かったよ、兄さん。
自分が鉈を持っているということを考えて行動してくれよ。

タイヤを削っている男(タイヤは強い繊維が入っているので色々なものに使える、タイヤの繊維を売っている露店があるくらいだ)。


ごみ山から何かを集めてビニールに詰めている女。
ごみを運ぶトラック。
それを追う若い人々。


つむじ風に空高く舞うビニール。


石を詰めた土嚢を積んで建てられた家。




その家の前を掃除する小学生くらいの兄と幼い妹。


木陰で話し込んでいる女たち。
収穫物をビニールにたくさん入れて森の小道を帰っていく男。


意外にも平和な空気がそこにはあった。


ここに来るまではごみ捨て場に住んでいるくらいだから荒んだ人々なのだろう、と思っていた。
ところが違った。

トラックからゴミが降ろされて、人が群がっている場所に向かった。


初め変な来客に警戒していたので遠巻きに見ていた。
近くに8、9歳くらいの男の子が本を漁っていたので見ていると、
「オジサンも本を探しに来たの?」と聞かれた。
うん?そう見えるかい?
彼らは教科書を探しに来ていたのだ。
これは理科だぞ、とか、算数ない?とか話しながら3人で仲良くやっている。
そうここには争いはない。
収穫物と共に



少し遠くで食べ物を漁っている大人たちも何か話しながら、時には笑いながらやっている。
その風景はもはやごみを漁っているようには見えなかった。
買い物をしている。
新しいものではないし、欲しいものが必ず手に入るわけでもない。
そしてレジでお金を払う必要はない。

少し私の存在に違和感がなくなってきたので、
食べ物を漁っている、いわば核心部に行ってみた。
子供達が写真を撮れ、撮れと言っている。
それでも女性たちは恥ずかしいからやめとくれ、といった様子で顔を隠す。


ゴミと言っても多様で、場所によって異臭を放ってハエを遊ばせている場所もあれば、段ボールや紙類だけで長時間いても嫌にならないような場所もある。
比較的きれいな場所に女性は陣取って座り、採集している。
子供はジュースのペットボトルを開けて、中に残った僅かな蜜を蓋をコップ代わりにしてすすっている。
その様がお猪口で酒を飲んでいるみたいで面白かった。
男はフラッとやってきて、えっ、それ大丈夫か!?というような残飯を手ですくって食べていた。
十代の若い女性は熟れに熟れたトマトを手に持って齧っていた。
離れたところではお爺さんが缶を集めていた。
これをどっかに持って行ってお金にするのだと身振り手振りで教えてくれた。
カメラを向けると嬉しそうに缶を見せてくれた。


ここで一番驚いたのはお金を要求してくる大人がいなかったことだ。
みな自分の生活を独力で営もうという気概持っていた。
金銭的に貧しいことが他人への依存を生むわけではない。
さらに意外にも彼らの生活に笑いがあったこと。
私のカメラから逃げるのでさえ楽しそうであった。
ごみ山という要素がなければ、それは何ら変哲もない普通の生活と言っていいものだった。
それにごみ山では彼らを養うだけの十分な食べ物が手に入っているようだった。
日本のごみ山は恥ずかしいことであるが、彼らにとっては宝の山と映るだろう。

見ておいてよかった。

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