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2014年6月14日土曜日

かわいい至上主義

日本はかわいいものの地位が高い。
かわいいキャラクター、かわいい洋服、かわいい女の子、かわいい鳩山由紀夫、、、しまいにゃご老人までもかわいいとしてもてはやす風潮が若者の間にはある。
外国の人と一緒にいるとそういう文化が極めて異色なものだと気が付く。そもそも日本以外の人はかわいいものへの興味が薄い(最近は日本の文化の影響で外国でもKawaii文化が根付きつつあるという話もあるが)。

女性の外見に対する好み。モテる女はセクシーで美しいという要素が大きい。だからファッションもかわいい要素は殆ど見られず、セクシーさ一本だ。女性を褒めるのも「cool」や「sexy」であり可愛いに相当するようなものは聞かない。一方日本では女の外見を評価するときに(20代くらいまで)は「かわいい」指標が「セクシー」や「美しい」のそれよりも重視されている気がする。日本で女性をセクシーと評価するのは極めてまれで、パッと思い浮かぶのは檀蜜くらいか。30代を越えたあたりから「美しい」が評価の中心になっていくあたり、外国と比べると少し時間にタイムラグがある。それは日本の女性の容姿が他国の女性に比べて幼い傾向(ネオテニー)があり、そう言う遺伝的な特徴も文化に影響を与えているように思う。逆に日本の社会が幼く見える女性を歓迎してきたという事実が長い年月をかけて日本の女性の顔を作ってきたとも言えるかもしれない。

「かわいい」にはどこか儚げで小さく、弱いものを慈しむ心が含意されている。代表されるのは親が子供に持つ感情だろう。おそらく日本の男は日本の女性を見る時にどこかでそういう守ってあげたいと思わせる要素を常に探しているのではないか。それが「かわいい」という評価となって表出してくる。だから世界の流れが男女同権同等の今でも、女性は常に庇護を受けるべき対象であり、必然とそれが女性を社会的に男性よりも下たらしめてしまっている。そういう日本の文化の底辺に流れるものが日本の男女平等を阻んでいる気がしてならない。

では大人の間でかわいいキャラクターが好まれるのはどういうことだろうか。私は親に先生に「弱いものいじめはいかん!」と1000回くらい言われて育ってきたから、弱いものをいじめることがなぜいけないのか、特に探究したことはなくそれは聖書に書かれている事の如くに絶対的真理であると信じている。本当はどうか知らない。まぁ結局人は皆弱いものだし、全体的なバランスの上での平和を考えれば弱者を救済した方がいいということになるのだろう。今回はあまりこれについては考えないようにしよう。
おそらくそうやって育ってきた日本人は多いのだろうと思う。つまり社会全体が弱いものいじめする人=悪者という風潮だ。いたって健全ではないか。そしてそこに日本人の主張しすぎない文化、悟ってほしいという言わずに伝えようとする文化が入り交ざるとかわいいキャラクターを身に付けたり好んだりする傾向が生まれるんじゃなかろうか。
妊婦さんマークというものを思い出してほしい。あれは完全に言わないでもわかってほしい、気付いてほしいという文化が作りだしたものだろう。何でもさりげなく、あまりことを大きくしないように何かを伝えたい。
かわいいものを身に付けるという行為は「かわいいものに対して好感を持っていますよ」つまり「弱い者の味方ですよ」という無意識の暗示なのではないだろうか。声高に弱い者の味方と叫ぶのは日本の文化的コンテクストに沿うと出過ぎている感がある。しかしその旨を何かを介して伝えたい。それが形となってがかわいいキャラクターを身に付けたり好む傾向に繋がっている気がする。もちろん子供がかわいいマスコットが好きなのは別な理由があるだろうが。

また若者がお年寄りに対してかわいいという気持ちが芽生えるのは一見失礼なように見えて、それは素直に表現できない弱者への慈しみの情なのではないかと思う。お年寄りはその多くは肉体的弱者であって、弱者をかわいいと言って慈しむのは日本の文化らしいじゃないか。だから若者に可愛いと言われたからといって怒らないでほしい。むしろ懐に忍び込んでしまえばいいのではないだろうか。

女性の外見を評価する時に美しさ、セクシーさ、聡明さなどに加え、可愛らしさというがあるのはユニークで私は好きだが、外国の人にはもしかした異様に映っているのかもしれない。

しかし鳩山由紀夫がかわいいのはなぜだろう。未だにその謎が解けずに煩悶する日々だ。

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