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Africa!

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2014年5月27日火曜日

ヘンチクリンな国、ニッポン

先日チャールズとこんな話をした。
チャ「日本は遅れているよね」
私「ん???どういう意味?」
チャ「世界の潮流に乗り遅れている」

確かにそうかもしれない。例えば世界で流行っているヒップホップやラップは他の国に比べ存在薄いし、二年前くらいに流行ったPSYの「江南スタイル」も他の国ほど日本では受けなかった。代わりに日本では世界に類を見ないマスガールズグループAKBが大フィーバー。
ドラマにしても最近は外国のものも充実してきてはいるが、英語を日本語に吹き替えたり字幕を付ける必要があるのである程度の幅の制限がある。アフリカやフィリピンなど英語を使う国では違法コピーだろうがなんだろうが玉石混淆多種多様な映画や音楽が入り込んでいる。

そして極めつけは、
「日本人は男も女も陰毛を剃らない、それは遅れている!」と言われてしまった。な、なぜそれを知っている!?さすが日本食レストランで働いているだけある。いや待て!このレストランではヒジキを扱っていないはずだぞ!?なぜ知っている。
そうなのだ。意外にも外国の人ってお毛々を全部剃るのが普通なのね。日本でも剃毛派はいるがまだまだマジョリティーを獲得しているとはいいがたい。ちなみに私は日本ではマジョリティーの方だ。あ、聞いてないよね。帰ったら日本が剃毛フィーバーになっていたら嫌だなぁ。一人乗り遅れてしまう。今のうちに剃っておこうか、否か。。。

日本のポルノは海外でも絶大な支持を受けているが、あのお毛々はいただけない、萎えるよーという意見をしばしば聞く。中学校の頃、同じ部活の変態君が(私じゃないよ)「毛を剃ったらチクチクする」と言って、他部員にドン引きされていたが、今考えると彼は時代の先を行っていたのかもしれない。いつの時代も先駆者は異端というレッテルを貼られ虐げられる運命なのだ。剃毛派もその例に漏れずか。。。


話を「日本が遅れている」ことに戻そう。
何をもってして遅れているというのだろうか。
彼と話しているうちに少しずつ彼のいうモダン、現代的な潮流というものがつかめてきた。それはどうやら西洋化、アメリカ化することをモダンと考えているようだった。しかしそれは本当の意味でモダンなものなのか?と言いたい。下の毛の話で言えば、日本は江戸時代の記録に陰毛処理があったことが記されており、日本において下部剃毛はさほどモダンなものではなく、むしろ時代遅れのものと言えるんじゃないか。さらに言うと、線香などで焼き切り毛先を丸めることで、私の友人の悩みであったチクチク感すらも対処していたという。そう反論したが、あまりにコア過ぎて彼を説得できなかったのは日本男児として痛恨の極みである。日本国の皆様、誠にかたじけない。

確かに世界の潮流、流行りというのはある。しかしその潮流って言ったって世界人口のいくらが乗っているというのだ。

一時期グローバル化なんて言う言葉が流行ったが、私はグローバル化は好きでない。当時の日本のグローバル化はどうしても西洋追随的な要素が大きくて、東洋や他が持つ文化を否定していく脱亜入欧的な作業であったように思う。確かに今ある資本主義の概念は西洋で生まれ育まれてきたものなので経済中心で話をすると、どうしてももともと東洋やその他の地域に根付いていた文化や様々な基礎が否定されがちになる。まだその傾向はあるにせよ、現代は経済力が全てという時代ではない。国の価値は経済ではなく積み重ねられてきた歴史や文化であって、経済はそれらが生みだす一つの結果に過ぎない。

私の場合。旅をしていて一番興奮するのは他では見られないものを見たときだ。その土地土地のユニークさ。人々のユニークさ。下手なグローバル化はそのユニークさを奪う。だから前時代的なグローバル化が嫌いなのだ。
このユニークさに関しては日本は英語使用者が比較的少ないおかげで今のところずいぶん恩恵を受けていると思う。英語での文化共有がしにくいためにユニークさが保たれ、更にはそれが独自に進化するといったことが起こる。ガラパゴス現象だなんていう言葉が生まれたのもそう言う背景があったからに違いない。

もちろんそれでよかった、よかったとはならない。今の日本のユニークさは消極的な姿勢から受けている恩恵なので今後その状況が続くとは期待できない。英語での情報共有ができないことが不利に働く可能性はある。いいか悪いかは別として日本の政治が積極的になり始めている今こそ、文化の面でも日本は積極的に行動していくチャンスかもしれない。それはクール・ジャパンとしてすでに日本食、酒やアニメなどの分野で進められている。

今の日本は前世代的なグローバル化は去り、自分の国が持ついいところに目を向けていっていることが伺える。再発見!的な。下手をするとナショナリズムになるが、一人一人が外の世界をしっかり見てバランスを取ってさえいればそれはパトリオティズムとなり、それは日本にとっても世界にとってもとても喜ばしいことだと思う。

ヘンチクリンであれ、ニッポン!








2014年5月25日日曜日

太陽と北風

太陽と北風という話があったが、今働いているレストランの経営者の二人の性格がそれを表現しているなあと思うので少し紹介したい。

アリフとチャールズは日本料理屋で働いている時に知り合って、ビジネスパートナーとしてともに異国の地ウガンダで日本食レストランを開いた。
アリフの経営におけるモットーはさすがカナダらしい「働く人みんながそこそこ満足できるような経営」を目指している。一方チャールズはいかにもアジアらしい全体主義的な「個々が多少は我慢して全体的によくしよう」というものだ。この信条の違いはあらゆる場面で現れてくる。例えば休日について。アリフは事前に報告すれば休日の変更は可能だがチャールズは一切認めない。体調不良のための早引きもアリフは話を聞いて判断するが、チャールズは冷たい程に許可しない。まかない料理もアリフは充実させて満足いくようにさせたい、と考えるがチャールズは決められた額でやらせようとする。給料もアリフは能力によって比較的簡単にあげようとするがチャールズはあまりそれに乗り気ではない。
一見するとチャールズが冷たく厳しすぎるようにも見えるが、単純にそうとも言い切れない部分がある。例えば休日を急に連絡なしでいれたり、偽りの理由をでっちあげたり、どこまで信じていいかと言われると日本のように信用できないのが現実だ。
どちらにも分があるので何とも言えないが、アフリカンに対してアジアの厳しく締め付けるやり方は難しいのかな、とも感じる。かといって緩くすると舐めてかかるということもあるのでバランスが大事。だからこそこの二人は正反対の信条を持ちながらもくっついたのかもしれない。その間に挟まれ時々悶えながら、私は楽しんでいる。

2014年5月13日火曜日

ルパン

フィリピンでもルパンは人気のアニメのようでチャールズがルピーン(英語発音はルピンなのだそうだ)と言ってレストランのスタッフを罵っていた。というのも私が店に働き出して三日目に大規模な横領が発覚したのだ。店の帳簿管理がおざなりなため正確な数字はわからないが、毎日ではないが取られた日は一日当たり4万円ほど、多いときは12万円程掠めとられていたようだ。そんなに大量のお金が盗まれていたのに気付かないのは管理する側の問題ももちろんあるが、常に疑ってかからなければいけない社会というのは寂しすぎる。今までもサーモン一尾、ワインをケースごと盗まれたことがあったようで、それが原因で経営者側はアフリカ人スタッフを全く信用していないうえ、やはりどこか距離を感じる。

盗みの主犯格と見られるレジ係の二人は翌日即刻クビ。そして証拠はないがかなりのアフリカ人スタッフも関わっていると経営者側は疑っている。しかし警察沙汰にする気はないようだ。警察に届けてもお金は返ってこないから、と言うのが理由だそうだがもっと事情が複雑なように見える。

さてどうやって見つかったか。その日はとても忙しい日でかなりの売上があったと思われる。しかし店を閉める時にオーナー自らがコンピュータに記録された売上を計算すると思ったよりもかなり少なかった。そこで何かがおかしいということに気が付いたようだ。それでパソコンの売上登録を調べていくうちに事態が発覚したというわけ。レジ打ちの一人は罪を告白したようだが、もう一人はかなり動揺しながらも白状しなかった。しかし彼が最近トヨタのランドクルーザーを購入しそれで通勤していたことが目撃されており、そして服装も携帯も彼の給料ではとても買えないような代物を持っていた。それを問い詰められた彼は姉に買ってもらったという。
そしてもう一つ、スタッフには毎日昼と夜に賄い料理が出されるのだが、それが近頃手を付けられずに廃棄されているのが見られた。飯は他で食えるからいらないとでも言うかのように。事態が収拾した後は廃棄はそこまで多くなかったので、やはり他のスタッフもなんらかの形で甘い汁を吸っていたのだろう。

何が問題なのか。これだというのは難しいが、見ていて感じるのはスタッフと経営者の両者が表面でしか結びついていない、信用し合っていないことがあげられる。しかもそれはどこで始まったかわからない悪循環によって生み出されていると思うのだ。アフリカでは極めて普通だが時間外でも働かせられる。安定したシステムがないので弱いものが一番追いつめられる。などスタッフが持つ不満は大きい。そして何かあると代わりがいくらでもいるのですぐにクビにされるという怯えがあり、嘘を付いて保身に走る。だから経営者側も期待している成果を得られず益々苛立ち、更に嘘ばかりで本当の情報が入って来ることがなく、うまく行かない。オーナーのアリフは経営が落ち着いたら、スタッフの給料をもっとあげて医療保険もつけてやりたい、というビジョンを持っているがそれがなかなか形にならず、またスタッフとの対話が少ないために伝わっておらず未だに難しいのが現状だ。

ウガンダにおけるレストランのスタッフの支払われる額としてはそれほど安いものではないが、やはり一日12時間働いてそれほどではあまりモチベーションもわかないのではないか、と思う。オーナーは経営が圧迫されているので自分はあまり給料は取っていないというが、それでもアフリカンスタッフとは比べものにならない程いい生活ができる。誤解のないように断っておくが、ウガンダにおいてはアリフはかなりスタッフを優遇している方である。ただ、客四人くらいが一食食べると彼らの一カ月分の給料ほどの値段。ウェイターはそれらたったの一食に惜しげもなく払われるお金をどういう思いで受け取っているのだろう。利益が出ても横領されて帳消し、低賃金が繰り返され、さらにスタッフの鬱憤が溜まりまた別の横領、、、悪循環を断ち切るのは難しい。

横領や不正はアフリカでは頻繁に起こっており、この図式は一レストランに限らず、国レベルにも当てはまる。


2014年5月12日月曜日

お便様

今日は少し汚い話をしたい。食事中の方、並びに汚い話が好きではない方はここまで読んだらすぐにこのページを離れてほしい。



汚い話が好きなので先に進む方はどうぞ下へ。


人生で初めて便秘になった。これは秘密の話だが私は一日に二回、多いときは三回も便を生産する快便派オプティミストだったので少なからずショックを受けた。便秘の原因は風邪薬だ。処方を受ける際に医師から「便秘になる可能性があるから食物繊維と水分をしっかり摂ってね」と言われたが、生れてこの方30年便秘の足音すら聞いたことがなかった私は、「ふむ、無縁だな」と軽く受け流していた。しかし医師の予告通り私は便秘になった。とは言えまだ二日出ていないだけだが。

便秘を辞書で調べてみたら、素直な表現で「大便が滞ってでなくなること。またその状態。」そしてとどめに「糞づまり」と出てきた。あらまぁそんなに開けっぴろげな表現でいいものかしら、といった心持ちだ。一方「便秘」という表現は音はともかく、何とも奥ゆかしい表現ではないか。便(便り)を秘めるなんていうと、何だか伝えたいことがあるのに様々な複雑な事情から思いを伝えられずに悶々としている状態のようにも聞こえる。しかし残念ながら日本語の便秘は、大便が秘められて出てこない状態を表す言葉として使われるようになってしまった。そう考えると言葉というのは不本意ながらその役目をさせられている奴もいるんじゃなかろうか、と思えてくる。柿ピーのけなげ組に登場できるやつはたくさんいるだろう。しかし便秘の場合は便秘が悪い。ベンピという音は強すぎて便りを秘めているような音ではない。やはり便秘は便秘なのだ。ベ・ン・ピ!

話は変わるが便秘とはなかなか大変なものである。便意が無いようであるから便座に座ったままお便様が門をおくぐりになるのを待たなければならない。お便様が門のすぐそばでお遊びになられているものだから、便座から離れようかどうしようかと決心がつかない。便座を離れたとたんに、お便様がおこし遊ばせられたらお便様を待たせてしまうことになる。それはお便様に対して大変失礼なことである。もしかしたら少し促し奉ればおいでになるかもしれない。便秘の人は本当に長い時間をお便様に費やしていると考えると、何かお手伝いをしてさしあげたい気持ちにすらなるが、お便様のことは個々人に至極私的なことであるがゆえ通常は他人が関わってはいけないものである。そう、そこだ!お便様は私的なものであるがゆえに、便所は物事を考え内省するにはもってこいの場所なのだ。京都に哲学の道なるものがあったかと思うが、あの哲学の道は便所に通じているに違いない。考える時間を与えられていると取れば、便秘の方が不憫だと思うのはお門違いのような気がしてきた。お便様が考える時間をお与え下さっている幸せ者なのかもしれない。(本当の便秘の辛さを知らない者の戯言です)

そうそう、私が中学生だった頃、不思議な出来事があった。体操競技の大会で自分の番を控えていた私は、緊張したせいかお便様がお下りになろうとしていたので、トイレに向かった。「丁度いい、気持ちも整えよう」と便所の個室に座ってお便様の行幸を済まそうと、個室に入ると変なオジサンが一緒に個室に入ってきて鍵を閉めた。神聖な、かつ極めて私的な空間を侵害された私は一瞬パニックになった。「なんなんだ!君は!」といった心持ちであるが、パニックで声が出ない。お便様の行幸も中止されて御隠れになってしまわれた。そんな私と私のお便様の状態を知らなかったのだろう、憐れにもオジサンは「君のお便様を私にくれないか?」とポカリスエットの空き缶の上部をきれいに缶切りで開けた容器を私に差し出した。馬鹿者が!そんなおざなりな神輿でお便様が行幸をするわけなかろう!と後でゆっくり考えれば思うのだろうが、その時は逃げることで精一杯だった。体操部で身軽だったことも幸いして私は個室の上部の空隙より逃げ、この珍しいご趣味をお持ちのお便様コレクターから逃れることができたという、人が私的な空間を侵された時に如何にパニックになるかという話。それだけ。

まあ薬を止めればすぐにでもお便様はお下りになるであろう。トイレの神様、お便の神様。日本はたくさんの神々で賑やかなり。

2014年5月10日土曜日

風邪の誕生日プレゼント

一週間前から流行りの風邪を貰い、微熱が続いていた。そして今日は三十の誕生日だというのに高熱が出て仕事を早めに上がらせてもらい寝込んでしまった。またしても39度を越える熱だ。アリフもチャールズも数日前に熱が出て病院に掛かっていた。私も微熱が出てはいたが、マラリアの疑いはなかったのでしばらくすれば治るだろうと思って行かずにいた。

しかし高熱が出るとやはり不安になる。ましてや微熱が続いて体力が消耗していたのでマラリア発症の可能性は高くなる。今日行くべきかな、、、?とベッドで悶えていると仕事を終えたアーロンが「病院に行くか?」と部屋を覗きに来てくれた。それで決心がついた。いちいち悩んでないで血見てもらって白黒つけてもらおう。
そうしてひどい頭痛があったが少し食べて解熱剤飲んで待っていると、店じまいを終えてやってきたアリフとチャールズも付いてくるような雰囲気になった。
結局三十路になる男が三銃士に付き添われて血液検査をしに病院へ行くことになった。その光景はまことに珍妙なものだったろう。病院に行くのにどこか楽し気でジョークを飛ばしあっている。傍から見たら夜中にえっちなピクニックにでも出かけるかのようだ。


病院に着くと受付があり、そこで先に支払いを済ませるはずなのだが(アフリカはお金がないと診療してくれない、シビアだ)、係りの者がおらず先に問診を受けることに。静かで清潔感のある深夜の病院の廊下を四人の男が看護師に案内されて行く。病室に入ると若い男の看護師がテレビに夢中だったようで、面倒くさそうに先生のいる方を指さす。問診は髭の剃り跡が青いアラビア系の先生だった。何となく女性っぽい仕草で丁寧に聴診器で診察してくれたので、なかなか好感が持てた。同性愛が禁止されている国だが、頭が熱でおかしくなっていたためか「あーここで彼がカミングアウトしてきたら俺はなんと答えればいいんだろうなぁ」なんて考えていた。次へ案内してくれるはずの看護師はやはりテレビに夢中だった。そして日本の病院のような採血室で血を採って、再び廊下で待つことに。結果は思いのほか速くでた。
結果は陰性。
しかしまたしても細菌感染しており、それで高熱が出ていたようだ。事務室の清掃で汚い空気を吸い過ぎたか???

そして抗生物質と咳止め、解熱鎮痛剤が出されるとのことで受付の方に戻る。解熱剤が本格的に効き始めていたのと、検査によってマラアリアでないという安心を得たことで、寒々していた廊下も今はただの清潔な廊下だった。四人のおっさんがひたひたと廊下をゆく。突然アリフがハッピーバースデーを歌い始め、それにアーロンとチャールズが加わる。ちょ、ちょ、ここは病院だよー。何だか心配で疲弊していた心がとろんと温かみを増してきたが、私の冷静な部分が廊下を行き交う看護師や事務員を観察していた。ところが、看護師らも別に咎めるような顔をしていなかったので、私も純粋に心を開いて、彼らのハッピーバースデーを中心にじっくりと染み込むままに任せた。そしてケーキをプレゼントしてあげよう、とアリフが言うので「あぁ、でも抗生物質を埋め込むのを忘れずにね」なんていう冗談を私も飛ばせるほど気分が楽になっていた。

30という節目を妙な形で迎えたが、今までの人生で培ってきたことを最大限に生かして、良く生きていこうと思った。そんな一日。

そんなあっけらかんとした仲間たちです。

2014年5月7日水曜日

気の緩み

働き始めて初めての休日。アリフとエンテーベの植物園に行った。店舗移動に伴う植物選定も兼ねて。
国立の植物園だがかつて植えられた木々が大きく成長しているという以外は特に見ごたえはなかったが公園だと思えば、とても穏やかな時間が過ごせてよかった。

植物園に養樹場があるというので、行ってみた。なんだ、鉄網の門に錠が掛かっている。「ようのある方はこちらへ」という電話番号に電話を掛けようとしていると後ろの方でアフリカでよく見かけるメイド仕様のワンピースを着た年配の女性が「あー待って、かけないで!ここにいるわー」と手に箒を持ってこちらに駆け寄ってくる。なんだか楽しい様子が全身から溢れているようなおばちゃんだ。「あぁよかった、今開けるからね」といって解錠してくれた。

中に入ると日避けなどの設備はボロボロだが、そんな中でもひっそりと植物たちは育てられていた。日本らしいものを探すことが目的だったので、楓がなかったのは残念だったがアジサイがあるのを見て少し興奮した。「こんな植物はない?」といって注文すると、ボロボロの黒い靴をひっかけたおばちゃんは植物が生い茂る中を楽しそうにブツブツ言いながら植物を探している。よく知っているなぁと思っておばちゃんの話を聞いていると、もう十五年ほど勤めているようだ。さすがにマニアの香りがするわけだ。
そして果樹の話になってレモンはあるかとか話していたら「ここにはないけどうちにはあるわ」ということで彼女の家に行くことになった。

また彼女の家が凄かった。こっちが本物の養樹場ではないかというほどにいろんな実生が育てられていた。自分で種から育てものがほとんどだが、その中にはアフリカではあまり見かけないようなものあったので聞いてみると植物園経由で色々手に入るのだという。彼女の庭を歩いているとザクロが!これには驚いた。マンゴスチンもあった。彼女は相当人生を楽しんでいるに違いない。アフリカでビジネスに熱心な人にはしばしば出会うが、植物や生き物に熱心な人にあまり出会っていなかったので新鮮だった。アリフは彼女から大量の苗木を購入していたが、彼女は全くもって金への欲がないように見えた。金よりも植物と一緒にいられることや、植物を買った人が満足する方が嬉しいようだった。例えば小さい芽生えを売るのは忍びないと言ってお金を取ろうとしなかったり、何というか、しっかり育ててから引き渡します、といった意気込みや植物への愛情が垣間見られた。

その植物を大量に車の後部に積んで次はアリフの友人宅へ向かった。積んできた植物のいくつかをお裾分けしてビールまで頂いてしまった。
コレガイケナカッタ!
運転して帰るアリフもちゃっかりビールを飲んでいたが、アフリカでは飲酒運転は日常茶飯事行われていたことだったので特に気にもしていなかった。しばらく歓談してからそこで働くメイドさんの友達も一緒にカンパラへの帰路についた。

一日動き回って疲れたせいか、アリフも私も口数が減っていた。後ろに乗っているメイドの友人も静かになっていた。しばらくすると私は眠気が襲ってきてコックリコックリ舟をこぎ始めた。後ろの女性もそうだったに違いない。助手席で寝るなんていけない、、、と思いながらも睡魔に勝てずに私は完全に落ちた。
激しい金属を擦る音とともに夢が揺れた。訳がわからないまま目を覚ますと車は反対車線を越えて右側の車一台入るほどの側溝に落ちていた。

アリフと目を合わせる。彼も充血した目できょとんとしている。何が起こったか初めわからなかった。すぐに後ろの女性が無事か確認すると、後ろの女性も眠っていたようで何だかわからない状態のようだった。

とにかく今車がある位置と本来走っているべき場所を考えると対向車線を走る車の間をうまい具合に突っ切って側溝に落ちたようだった。その反対車線には今も頻繁に車が通っている。眠気が一気に吹き飛んだ。少しタイミングがずれていたら大変なことになっていた。考えてゾッとした。

窓の外の道行く人々が野次馬で集まってきていた。交通警察もたまたま近くにいたせいかすぐに駆けつけていた。とにかく傾いた車から外へ出た。アリフは本当にすまない、と私に謝ってから警察と話しに行った。彼に全てを任せて暢気に隣で眠っていた私にも非があるので逆に私も申し訳なかった。とにかく誰も傷つけずに済んだことだけが救いだった。

野次馬の男たちが10人がかりで車を引き揚げようとしたが無理で、結局レッカー車を誰かが呼んだらしくやってきた。車の引き上げをしている間、アリフは交通警察と交渉していた。結局色々な交渉術で数千円払って解放となった。さすがアフリカである。しかもその警察をカンパラまで乗せて帰ることになったから妙な話である。

日本では飲酒運転は絶対にしないと言いきれる自信があるが、アフリカでは私は言い切る自信はなかった。みんながやっているから、法律が甘いから、と言う情けない論理であるが不思議にその論理の力が強かったことに改めて感じた。いや、飲酒運転はいけません。絶対に。反省します。