何だか朝から物騒だな、と思ったが装備の物々しさとは逆に警察官は穏やかだったのに安心した。しかも英語で話しかけてくれる優しさまである。ブルンジでは道の途中でパスポートの提示を要求されることが幾度かあったが今朝もそれが目的のようだった。
「ブルンジには何で来たんだ?」
「いやぁ、たんに見てみたかったのだよ」
「・・・観光か?」
「そう、ただの観光客」
「ここ(宿)は快適か?」
「そうだね、何も問題はないよ」
「どうしてここを選んだのだ?」
「そりゃ、安いからね」
「この宿はどうやって見つけた?」
「タクシーで一緒になったおっちゃんに紹介してもらったんだ」
誰かが変なムズングがここにいると警察に報告でもしたのだろうか?かつて日本を自転車で旅した時に宝塚市の公園で野宿したことがあった。誰かが通報したのかテントを警察に囲まれて職務質問を受けた。通報者の気持ちはよくわかる。閑静な住宅街の公園に突然一夜城ができれば誰だって神の存在を信じて恐れおののき、警察という頼もしいヒーローにそれが本当に神が起こした奇跡なのかを確かめてもらいたくなるだろう。だからといって警察に事前にここの公園で野宿してもいいですかと聞いて、いいよ、という回答が得られるとは思えない。日本の現状はそういう微妙な状態にある。聞けばダメ、聞かねば今回はしょうがないか、という風になる。野宿者が数を増やせば法律で公園の野宿は禁止、ってなるだろう。そういう微妙な部分を平均台を歩くように渡るのもこういう旅の面白さなのだ。常識で言ったら好ましくないのは百も承知だが、そこをどこまで押し広げられるか?これはどの世界でも重要なことのように思う。
今泊まっている場所にはムズングは皆無だ。町まで出れば見かけるが、少し中心街から離れた安宿街はムズングが珍しいので、色んな人に通りがかりに「ムズング」「チャイナ」って声をかけてもらう。それで会釈を返すと子供なんかは嬉しそうに、男は「やったぜ」と決めポーズ、女は基本的に声はかけてこない。ここではムズングはある種のマスコット的存在になれる。
「パスポートを見せよ」
あー来たかー。
「残念ながら今は手元にないから見せられない。ルワンダのビザを申請しており、今はルワンダ大使館に預けてある」
「何かドキュメントは持っていないのか?」
アフリカはドキュメントの文化で、何をするにもドキュメントが大事(どこでも大事ではあるが)。何かを申請するときなんて自分の持っている成績表や資格証明書などのコピーをたくさん警察に持って行って、保証印を付けてもらって提出しなければならないのでいつも警察署は忙しそうだった。最終的に資格を証明するのは警察なのだ。
その点、日本は自己申告的な向きが強いの(つまりお互いが信用している)でドキュメントに埋もれる必要はない。
「黄熱病の予防摂取証明がある」といって見せたが、何となく不満足そうだった。
結局明日の朝に見せるということで納得して帰ってもらった。
パスポートのコピーはこういうときにあるといいかもしれない。まぁ結局本物を見せないと満足してもらえないと思うんだけどね。
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