ジンバブエには鉄くぎを潰して作ったような鍵盤がムバマローパという硬めの木に取り付けられたハンディーサイズの伝統的な楽器がある。
それが奏でる音は幻想的で聞くものを霊的な何かに誘うようだ。実際ムビラは伝統的な宗教の儀式の時に演奏され、祖先の霊を呼ぶときに用いられている。またジンバブエの解放闘争時代には秘密のメッセージを乗せて演奏し、解放戦士たちを奮い立たせていたという。そのためジンバブエでは伝統的な楽器として今も残っている。ジンバブエの土産物として売られていたり、土産物のモチーフとして描かれていることも多い。
Youtubeにガリカイさんが演奏したものがアップされていたのでリンクを貼っておく。
http://www.youtube.com/watch?v=sEYBVmkPMIM
そのムビラを学ぶために日本からやってきた女性がそのキャンプ場に滞在していたのだ。そして16日には村で祖先を呼ぶ儀式があり、それに参加するという。私も便乗させてもらうことにした。
昼頃にハラレを出てガリカイさんとガルエさんというムビラ職人の人と待ち合わせた。彼らも一緒に村を訪れるということで今回は車を出してくれることになった。ガリカイさんは日本人のムビラ演奏者と繋がりがあり、日本ツアーも昨年行っている。それで得たお金で買ったというボルボの中古車で迎えてくれた。彼の工房兼住宅にお邪魔するとそこにはガリカイさんの家族や親戚がたくさん住んでいた。奥さんも複数いるようで、子供も合わせると部屋の数の三倍以上の人が住んでいた。リビングルームに通され寛いでいると誰からともなくムビラのを奏ではじめる。
そしてそれに一人加わり、また一人と輪が広がっていき、さらに悪魔の実のようなヒョウタンでできたマラカスが加わってちょっとした演奏会になっていた。ムビラの演奏は同じフレーズが単調に繰り返され、繰り返しているうちにどんどん曲が変化して発展して開いていく。だから一人が始め、そこにどんどん参加者が加わっていくというのがとても自然に見える。さぁ、演奏を始めようと気張ったものではなく、井戸端会議的に始まるのだ。そうして途中で人が入れ替わることもある。誰かが用事で呼ばれムビラを手放すと、それを誰かが広い演奏に加わる。始まりがあやふやなら終わりもこれといった終わりはない。繰り返しているうちになんとなく終わるのだという。そういう風に敢えて枠を作らない様子は何ともアフリカらしくていい。
そうしてしばらく待っているともう一人日本人がやってきた。彼は若い時分に世界中を旅し、イエメンで出会った日本人がジンバブエから持ち込んでいたムビラに一目ぼれし、ムビラの世界に入ったという。それから七年来毎年ジンバブエにやってきてはガリカイさんの家に住み、ジンバブエの人にムビラを教わっている。日本では数少ないムビラの先生だ。そしてそこでまた人が補給され、車がぎゅうぎゅう詰めになったところでようやく村に出発。
ハラレから東に300kmほど行ったダンバツォーコという村である。
車で二時間ほど走ると道は車がやっと一台通れるほどの古びれたものになり、次第にそれが悪くなり、とうとう未舗装となる。更に道が狭くなり岩がボコボコ道から突出した悪路をボルボの中古車は走る。腹を時折擦りながら。そうしてようやく村にたどり着く。そのころには既に辺りは暗く、満月が煌々とロンダヴェルを照らし、その影を浮かび上がらせていた。
ロンダヴェルには一本の蝋燭が灯っておりその前に老人が二人座って話していた。
外では女性たちが楽しそうに会話しながら夕飯を用意しているところだった。
村には電気がないので薪で煮炊きをし蝋燭を灯りとしている。夕飯を作っている隣で老婆がマヘウと呼ばれるトウモロコシやモロコシの粉に砂糖加え、それを発酵させて作った飲み物をかき混ぜている。
やがてロンダヴェルに20人強の人々が集まった。既にポロンポロンとムビラの音が室内に響いている。
女性は入って右の広くなっている場所に、男性は左の壁から張り出した椅子に腰を掛ける。そして上座の位置に年配の男性が三人程地べたに座っている。歓迎の証しとして先ほどのマヘウを一人一人がヘチマでできた柄杓に入れて差し出され、それを順番に飲んでいく。そうして受け入れられると夕飯をみんなで食べる。その前に手洗い用に水と盥を持って一人の若い男が皆を巡る。夕飯は牛肉の煮込んだものとサザだ。まさに牛という日本で言ったら臭みと言われる味とともに、脂身がジューシーで旨い。それと一緒にてんこ盛りのサザを食べるのだ。このサザにはやっぱり濃い味付けが合う。
夕飯が片付くといよいよ儀式の始まりだ。夕飯が済んだ者からムビラを手に取り既に音が満ちていた。小気味よく響くムビラの奏でにロンダヴェルの外の蛙の寂しげな鳴き声が合わさる。皆が同時に腹の高さに持ってきた掌を少し膨らませて叩き精霊を呼ぶ。膨らませているため拍手の音は幾分籠っている。蝋燭がいつの間にか二本に増えて少し明るくなってはいたが、尚お互いの顔をはっきり識別できるほど明るくはない。そんなぼんやりとした中で夢と現の狭間を行ったり来たりしているとムビラのポンポン、ポロンの連続が無限に広がっていくんじゃなかろうかという気になってくる。人によっては儀式中に麻薬作用のある煙草と地ビールを飲んでさらに意識の深みに潜っていくという。私にはその必要はなかったようだ。
この祖先の魂との交感の儀式は年に三回行われ、一月に行われる今回のMushashe(ムシャシェ)は規模の小さいもので、四月と九月に行われるBira(ビラ)はもっと盛大に行われるという。ビラでは牛が供され人もたくさんやってきて賑やかだなんだよ、とチブク(これまたトウモロコシやモロコシを醸造して作った酒でTraditional Beerとも呼ばれている:2ℓで1ドルと大変安いので地方部、都市部に限らず茶色い樽のようなボトルに青い蓋の容器を持った男達をよく目にする。それを飲みながら午後の時間をゆっくりと知人と語らいながら過ごすのは男達の楽しみなのである)を片手にニコニコしたお爺さんが教えてくれた。そして儀式では誰かに取りついた祖先の霊を通して色々会話をし、様々な問題の解決の糸口絵を貰うのである。こういったお祭りが5日続くのだそうだ。その間昼夜が逆転し、昼はそこらで力尽きて眠りに落ち、夜は昼の間に溜めこんだエネルギーをもってして精霊たちを迎えるのだ。
普段早く寝る習慣が付いてしまっているせいか、儀式の途中でうつらうつらしてしまった。式の途中で寝る人も多く女性側の広い場所には敷物と毛布などが用意されている。眠っても大丈夫だと聞いていたので気も緩んでいたのかもしれない。完全に落ちた。違う部屋に案内され、既に落ちて寝ていた男とベッドを共にした。
カタ!精霊が下りてきたぞ!という声に驚いて目が覚める。眠い目をこすりながら外に出ると、昨夜煌々と輝いていた満月が西の空で白み消えかかっていた。
それとは反対側からは濃い橙の光が昇ってきていた。
早速ロンダヴェルに入ると随分人は減っていたものの徹夜で起きていたと思われる人々がトロンとした目でムビラを弾いている。
スキーストック程の金属の棒を持ち、頭に黒い毛羽立った帽子(アフロのよう)を被っている二人の女性に向かって老人たちが何かを話しかけている。
その女性には祖先の精霊が宿ってると隣の男性が教えてくれた。そしてそこへ一人の青年が連れ出され、先の金属棒を持った女性が水を刷毛で青年にかけ始めた。どうやらこの青年には悪魔が取りついてしまったらしい。それを取り除こうと先祖の力を借りているところだった。暫く何か唱えながら水かけや金属棒で青年を挟んだりしていると、突然女性が口に含んだ水を青年にぶちまけた。ちなみにその勢いはすさまじく、青年で撥ねたものが私の方まで飛んできた。完全に目が覚めた。どうやら悪霊は退散せられたようだ。
そして一通り儀式が休憩のようなものに入ったところで近くの散歩に出かけた。森の中に人間が通ってできた道だけが通っており、崩れかけた廃屋があったり、グレートジンバブエで見たような石を積んだだけの塀の中で牛が気持ちよさそうに朝日を浴びていた。ジンバブエの田舎では今なお牛は重要な財産である。
ジンバブエの特産品のタバコ |
大樹が岩を飲み込むほどに茂った森の中にひっそりして彼らの祖先が石棺に埋葬されていた。
その傍らにはひょっこりと磨かれた白銀の皿の如く輝くキノコが顔を出していた。この家の長の父がショナ人が祀る最高神チャミヌカを宿した最後の人であると言われている。彼の墓が祀られてもいたが意外にもこじんまりとして華美な様子はなかった。
それからこんなものも見つけた。お、これは木の神様かと思って聞いたところ、そのようなもので雨が欲しいときにここにきて祈るのだという。日本のようにしめ縄や垂が付けられていないのであまりパッとはしないがMuchakataという特別な木なのだそうだ。
戻ってきて今度は場所をバニャと呼ばれるかつて家長の父が住んでおり、解放闘争時代に白人に破壊されたという壁だけが残る跡地に移しての儀式が始まった。
壁には地名とそしてジンバブエに住む黒人も白人もが平和に暮らせるようにと書かれている。
こちらでは黒衣を身に纏った三人の男が雨を乞い、そして願い事のあるものから願いを聞いて祖先の霊に伝えていた。お賽銭のようなものも集めており日本の神社のお参りのようだった。本来はこのバニャで儀式を執り行い、より開放的なもののようだ。
一日の儀式が終えたところで我々は岐路に付いた。とは言えここはアフリカ、道中色々ありハラレまでたどり着かずに、ガリカイさんの家に厄介になることになった。夜遅くに尋ねたにもかかわらず、豪勢な夕飯まで用意してくれベッドも与えてくれ(ダブルに男三人だが)至れり尽くせりだった。
そして翌日はガリカイさんの工房を見る機会に恵まれた。ガリカイさんは13歳の頃(1979年)からムビラを作りはじめ、既に数え切れないほどのムビラを作ってきたという。5000個以上は作ったとサラリと言う。順調に進むと一日に一個完成するといい、チューニングは4回ほどに分けて少しずつ行う。一個$100で売るというが、人のいいガリカイさんは値下げされてしまうこと多いという。儲けは殆どないようだ。それは彼の暮らしぶりを見れば窺い知ることができる。家が年々グレードアップされており、まだその途中という。隣の家とは塀などなく、初めは同じ家の別の棟かと思った。家の間にはトウモロコシとカボチャが所狭しと育っていた。洗濯物を干す奥さんが干しながら会話する姿は何とも長閑なものだ。
ガリカイさんの道具は結構手製のものが多い。ナミビアのスワコップムンドで出会った土産商人であり職人でもある方が使っていたハンマーと鑿が合体した道具も使われていた。ジンバブエに昔からある道具なのだろう。日本の職人との違いに気が付いた。日本の職人は使う道具一つ一つにこだわり、工夫改善を施していくがジンバブエの職人は多少道具が壊れていてもそれを技術で何とかカバーをしようとする。道具の大きな変化を受け入れているというか。。。もちろんお金がないということもあるが、原因はそこだけにとどまらない気がする。あまり道具の良し悪しには頓着しないのだ。それは完成したムビラの姿にも表れている。ぴちっと形の決まった西洋の楽器とは異なり、「そんなにきっちりしなくてもいいんだよ」と説いているようだ。
作りながらガリカイさんは言う。
「買うのは外国の人ばかりでジンバブエ人からはあまり需要がない。キリスト教の教会では精霊や祖先崇拝と関わりの深いムビラはあまり望まれていない」
確かに音楽と教会の繋がりが比較的強いアフリカにおいて教会から締め出されるのは大きな痛手であろう。
「だから最近の若い人はあまりムビラに興味を示さないんだ」と漏らしていた。
また、こんなことも言っていた。
「キリスト教の理念とは合っていないんだ。私たちはもともと神とは直接会話できる存在ではなくて、祖先という流れを通して神(Chaminuka:チャミヌカ、Nehanda:ネハンダなどの大神)に通じることができる」と。
彼らの自然や偉大なもの、年配者に対する謙虚さはこういうところから来ているのかな、と思う。宗教観は日本ととても近いものを感じた。ジンバブエでは伝統宗教も重んじているし、教会に行く人も多いと聞く。そんな相反するものが折衷した宗教観も日本と重なる。
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