マシンゴ(Masvingo)を越えたところまで行ってしまいたかったが、繰り返されるアップダウンに疲弊してマシンゴの手前で泊まることにした。さて場所探しの前に腹が減って仕方なかったので焼きトウモロコシを頂く。おばちゃんが三人と子供が四人。ママさん仲間なのだろうが、どれが誰の子供なのかわからない。そんなことはどうでもいいのだろう。アフリカでは色々なものの所有が不明瞭だ。子供に対して親が所有するというのも変だが、分かりやすくするために許してほしい。小さいころから色んな人に抱かれ、受け渡され、可愛がられ、そんな風に揉まれて育っているからか、ジンバブエの子供や赤ん坊は人見知りがない。寧ろひげもじゃの見慣れない私を指で突っついてくるくらいだ。南アフリカも同じようなのだが、父親や大人の男が子供をあまり構わないせいか、見慣れない男の私を見て赤ん坊がよく泣いていた。ジンバブエでは出会う人の多くが芯から心を開いているように感じる。日本も聞くところによるとかつては子育ては色んな人の手が加わって行われていたと言うが、核家族化と個人主義が浸透して小さいうちに様々な人に触れ合う機会が確実に減っている。悩みを独りで抱え込んでしまう傾向や、世界的に見て社交性に欠ける(社交性については社会がよしとするものが違うので一概には言えないが)という性質はそういうものも関わっているんじゃなかろうかと思う。
小学生くらいの男の子は自分でトウモロコシを焼き、4歳位の男の子は私から無言の力で焼きトウモロコシを得て齧り、同じくらいのもう一人は地べたに座って何かしている。赤ん坊が母親と思しき女性のそばで座って一人楽しそうにしている。そして母親たちは現地語で私のことについて、ケープタウンはどこだ、アーダ、コーダ話に夢中だ。私はその空気が心地よくて、しばらくトウモロコシを齧りながら座っていた。
トウモロコシを食べ終わり、テント場探しをするが人の住居が多く、あまり心地よさそうな場所はなかった。水だけ汲んでもう少し先で探そうと店に入ると、水がない。そこにさっきトウモロコシを食べていたときに母親たちの会話に加わってきた兄ちゃん(ウィットニー)が、うちに水の汲み置きがあるから来なよ、と誘ってくれる。自転車をおばちゃんたちに見守っててもらい、ウィットニーの後ろを付いていく。平屋の家が二棟並んだ住宅だ。物干しざおが並ぶ間を行く。今日は人から離れて泊まりたかったが贅沢は言っちゃいかん、と思いこの辺にテント張って泊まっていい?とザックリと聞く。
「ここは僕の敷地じゃないから許可はできないなぁ」と言って、
「あ、でもうちに泊まるんだったら問題ないよ」と言う。
そりゃ、本当かい!?とそんなうちに今日の宿が決まった。
彼はすぐそばの石炭精製工場で働いていた。部屋は二部屋あり、ベッドルームと多目的部屋だ。私と自転車をその多目的部屋に引き入れ、彼は「寛いでね」と言い残してどこかへ消えた。ベッドルームもオープンで。初めて会った人間をここまで信用できるってすごい。私にはできない。紅茶でも一杯やろうと夕陽を見ながら石油コンロで湯を沸かしていると目の前に広がる原っぱの中に二人の男の子が、私に気付いて近寄ってきた。しかし遠巻きにしながらこっちを見ている。少し警戒しているようだが、ニコニコとはにかみながら近寄ってきているので私に興味があるようだ。
暫く彼らの写真を撮りながらニコニコの駆け引きをしていると、どこから聞きつけてきたのか10人程の子供がやってきた。
「自転車見せてー、どこどこ?」
「どこから来たの?」
「一人?」
「これ、予備のタイヤ?」などの決まり文句で疲れ気味ではあるが、やはり興味を持ってくれるのは嬉しい。
あっという間に紅茶なんて飲んでいる場合じゃない事態になった。
一人が「乗ってみたい!」と言う。
「ええ、荷物外さなきゃいけないから嫌だよー」というが、彼の眼は私を許そうとはしなかった。
暫くごまかしていたが、「荷物が付いたままでもいい」と言うので「気を付けろよ」と乗っけてやった。
そしたら次から次へと乗りたい!となって、それがみんな嬉しそうに乗るんだ、これが。それから、「すげぇ!早い!軽い!」と。そりゃ君たちが乗っているのは軸がずれてがたがただもんなぁ、と思いながら楽しそうな風景を眺めていた。
ウィットニーがもう一人男性を連れてきた。それからみんなが簡単なショナ語のレッスンを施してくれた。私の不完全な発音に皆大ウケである。それでもショナ語には南アのバンツー諸語に見られるdz,hl,dhlの複合子音やクリック音がない分、発音しやすい。比較的日本の発音に近く、人の名字なんか日本のそれと同じようなものもある。タナカとか。
ひとしきり遊んで学んで辺りが薄暗くなってくるとポツポツ子供が帰っていった。
その夜、私はシュラフで地べたに寝ようと考えていたが、ウィットニーが「ベッドが空いているから、ここで寝なよ」とダブルベッドの半分を譲ってくれた。南アでもそうだったが、同性同士では結構ダブルベッドをシェアすることがある。宿に二人で泊まる場合でも、ツインではなくダブルベッドであることがあり、自ずとそういう風になるのだ。友人のパセリとは何度か同じベッドをシェアていたので違和感はなかったが、ふと日本だったら、、、と違和感を感じて可笑しくて仕方なかった。
しかし、彼らはこんな暑い夜にもかかわらず毛布を被って寝るのだから凄い。私は毛布を払って寝ていたが蚊がすごくて参った。なるほど、だから毛布を被るのか。
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