やはり一人の時間は大事だ。
久しぶりに誰からも隔絶されて一人きりになると妙にホッとした。
こっち来てしばしば「一人で旅していて寂しくならないの?」と聞かれるのだが、
日本にいたころよりも内容はともかくとして、人と接している時間は多いかもしれない。
道端の露店に寄ればおばちゃんやおじちゃんと話し、農場の家族と話し、水汲みの子供らと話している。
ジンバブエに入ってからというもの、どこへ行っても人に出会えるので寂しさは全く感じなかった。
それよりもむしろ、一人の時間に飢えていた。
テントをこの辺に張らせてもらえんか?と聞くと、
「いやーうちに泊まりなよ」と誘ってくれ、
ひとのうちに厄介になることが多くなった。
そうすれば必然と一日の終わりは人と会話して過ごすことになり、一人ゆっくりする時間もなくなるわけで、そうして飢えていた。
久しぶりに自転車をこぎ終わり、農場へ続く道脇の野原にポツンとテントを張って泊まった。
人との出会いを求めて始めた旅には違いないが、一人の時間の大切さを感じた。
やはり初対面の人といるのは知らないうちに心的体力を消耗する。
そんなことを思いながら迫りくる雨雲と虹を眺めながら夕飯を作っていた。
自転車をこぐ音が聞こえた。こんな場所にだって人はやってくる。
農場に住んでいる少年だ。
ジンバブエの田舎も現地語しか話さない人が多くおり、彼もその一人だった。
変な場所に変な生き物を見つけた如く、驚きの中に喜びを潜ませた表情で私を見ている。
私が挨拶すると潜んでいた喜びが溢れだしたかのように、破顔しショナ語で色んなことをベラベラベラと語りかけてきた。
何を言っているのかさっぱりわからない。
道中覚えたショナ語でハラレに行くんだ、と言うと、
再びショナ語でベラベラベラとと話し始めた。
こっちも英語で色々と自分のことを話すと彼は、
「オーラィ」と曇りのない調子で聞いていた。
質問にも「オーラィ」と答えていたのでおそらく英語は全く解さないのだろう。
それでも彼は最初の嬉しそうな顔を崩さず私の話を聞いては「オーラィ」と返し、またショナでベラベラベラと話し始めた。
しかし私は通じないことにちょっとした苛立ちを持って、
ショナ語はわからないんだ、と伝えると彼は残念そうな顔をして去っていった。
一人でいたかったという気持ちがありはしたが、自分から伝えよう、わかろうとする努力を放棄したことに嫌気がさした。
そんな自分に反省しながら、濃くなりつつある雨雲を眺めていた。
しばらくすると先の彼がもう一人の少年と自転車で農道を戻ってきた。
どうやら少し英語を話せる友人を連れてきたようだ。
私は彼に救われた。
チャンスをもう一度持ってきてくれたのだ。
少しの間、他愛もない話をして、そして彼らは私の旅を理解したようだった。
彼等の載っている自転車はインド製の5000円程のものだ。
それに比べると私のそれはべらぼうに高いし、その分故障もない。
彼等の自転車ときたらブレーキやペダルがないのは当然だし、ギヤだって機能していない。
タイヤに関しては私の方がすり減っているが。。。
そうして私の自転車を眺めながら自分のそれと比べては、
「いい自転車だね」と羨ましそうに愛でている。
何度かこのような状況を味わってきたが、今だに慣れない。
彼らは一生懸命働いても私のような自転車を手に入れることは難しい(自転車買うなら車を買うに違いないし)。
私も一生懸命働いてなかったわけではないが、彼らよりも環境が恵まれていたために今の状況にあるということの方が大きく影響している。
彼らが去った後、野原一面に大雨がやってきた。
暫くテントに籠って雨が過ぎるのを待った。
雨が去るとすっかり色を濃くした日差しが雲間から覗いていた。
私は雨後にできた水たまりで、しょっぱくなった体を清めた。
翌朝彼らは再びやってきて私を見送ってくれた。
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