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Africa!

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2014年10月4日土曜日

1004 静の時

今朝は少し風が穏やかになったような気がするが、昨晩の強風に比べての話である。既に砂漠を越えたのでさほど気合いを入れる必要もなかったので寝坊した。日の出から一時間、テントが暑くなって目を覚ます。ジッパーを開けると清々しい空気が流れ込んできた。外は風があって気温も低く涼しい。昨晩の光の列はすっかり朝の強烈な光に飲み込まれ、冴えない点となって遠くの方に見えた。
昨晩腹を出して寝たせいか、お便様の超特急、二回もダイヤをずらしてのお越しです。あ、トイレットペーパーがなくなる。あと一回参ったらアウト・オブ・ストックだ。結局紙の不足を気遣って参りはしなかった。
荒涼とした大地に突如緑が現れた。アカシア、デッドシー・フルーツ(Carotropis)、ナツメヤシ、それに畑にはモロコシが鮮やかに強い日差しに歌う。それと同時に鳥々の明るいさえずりも乾いた空気に響き始めた。さらに何かを焼く匂い。人の生活感。二日間緑から離れ、また生きとし生けるものより離れていた身にはなんと輝いて見えたことか!
ナイルが近いぞ。ナイル川はハルツームで白青ナイルが合流した後、北部でS字に曲がっており(ハルツームはSの尻尾に位置する)、私はハルツームで一旦ナイルを離れSの中間まで砂漠を走った。そしてナイルに沿って少し遡上し、カリマで再び砂漠を走ってSの頭ドンゴーラへジャンプするのだ。
こうなると水の香りが感じられてくる。あ、水溜りだ。周囲30mに満たないくらいだが岸には小舟が繋がれ、緑を伴った木々や草が水に迫る。シギのような鳥が何を考えているのかぼんやり水に突っ立っている。
ドンゴーラでフルーツやトイレットペーパーを補給しようとしたら何と閑散としたことか。店という店がシャッターを閉ざし、人も疎らである。そうだ今日は土曜日だ。イスラムの休日だ。迂闊だった。が奥まで入っていくと小さな店はいくつか開いていて必要なものは買うことができた。
裏路地を通って元のメイン道路を探す。自転車に乗った子供が楽しそうに何か言いながら付いてくる。言葉は通じないとわかっても私も英語で自転車を褒めたりする。自転車乗りはどこだって心が通じ合うものだよ。なぁ、君。
道端の大樹の陰では家族総出で犠牲祭の屠殺が行われている。「アッサラーム、アライクム!」挨拶して通り過ぎる。自転車の子供が寸時沸く。変なチャイナがアラビア語使って面白いのだろう。
ナイルの川沿いは街や村に事欠かない。どこでも見ずに困ることはないし、おそらく土曜でなければ食べ物屋もいくつもある。泊まる場所もガソリンスタンドやハンモックベッドが置いてある店がたくさんあるので困らない。その気になればアカシアの木の陰にもテントを張って泊まれる。スーダンはそれほど穏やかで危険な匂いがほとんど感じられない場所である。
砂漠で精神的に相当干されたので、水を見ると何でも飛びついてしまうのがまだ抜けない。恐水病ならぬ親水病だ。私はこの旅で二度犬に噛まれている。もちろんワクチン接種された飼い犬にである。とは言え大丈夫かな、と怯えて眠りが妨げられることもあったが、これだけ水が恋しいところを見ると大丈夫なようだ。
その親水病でふらっと水瓶に吸い寄せられて、日陰でヒンヤリした水を頂いていると、3人連れの青年に話しかけられる。アラビア語が分からないのに随分色んなことを伝えたり伝えた気になれる様になったものである。一人は俳優にでもなれそうなほどのイケメンだ。でも興味津々で話しかけ、一生懸命英語の単語を探す仕草があどけない。「そこに小屋があるから休んでいきなよ」と誘われるがもう少し進んておきたかったので断った。が、あとから来た老人にも同じように誘われ私は落ちた。私には意志がないのではないかと時々不安になる。
小屋は30畳ほどの土壁作りの長屋である。窓はなく暗いはずだが、ナツメヤシの葉で葺いた屋根と壁には隙間がありそこからの光で室内は明るい。土の床にはござが一枚と、祈りの時に用いる敷物が一枚、床の一部を占めているのみであとはがらんと殺風景だ。しかしその殺風景が静謐な空間をさらに静かたらしめている。ナツメヤシ林で遊ぶ鳥のさえずりだけが入室を許されたように聞こえてくる。
ナツメヤシの葉が薄くなっているところから光が二条差し込み、土が滑らかに塗られた壁に45度で斜に走り床に至る。床に近いところでは光の条は既にそのまとまりを無くし、影と混じりながらぼやけて微睡んでいる。なぜかふと放課後の教室が思い出されて懐かしかった。
一人老人がやってきて私に挨拶をし、手足、顔、頭などを清め始めた。祈りが始まる。私はここにいてもいいのか分かりかねてまごついていると、老人は祈りを始めてしまったので、ここから抜け出る機を逃してしまった。相変わらず壁には二条の光線が45度に走っている。その前に老人はすっと立ち頭を垂れる。外のナツメヤシ林をつむじ風が轟と鳴らす。その他は一切の沈黙。礼の度に「アッラー、
アクバル」と息に乗るように声が出る。総ての苦楽を何処かに置いてきたようなその声はどことなく坊主のお経の声に通ずるものがある。跪いて礼、立って礼を10分くらいの間繰り返していたが、その空気の心地よさに私は眠りに落ちた。目が覚めると先の老人がミントの効いた紅茶をポットに入れて運んできた。ザラメがまぶされたしっとりクッキーと共に。そして一緒にどうだい?とばかりに紅茶を注いでクッキーを差し出してくれた。私は当然甘えさせてもらい、二人で紅茶の入ったショットグラスを傾けていた。
そうしているうちに続々と人が集まってきて体を清め始めた。ここは村の祈り場なのだろうか。だとしたらここに居てはいけないのではないか。うろたえる私を飲み込んで祈りが始まった。横に男4人が一列に並び、一人が前で主導するように祈る。相変わらず息とともに吐き出される「アッラー、アクバル」の音が清怨だ。口から吐き出されてすぐに空気に染み渡るようだ。一同正座だが足裏がこちらに向き、揃うのではなく九時を指していたのは偶然ではなかろう。4,5歳くらいの男の子も後から父とやってきて、隣にちょこん、父と二人で祈りをあげていた。が、途中でやめた。子供にはまだ早かったか。

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