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2014年10月21日火曜日

1021 木陰と柘榴

スーダンと変わらずエジプトも白い砂地に揺れる木陰が気持ちいい。スーダンの木陰はトネリコのような葉っぱの木陰だったが、エジプトはソーセージツリーの木だ。同じく羽状複葉の葉だが葉は厚く、一つ一つの小葉も大きいので、スーダンの木陰より揺らめきが少ないように感じる。

またスーダンと同じくエジプトも木陰には男たちが屯し、挨拶に挨拶を重ねて日がな人が絶えない。彼らの仕事はいったい何なのか?どうやって食っているのか。別にスーダンやエジプトに限ったものではないが、私が旅した中で見つけた不思議のうちの一つだ。きっと彼らも私を見て、同じことを感じているだろう。ま、お互いそこん処はお互い触れんとこうじゃないか。

アスワンへのバスを待つ間、隣の八百屋で柘榴を買った。エジプトのこの時期は、日光は逃げたくなるように強いものの、日陰は涼しい。買った柘榴ものっぺりした赤とも黄色ともつかぬ外皮がひんやりしていて手に心地よい。ナイフで切り込みを入れ、手でさき割る。赤い宝石がポロポロと溢れた。柘榴の粒はどうしてこんなに美しいのか。子供の頃、その味に関しては大した感動はなかったが、その宝石の様な色は私を大いに惹きつけた。唯一見た目のために欲した食べ物かもしれない。
一粒口に放り込む。歯に少し力を込めると小さな宝石はチュッと弾けた。甘酸っぱい汁が口に広がり、私の満足もあとからゆっくり広がる。子供の頃は感じなかったが、この微妙な風味がいいのだろうな、と思う。香りはほとんど無く、主張しすぎない。それでいて仄かに感じる風味。加えて見た目の美しさ、瑞々しさ。柘榴に気品を感じるのはそういった性質のためなんだろうなぁ。

まだ淡いクリーム色の台座に群れて居座る赤い粒を見て気が付いた。
ハニカム!これは蜂の巣構造じゃないか!
一粒一粒が豊満に膨らんだ挙句に、皆で押し合いへし合い。その結果、粒の多くは何とかして六角形を作る。
ところで蜂の巣の小部屋が六角形になるのは、ある定面積を多角形で充填しようとした場合、六角形で埋め尽くすことが「最も少ない素材で充填できる」という理由にある。つまり蜂は節約上手の極みなのだ。
ものの強度は空間の多さに反比例するらしいから、ある空間を同じ面積の小部屋で埋め尽くす時に、四角形で埋め尽くすよりも六角形で埋め尽くしたほうがその小部屋を作る素材の量は少なくて済む。つまり軽量(少素材量)で強度をもたせられることと等しく、航空技術や建築技術に応用されている。

蜂の巣の小部屋は三角形や四角形でもいいのだが、それらの小部屋を作るには六角形のそれよりもより多くの蜜蝋が必要になる。かと言って円や八角形は単独では平面を満たすことは出来ないのでダメ。そうして蜂という種族は、六角形が一番節約出来ることを、進化という終わりなき挑戦の中で見つけてきた。

でも柘榴は軽量で高強度で有る必要があるのか?柘榴の粒が六角形を作るのは他の理由による気がする。そう言えばエチオピアのアビシニア高原で見た柱状節理も岩が六角形にひび割れて、六角形の鉛筆を束ねた様になっていた。亀の甲羅も六角形のユニットの集まりだ。これらは皆ひしめき合いの結果の六角形である気がする。粒や鉛筆、ユニットの個々がそれぞれ程よく満足するように成長した結果、六角形。つまり六角形は民主主義なのじゃないか。あれ、いつの間にか思考が科学から離れて怪しくなってきた。
と一粒一粒味わいながらそんなことを考えていた。とにかく柘榴の実は美しいという事がいいたかったのだ。おわり。

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