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2014年10月25日土曜日

1025 寝床と踏み切りと

寝床は大事だ。寝床の如何で疲れの癒えがやはり違うからだ。しかしある程度以上の質を確保できれば、あとは今の私にはあまり違いがない。その満足のボーダーは、旅の間に広げに広げられ(まぁもともとどこでも寝られるタイプではあったが)、今では以下の条件さえあれば満足行くようになった。
0. 安全が期待できる
1. 雨に濡れない
2. 水、トイレに相当するものがある
3. 騒音(クラブ並みの)がない

寝床探しはこの基準をできるだけ満たすような所を探すことである。
エチオピアでは雨が毎日のように降っていたのと、数え切れぬ人間と恐怖のおクソガキ様がいたのでエチオピアでは安宿を利用していた。テントは雨を一応防いでくれるが、毎日降られると、テント生活は嫌になる。何よりもエチオピアは宿がどこにでもあり、なおかつ安かった事が私に宿を使わしめた。エチオピアの安宿は悪い人はあまり利用しないので、とても安全な気がした。鍵も壊れていて無かったり、それでも何も取られる心配は感じなかったので実際安全なのだろう。また基本的にお湯は出ないし、水もない場合がある。しかし水を浴びたいアピールをすればどこからともなく、バケツ一杯の水が供されるから不思議。それから南京虫との戦は毎夜毎夜繰り広げられ、かなり不満だった。が、殺虫剤という必殺技を手に入れてからは、安眠を手に入れやすくなった。また宿は売春宿であったり、バーが併設されているので騒音は深夜まで続く場合が多い。しかしエチオピアの宿の良い所は、多くの宿に大衆食堂が付属していていつでも気軽にチャイやコーヒー、インジェラを食べられる。また宿主はだいたい親切であった。

次にスーダン。エチオピアとは打って変わって、全く宿を利用しなかった。今思い出しても囲われた、いや屋根のある施設に泊まったのは一ヶ月のうちで二度だけだ。人がいない砂漠では野宿で、ハルツームではキャンプ場、人のいる場所では警察署内、ガソリンスタンドの裏、カフェテリア(サービスエリアのようなもの)のハンモックベッド、または人の家に誘われてもハンモックベッドを出して外で寝る、とスーダンではどこでもかでも夜風に吹かれて砂塵にまみれて寝ていた。


イスラムの人は体を祈りの前に清めるのでどこでも人がいれば水は手に入ったし、酒を飲まないのでクラブもなく、騒音源たりうるものがない。安全面においても皆が寝ている分、日本以上に外で寝ることに対しては安全な気がした。そして雨なんか滅多に降らないんでね、あそこは。二回ポツポツと雨季の残り涙に優しく触れられただけ。とにかく彼らの寝るスタイルを見れば、如何に私の通った場所の治安が穏やかかが窺い知れるだろう。ついでに言うと恐らく スーダンで宿に泊まろうとすると高い。なぜなら数が少ないから。大衆向けではない。多くの人は知り合いの家に泊まる。お互いに旅を支え合う。イスラムのスタイルがここにも見られる。

最後にエジプト。エジプトでも同じく宿にはアスワン以外泊まっていない。どこに泊まる?警察署?ダメ、恐らく警察を狙ったテロを警戒しているせいか、100m離れた場所ならいいよ、と言われた。容赦なく無慈悲な感じが却って心地よい。ガソリンスタンド?ちょっと嫌、オイルまみれになりそうだし、何よりも夜中に車に潰されないという保証ができる場所がない。
エジプトでは新しい場所を見つけた。踏み切り番の小屋の脇。これが書きたかった。寝床はそれぞれの国、地域でそれぞれ適当な場所が違い、それを探し見つけるのもひとつの楽しみなのだと。踏み切り番の小屋の脇なんて我ながらマイナーな空間を見つけたな、と満足している。

エジプトにはナイル川沿いに国鉄が走っており、 各所道路が交差する場所に踏切がある。大きい道路には自動の踏切だが、小さな街や村には線路脇に小屋、水道、トイレと全て揃った施設があり、踏み切りの守人がいる。
こういう仕事はなんて呼ぶのだろうか。転轍手とは違うし、、、昔は日本にもいたのだろうが私は見たことはない。
電車が通ることを知らせるジージーという音が鳴る。するとこの踏み切りおじさんが紅白の踏み切りを手動で下ろす。そして電車が通り過ぎると再び上げる。彼らの仕事は、単純だがとても重要だ。なにせ一歩間違えば事故になる。自動でいいのでは?という意見もあろう。それが違うのではないか、という日本への提言。日本は人件費削減の名の元、自動化によっていくつもの職業が消え、かつ消えかかっている。電車やバスの車掌、券売する人、タバコ屋(少雑貨屋)、八百屋肉屋などの商店。

私が小屋の隣で夕飯を作っていると、仕事を終えた人々が踏み切りを渡る。踏切で足を止める人、そのまま渡る人。その誰もが皆、もれなく踏み切りおじさんに挨拶し、しばし話し込んでいるのは印象的だった。時には興奮気味に話している人もいた。アラビア語なので何を話していたのかはわからない。きっと「今日の仕事はなかなかハードだったよ」とか「革命以降世知辛い世の中になったよ」とか「うちの嫁に今の彼女の事がバレちまった!」とかを話していたのかもしれない。

朝は朝で農作業に赴く親子や男たちが足を止め、ロバに乗って今日の仕事の名乗りを上げていた。きっとこの踏み切りおじさんは街のものすごい情報を持っているに違いない。
こういうポジションが今の日本には必要なんじゃないか。友人未満知人以上。気軽に声をかけられる人。人と人をジェネラルに緩く繋げられる人。かつての街角のタバコ屋の婆ちゃんは、街の相談係であり、消極的に治安維持にも関わっていたかもしれない。また仕事の効率化によって、緩い部分が削られて仕事が無機質な気がしないでもない。あらゆる方面で無駄を省き、低コストを計ってきた日本。しかしその反面、精神も切り詰めてしまって、心のゆとりがお猪口一杯。多くて湯のみ一杯。予測できない世の中。何が無駄で何が無駄ではないなんて、誰が言えるのだ。無駄か、軟骨。軟骨なしではいつか骨は磨り減ってしまう。踏み切りを通り過ぎる人々を見てそういうことを思った。

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