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2014年10月22日水曜日

1022 助けるということ

夕涼みと称して夜の商店街でチャイを飲んでいると、道行く足並みにひどく遅れた二人の女性に目が止まった。国内外からの観光客が多いこの通りは皆身なりは綺麗で、特に女性は艶やかな色のイスラム女性が着る○やスカーフを身に着けている。しかし件の二人は流れに滞るような足並みに加え、ねずみ色のしかもどことなく薄汚れた印象を見るものに与えていた。おそらく貧しい商人か田舎から親戚を頼ってきた親子であろう。

通りの真ん中は石畳が剥がれ、至るところが陥没しており、年老いた女性が歩くのに難儀していた。それを中年の若いほうが気にかけ、時には手を引き、歩を緩め少しずつ進んでいたがために、人の流れに滞っているように見えたのである。

若い方は手に荷物を持っており、老いた者の手を引くときはその荷を地面に置いているから、決して軽いものではない。老いた方は弧を描いた身体の上にズタ袋が乗っており頭は見えない。その状態で一歩一歩をじりじりと歩んでいる。

少し不思議に思った。少しキツイが若い方が老いた者の荷物を頭に載せて運ぶことは出来ないのだろうか?そっちの方が速く進めるうえに婆やも楽かろう。若い方は薄情?いいや、その若い方の手の引き方や、気の使い方を見ればそれどころか温もりすら感じる。断じて薄情などではない。

ふとミレーの「落穂拾い」を思い出す。
Wikipediaより
ミレーがバルビゾンの農村にいるときに描いたもので、当時バルビゾンでは収穫を終えて取り残した麦穂は寡婦や自活できぬ貧しい者のためにとっておく風習があった。旧約聖書のレビ記に定められた律法に基づいた風習である。同じく旧約聖書のルツ記は義母思いの徳の良いルツに麦の穂を残しておくという話だ。同じようにわざと畑に残しておくことも頻繁にあったかもしれない。
どうして直接麦を分け与えないのか。答えは色々な国で見てきた。旧約聖書が編纂された当時から人間の性質についてこの様な解が出ていたのだ。そう考えると当時からいろいろな場所で何らかの形での支援は行われていたに違いない。

人を助けるというのは、甘やかすことではない。自立、自活出来る能力を授ける事である。
だからミレーが描く落穂拾いも惨めな感じではなく、人間の美しい姿が表れ、生きることに対する誇りすらも感じるのだろう。

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