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2015年1月19日月曜日

無常を知りたい片瞑り(かたつむり):アーナパーナ瞑想編

研修所は京都府と千葉県にあるが、今回私は近いという理由だけで千葉県で受けることにした。
外房線で茂原まで行くと、バックパックを背負った30~45歳くらいの男女がちらほら見られた。もしや、と思ってバス停に行くと、すでにそこには20人ほどの、いわゆる一般人とは微妙に何か違う空気を纏った人々が集まっていた。みな講習参加者なのだろうか、と聞いてみようと思ったが、あまりにみなの空気が静かに熱を持っており聞く気がそがれてしまった。

研修中はしゃべってはいけない

これは研修を受講するにあたり、守らねばならない決まりだ。しかしあれ、もう始まっているのかな?まさか。
そこから小湊鉄道バスで町を抜け、畑や田んぼに囲まれた公民館に向かう。バスの中で一般人が次々と降りていくが、この怪しげな何か微妙に違う人たちはずっと降りずに、しかもずっと沈黙を保って乗っていた。公民館で降りるも、やはりみな沈黙を守っている。私が我慢できずに、隣にいた女性に「みな参加者でしょうかね?」と尋ねると「おそらくね」という温めの空気のような言葉が凍てつく空気に放り出された。公民館の周りは低い山で囲われており、16時の時点ですでに辺りは蒼い影に包まれていた。

その女性の隣にはブロンズの髪で寒さで林檎のように頬を赤くしている若いドイツ人女性がおり、私の集中力はそちらに向いていた。静かにしているのに頬を中心に顔のあちこちに、楽しい!というエネルギーが満ちていた。あぁ、なんて可愛らしいんだ。ダボダボのタイズボンをはいている姿からおそらくバックパッカーだ。
他にも二人の男性外国人も混じっていた。
講習は日本語と英語で行われるために、日本に駐在していたり、旅の途中で日本に寄った外国人も受けられるようになっている。これは世界各国にあるどの研修所でも同じで、その国の言葉および英語で受けることができるようになっている。だから旅先で出会った日本人にもネパールの研修所で受けてきたよ、と言う話を聞いていた。

公民館からの道は研修所からマイクロバスが迎えに来て連れていってくれる。二台のワゴンがやって来て、40人近い参加者を二回に分けて研修所に運んで行った。

研修所に着くと、すでに前に到着していた30人ほどと合わせて受付を済ます。参加者は男女半々で70人ほど。年齢は25くらいから70くらいまでと幅広い。
沈黙が課せられる前に近くにいた数人と話したが、仕事をしながら休みを取って参加している人、旅を棲家としている人、転職の切れ目にいる人、など状況はさまざまであった。

初めの日は瞑想ホールに皆が集まって、座布団に座って話を聞き少しだけ瞑想した。薄暗いホールに入ると、少し寒いくらいの温度で保たれ、前には三人の指導者が既に座っていた。初めは白い布を纏って胡坐をかいているその姿と、薄暗いホールの組み合わせに怪しさを感じたが、一日で慣れた。ホールでは一人一枚毛布が配られ、寒いのでそれを纏って瞑想する。そのため、山に頭がトン、と乗っている形になっている。70人がみな包まっているもんだから、壮大なひな段を眺めているようで何だか楽しい。
隣との間隔は30センチほど。自分ひとりであるがごとくに振る舞い、瞑想せよ。とはいうが、これだけ近いとそうもいかない。隣の人の息づかいや、時にはいびきが聞こえてくる。










初めの三日間は、アーナーパーナ(ānāpāna)という“呼吸を感じることだけに集中する”瞑想をする。初めは意識を集める範囲を上唇から鼻の筋の三角形の範囲にとどめることからスタートする。そうしてそこを空気が流れるときにそれを肌で感じることを目指す。集中力を鍛えるのにいい。そうやって鼻三角形を意識していると、ゴーゴリの『鼻』という小説を思い出す。こんなに主人に見つめられて、意識されて、自意識過剰になった鼻があるときに逃げ出してしまうんじゃないか、と心配で心配で集中が切れる。だ、だめだ、ゴーゴリ、出てくんな!

あっ、おい、鼻。逃げるな!







それを一日、二日、三日と少しずつ範囲を狭めていき、最後はチャップリンの髭に収める。鼻腔直下の狭い範囲。ここに意識を集中し続けるのだ。ゴーゴリからチャップリンへ。
私の髭はただついている
わけではないのだよ



「とにかく鼻三角で何かしらの感覚を感じなさい」

初めそういう指示が与えられ、一生懸命鼻三角に集中するが、何が感じられるのかさっぱりわからない。鼻水がでていて冷たいような、それでいて、たまにかゆいような、さらにまた意識を集中すればするほど、処理し残された鼻毛が靡いている気がしてこそばゆいような気がしてくる。そうして二日目になると、単に空気を吸うときに肌が感じる感覚を認識すればいいことに気が付いた。初めからそう説明してもらえていたら簡単だったが、おそらくそうやって模索するプロセスも大事なのかもしれない。

参加人数が多いため、宿舎に全員おさまらず、テント泊が半分くらいいる。テントとはいっても、木組みの台に建てられ、さらにブルーシートのアウター屋根付きだ。ただ、それでもテントは寒い。千葉と言えども山に囲まれており、夜は-5℃になることもあった。そんなでも寝袋を二重にすることができ、湯たんぽが一人二つちゃんと用意されており、それを使って寝ると、もう最高に温かかった。また、洗面所にはカイロも用意されており、お金はないけれども(この団体および講習はすべて寄付によって運営されている)、ちょっとした気配りに温かさを感じた。

朝6時と、11時にある飯の時間。この時間は私の楽しみになっていた。いや、あの飯時の皆の顔は相当ほくほくしていたから、それが私だけではないことは言葉はなくても知っていた。それから17時にもお茶の時間があるが、お茶とポップコーン、林檎だけなのでこの時間は嬉しいんだけど、何となくがっかりもした。これ以降は何も食べることができないので、20時くらいから結構腹が減るのだ。
もちろん動物性の食べ物はない。出汁も魚である鰹節は使わず、昆布だしだけでとっている。ただし、動物性食品として牛乳とバターは唯一許されている。宿坊の精進料理のような純和風を想像していたが、ひよこ豆やレンズマメを用いたインドやネパールで食べられているようなクミンの効いたスープや、ジャガイモと豆のドライカレーなど南アジアの料理が多かった。
さらに炭水化物が多い。おそらく人の好みが違うために炭水化物だけでも、と品を多数用意してくれていたのだろう。玄米、白米、雑炊、お粥、白パン、茶パン、キール(カルダモン味の牛乳粥)、それでおかずにジャガイモカレーときたら、すべて炭水化物だ。それでも毎日一品あるおかずのメニューが変わって飽きることはなかった。そして、朝食は蜜柑かバナナが付く。



2015年1月18日日曜日

無常(anicca)

  
  色はにほへど 散りぬるを
  我が世たれぞ 常ならむ
  有為の奥山 今日越えて
  浅き夢見じ 酔ひもせず (いろは歌)

この世の無常を表現した文学は古来より日本に多く存在する。
例えば、 
  ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず 
(方丈記:鴨長明)

  折節の移り変るこそ、ものごとにあはれなれ 
(徒然草:兼好法師)

  祗園精舎の鐘の声、
  諸行無常の響きあり。 (平家物語)


このように無常感は日本の文化の底に緩やかにかつ確実に流れてきており、物質に価値を見出すようになった現代でも深い深いところにきっと流れ続けてている。

よく桜のような儚いものを愛おしむ文化には無常観が根底にあると言われるが、このような感情は今でもはっきりと残っているように思う。だから、今でも花びらが落ちる姿、ヒグラシが奏でる音、放課後に誰もいなくなった教室の光の中に、そこはかとない寂しさと同時に、どこか生きることに対する慈しみのようなものを感じるのかもしれない。そして、そのようなシーンはドラマ、映画、小説、漫画、アニメ、様々な作品に表現されている。

もともと四季と言う絶対的な自然の法則と共に生きてきた日本人に、「無常」、「輪廻」を謳う仏教が取り入れられて、それを骨格に、またそれを意識しながら日本独自の方法で無常さを知覚してきたという側面もあるだろう。

わたしが、日本独自と言うのは、無常のとらえ方の問題である。日本の無常は常に自然(自分を取り巻く環境)というコンテクストの中で語られ、仏教における無常は自分の中へそれを見出していく。そこに微妙な違いがあるような気がする。




前置きが長くなってしまったが、私はアフリカ縦断の旅を終えてから、今までの生き方を整理するためにそして今後の生き方を考えるために、ヴィパッサナー瞑想法を用いる10日間の瞑想研修に出かけた。世の中にはいくつも瞑想法があるようだが、この瞑想法の特徴は、

とことん自分の感覚を観察すること

にある。それも客観的に平静心を持って。そのような訓練を繰り返しすることで、自分の意識が物事(快楽や苦悩など)を感情的に処理しなくなる。そして物事を冷静に見定め、よりよい解決方法を導いていくことができるようになるという。

生は無常(anicca)を知ることから始まる
正直言うと参加する前は瞑想と言う響きに宗教的な匂いを感じており、少し身構えていたところがあった。これも外国に出て感じたことだが、日本の社会の空気は宗教に対して強い猜疑心を持っている。おそらく、それは世間をにぎわす新興宗教のせいもあるが、根本は幕末の討幕運動に乗じて急速に推し進められてきた、天皇を現人神とする国家神道が、敗戦により崩壊したことに起因しているのだろう。それまで信じ込まされていた神を神ではないと強引に押し切られた。我々が信じていたものはなんだったのか。宗教、信仰なんて儚く、そしてまた怪しいものだ、と。そして敗戦後はちょうど高度経済成長で物質的に満ち足り、社会全体に唯物主義の気運が広がり始めて、ますます宗教の居場所がなくなってしまった。それが現在の日本の宗教嫌い、宗教軽視につながっていると感じる。

私もやはり宗教への猜疑心はないとは言えなかった。参加する前は宗教色が濃かったらこれきりにしよう、と考えていた。

しかしその瞑想の原理が比較的実生活や実経験と違わないことに驚いた。もちろん科学で証明されていないようなことをやらされたりもする。ただ盲目的に信じるのではなく、自分が知覚できる範囲で経験に基づいて瞑想し、心を鍛え、また心を浄化していくというのが主だから科学信仰に洗脳された私もそこまで抵抗はなかった。つまり、よくあるトランス状態になって気持ちよくなるのではなく、実体的な不快感や快感を経て、それをただ観察し続けて乗り越える処世術が身についてくるのだ。


この世を よりよく生きるために。


コースの紹介

まずヴィパッサナー瞑想をするにあたり、すべての生徒はシーラ(sīla)と呼ばれる道徳律を与えられ、それを十日間厳守させられる。

五つのシーラ
1. いかなる生き物も殺さない。 
→冬のため殺せるような虫はいなかった。手に着いた細菌類、またうんちと一緒に毎日大量に排泄される腸内細菌たちはどうなのだろう、これこそジェノサイドじゃないかと夜眠れぬ一因となった

2. 盗みを働かない。 →普段の生活でもまずしないだろう。

3. いかなる性行為も行わない。 →異性とは隔離されているのでするとしたらホモセクシャルか。言葉のない性行為とは新たな地平が見えるに違いない。あ、一人ですりゃ言葉はいらないか。

4. 嘘をつかない。 →言葉を発してはいけないので、嘘をつくにはかなり高度な技術が要求される。自分に嘘をつかないということか。

5. 酒や麻薬などを摂取しない。 →酒はともかく麻薬は普段もしないでしょう。

このように五つの戒律とは言うが、さほど難しい規律なわけではない。普段の生活をしていればちょっと努力するだけで守ることができる。

さらにこれらの規律の他に、
6. 話してはいけない
7. 食事は正午以降取らない(林檎とポップコーン、茶類のみ)
8. 起きているうちは極力瞑想に励まなければならない

があり、これらの方が個人的にはきつかった。

そして以下が一日の時間割。
________________
  4:00      起床のベル
 4:30  -  6:30  ホールまたは各自の部屋で瞑想
 6:30  -  8:00  朝食と休憩
 8:00  -  9:00  ホールでグループ瞑想
 9:00  -  11:00  ホールまたは各自の部屋で瞑想
 11:00  -  1:00  昼食と休憩
  12:00  -  1:00  指導者との面談
  13:00  -  14:30  ホールまたは各自の部屋で瞑想
 14:30  -  15:30  ホールでグループ瞑想
 15:30  -  17:00  ホールまたは各自の部屋で瞑想
 17:00  -  18:00  お茶と休憩
 18:00  -  19:00  ホールでグループ瞑想
 19:00  -  20:15  ゴエンカ師の講話
 20:15  -  21:00  ホールでグループ瞑想
 21:00  -  21:30  ホールで質問の時間
 21:30      就寝 / 消灯
__________________合計すると瞑想時間は10時間以上になる!


これらを十日間行い、自分とひたすら向き合うことで潜在意識の中にある様々なしがらみやしこり(サンカーラ)を取り除いていこうという試みの練習が行われる。
実際はこの十日間は瞑想のやり方を教わるだけで、それで自分の中の問題が解決されるわけではない。瞑想を継続的に行うことが大事だという。

2014年10月13日月曜日

1013 宗教について

スーダンを旅しているとイスラム教の偉大さや勧誘を受けることがある。さすがイスラムの国である。
名もなきモスク

クォイッカモスク:300年の歴史を持つ(スーダン北部アブリ)

一神教であるキリスト教やイスラム教と多くの日本人が持つ多神教の感覚の違いは究極的に何なのだろうか。アイヌの神話を読んだり、旅を通して出会ったイスラム教、キリスト教を比べて感じたことをつらつらと書きたい。
一神教はあまりに神様が偉大で世俗的な世界には決してお姿を見せない。故に神様はあまり物言わず人々の生活は大まかな規範のみで規制される。一方我々の多神教は神様がたくさんいる分、神様一人あたりの仕事量は一神教の神に比べて少なく、いろいろな場面で神様が登場する余裕がある。だから生活密着型で極めて神と人が近い存在で、神様もなんだか人間臭い。この人間の創造物なのだから人間っぽくてしょうがないじゃないか、と諦めてとことん人間らしい神々はなかなか潔い。一方一神教は一生懸命神に形はあってはいけないといって偶像崇拝を禁じたり、超人間的な美男子となって登場する。制約がある分、なんとなく歪んでしまっている。
一神教は概念色が強く、形而上学的だが、多神教はもっと実践的なところに主眼が置かれている。それから絶対軸を持とうとする意志があるかないか。

アフリカのキリスト教、イスラム教はなんとなく盲目的なところがある。一神教の主眼はそこにあるのだから本筋から言えば成功しているといえよう。しかし現代は多様な価値観があってそれらがうまく共存していかないと成り立たなくなっている。一国閉鎖しては立ち行かないのだ。そんな中で自分の考え、思想こそが正しいと貫き通しても世界は丸くなるばかりか、各所で対立がどんどん尖鋭化するばかりだ。今のアフリカに必要なのは算数や科学などの教育も必要だが、それよりも早急に多様性を認める教育も必要ではないだろうか?

と書いてふと日本を思う。いかん、日本は宗教的にはもともと多神教だから宗教の多様さには頓着しないが、その他のことに関してはかなり多様性を認め難いところがあるのではないか。その辺はアフリカに劣る。アフリカは出る杭どころかそもそも杭だったり釘だったり、マッチ、歯ブラシ何でもありなので多様性を比較的許容しているように見える。
人間個人にも言えることだが、知らないから怖れ、嫌うという事がある。
世界が諍いなく丸い地球になる一歩はやはり何においても多様性を認め、そのもとで知っていくことであると思う。
宗教は題材が題材なだけに書くのが難しい。今日の記事はメモ程度で読んでもらえればと思う。

2014年10月4日土曜日

1004 静の時

今朝は少し風が穏やかになったような気がするが、昨晩の強風に比べての話である。既に砂漠を越えたのでさほど気合いを入れる必要もなかったので寝坊した。日の出から一時間、テントが暑くなって目を覚ます。ジッパーを開けると清々しい空気が流れ込んできた。外は風があって気温も低く涼しい。昨晩の光の列はすっかり朝の強烈な光に飲み込まれ、冴えない点となって遠くの方に見えた。
昨晩腹を出して寝たせいか、お便様の超特急、二回もダイヤをずらしてのお越しです。あ、トイレットペーパーがなくなる。あと一回参ったらアウト・オブ・ストックだ。結局紙の不足を気遣って参りはしなかった。
荒涼とした大地に突如緑が現れた。アカシア、デッドシー・フルーツ(Carotropis)、ナツメヤシ、それに畑にはモロコシが鮮やかに強い日差しに歌う。それと同時に鳥々の明るいさえずりも乾いた空気に響き始めた。さらに何かを焼く匂い。人の生活感。二日間緑から離れ、また生きとし生けるものより離れていた身にはなんと輝いて見えたことか!
ナイルが近いぞ。ナイル川はハルツームで白青ナイルが合流した後、北部でS字に曲がっており(ハルツームはSの尻尾に位置する)、私はハルツームで一旦ナイルを離れSの中間まで砂漠を走った。そしてナイルに沿って少し遡上し、カリマで再び砂漠を走ってSの頭ドンゴーラへジャンプするのだ。
こうなると水の香りが感じられてくる。あ、水溜りだ。周囲30mに満たないくらいだが岸には小舟が繋がれ、緑を伴った木々や草が水に迫る。シギのような鳥が何を考えているのかぼんやり水に突っ立っている。
ドンゴーラでフルーツやトイレットペーパーを補給しようとしたら何と閑散としたことか。店という店がシャッターを閉ざし、人も疎らである。そうだ今日は土曜日だ。イスラムの休日だ。迂闊だった。が奥まで入っていくと小さな店はいくつか開いていて必要なものは買うことができた。
裏路地を通って元のメイン道路を探す。自転車に乗った子供が楽しそうに何か言いながら付いてくる。言葉は通じないとわかっても私も英語で自転車を褒めたりする。自転車乗りはどこだって心が通じ合うものだよ。なぁ、君。
道端の大樹の陰では家族総出で犠牲祭の屠殺が行われている。「アッサラーム、アライクム!」挨拶して通り過ぎる。自転車の子供が寸時沸く。変なチャイナがアラビア語使って面白いのだろう。
ナイルの川沿いは街や村に事欠かない。どこでも見ずに困ることはないし、おそらく土曜でなければ食べ物屋もいくつもある。泊まる場所もガソリンスタンドやハンモックベッドが置いてある店がたくさんあるので困らない。その気になればアカシアの木の陰にもテントを張って泊まれる。スーダンはそれほど穏やかで危険な匂いがほとんど感じられない場所である。
砂漠で精神的に相当干されたので、水を見ると何でも飛びついてしまうのがまだ抜けない。恐水病ならぬ親水病だ。私はこの旅で二度犬に噛まれている。もちろんワクチン接種された飼い犬にである。とは言え大丈夫かな、と怯えて眠りが妨げられることもあったが、これだけ水が恋しいところを見ると大丈夫なようだ。
その親水病でふらっと水瓶に吸い寄せられて、日陰でヒンヤリした水を頂いていると、3人連れの青年に話しかけられる。アラビア語が分からないのに随分色んなことを伝えたり伝えた気になれる様になったものである。一人は俳優にでもなれそうなほどのイケメンだ。でも興味津々で話しかけ、一生懸命英語の単語を探す仕草があどけない。「そこに小屋があるから休んでいきなよ」と誘われるがもう少し進んておきたかったので断った。が、あとから来た老人にも同じように誘われ私は落ちた。私には意志がないのではないかと時々不安になる。
小屋は30畳ほどの土壁作りの長屋である。窓はなく暗いはずだが、ナツメヤシの葉で葺いた屋根と壁には隙間がありそこからの光で室内は明るい。土の床にはござが一枚と、祈りの時に用いる敷物が一枚、床の一部を占めているのみであとはがらんと殺風景だ。しかしその殺風景が静謐な空間をさらに静かたらしめている。ナツメヤシ林で遊ぶ鳥のさえずりだけが入室を許されたように聞こえてくる。
ナツメヤシの葉が薄くなっているところから光が二条差し込み、土が滑らかに塗られた壁に45度で斜に走り床に至る。床に近いところでは光の条は既にそのまとまりを無くし、影と混じりながらぼやけて微睡んでいる。なぜかふと放課後の教室が思い出されて懐かしかった。
一人老人がやってきて私に挨拶をし、手足、顔、頭などを清め始めた。祈りが始まる。私はここにいてもいいのか分かりかねてまごついていると、老人は祈りを始めてしまったので、ここから抜け出る機を逃してしまった。相変わらず壁には二条の光線が45度に走っている。その前に老人はすっと立ち頭を垂れる。外のナツメヤシ林をつむじ風が轟と鳴らす。その他は一切の沈黙。礼の度に「アッラー、
アクバル」と息に乗るように声が出る。総ての苦楽を何処かに置いてきたようなその声はどことなく坊主のお経の声に通ずるものがある。跪いて礼、立って礼を10分くらいの間繰り返していたが、その空気の心地よさに私は眠りに落ちた。目が覚めると先の老人がミントの効いた紅茶をポットに入れて運んできた。ザラメがまぶされたしっとりクッキーと共に。そして一緒にどうだい?とばかりに紅茶を注いでクッキーを差し出してくれた。私は当然甘えさせてもらい、二人で紅茶の入ったショットグラスを傾けていた。
そうしているうちに続々と人が集まってきて体を清め始めた。ここは村の祈り場なのだろうか。だとしたらここに居てはいけないのではないか。うろたえる私を飲み込んで祈りが始まった。横に男4人が一列に並び、一人が前で主導するように祈る。相変わらず息とともに吐き出される「アッラー、アクバル」の音が清怨だ。口から吐き出されてすぐに空気に染み渡るようだ。一同正座だが足裏がこちらに向き、揃うのではなく九時を指していたのは偶然ではなかろう。4,5歳くらいの男の子も後から父とやってきて、隣にちょこん、父と二人で祈りをあげていた。が、途中でやめた。子供にはまだ早かったか。

2014年9月17日水曜日

0917 警の宿

警官たちが雑談している中、私を案内したうちの一人がおもむろに少し離れたベンチに腰を掛けた。手近にあった一つのポット(取って付きのジョウロのようなもの)を手にして体を清め始めた。
ポットから左手に水を取って、そのわずかな水で手を揉みながら洗う。
再びポットを傾けて水を手に取り、顔を洗い、口を漱ぐ。
顔は念入りに、鼻の中まで水を吸って吹き出しながら洗う。
少し下って腕にも水をかけて清めていく。
文字も読めないくらいの暗がりの中、遠い光を濡れた褐色の肌が照り返し、異様に煌めく。
何度もポットを傾けながら水を手に取り、もう一度上に戻って頭をなで、そして耳を清める。
そして最後に一番下の足を脛の辺りまでこすりながら清めていく。

祈りが始まるのだ。一日五回する祈りのうちで最後から二番目の祈りマグリブだ。
そういえばどこか遠くの方から「たけや~さおだけ~」を思わせるアザーンが聞こえてくる。

体を清めた彼は手近に置いてあったマットを敷き、お祈りを始めた。
両手を腹の辺りに組んで足を肩幅に開いた楽な姿勢で気持ちを沈ませているようだ。
そのうちマットに跪いて、両手を顔の横辺りに持って行き手のひらを向こうでに向ける。
そのまま前方に腰のあたりから落ちていき、地面に額と手を着くことを数度繰り返している。
何かブツブツ言いながら。
再び立って同じことを何度か繰り返していた。

彼につられるように、次々と数人が同じように祈りを始めた。
一方で半分以上は歓談を続けたりテレビを見たり、祈りをしないものも多くいた。

さて、私がここにいるのは、今日の宿を警察に願い出たからである。
ジンバブエやナミビア、ボツワナではしばしば警察にテントを張らせてもらっていたが、
以降宿が出てきたり、安全にテントを張る場所が見つかりやすかったために警察から足が遠のいていた。
今日遅くに町に着き、宿を聞いたがなく、道行く人にどこか泊まれそうな場所はないか、と尋ねると、警察に行けばいいよ、と言われてその彼らに連れてこられたのがここ警察署である。

田舎では警察といえども英語は使われていないので、道端で出会った彼らが警察と交渉までしてくれたのである。
警察官たちはこの珍客に沸いたが、アラビア語が通じないことを知って、少し距離を取っていた。
警察官は泊まるのは構わないが、空いた部屋があるからそこに泊まるといい、
と部屋を勧めてくれたが鍵を持った人がいないとかで待たされていたのだ。
そして結局鍵を持った人が二時間くらいしてもやってこず、テントを使わせてもらった。

翌日目覚めると、昨日あれだけ距離を取っていた警官たちが、片言の英語で声を掛けてくれて、
明るい気持ちで走り出すことができるだろう。

そして昨日開かずの扉だった部屋が開いた。そこは警察署長さんの部屋だった。
え、、、署長さんの部屋に入れてくれようとしていたのか!?

署長さんがやってきて、私を招き入れてくれ、一緒に紅茶を飲みながら朝の歓談。
署長になるにはやはり高学歴が要求されるようで、英語で大学教育を受けている(修士課程)彼は英語を流暢に話していた。
今までの旅で好きな国を聞かれたり、スーダンはどうだ?とか日本のこともいろいろ聞かれた。

話している間、何人もが署長に朝の報告がてら挨拶に来ていたが、皆楽しそうに話している姿を見て彼の人柄が垣間見られた。
そして私はまた良き出会いをしてその場を離れることになった。


2014年8月8日金曜日

0808 God can bless you


日の出とともに目が覚めた。朝は空気が澄むからケニア山を拝見できるかもしれないと思い、肌寒い中ポケットに手を突っ込んで宿の外に出た。まだ太陽の光は直接大地を照らしてはいない。空の青を一度通ってきた淡い光が朝の空気を満たしていた。ケニア山はまだ雲を頭に纏って眠っていた。ケニア山の緩やかに延びる裾の左側の空が黄色味帯びている。走っているうちに頭を見せてくれる事を期待して出発。朝飯は途中のどっかで取ることにした。


しばらく走るとケニア山が頭を見せてくれた。
裾野が緩やかだったのでキリマンジャロ山みたいなのっぺりとしたものを想像していたがケニア山の頂は急峻だ。槍ヶ岳をもう少し緩くしてどっしりさせた左右ほぼ対称形。青い山体が白い雲を突き抜けている清雅さは何とも言い難い。
それを背景におばちゃんたちがじゃがいもやえんどう豆に似た豆を道沿いに並べ始めた。商売の始まりだ。

















朝飯に白いレースの掛かった食堂に入った。まだ準備中のようで、裏口で炭を起こして調理していた。豆に込みは既に出来ておりそれを出してくれた。朝の陽光を受けてレースが穏やかに輝き、暗い部屋をほんのり照らす。その隙間からダイレクトに光が入る場所ではハエが縄張りを取り合って負いかけっこしている。ふと上を見るとハエのメリーランド。メリーゴーランドが馬だけって誰が決めたのだ。

それにしても一皿の豆がこうも無尽蔵に湧いてくるとは思わなかった。食べても食べても減らない。全部入った時には120%だった。
ブロッコリーや小麦の大農場を過ぎる。ブロッコリー畑はすごい整備されているな、美しい!と思って写真撮っていたら警備員に注意された。インターナショナルな畑だからダメだよ。と。インターナショナルだとどうしていけないのか疑問もあったがそれは置いておいて撮ったものを消去して謝った。オーナーはヨーロッパ人だという。どこの国?カナダ。カナダはアメリカだよー、と言うと照れていた。そしてこれらはケニアで消費されずにカナダやアメリカ合衆国に輸出されるという。それにしても赤土と白い粉を吹いた緑の美しい畑だった。

小麦畑は広大すぎて圧倒された。なだらかな丘陵を黄金の光を浴びた金色の穂が覆い尽くしていた。その上には重厚な燻し銀の空。美景燦然たる世界の中、爽快な走りだった。





気持ちよさの後には時に、すぐにでも気持ち悪さがやってくるものだ。どんよりした燻し銀の空の下、沿道に子供たちの姿を見つけた。前をゆくトラックがなにか威嚇のメッセージを送るように左右に揺れた。近づくとこども達は私に合わせて走り出した。「Give me money」「Give me some food」だ。ケニアに入ってからは全くなかったのでこの感覚を忘れていた。今までも幾らでもお金を乞う子供たちはいたが、今日のそれは悲愴さが違う。顔に余裕がない。笑いの要素が微塵もないのだ。
何日も洗濯していない垢と埃まみれ、そして破れ放題の服。顔は埃で白っぽくなり汗が流れた跡が行く筋か見られた。

更に彼らは言葉を私に投げつける。
「God can bless you. Give me money, God can bless you...」
彼らは貰えるかどうかで必死なのだ。神が出てくるとこっちも少し怯む。神様が見ているとなると何かをあげなければいけない気がしてくる。その点心得ている。しかし私はそれでもあげない。少しばかりの慰みが彼らを救うのか、それともむしろ中途半端な優しさが彼等を悪い方へ落としてしまうのではないか。そういう思いがいつも渦巻く。だから一番影響のない方、とても悲しいことだけれど、会わなかったのと同じく何もあげない、を選ぶのだ。そしてこういう子供を見るたびに親のことを思う。どうしてそばにいて食わせてやらないのか、と。もちろん予想できない出来事が起こって一緒にいられない、食わせてやることができないこともあるだろう。しかし今までアフリカで働き、また走ってきて多く見てきたのは親の無責任さだ。次々と子供を産んでは手に負えなくなって教育せずに放置する。勿論人手が欲しいからという理由もあろうが、それ以上に家族計画のなさが原因じゃないかと思う。収入がなくても子供を作って親に投げる。子供が子供を面倒見ている事も頻繁に見てきた。今迄通って来たアフリカ全体に言えること、全ての彼らの生活に一貫して流れているのは「無計画」この言葉に尽きる。これが彼らの発展を妨げているのは間違いない。そして先進国の多くの国が行っている支援はこれを是正しうるものではない。むしろ計画して何かを成す能力をつける機会を奪ってさえいる気がしてならない。

子供達の勧めた神の祝福を拒絶した私はどうにかなるのであろうか。神の仕打ちが待っているのだろうか。いや、それはない。人が人を助けるのに神は必要ない。神様はそんなことに関わるほど暇ではない、と私は信じている。
ともかくこのような出来事があると予想以上に疲れ、その数時間心が沈むから不思議だ。そうか、これが神のもたらす仕打ちというやつか。

2014年7月27日日曜日

0727 宗教観

元ボブスレーナショナルチームのオランダ自転車乗りロバートと、体操選手でインド人旅行者三人組を巻き込んで "旅先ブートキャンプ" を開く体育会系デニッシュの到着によって活気付いた。
ある朝食のこと上記二人に加えて、裾がほつれたショートジーンズが似合うロングパーマがいかしたオシャレ系ブラジルボランティアと私でアフリカの話になった。東アフリカはムスリムが混ざり始めるがまだクリスチャンが多い。そして彼らも宗派は違えどキリスト教がメインの国出身だ。私だけがキリスト教で無いのでいつもアフリカで感じている疎外感を感じるかな、と身構えたが意外にもそういう感覚はなかった。むしろ考え方が近いな、と感じた。ヨーロッパの若い世代やリベラル派が無神論に偏り始めているという記事を読んだ事がある。無神論と言っても積極的に神の存在を否定する無神論ではなく、神の存在はあってもいいがわざわざ存在をことさらに大きく取り上げるのではなく、神の存在を拠り所にしない、という考え方。
これは日本が戦後とってきた考え方そのものではないか。だから私はクリスチャンの彼らと宗教観をかなりの部分で共有できたのだろう。
体操選手のデニッシュが私に聞いた。
「日本はどうなの?」
「日本もかなり考え方が近くて無神論と言ってもいい部分はあるかな」
「なんかそれ聞いて安心した」
彼の最後の言葉が興味深い。彼がどのような意味で言ったのか正確なところは掴みかねたが、全く文化が違うと思っていた日本も(ヨーロッパから見たらある意味アフリカよりも遠くに感じることもあるだろう)自分たちと考えが近くてホッとしたのかもしれない。
とにかくアフリカの絶対的、盲信的、絶叫系クリスチャンに違和感を覚えていたのはみな同じだった。
絶対神を持つ一神教や、排他的な宗教は歴史の中で数々の軋轢を生んできた。それを避けるために他教共存を認めるような教育、社会構造がヨーロッパでは宗教とは別の流れの中で育まれてきた。しかし今のアフリカはどうか。宗教では教会側の利益のために盲信的になることを教え、教育などの宗教とは別の力はそれを抑制できていない。時代錯誤という表現が適当かは分からないが、「お前もジーザスを信じるべきだ」と言われる度に前時代的だなと感じるのは、私ら非クリスチャンが多いアジア人よりはマイルドにせよ、おそらく西欧の人々も同じなのではないだろうか、と思う。

2014年3月30日日曜日

教会にて

虐殺記念館を見て少し考える時間が欲しかったのと、この美しい町をもう少し見ておきたいとの思いからもう一日ここへ泊まることにした。朝目覚めて宿の庭に出ると温かみのある光が濡れた芝生を優しく照らしている。昨夜宿のおばちゃんから「七時から英語で行われるミサがあるよ」と聞いていたので教会へ足を運んでみた。昨日、死を近くに感じたことが多少なりとも私を教会に向かわせたことは否めない。死に対して何かしらの達見を持つ何者かにすがりたかったのかもしれない。着飾った人々に途中で会う。心なしか心弾んでいるように見えるのは朝日のせいか?教会の薄い色の煉瓦が朝日で染められ神々しい。朝の澄んだ空気と一緒に教会内に入ると、青、黄色、緑に淡く色づけされたステンドグラスを通して朝日が入り、それはそれは優しく清々しい雰囲気を醸し出していた。すでに七時を回っていたがまだ人はいなかった。三人程準備している人がいるだけだ。

朝誰もいない学校の教室が好きだった。一番に来たという喜びの他に、何だか夜の闇が浄化した神聖な空気を独り占めしているようで気持ちがよかった(とは言っても遅刻魔の私は登校時刻を間違えた時くらいしか味わえなかったが)。それと似た感覚が蘇ってきた。準備している人に聞くと、始まる時間は八時と言う。今日もおばちゃんが時間を間違えたことでこの神聖な空気を吸うことができた。

フイェHuye(旧名Butare)で見つけた宿はキリスト教のアングリカン教会が管理運営しているものだった。教会に訪れた人が宿の心配をしなくて済むようにとの配慮があるのだろう。キリスト教でもなければ、篤い宗信仰心を持ち合わせているわけでもない私が泊まっていいものなのか、一抹の躊躇いを持たないわけでもなかったが、安さに私の良心は負けた。マラウィ、タンザニア、ブルンジ、ルワンダと宿の値段がどんどん上がっている。一方、人口密度も上がっているのでそこらにテントを張って泊まることもできない。過疎の村というわけでなく、町、村といった様子も人の敷地にテントを立てさせてもらう気を挫く。それにほとんど毎日のようにやってくる夕方以降の雨が寒くて宿に逃げて仕舞う。そんな弱い私がいる。

八時前に出直すと人がちらほら教会の周りに集まってきていた。オーストリアからやってきて先生をやっている子連れの夫婦やドイツからやってきている人も参加しており、英語版ミサはいささかインターナショナルな様子を呈していた。フイェではたくさんの白人を見かける。道端ではあまり見かけないが、ガイドブックに載っているアイスクリーム屋や中華料理屋に行けばたくさん会える。また韓国もルワンダにおいてはプレゼンスが高い気がする。昨日行ったニャマガベにもたくさんの韓国からの支援の看板を見たし、記念館ではKOICA(韓国版協力隊)の一行にも出くわした。フイェの町で働いている韓国の人も多い。

外で話している人々に、握手、挨拶し、出会えたことに感謝して入場する。英語版ミサは教会左翼の空間で行われる。おぉ、確かにこっちには英語のテキストが置かれている。清い光が鈍く照り返している木製の椅子に座る。先の子連れ夫妻につられて前の方に座る。前の広い空間ではワインレッドの襟と袖でアクセントを付けた白いガウンをまとった歌い手が手を取り合い円陣を組んで既に祈りをあげていた。

ミサは歌とともに始まった。優しく歌うソロの部分に力強いバックコーラスが被さってくる。高い天井に彼らの歌が響き跳ね返ってくるので、それはすごいパワーだ。旅始まってからは教会に行くのは初めてだが、南アにいる時にもいくつかの教会にお邪魔させてもらったことがある。いつもアフリカの教会で感じるのは言いようもない疎外感だ。なぜだろうか。もちろん私が信者ではないからというのもある。ここにいていいものなのか、彼らが「My Lord」「Jesus」「Amen」と唱えるたびに常に問いかけられている思いに苛まれる。しかしもっと別に理由があることに気が付いた。それは自分自身が持つキリスト教への不信感が関係している。私は聖書を詳しく読んだことはないが、色々な人かjaら聞く話や、ピックアップされたトピックからはそれが教える道というものはとても人生を豊かにしてくれるものであると同意できる。そして何かを信じること、信仰心を持つこと、それによって自分に制限をかけることは人生において極めて意義深いということも納得できる。ただ一つ、キリスト教で(旅先で出会う西洋のクリスチャンからはあまり感じないが)納得できないのは、全てにおいて絶対主義を持ち込むことだ。絶対的な神。絶対的な価値観。絶対的な善。そしてそれを強要する姿勢。日本という極めて相対的な宗教観、文化の中で生きてきた私には未だにそこが馴染めない。

アフリカのキリスト教徒に対してそういう不信感を持つことで彼らの教会での営み自体にも自然に不信を抱いていたのだと思う。そしてその無意識の不信を無意識の良心が嗅ぎ取って私を圧迫していたのだろうと思う。宗教はそういう意味でどうにもしがたいものである。
しかし教会でそんなことを考えていた私を神様はどう思ったであろうか。