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Africa!

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2014年7月27日日曜日

0727 宗教観

元ボブスレーナショナルチームのオランダ自転車乗りロバートと、体操選手でインド人旅行者三人組を巻き込んで "旅先ブートキャンプ" を開く体育会系デニッシュの到着によって活気付いた。
ある朝食のこと上記二人に加えて、裾がほつれたショートジーンズが似合うロングパーマがいかしたオシャレ系ブラジルボランティアと私でアフリカの話になった。東アフリカはムスリムが混ざり始めるがまだクリスチャンが多い。そして彼らも宗派は違えどキリスト教がメインの国出身だ。私だけがキリスト教で無いのでいつもアフリカで感じている疎外感を感じるかな、と身構えたが意外にもそういう感覚はなかった。むしろ考え方が近いな、と感じた。ヨーロッパの若い世代やリベラル派が無神論に偏り始めているという記事を読んだ事がある。無神論と言っても積極的に神の存在を否定する無神論ではなく、神の存在はあってもいいがわざわざ存在をことさらに大きく取り上げるのではなく、神の存在を拠り所にしない、という考え方。
これは日本が戦後とってきた考え方そのものではないか。だから私はクリスチャンの彼らと宗教観をかなりの部分で共有できたのだろう。
体操選手のデニッシュが私に聞いた。
「日本はどうなの?」
「日本もかなり考え方が近くて無神論と言ってもいい部分はあるかな」
「なんかそれ聞いて安心した」
彼の最後の言葉が興味深い。彼がどのような意味で言ったのか正確なところは掴みかねたが、全く文化が違うと思っていた日本も(ヨーロッパから見たらある意味アフリカよりも遠くに感じることもあるだろう)自分たちと考えが近くてホッとしたのかもしれない。
とにかくアフリカの絶対的、盲信的、絶叫系クリスチャンに違和感を覚えていたのはみな同じだった。
絶対神を持つ一神教や、排他的な宗教は歴史の中で数々の軋轢を生んできた。それを避けるために他教共存を認めるような教育、社会構造がヨーロッパでは宗教とは別の流れの中で育まれてきた。しかし今のアフリカはどうか。宗教では教会側の利益のために盲信的になることを教え、教育などの宗教とは別の力はそれを抑制できていない。時代錯誤という表現が適当かは分からないが、「お前もジーザスを信じるべきだ」と言われる度に前時代的だなと感じるのは、私ら非クリスチャンが多いアジア人よりはマイルドにせよ、おそらく西欧の人々も同じなのではないだろうか、と思う。

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