朝誰もいない学校の教室が好きだった。一番に来たという喜びの他に、何だか夜の闇が浄化した神聖な空気を独り占めしているようで気持ちがよかった(とは言っても遅刻魔の私は登校時刻を間違えた時くらいしか味わえなかったが)。それと似た感覚が蘇ってきた。準備している人に聞くと、始まる時間は八時と言う。今日もおばちゃんが時間を間違えたことでこの神聖な空気を吸うことができた。
フイェHuye(旧名Butare)で見つけた宿はキリスト教のアングリカン教会が管理運営しているものだった。教会に訪れた人が宿の心配をしなくて済むようにとの配慮があるのだろう。キリスト教でもなければ、篤い宗信仰心を持ち合わせているわけでもない私が泊まっていいものなのか、一抹の躊躇いを持たないわけでもなかったが、安さに私の良心は負けた。マラウィ、タンザニア、ブルンジ、ルワンダと宿の値段がどんどん上がっている。一方、人口密度も上がっているのでそこらにテントを張って泊まることもできない。過疎の村というわけでなく、町、村といった様子も人の敷地にテントを立てさせてもらう気を挫く。それにほとんど毎日のようにやってくる夕方以降の雨が寒くて宿に逃げて仕舞う。そんな弱い私がいる。
八時前に出直すと人がちらほら教会の周りに集まってきていた。オーストリアからやってきて先生をやっている子連れの夫婦やドイツからやってきている人も参加しており、英語版ミサはいささかインターナショナルな様子を呈していた。フイェではたくさんの白人を見かける。道端ではあまり見かけないが、ガイドブックに載っているアイスクリーム屋や中華料理屋に行けばたくさん会える。また韓国もルワンダにおいてはプレゼンスが高い気がする。昨日行ったニャマガベにもたくさんの韓国からの支援の看板を見たし、記念館ではKOICA(韓国版協力隊)の一行にも出くわした。フイェの町で働いている韓国の人も多い。
外で話している人々に、握手、挨拶し、出会えたことに感謝して入場する。英語版ミサは教会左翼の空間で行われる。おぉ、確かにこっちには英語のテキストが置かれている。清い光が鈍く照り返している木製の椅子に座る。先の子連れ夫妻につられて前の方に座る。前の広い空間ではワインレッドの襟と袖でアクセントを付けた白いガウンをまとった歌い手が手を取り合い円陣を組んで既に祈りをあげていた。
ミサは歌とともに始まった。優しく歌うソロの部分に力強いバックコーラスが被さってくる。高い天井に彼らの歌が響き跳ね返ってくるので、それはすごいパワーだ。旅始まってからは教会に行くのは初めてだが、南アにいる時にもいくつかの教会にお邪魔させてもらったことがある。いつもアフリカの教会で感じるのは言いようもない疎外感だ。なぜだろうか。もちろん私が信者ではないからというのもある。ここにいていいものなのか、彼らが「My Lord」「Jesus」「Amen」と唱えるたびに常に問いかけられている思いに苛まれる。しかしもっと別に理由があることに気が付いた。それは自分自身が持つキリスト教への不信感が関係している。私は聖書を詳しく読んだことはないが、色々な人かjaら聞く話や、ピックアップされたトピックからはそれが教える道というものはとても人生を豊かにしてくれるものであると同意できる。そして何かを信じること、信仰心を持つこと、それによって自分に制限をかけることは人生において極めて意義深いということも納得できる。ただ一つ、キリスト教で(旅先で出会う西洋のクリスチャンからはあまり感じないが)納得できないのは、全てにおいて絶対主義を持ち込むことだ。絶対的な神。絶対的な価値観。絶対的な善。そしてそれを強要する姿勢。日本という極めて相対的な宗教観、文化の中で生きてきた私には未だにそこが馴染めない。
アフリカのキリスト教徒に対してそういう不信感を持つことで彼らの教会での営み自体にも自然に不信を抱いていたのだと思う。そしてその無意識の不信を無意識の良心が嗅ぎ取って私を圧迫していたのだろうと思う。宗教はそういう意味でどうにもしがたいものである。
しかし教会でそんなことを考えていた私を神様はどう思ったであろうか。
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