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Africa!

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2013年11月1日金曜日

気のいいバイク乗り〔Betta → 83km from Betta on the road C27〕

C27(from Betta): Gravel road, bad,sandy and bumpy, you have to get off your bicycle and push it in some parts of the way.
CampSite: Everywhere you want

案の定、朝は冷え込んだ。昨夜は暖かかったが前日の経験からセーターを着ておいて正解だった。
牛の夜鳴き、ではなく朝鳴き(こいつらは一晩中鳴いていたのか・・・)で目が覚める。
餌を要求しているのか、夜よりもうるさい。
テントから這い出て牛舎の方へ行くと、ちょうど丘の辺りから日が出てきたところだった。
朝日が枝を広く張ったアカシアの木を透かして私のところまで届く。

朝の空気の冷たさと朝日の温かさに触れ、眠っていた体が目を覚ます。
牛が動き回りもうもうと砂埃が舞い、それに朝日が当たり美しく輝く。
一方で山羊たちは別のアカシアの木の下で、極めて静かに温かな朝の光に感謝しているようだった。

テントに戻ろうとすると、ちょうどオーストラリアからやってきた青年が朝のジョギングから戻ってきたところに出くわした。
親友がナミビア人と結婚することになり、その式に出席するために来たのだそうだ。
そのついでにレンタカーでナミビア観光もしてしまおうという彼はとてもスマートに見えた。
昨夜はずいぶん遅くまで車で走っていたようで、夜の遅い時間に到着していた。
それでもこの早起き。むう、お主、なかなかできるな。と言った感じである。
朝ごはんを宿でささっととり、出発が私と一緒だった。
彼のその行動のその速さがとてもさわやかだった。
少しでも彼を見習えたら私ももう少しましな人間になるのだろうになぁ、と羨望の眼差しで彼と別れた。
彼が言っていた印象的な話にこんなものがある。
「日本人が働き過ぎなのはよく言われていることだけれど、あまり日本人は長期の旅行もしないよね。今まで出会ったことがないよ」と。
確かに日本人で長期旅行に出ている人はいない。
もちろんいるにはいるのだが、職を辞めてきたり、職を持っていないいわゆる放浪者がほとんどだろう。
西洋人には長期休暇をとって旅行をしている人が多い。
もちろん日本の会社のシステムがそれを阻んでいるのは歴然とした事実なのだが、西洋は少し違うのだろう。
生産性はさほど変わらないのに不思議と言えば不思議だ。
日本の社会で働いたことのない私がとやかく言える立場にないのはわかっているが、そんなゆとりを持った西洋のシステムに少し見習ってもいいのでは?と思ってもいいだろう。
まぁ、あんたはゆとりだらけだからいいじゃないの、と言われたら返す言葉もないが。


一昨日の砂地獄よりはましなものの相変わらず砂と砂利が速度を落とす。
しかし三日かけて着けばいいかと準備していたので、多少進まなくともそんなに焦りはなかった。
途中5リットルボトルが振動のあまりに取っ手が外れて地面に落ち、割れてしまったのは、
そんなにかからないから一日分減らしなさいと、見えざる何ものかが教えてくれたのだと思っている。
それでも水への執着が強くなっているせいか、割れたボトルからこぼれ残った水のやり場に困っていると、一台の車が止まって60歳くらいの夫婦が降りてきた。
そして空いたペットボトルをくれ、そこに移すことができた。
「他に必要なものはない?」と念を押してくれるおばちゃん。
「彼(旦那)と写真を撮ってもいい?」とシャッターを切るおばちゃん。
「旅の安全を祈っているわ」と応援してくれるおばちゃん。
水を少し失ってがっかりしていたが救われて元気が出た。
しかし、この道は本当に体力を消耗する。



途中から再び砂地獄となり先へ進むのが困難になる。
自転車に乗ることができない。
そんな落ち込んでいるときに一台の車が止まり、若い二人の男が降りてきた。
で、デカい。両方とも。

しかし彼らの人のよさそうな顔がその威圧感を相殺した。
「おぉ、乗ってるね。轍見たよ。相当苦労してるね。二輪は大変だよな。
俺らもバイクで南アフリカから巡っているんだが、先日この砂で転んで修理中だよ」
と二輪乗りにしかわからぬ苦労を察してくれた。

車に乗っている人も「大変でしょ」と労ってくれるが、砂の上の本当の意味での大変さは二輪を運転していないとわからないだろう。
バランスを取る難しさ。少し調子に乗ってスピードを出した時のハンドルを取られる恐怖。
まぁかく言う私も車の運転の大変さなどは露知らずなのだが。

その二人は「まぁまぁ冷たいものでもどうだ?パンは食うか?」などと話しながら色々なものを出してくれた。
本当に貰ってばかりの緩んだパンツのゴムみたいな自転車乗りだな。
彼らはオランダから来ており、こんなことを言っていた。
「お前みたいなクレイジーなことをやるのはいつだって日本人か、ドイツ人か、フランス人だよ」
確かに他のアジア人でこういう旅をやっている人の話は聞いたことがない。
中国人の観光客は南アでは多かったがナミビアに来てからはまだ出会っていない。
結構旅をしている欧米人に日本人の印象を聞くと、「クレイジー」というものがあったりして意外な印象を受ける。
というのもやはり日本のサブカルチャーのすごさが影響していると思われる。
特に男性はかなり日本のAV(アダルトビデオ)産業にお世話になっている人が多いようで、日本の底力に感心していた。
それからアニメのなどのオタク文化。
そういった他の国の人が目を付けない部分に光を当てることに、もしかしたら我々日本国民は優れているのかもしれない。
頑張れ、日本。
でも日本ってすごいよね、AVの質と量が。と言われても素直に喜べない私がいるのは気のせいだろうか?
いやいや喜ぶべきことかもしれぬ。

それともう一つクレイジーと呼ばれる原因に「アジアの国には珍しい、お金や名誉にはならない(なることもある)であろうと思われる(≒無駄な)チャレンジ精神」がある気がする。
だから日本人では岳人や冒険家と呼ばれる人が存在しえたし、今も少ないながら存在している。
そもそもそういう価値観は西欧に由来している(だから大航海時代なんていう時代があって世界がつながったのだろう)。
それを島国であった日本も潜在的に持っていたに違いない。
島に渡ろうなんてのはチャレンジ精神に富んだ人だったに違いない。
島流しもあっただろうが、あきらめなかった。
陸から離れた日本はそう言ったいい意味でのバカなチャレンジ精神を持った人たちによって始まっており、そういう人たちの遺伝子をもとに組み上げられた集団が日本人であると考えると現在もそんなバカなチャレンジ精神を持っているのも必然的な気もする。
そしてその一見無駄なチャレンジ精神が日本の産業や文化の発展に寄与していることは疑う余地はないと思う。

さて、話を戻そう。
明日一緒にソッサスフレイに砂丘を見に行こうと誘われたが、到底この調子では明日までに辿り着けそうになかったので断った。
それでも「帰りにまたビールでも持って来るよ」と言って別れた。
まったくスポーツマンは気のいい兄さんたちばかりだ。


今日の道も険しかったが、色々な人に声をかけられたこと、また水がなくなるという焦りがあまりなかったために、気持ち的に余裕があり、景色にも目が行った。
右手には漆に金の蒔絵で描いたような岩山が聳え、

左には谷筋が青く刻まれている岩山。

遠く前方にはこれから向かうであろう雄大な山並みが、空気の青いフィルターを透かして、遠いものほど青く淡く続いていた。


そこへ消えていく白い砂利の道。
そこを悠然と歩くオリックス。

私を取り巻くすべてが偉大で清く、厳しく、優しい。
そしてその神聖な場所を通らせて“いただく”という畏敬の念。
しかし私はそこで縮こまるのではなく、ゆっくりと緩く解かれていく。
私がなぜここへ来たのか、そんなことを問うまでもない、と受け入れてくれる自然。

かつて私は南アにいたころ同僚のパセリと宗教について熱く語り合ったことが何度かある。
協力隊の講座でも宗教についてはあまり突っ込まないほうがいいと、忠告を受けたが、
やはり一番核心に近づける良いテーマなので何度も話題にしたことがある。
もちろん危険を孕んでいるのだが。
その時に、私は多くの日本人にはイエス様やいわゆる絶対的な神はいない。
あるのは自然だけだ。というようなことを言ったことがあった。
この時に感じたのも“自然”という畏敬の念をもって接すべき漠然としたものだった。
神やイエスという聖書によって形作られた具体的なものではなく、
ただ、そこにあるもの、という漠として抽象的な何か。
でも時々思う。
具体的、抽象的にしろ、結局見ている、感じているものは一緒なのかもしれないな。と。
私も科学者を目指していたくらいだから、ビッグバンも、進化論も極めて妥当なものと思っている。
我々ができるまでに神の存在は必要ないし、「偶然」と偶然と偶然が作用しあって生まれる「必然」によって今の世界ができるのだろうと思っている。
つまり、偶然という偉大な存在が我々を作り上げたという点では、
彼らの言っている神が偶然という形をとって現われただけであって、大きな違いはないのかもしれないということだ。

何の本だったか忘れたが、日本人にとっての神様は畏れを示す対象のことであると書かれていたのを思い出す。
そう、今日私は確かに畏敬の念を抱いてその自然に接していた。
つまり確かにそこに日本人としての私が感じる神様は存在したのである。


ある場所には赤い花が咲いているような丘があった。
南アフリカのナマクアランドは春の一時に一斉に枯れた大地に花が咲き、そこここの丘や草原が紫やピンク、オレンジ、黄色、白の花で染まり、あたかもスーラの描く点画のようであるという。
私はその光景を目にしたことがないが、まさしくこれがそれなのか!?
と勇んで近寄ってみると、実は砂地がオレンジで遠くから見ると赤い花のように見えていたのだ。

少し残念だったが、またそれはそれで驚きだった。
光の具合でオレンジが濃くなり赤い花のように見える。
これから行くセスリムの砂丘と同じ砂なのだろう。
以前見たカラハリ砂漠の砂と同じ色だ。
他にも砂地や岩肌が茶色と言っても多彩で目を楽しませてくれる。
チョコレート三種盛りだってある。








ビター








オリジナル








キャラメル














旨そうだ。


頭の真上にあった太陽が幾分落ち斜陽となると今度は別のドラマを見せてくれる。

カサカサになって風に細かく揺れる枯草を照らし、まるで黄金色の砂漠にいるような気になる。


そこを悠然と歩くオリックス。
途中で出会った一頭のオリックスはなかなか面白いやつだった。
一応道路の両側にフェンスがあるのだが、そこらに抜け道があるので、道路を横断する動物は多い。
このオリックスもそういった輩で、フェンスから出て私としばらく並走していた。
そして私が止まると、「どうした、へばっているのか?だらしない」と言った体で道の真ん中に出てきて見ている。
この様子は20分くらい続いた。
しかし別の件で気付いたのだが、フェンスから出たはいいものの、今度は入ることができなくなっているオリックスだったということが分かった。
だから、並走して逃げ(彼らの本能として、抜かれる、横に並ばれることは死を意味しており並走して逃げるしか手段がないのだろう)ながら、
フェンスの抜け道を探していたのだ。そして、ある程度距離が開くと、逃げる必要もないので止まってこっちの様子を窺っていたのだ。
この日はスプリングボックに加え、見たこともない狐のようでワラビーのようなやつも道に出てきてにぎやかであった。


今日はテントを広い枯草の原にどーんと立てさせてもらった。

温くなってしまったが、バイクの兄ちゃんにもらった元冷え冷えのスプライトで乾杯。


日が落ちるその刹那、風が凪ぎ無音の時間がやってきた。

無音の中に自分も一緒に溶け込んで自然の中に沈んでくような気がした。
日が沈んで藍のとばりが落ちてくるとギュムギュム虫の登場。
苦しそうな、でもどこか楽しげな鳴き声で一生懸命鳴いていた。
暗くなるまでのわずかな間、彼らの独擅場となる。
暗くなると彼らの宴は終わり、今はまた微風のそよぐ音だけである。
今日も星がきれいだ。
木星が天の川に出航した。


遠く山に星が落ちる。


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