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Africa!

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2013年11月9日土曜日

ニィハオの破壊力〔Stay in Swakopmund〕

今日のスワコップムンドは朝から冷たい海の霧に包まれている。
先日までの乾燥した気候から一転、湿気の多い日々だ。
今までは自転車をこぎ終えた17時くらいから洗濯をし暗い中干しても数時間で乾いていた洋服が、
ここでは太陽が出ていないと乾かない。
荒れていた指先も次第に元に戻りつつある。

そんな肌寒いどことなく色のくすんだ日にはクリームたっぷりのあま~い紅茶をすすってゆっくりするのがいい。
テントでは電源もなくパソコンも打ちにくいので、ユースホステルに付いているキッチンを借りて、
独りカタカタと打ち込んでいる。
今まで書き溜めた記事のノートを見ながら校正や考え直しを加えていく作業は面倒だが、嫌いではない。
朝から夕方までずーっとこもってやっていると、ここがアフリカであることをいつの間にか忘れてしまう。

朝ごはんを食べて、昼ご飯を食べて、気付いたら夕方だ。
キャンプ場に泊まっているジンバブエやザンビアからのお土産品の行商達も商いを終えキッチンに集まってきた。
夕飯の準備を始めるのだ。
彼らは自分の国の友人や家族が作ったお土産品、たとえばカラフルなアフリカンカラーの布で作られた帽子や壁掛けなどを、外国人が集まるような観光地を巡りながら売り歩いている。
彼らと話すといろいろな場所の話を聞けるので面白い。

その彼らが集まって、私がカタカタと写真の整理をしているときに後ろで話していた。
何やら「愛」について熱論を戦わせている。
愛とやらはどこの人々にとっても永遠のテーマなのだ。
体を求めるのは愛じゃない、だとか、
いや、体あってこその愛だ、とか、
今まで何人に愛をささやかれた、とか、
私はまだ行けている、だとか。。。
男3人が女1人を相手にバトルを繰り広げている。
どこの世界でも男の求める愛と女の求める愛は違うのだろう。
だからこそ世界は面白いのかもしれない。

と、そこへ一人のアジア人女性と白人男性が扉を開けて入ってきた。
そこにいる一同とキッチンを確認するかのようにぐるっと見回した。
と、その瞬間、先ほどまで「愛」について熱弁をふるっていたナミビアの女性が、
「ニィハオ」
と悪意のない、単にアジア人を見たときに反射的に出てしまうかのような感じで口に出した。
するとそのアジア人女性は、ムッとした感じで、顔を強張らせ、
「私は中国人じゃない!」と一喝して扉をバタンと閉めて出て行った。

今までの旅でずいぶんと嫌な思いをしてきたのだろう。
協力隊仲間の話を聞くと、アフリカの多くの国で、
「チナー」「ブルースリー」「チャンチュンチョン」と言われたと聞いた。
もちろん南アフリカも例外ではない。(白人には言われたことはない)
彼女もアフリカ地域を旅してきて、何度も何度も彼女の何かを傷つけるようなたわいない言葉を浴びせられてきたに違いない。
長旅で疲れていたところへ、とどめの
「ニィハオ」
彼女の何かが切れた音が聞こえた。

私はその気持ちよくわかる。
普段はいいのだが疲れていると、ついつい鬱陶しく感じてしまうのだ。
でもこれだけは言っておきたい。
「ニィハオ」や「チナ」という彼らにはほとんどの場合、悪意はないのだ。
ブラックモンキーでもホワイトモンキーでもない、イエローモンキーが珍しいので、ついつい声をかけたくなってしまうのだ。
子供っぽさやフレンドリーな性質の表れでもある。

実際扉を強く締めて出て行った彼女を、残ったアフリカンたちは呆然と、
「どうして彼女は怒ったの?」と狐につままれたような顔で私に問いかけてきた。
私も彼女が日本人なのか気になって後を追ったがすでに姿はなかった。
しかし強そうな女性だったなぁ。やっぱり女は強い、いや、怖い。

ここでもう一度、どうして彼らが我々アジア人に対しそのようにふるまうのかを考えてみたい。

まず一つ前提として彼らの中には依然として白人への遠慮というか、怖れ、のようなものを感じる。
植民地時代の名残がかすかに香る。
たとえばゲストハウスなどで黒人が談話室で談笑していたとする。
そこへアジア人である私が行ったところで彼らの流れは変わることはない。
しかしひとたび白人が来ると、なんとなく彼らは静かになったり、どこかへ行ってしまったりすることがある。
少し歴史を背景に穿った見方かもしれないが、私にはそう見えることがある。
しかし、ジンバブエからきて南アでゲストハウスのオーナーをしていた黒人のおじさんもそのようなことを言っていたのであながち間違いでもないと思う。
そういう側面が少なからずある、と。
(ただし、都市部や、常に白人と仕事をしている人などはそういう傾向はないように思える)
話をもどすが、白人へのそういった近寄れないところがある、言い換えれば、彼らの中でランクというものがあり白人に対しては越えられない壁があるのに対し、アジア人にはそれがない。
その彼らの欲求不満の表れ、またバランスを取るための逃げ道であるのかもしれない。
気軽に声をかけられる対象として。
しかし、それはアジア人蔑視というきわどい側面も持っている。
この辺はまだつかめてはいないが、蔑視2割、友達になりたい8割くらいな感じがする。

そして第二に彼らのアジアに対する知識の貧弱さがあげられる。
そもそも日本という国が存在しているのかすらわかっていない。
(いや、彼らには国という概念がそもそもないのかもしれない)
たとえば、「日本は中国のどの辺にあるの?」という質問を受けることがある。
日本は香港や北京に並ぶ中国の大都市の一つなのだ。
そのくせトヨタの自動車に乗っているんだ。
携帯はSonyではなく、LGやサムスン、Nokiaなのだが。
しかしその点はアジア諸国のアフリカに対する認識も似たようなものだろうと思う。
私は最近までカーボヴェルデというアフリカの国を知らなかったし、アフリカの歴史や産業なんかほとんど知らない。
アフリカにも様々な国があるにもかかわらず、日本でアフリカのことが話題になる時、多くの場合、アフリカというくくりで語られることが多い。

まぁ、せめて「チャイナ」ではなく「アジア」にしてくれれば、
彼らに腹を立てる中国以外の東アジア人は減ると思うのだがなぁ。



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