ジンバブエとザンビアから来て、観光地で土産物を売り歩いている行商だ。
行商であり、職人でもある。
皆手に職を持っており、何かしらを作ることができる。
バナナの皮を使って切り絵を作る男。
切り絵はアフリカの伝統的な農村を描いたもので、バナナの皮のくすんだ褐色がナミビアの乾燥した感じを表していていい。
貼り付けるのにザンビアではキャッサバを煮込んで溶いたものを用いるようだが、ナミビアでは手に入らないそうで、小麦粉と市販の糊で代用していた。
もう一人ザンビアからやってきていた少し若めの男は木を彫ってそれに動物の皮を張った太鼓を売っていた。
キャンプ場は日本の学校の少し小さめの校庭みたいな様で、テントは敷地を囲んでいる塀沿いに並んで立っていた。
人間真ん中にいるのは気持ち悪いのだ。
そこをあえて真ん中にテントを張っていた私を挟んで反対側にはジンバブエからやってきていた二人が滞在していた。
一人は石鹸石や大理石を彫って皿を作り、もう一人は植物の繊維を型に貼り付けてイノシシを作っていた。
その植物の繊維がイノシシの汚らしさをとてもリアルに表現していて見事だった。
彼らはとても働き者で、自分の仕事に誇りと自信を持ってやっていた。
彼らには我々と同じように、お金は働いて手に入れるものという感覚があった。
当たり前じゃないか、なんでそんなことをわざわざ書くんだと不思議に思うかもしれないが、
私は南アにいた時分に、そう思っていないであろう人を余りにもたくさん見てきていたので少し新鮮だったのだ。
かつてジンバブエの彫刻が西洋を中心に注目され、有名なアーティストを輩出したり、
工芸産業を底上げし、ジンバブエをアフリカの工芸中心地に変えた。
ジンバブエは石の家という意味で、昔から石を使った建築が盛んだったので潜在的な力はあったのだろう。
そしてその勢いは隣国のザンビアにも波及しているという。
確かにジンバブエとザンビアの土産物を南アでもよく目にした。
彼ら職人たちは技術の提供を厭わない。
教えてほしいと人が来ればその場で即席の講習会が開かれる。
後から来たいい加減なおばさんが不躾な質問をしても嫌な顔をせず丁寧に答えている。
アフリカの協力隊員がしばし耳にする「自分の仕事が奪われるから生徒を育てない」という偏狭な様子は全く感じられなかった。
彫り師の男は子供の時分から10年以上も彫っているといい、
講習生の前で披露する彼の腕さばきは見事であった。
金属の棒を自分で削ったり叩いてつぶして道具を作っているので、彼らの持つ道具は不揃いだ。
何も下書きのない石に動物を彫りだしていく。
鑿とハンマーが合体したような道具でテンポよく石を叩き削っていく。
そのテンポはまるで小動物の鼓動のようだ。
その様子を真剣に見つめる講習生。
彼らはナミビア人だ。
数年後にはナミビアの職人も増えているかもしれない。
一人ぐだーっとした無礼な年配の女性が遅れてやってきて、
彼の仕事を眺めて「あら、簡単そうね」と抜かしている。
そして彼の作品をぞんざいに手の上で転がしている。
それから初対面の私が台所へ行こうとすると「お茶入れてきて」と言う。
無礼の塊りのような人だったなぁ。
一時間弱でカバとバカが姿を現した。
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