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Africa!

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2013年10月22日火曜日

Verry impressive!

Springbok → Steinkopf → Vioolsdrift


キャンプ場のオーナーと別れて、スプリングボックの町に向かう。
キャンプ場からは4kmくらい離れている。

ナミビアは日差しが強いと聞いていたので、日よけ対策に何かいいものはないかと、
町をふらふらしていた時に出会った洋服売りのサンボとイブラヒム。
彼らに今日出発するということを告げる。
サンボはセネガルから、イブラヒムはエジプトから来て南アフリカで商売をしている。

先日の中国人にしろ、このように他国で商売している人にしても、
彼らは私とは異なった「国」という概念を持っており、話していてとても興味深い。

イブラヒムは言う。
「君もエジプトで仕事を見つければいいさ、仕事はたくさんあるよ」
イブラヒムはエジプトに仕事がないから南アフリカに来たのではない。
サンボもそうだ。セネガルに仕事がなかったわけではない。
ちょっと南アに知り合いがいたから、「行ってみるか」程度なのである。
彼らにとって法律的な国境、国はあっても、その法律がなくなったら世界は一つのような気がする。

だから決して違う「こと」や「もの」を差別することはない。
違って当然だと思っている。
言語もセネガルはフランス語だし、エジプトはアラビア語だ。
彼らは言語ができなくてもすんなりやっていく術を持っている気がする。
そうして生活しているうちにその国の言語を身に着けていくのだ。
中国人もその能力は高い。

これからイブラヒムの故郷へ向かうというのもなかなか感慨深いものであるが、
何よりもアラブという未知の世界が待っていると思うと心が躍る。
長い長い、ナイルを下りカイロへ。地中海へ。
まだまだ先だけれども。

話していたらもう一人別のアラブ人ともう一人、カラードのおばちゃんがやってきて、写真撮影大会になった。


さて、今日はステインコップまで行けばいい。
距離は50kmもない。ただし、自転車屋の兄ちゃんが言うにはアップダウンが結構あり、時間がかかりそうだ。
確かにアップダウンの連続だ。
しかも果てしない感じがたまらなくいい。



しかし意外にも早くステインコップに着く。これなら今日中にフィオールスドリフトに行ける。
ガソリンスタンドに行き、店で飲み物を買うと、どこかで見た店の造りだ。
そうだ、以前米人と加人のおじさんと三人で旅したときにPort Nolthに行くのに通っていたのだ。
ここであまり美味しくないポテトと何か他の物を食べた記憶がある。
美味しくないんだけど、周りに何もないという環境がものを美味しくする。
その時は車だったからあまりそういうことはなかったのだけど、、、
今回はそこで買ったファンタグレープが飛び切り旨かった。
まるで炭酸の一泡一泡が喉にそして乾いた細胞に「お疲れー、お疲れー、やったねー」という掛け声をかけてくれているのかと思って、飲んだばかりの大事な液体をチビリソウニナッタ。

そうやって泡との戯れを楽しみながら過ごしていると、私よりも少し若いくらいの人のよさそうなお兄ちゃん二人に声をかけられた。
独りは将来典型的なアフリカーナーになりそうな、体格がよく、がっはっはと笑いそうな朗らかな人、
もう一人は少し控えめだが、とても誠実そうな青年。
二人はこの辺の荒涼とした大地で繰り広げられる、オフロードバイクの大会の手伝いをしている。
トラックにいくつもバイクが積まれており、楽しそうに道や自分たちの団体の話をしてくれた。
私の旅に対し、「Very impressive!」と何度もいい、ガソリンスタンドを行く人、行く人すべてをつかまえては、
「彼はこれでエジプトまで行くらしいんだ!」
と興奮気味に話していた。

こういうのって素直に嬉しい。
自分のやっていることが、そこに住む人々に一時でも何かを残せているのであればそれ以上に嬉しいことはない。
彼らの日々のたわいない話の中に私が少しでも登場できているのかな、と思うと自転車をこぎながらにやけてしまう。
たとえば、職場で「そういえば昨日変なアジア人が自転車で通り過ぎて行ったんだけど、エジプト行くんだってよ」
「あ、それ俺も見た見た!まじで?あいつエジプトに!?」とか、
木陰で休むおばちゃんたちが、
「昨日変な中国人を見たのよ。それが彼、戯言のようにエジプトに行くんだって。この暑さで頭がおかしくなっちゃったのかしらねぇ」
「そうなのぉ?でもそれ悪いサンゴーマ(南アの呪術師)に呪いをかけられたのかもしれないわね、ははは」
色々な会話が頭をよぎる。

そんな風にちやほやされていると、店のオーナーが帰ってきて「ちょっとこっちへ」と笑顔で手招いている。
ちやほやの空気から抜け出る気持ちで彼の方へ行くと、
「なんだ君は旅をしているのか?どこから来た?」
と聞き、続いて「私はポルトガルから来たマニュエルだ」と言って手を差し出してきた。
私も自己紹介をし、おじさんの大きくふっくらとした手と握手をし、今までの旅の話をすると、さっき飲んだファンタグレープがもう一本出てきた。
そして私が持っていた5リットルのペットボトルにきれいな水を入れてくれた。
「他に何か欲しいものは?」
と聞かれたが、「いやいや、もう十分です、これありがとうございます」と言ってまた旨そうに飲み始めた。
旨そうにするのは私の十八番だ。殆どの場合、実際に旨いからフリではないのだが。

それから、
「今日はここへ泊ればいい、あぁ、もしフィオールスドリフトへ行くのであれば、あそこにもチーチョという友人がいるからそこで世話になりなさい。彼も私のように禿げているからそれが目印だ」
と言ってくれた。
私はチーチョの場所を聞き、フィオールスドリフトへ向かって出発した。

ステインコップの町を出ると峠があり、山岳地域を少し上り下りするが、しばらくすると緩い下りが続く長い一本道になった。
35km/hを維持できる。今日は朝より風がなく、快適な走りができたが、夕方は西風が強くなり、車が走る方へ押されるので怖かった。
楽な道が終わり、再び上りと下りが出るが、フィオールスドリフトまで20kmあたりから岩山の谷間を縫うように下る。

谷間を縫ってきた風が強いが、気持ち良い。
日がずいぶん斜めになり、岩山の光が当たらないところが空の色を映し、うっすら青く蒼然としている。
空気が乾燥しているため光と影のコントラストが明瞭だ。


オレンジ川の辺りは年間降水量が極めて小さい地域のため、植物もほとんどない。
スプリングボックなどの乾燥地でも生えていた、カカブーンの木もここでは生きていけないようで、姿を見ない。
サボテンに似たトウダイグサ科の植物が岩山の斜面に人影のように立ち、少しのイグサのような植物がポツポツと砂地に生えているだけ。

岩山を抜けるとぶどう畑の緑が目に飛び込んできた。

オレンジ川が緩やかに流れその対岸にナミビアが見えている。
夕日を浴びて赤く燃えるような山並みとその影が織りなす景色が美しい。



ゲートまで行き、警官と係員と少し話し、ゲート前の店に行く。
酔っ払いが屯し、歯がボロボロになり酔ったおばさんがお金を求めてくる。
少し危ない気がした(実際には犯罪が起きそうな町ではなかったが)。
一度「お金はあげない」と言うも、なかなかしぶとく、立ち上がり血走った目で私を睨み、ふらふらとした足取りで近寄ってくる。
私も負けじと厳しく「金はやらん、あっち行け!」というと、仲間の一人が止めに入った。
少し離れたところにも酔っ払い一団がいたので声をかけ、少し話すと、金を求めてきた。
この財布になりモテモテの感覚、久しぶりである。
ケープタウンを出てから一度もそういうことはなかった。

貧しい人たちと接触する機会はあったが、彼らは彼らの生活や町に誇りを持ち、黙々と生きていた。
しかしここでは、まず誇りは感じられないし、何か今を満たしてくれるであろうものを手探りしているように見えた。

今までの町と何が違うのか。
もちろん酔っ払いだったというのもある。
それともう一つ、観光客による影響でもあると思う。
国境なのでたくさんの外国人を見慣れているし、彼らはお金をくれる存在だと思っている。
実際にくれる人がいるから、求めてくるのだろう。
アフリカでは観光も罪なものである。

店にいる人にチーチョの居場所を探すと、隣の酒屋にいるという。
行ってみると、カウンターに張られた鉄フェンスの下の方で、きれいな艶のある頭が動いた。
ぬーっと入道様が現れた。チーチョだった。
マニュエルからここを紹介してもらった旨を告げると、慣れた風でさも当然のごとく、
若い男を呼び彼に案内するように言った。

その若い男に付いていくと裏庭に案内してくれた。
「何か飲むか?食べるか?」
と聞かれ、「レモネードとフライドポテトを」とお願いした。
すぐにレモネードが出てきた。
あぁ、旨い。何度でも書いてやる、あぁ、旨い。程よい酸味とシュワシュワが渇いた体を潤す。
テントを張り、整理体操していると、白い発泡スチロールの容器に入ったポテトがやってきた。
「いくら?」と聞くと、
「あぁ、心配しなくていいよ、お金はいらない」と言う。
旅をしていると色々な人の善意に触れる機会がある。
もちろん旅をしていなくともそうなのだが、「旅」という不思議な要素が加わるとなお一層、善意が近寄ってくる気がするのだ。

ポテトのふたを開けると、大きなウィンナーが二本も入っていた。
もう、目の前にある何にでも感謝をしてしまいたくなった。
目の前に見えた山に一礼していただいた。
木星を抱いたサソリが藍の空に輝き、頭から山に潜ろうとしているころだった。




2013年10月19日土曜日

放浪という名の浪漫



キャンプ場は極めて穏やかだ。


カレー味のヌードルを食べてみた。
日清のカップヌードルみたいで意外とうまい。



胡椒木の葉を揺らす穏やかな風の中、隣にあったテントが撤去され、テントがあったであろう場所の芝生が色褪せ、ヒョロリと徒長している。
その跡が長期滞在を物語っている。
その夫妻が今日は仕事の口が見つかり、ちょっくら行ってくるという。
再来週の月曜日には戻ってくるという。
だから、予約ということで風防だけは置いていくわ、とおばちゃんが言っていた。
彼らはかつてナミビアで農場を経営していたが、年を取るにつれ、病院や店があまりに遠い(農場から150kmも離れている)ので、農場を処理してこっちに移ってきたという。

日々テントで暮らす人々がこのキャンプ場には結構いる。
前にアメリカ人とカナダ人のデコボコトリオで来たときも、クララさんという肝っ玉母ちゃんのようなアフリカンママが、ねずみ男のような旦那さんを従えて滞在していた。
実はこのクララさん、昨日酒を飲んだチームと知り合いなのだ。
クララさんは冷蔵庫も入っている大きなテントと、キャンピングカーのような車で電波塔の建設を仕切っていた。

そういうまさしく放浪生活をしている人が結構いるのだ。
本当の家はどこかにあるのかないのか、そういえば疑問だ。

夫妻のおばちゃんとは炊事場で結構話し、何度もBokkomは水なしで食べちゃダメよ、とか旅の無事を祈ってくれたりもした。
その夫妻がナミビアは素晴らしいところよ。
とナミビアのべた褒めである。
もうそんなことを言われると楽しみになってしょうがない。

このあなたの旅が終わるころには、Journey of lifeになっているわよ、きっと。と言われた。
Journey of life。いい響きだ。ちょっとどうやって訳したらいいのかわからないが、
私の人生に大きな影響を与えるような旅ということだと思う。
だからこの二度と来ない毎日を大事にしたい。



2013年10月18日金曜日

南アでビジネスチャンスを拾う中国人

キャンプ場のオーナーに日本人が他にも来ているよ、と昨日から言われていたので今日会いに行ってきた。
少しだけ久しい日本人と何を話そうか、ワクワクしてドアをノックすると、そこに立っていたのは、
見事に日本語を話さないアジア人だった。中国人だ。
やはりこっちの人にとって日本人だろうが中国人だろうが、東アジア一帯の人間はどれも一緒なのだろう。
彼はまだ英語もほとんど解さない。困った中国人を助けるように南ア人(ペディ人:パセリと一緒)が出てきた。
期待をそがれた感じで挨拶だけして帰ってきた。
でもよくよく考えると、彼らはどうやってコミュニケーションをとっているんだろう、と気になってきた。
気になりだしたら止まらない。何をやってもそればかりが気になる。

Namakwaland(西部北ケープ州)特産の安いドライワイン(白の味だが色はブラウン)である怪しいお酒、デイジーと、塩田の町Velddrifで買って旅のお供をずっとしている生臭いBokkom(干し魚)を持って訪ねてみた。
再び戸が開いて例の中国人が出てきて困惑した感じで、誰かを呼んでくるから、と手振りで言った。
そして現れたのは歯切れのよさそうな若い白人男性。
隣でアフリカーナー(オランダ系南ア人)が盛大に爆音鳴らして誕生日パーティーをやっていたのでその一味かと思ったら、隣は別のグループだという。

怪しいアジア人に対しても極めて気前よく部屋に上げてくれた。
まず机に向かってパソコンをいじっているいかにもアフリカーナーという感じの恰幅の良いおじさんが目についた。
さらに奥へ行くと、ベッドの上でパソコンをいじっている黒人男性が二人。
一人は先ほどのリンポポ州出身のペディ人で、もう一人はクワズールーナタール州出身のコサ人。
さすがRainbow Nationと言われるだけあって、いろんな人種が一つの部屋に収まっていた。
話を聞くと彼らは在南アフリカの中国系通信企業で働くチームだった。
だから中国人の彼も加わっていたのだ。
Cell Cという電話やインターネットの電波塔を建てるのを生業としている一味だ。

で、ようやく気になる質問「どうやって英語を解さない彼とコミュニケーションをとっているの?」
に対して若い白人はそんなの簡単さという感じで中国人の肩を叩きながら言った。
「これでいい?ダメ?」
これさえわかれば仕事はできるという。
ちゃっかりじゃれあっている様子で、なかなか楽しそうな関係であった。
しばらく彼らと話してから自分のテントに戻った。
あ、書き忘れたが彼らはドミトリーに泊まっているからベッド付きなのだ。

テントに入って、薄暗い中いろいろ思いを巡らせていると、英語を話せる中国人が帰ってきたというので、先ほどの中国の彼と一緒に呼びに来てくれた。
「帰ってきたから一緒に呑もう!」と。
もう一人の彼は一応このチームのリーダー格っぽい立場の方で、
英語も私と同じくらい話せ、給料を上げなきゃなぁとか話していた。

彼は中国の田舎から出てきて今はケープタウンに住んでいる。
今は奥さんもこっちに来ているそうで嬉しそうに話してくれた。
彼はすでにモザンビークやレソトなど南部アフリカのいくつかの国で仕事をしてきていた。
南アの各地にも行っており、そこでの体験談を語ってくれた。
レソトの話が印象的だった。
レソトと言ったら山国で、頂には雪が積り、南アのミネラルウォーターの供給源である。
そのレソトではなかなか水が手に入らなかったと話していた。
てっきり私は水はジャブジャブ日本のように溢れているものと思っていたが、水は外資獲得のためで国内にはあまり溢れていないようである。

中国にもたくさん企業があるが、それは一部の人たちが関われるのみで農村出身者にはなかなかチャンスはない。
都会に出てきても狭い部屋に押し込まれ、安い賃金で使われるだけだ。
彼は南アに来て思う存分やっている。
休日は南アのワインを嗜み、美味しい料理を食べ満喫している。
彼らにとってアフリカはとても魅力的な場所に映っているようだ。
アフリカでの中国の躍進はすさまじいものがある。
私の働いていた田舎町のモールにある商店は私の任期中に半分近くが中国人にとって代わられていた。
後で書くキャンプ場で知り合ったナミビアで農場を経営していた夫妻は、ナミビアは中国人にとって代わられ始めていると漏らしていた。
南アの外れの小さな町に行ってもたいてい一人は中国人が店を経営している。
彼らのエネルギーとビジネスセンスは称賛に値する。
結構英語の話せない中国人が店を持っていたりするが、これは英語が対してできなくとも十分にやっていけることを示している。
(もちろんその背景には中国人同士の強い結束と相互扶助があるのだが)

こういったビジネスを通しての方が南アの場合効率的な支援ができるような気もしてくる。
アジアよりもアフリカは実益が求められているような気がするのだ。
それでも中国のやり方がいいか、というとそうではないのは色々なところで取り上げられている。
中国は各国で得た利益を還元しないから、結局中国の独り勝ちになっている。などだ。
先日お世話になったNuwerusのキャンプ場のKobusさんも似たような点を指摘していた。
中国企業は全部中国人を使い、南アの企業や交通機関を利用しないから、中国企業だけが育って南アの企業や経済は潤わない、と。
そういう厳しい状況の中、アフリカは発展していかなければならにから大変だ。


もう一つ部屋にいた三人の南ア人は父親を知らない。
兄弟もどこにだれがいるのかわからないという。
それでも知っている数だけを聞くと、5人、7人、10人と子だくさんの家庭で育っている。
南アでも中国の一人っ子政策は有名で、「日本もそうなの?」と聞かれる。
父親がいなくても子供がたくさんの南アと、父親と母親がそろって子供一人の中国。
そして父と母がいても子供を持たないこともある日本や欧米。
本当にいろんな家族の形態があるから面白い。

2013年10月17日木曜日

堕ちよ、生きよ

相変わらずNamastat Caravan Parkは静かで木陰が美しいところである。

敷地内には胡椒木が各所に植えられており、それの葉を揺らすそよ風が心地よい。
猫もこのありさまだ。

オーナーの息子もこの通り元気だ。
やんちゃな年ごろでいつもおかぁちゃんに追い掛け回されている。
現にこれを書いているときも机の下に潜り込んでおかぁちゃんから逃げているが、あえなく捕まった。

テントを張り二日振りのシャワーを浴びる。
あぁ、体がきれいになっていくこのカ・イ・カ・ン。
そして腹ごしらえに街に出る。
ミニバス乗り場に屋台のハンバーガー屋が出ていたのを2日前からずっと考えており、
自転車を漕ぎながら涎が口に充満するのを感じていた。
そしてようやくその屋台にたどり着いた。
やっている女性は変わっていたが、比較的値段も安く、ボリュームがあるのでうれしい。
ポテトとハンバーガー、ファンタオレンジを受け取り、木陰に座ってまずはファンタを飲む。
あぁ、旨い。幸せだ。
本当はビールでやりたかったが、この乾ききった体の状態で飲むと、酒に呑まれる気がしたので、
ファンタで妥協したのだが、意外や意外ファンタの爽快感はバカにできない。

さてハンバーガーを食べようとすると、
ふむ、案の定なにものかにじとーって見られている気配を感じる。
私もメガネに収まらぬ視界で、慎重に近寄ってくるオジサンを捉える。
1.5m位のところでいったんオジサンは止まり、最終確認をして私のそばへやってきた。
「ファンタの瓶をくれ」という。
ここでは瓶を返却するとR1.5くらい返ってくるからお金になるのだ。
お金を要求してこないその奥ゆかしさに嬉しくなったのと、オジサンと話したかったので
「いいよ」というと、オジサンは私を得たかのように安心して前に座った。
旅の話をしたり、オジサンの住んでいるところを聞いたり、Springbokの町の様子を聞いたりした。
でもアフリカーンスを主に話す彼とはあまりコミュニケーションはとれなかった。
ハンバーガを食べ終えポテトを食べ始める。
一人で食べるのも何なので、一緒に食べませんか?はい、どうぞ。
というが、オジサンは手を付けない。
むむ、なかなかやるな、このオジサン。
オジサンにはオジサンのルールや美学があるのかもしれない。
もう一度「はい、これ食べて」と勧めると話に熱中しながらもおもむろに手をポテトに伸ばし始めた。
「この町は安全だけど、マリファナやアルコールでイッちゃった人もいるから気を付けるんだよ」と忠告してくれた。

その間も周りの何某かが近寄ってくる気配を感じる。
それにオジサンも気付いており、
「危ないやつがいるから人を信じちゃいかんよ、いいね」急に勢いを増して力説し始めた。
興奮したオジサンはアフリカーンスに切り替わっておりすでに理解できなかったが。。。
なんだか険悪なムードになってきたことを察知する一方で、
「ん?待てよ何かがおかしい」と思っていた。
あとでゆっくり考えたら、オジサンの言っていることを信じて従うのであれば、オジサンの言うことを信じてはいけないことになる。
(だってオジサンも十分アヤシイからね)
そうなるとオジサンが人を信じちゃいかん、といったことを信じてはいけないからオジサンの話を信じてもいいことになる。
そうすると今度はまたオジサンの話を信じてはいけなくなって。。。
堂々巡りになる。もう書きながら頭がいっぱいだ。オジサンはすごい力を持っているな。

そんな状況の中、オジサンは一人の男を追い払った。
しかし、もう一人が相変わらず近寄ってきてとうとう、私ら二人の1メートル圏内に入った。
さぁ、オジサンがますます熱くなって追い払おうとする。
ミニバス乗り場のちょっとした見世物と化していたことだろう。
私ももう一人の男に「今はこの人と話しているし、あなたにあげられるものは何もないからあっちへ行ってくれない?」
というと、オジサン虎の威を借りる狐のごとく、「ほら、この人も言っているだろ!」と。

ポテトも食べ終わり、状況も過熱し始めたので、瓶をはじめのオジサンに渡してその場を去った。
その時のオジサンの他の男たちへの勝ち誇り方ときたら、まるで小学生が先生を味方につけたときのようで、見ていて恥ずかしかった。
人はどこまで堕ちられるのか。
私もお金がなく、教養もなかったら簡単にオジサンのようにミニバス乗り場で管を巻き、時折くるアジア人やヨーロッパ人を見つけて同じようなことをするだろう。
いや、お金が無くなるだけでそのようにふるまうかもしれない。



出発前に親父から餞別にもらったのが、坂口安吾の「堕落論」だった。
これは暗に私に「堕ちてきなさい」と言っているのだろう。
しかも「続・堕落論」もついているときた。
堕ちてからさらにまた堕ちる、堕落の二段堕ちだ。

我々日本人は堕ちねばならないと坂口は説く。
二次大戦後に書かれたものだが、日本はその後堕ちたのだろうか?
いいや、戦前の規律に代わる新たな規律がたくさん生み出され、他人の目というものに、おそらくはどの国民よりも縛られており、一向に堕ちずに現在に至っているように思う。
「堕ちよ、生きよ」アフリカに来ると坂口の言うことが確かに納得できる。
人間の人性の本質を見つめなおさねばならない。

さらに坂口は「堕ちることは社会通念上好ましいことではないので、孤独になることを覚悟せねばならない」というようなことも言う。
ナミビアの砂漠あたりでひとりぼっちになった時に読んでみよう、と持ってきた谷川俊太郎の詩集「すてきなひとりぼっち」も、
人は孤独でひとりぼっち、でもそれが自然で当たり前なのだという。また、孤独であることを受け止めて、それを生き抜くのだとも。



このアフリカでしっかり堕落し、じっくり孤独を味わってこようと思う。
そしたらその先にある新たな世界に踏み込めるかもしれない。

なぜ旅をするのか

Around Kameiskroon → Springbok [Namastat Caravan Park (R50 p.n. for Camping)]

朝は昨日Kamieskroonでもらった水道水のせいか、少し腹を下した。
あの水道水少し何かの塩のような感じがしたからなぁ。
腹は曇っていても空は青く澄み渡り清々しい。

自転車を立て掛ける気も何もないところだったので、パッキングに少し手間取った。
Springbokまで40kmの看板がすぐそこにあった。
昨日のラストスパートでずいぶん進んでいた。
3時間もかからずに行けるかと思いきや、例のごとく緩やかな登りと連日の酷使により筋肉んの疲労が。

走りながらなんでこの様な旅をするのか少し気づいたことがあったので書いてみたい。
この旅は動かないと終わる。
日本にいたときは自分から積極的に動かなくとも、なんとなく毎日が過ぎていった。
でもこの旅では自分から動かないと、人に会うこともできないし、先へ進まない。
南アのWest Coast地域を走って思い知ったが、人や人家のないところでは先へ進まないことイコール野たれ死ぬ。
人がいなければ水も手に入らないし、持っている水ももって2日だ(もっと積めるが)。
とどまることができるのは安全で人のいる場所だけだ。
もちろん車が通っているので野垂れ死にそうだったら誰か助けてくれるかもしれない。
しかし前提としては、車に助けてもらおうなんて言うものはない。
だから前もって準備をするし、必要な時に必要な休息を取ることが大事だと思っている。
私の旅のきっかけは世界をもっと見てみたいということもあったが、こういう刺激的な生活へのあこがれもあったのは否めない。
じゃぁ日本には帰れないか、と言われるとそうでもない。
日本でも自分から行動しないと、毎日がただだら~んと過ぎていくだけということに気付いたから楽しんで日本で暮らせると思う。
たぶん人より大事なことに気付くのが遅いんだと思う。私は。こんなことに30年近くも費やしてしまった。


さて、Springbokの入り口にお爺さん(63)がガードレールに腰かけて何かを待っていた。
彼が何を待っているのかは容易に想像できる。ヒッチハイク、しかも無料のだ。
日本でヒッチハイクというと無償の善意によるものであるが(たぶん)、南アでは違う。
公共交通の無いところや時間帯にそれと同額のまたはそれに近い額で一般車に乗せてもらうことである。
中には無料で乗せてくれる人もいるが、ほとんどつかまらない。

話しかけるといきなり、
「この老体で腰が痛くて曲がらないんだ、そこの水を拾ってくれんかね?」と腰が曲がらない様子で言う。
「ほら、腰がいたから朝から薬を飲んでいるんだ」と落ちた薬のごみを指さして言う。
「民間の医療保険をもらうために医者に診断書を書いてもらわなきゃいけなんだ。
それでケープタウンにある病院まで行きたくて朝の7時から13時まで載せてくれる人を探しているが、これが一向につかまらない。」
「つかまえてもみんなお金を要求するんだ、R50(500円)」
R50も払うのが難しい。それが原因で、つらい老体に鞭打って朝から待っている。
私の善意が揺れた。でも私にはどうすることもできない。
頼る親族も近くにはいないという。
その時は私はどうしてそんな大変なことをして診断書を取らせるんだ、このバカ保険会社がと思った。
南アは比較的医療体制が整備されていてどこの町にも医者はいる。
せめて近くの町で診断書を取れるシステムにすべきなのに。と思った。

私には彼を運ぶことも代わりにお金を払うこともできないので「気の毒に」と言って去ろうとした。
すると彼は「良ければR10くれないか?」と聞いてきた。
それを聞いて私の中に疑問が湧いてきた。

最低でもR50は必要なあなたがR10をもらってどうするというのか?
そういえばこのお爺さんお金がないという割には、身なりがきれいすぎる。
綺麗なスーツケースを持っていたり、シャツもきれいだ。
とても物乞いする人には見えない。
しかも要求の仕方、同情の取り方が妙にスムーズだということ。

今まで出会った南アの本当に困った人は、要求の仕方がもっと切羽詰っていたし、同情の誘い方も長けていないかった。
私の生徒もそうだった。本当に貧乏な生徒は黙々といい成績をとろうと勉強していて、自分で何とか鉛筆や消しゴムなどの道具を揃え、大事に使っていた。
お金がないからペン頂戴、消しゴム頂戴と抜かす輩は、たいてい髪型をコロコロ変え、スマートフォンを使いこなしていた。
あからさまに同情を誘うことがうまい人は、それによって何かを得られることを知っているしたたかな人で、ある程度食うに困っていない人が多かった。

それでも気になって後で見に行くと、すでにお爺さんはそこにはいなかった。
綺麗な恰好だったのは、CapeTownという大都会に行くのに恥ずかしくないよう、最大限のおしゃれをしたのかもしれない。
本当に腰が痛くて困っていたのかもしれない。
R10を要求したのも、朝から待っていたことでどうしても喉が渇いて飲み物をどこかで買おうとしたのかもしれない。

確信は持てない。
「私、貧乏、貧乏なんです、詐欺」かどうか。

でもこれだけは言える。
本当に困っている人の声が、たいして困っていない怠け者によってかき消されたり、疑われたりしているということ。
現に私にお金をあげることを躊躇わせるようにしたのは、私を取り巻いていた怠け者くんたちである。私も含めてだが。
世界とはまったくもって複雑なものだ。
一つ一つの出会いがこうやっていろいろに問題を出してくれる。これだけでも旅は大したものだ。
だから旅をする。

2013年10月16日水曜日

田舎で生きる難しさ

Farm past Gries → Karkams → Kameiskroon → Camp site(道路わきの茂み)


牧場の朝は早いかと思ったらそんなでもなかった。
ヤギの糞の香りを吸い込みながら清々しい朝に感謝する。
ヤギの糞が散らばる蛇口から水を汲んで朝飯の準備だ。
フルーツがなかなか買えないので、レモン果汁でレモンティーを淹れたのだがこれがなかなか旨い。

よくぞ気が付いて買っておいた、自分よ、えらい。

牧場のワーカーさんがヤギに奮闘していたので早く見てみたくて朝飯はささっと済ませた。
なかなか強引なやり方でヤギの仕分けをしていたのだが、そのワイルドさに感心した。



みんな前歯がなかったが、餓死防止のために抜いたのだろうか?




あーあいつ乳しぼられてるぜぇ。
みんな興味津々というか戦々恐々か。


この犬が昨晩怪しげな人を追い払ってくれた英雄。

今日も私のことを覚えていくれたのか、吠えずに朝ションして挨拶してくれた。
人がいて犬が吠えていたことを山羊飼いに話したら、「お前に吠えていたと思ったよ」と言っていた。
いやいやいやー、違いますから。

昨日よりも涼しい感じがするが、日中はまた暑くなるのだろう。
自転車に荷物を積んでいる間、ワーカーさんが興味深そうに見守ってくれていた。
私はアフリカーンスは全く分からないので意思の疎通はできないが、何も言わなくても
本当に穏やかな顔が私を安心させてくれる。

彼らに感謝と別れを告げ、出発。
昨日辿り着けなかったKarkamsへ向かう。
行ってみたら坂が多くて一時間弱かかった。


なんか今書いていて気になったがカメラのCCDにゴミが付いているな。
取りのぞかなくては。

牧場に泊めてもらってよかった。彼らの仕事も見ることができたし。
Karkamsは家が十数軒しかないようなとても小さな町だったので、寄らずに通り過ぎた。

またいくつもの坂を越え、Kameiskroonにたどり着いた。
山間にあるこれまた小さな町。

しかし小学校もやっているのかわからないガソリンスタンドもある。
町に入ってすぐのところ(北側から入った)にこれまたやっているのかわからないレストランを訪ねると、
花のシーズン以外はやっていないという。


それでもジョディフォスター似の芯の強そうな女性は、ポテトフライと飲み物くらいは出せるわ、と言ってくれた。
喉が渇いて口が乾燥していたので涎は垂れなかったが、涎サインは出ていた。

クリームソーダという香りつき毒水を久しぶりに頂くかぁ!ということで乾杯。

あぁ、生き返る。一気に飲み干してしまった。
さてポテトの方はガーリックが少し効いており、サクサクでMpumalangaで食べる油茹でポテト(あれはあれで結構好きだが)とは違った。
しかもフォークとナイフがついてきて、最初はフォークで上品に食べようとしたが、途中であきらめガツガツ食べた。
ケチャップも使って。

女性と少し話すと、彼女は本当はケーキやクッキーを焼いて一年中店を開きたいと言っていた。
しかし、現状は極めて鄙びた町で、観光と言っても花の時期しか人が来ないから難しいと嘆いていた。
住んでいる人がカフェを利用するかと言ったら、そんなに人口もいないうえ、彼らにはそのような習慣もない。
彼女の焼いたクッキーも頂いたが、ジンジャー味があったり、サクサクで本当に旨かった。値段も安かったし。
場所さえよければ結構繁盛すると思うのだけど、残念だ。
こうした問題は今まで通ってきた小さい町すべてに共通するものなのかもしれない。

今日中にSpringbokにはたどり着けないので、野宿するための野菜を買おうとしたが大きなカボチャしか売られていない。
フルーツも乾燥して皮が固くなっているものしかなかったのでやめた。
今日のフライドポテトについていたケチャップが恋しくて、買ってしまった。
それから焼きたてのパン。これが安くて旨いんだな。
日本ではあまりパンを食べないが、こっちではコメがなかなか手に入らないので、パンかスパゲティ、クスクス、インスタント麺を食べている。
パップ(トウモロコシ粉を練ったもの)ができれば一番安上がりだが、調理、後片付け共にキャンプには極めて不向きだ。

West Coast地域に多く住んでいるカラードの人はアジア人の血が少し入っていたりもするためか、はにかみというものがある。
パン美味しかったよ!とパンを作っていた女性に言ったら、「そぉ?よかった。」と言ってはにかんでいた。
道路工事をしているカラードの人に通り過ぎざまに挨拶すると、黒人や白人にはあまり見ない照れ、のようなものを見て取れる。
それがなんだか近いものを感じさせるのかもしれない。

さて、西部劇にでも出てきそうな寂れた町Kamieskroonを出てSpringbokを目指す。

メインの通り。だが暑いせいか人があまりいない。

と言っても今日は路肩に失礼します。
相変わらず平らな道はなく、登るか降るかの道のみだ。
切り開かれた岩の間を通ったりもする。
登らなくてもいいように大変な苦労をして切り開いてくれた先人はありがたい。

一時間くらい走ったところで車道からテントが隠れるようないい窪みを見つけたので、
まだ日があるが疲れが出ていたので早めに切り上げることにした。

テン場がムチムチの葉っぱのリトープス(ハマミズキ科:ロックプラントとも)の群生地だったので、申し訳なかったが立てさせてもらった。
クリスマスカラーがかわいい。

他にもマメ科の植物の乾いた莢が風で揺れ心地よくコロンコロンと鳴っている。
山の端には木性アロエのカカブーンの木が並んでいる。

何度見てもこいつの形は面白い。
岩がゴロゴロした山に囲まれたとても美しい場所だった。
しばらく当たりを写真を撮りながら散策し、テントに潜り込んだ。



星とカカブーンの木を撮りたかったが曇ってしまった。

2013年10月15日火曜日

ハンミョウ物語

道を走っているとさまざまな人以外の生き物にも遭遇する。
今のところの出現頻度順に並べると、毛虫の類、ハンミョウ、赤と黒のどぎつい色のバッタ、
サソリ、ムカデ、スカンクのような黒白の毛むくじゃらなど。

道路を横断することは彼らにとって生死をかけた人生の一大イベントに違いない。
その証拠に死屍累々の亡骸が路上に日干しせんべいとなって横たわっている。

しかし、今の今までハンミョウの死骸だけは見たことがない。
彼らには特殊な能力があるに違いない。

走っているときは暇なので、意外といろんなことを考える時間がある。
走りながら着想を得たハンミョウ君の生活を紹介したい。

さて、ハンミョウ物語のはじまり、はりまり。


先週の極めて暑い河川敷の草叢でハンミョウのハンとミョウは夫婦となった。
ミョウは川の西側に住んでおり、ハンは出稼ぎで川の東側から西側に来ていた。
そこで出会ったハンとミョウは一時間もせずに夫婦となった。
二人の新たな生活が始まる。
「気を付けて行ってらっしゃい」身籠ったミョウはハンの出勤を見送る。
「あいよ、いってくらぁ。今日ちょちょちょっと道を教えてくらぁ」

強い日差しが黒い不気味な川を暖め、周辺は異様に暑い。
ハンはその川縁で人を待っては道案内をするのが仕事だ。
とはいっても人間にとってはたいしてありがたいものでもないが、彼にとっては誇り高き仕事なのだ。
でもハンの住む地域に人はめったに歩いてこない。
来ても変な箱みたいなものに詰め込まれて、ものすごい勢いで過ぎ去っていく。
これではいくら昆虫界の早歩き王と言われたハンミョウも道案内するどころか、
いつの間にか案内している相手が前を行く事態になってしまう。

そんな時にこの辺りでは見かけない、黄色っぽい色をした少し人っぽくもあるサルがやってきた。
それは変な乗り物に乗っている。
いつも見る箱でもなく、超高速でもなく、でもいつもの超高速箱についている丸いものが二つ付いている。
この速さなら道案内できるかも!と思ったハンはさっそく、その丸二つに乗った生き物に挨拶をした。
「よう、そこのあんたっ!おっと、待ってくれよ」
ハンはその丸二つの前に横からちょろっと顔を出しては、その丸いものが通る寸でのところで止まる。
また少し進んではちょろっと顔を出し、「よう、聞いてくれよぉ、案内するからさぁ」と繰り返す。

でも黄色っぽい人に似たサルは気付かないのか、止まろうとしない。
しばらくそんなことを繰り返しているうちにハンはあきらめた。
「ちぇ、なんでぃ。人がせっかく働こうとしてるってのに!」

今日も道案内をできずに日が暮れてきた。
夕日に照らされるハンの背中は寂し気かと思いきや、意外にも誇らしげだ。
そして軽い足取りでミョウのところへ帰る。
「たっらいまぁ~」
「あら、お帰り。今晩はそこでとってきた死にかけたバッタよ」
「ほう、そうかぃ。最近は川であの高速の箱にやられた半死の獲物が簡単に取れるからいいなぁ」

そんな時、川向うを撫でてきた風が彼らに一つの知らせを持ってきた。
「チチ キトク スグ カエレ」
その知らせを受けたハンはいてもたってもいられず、故郷である川の東側へすぐに発つ決心をした。
早歩き王のハンミョウ族にとっても川を無事にわたるのはなかなか難しい。
ミョウは心配だったが、
「すぐに行ってあげて。でも焦っちゃダメよ。必ず左右を確認して、気を付けて」
と言って即席で作ったバッタの団子を持たせて送り出した。

夜はあの高速の箱の眼が光るから、やつが来ることは比較的わかりやすい。
が、川のどこを通るのかは近づかないとわからない。
だから事故率は結局昼とたいして変わらない。

外に出るとしんと静まり返った闇に無数の星が煌めいている。
余りに静かでそれらの音が聞こえてきそうなくらいだ。
冷たい空気にハンの身が引き締まる。
左右を確認する。光が来ていない、今だ!そう思ったハンは昼間の熱を今も持っている川を渡り始めた。
ととととととととととととt。
川辺ではミョウが見守っている。

その時、光が見えた。
ミョウが息をのむ。
ハンは歩くのに必死でまだ気づいていない。
あと0.3秒のところでハンが気付く。
確か川の真ん中の白いところはあまり箱が通らないというのを聞いたことがある。
あそこまで行ければ、、、
箱があとハンまで0.1秒のところで、ハンは白の安全地帯を踏んでいた。

激烈な轟音を立てて箱が通り過ぎていく。
ハンは興奮のあまりその音は聞こえていなかったが、ミョウは不快なその轟音を鳥肌を立てて聞いていた。
あと残り半分。
ハンは息を整えて再び歩み始めた。
とととととととととと。
その時、再びあの悪魔がやってきた。
先ほどよりも音が大きい。スピードが速いのだ。
これでは渡りきる前に来てしまう。

音はごぉーっと次第に音量を増し、あのいやらしい光がハンを照らす。
ハンは身を天に任せた。脱力状態である。
その瞬間、ハンの神経という神経が研ぎ澄まされ、箱の動きがとても遅くなった。
箱の下に見えるあの転がる足がどこに来るのか、はっきり見て取ることができた。
今いるところから一歩も動いてはいけない。そう悟り、歩を止めた。
時間が再び普通に流れ始めた瞬間。
その箱の足はハンの触覚を撫でて通り過ぎて行った。
軽く触れただけだったが、ひりひりするのを感じていた。
足が踏んでいった川ももわっと異様なにおいを放ち静まり返っていた。

遥か遠くの西側の川べりで見ていたミョウはすでに立っていることができずに、へたり込んでしまっている。
ハンはミョウに「大丈夫、見えたなり」と言って、再び早歩きし始めた。
東側の川縁に着き、「もう大丈夫だ。俺は二度と箱に踏まれることはないだろう」と自信に満ちた様子で妙に叫んだ。
ハンは何かを見たのだ。箱の対処の仕方を。

と、その時、近くの草叢が騒めいた。
一瞬身構えるハン。
しかしそこから現れたのはハンのオヤジ。
しかもピンピンしている。
どうなっているのかわからない様子でハンが「どうして」と聞く隙を与えず、オヤジは言った。
「これでお前も一人前のハンミョウ族の男だ、まったく一人前になる前に女房をもらいやがって」
ハンはすべてを悟ったが、ちょっとだけオヤジに腹を立てたのだった。

めでたし、めでたし。