オプヲ(Opuwo)の町に着いたのは日が傾きはじめ、幾分か景色が黄ばみ始めたころだった。
町を囲む丘にはモパニの樹の若い緑が点々と張り付いている。
時折小さな竜巻が生じ、黄色い砂を細く舞い上げている。
聞いていた通り、上半身裸で腰巻をし、肌が赤褐色の女性があちこちにいる。
(この赤褐色の塗り物はオチゼと呼ばれ、粘土とバターに灰を混ぜたもので、乾燥や日差しから肌を守るために付けているという。)
そしてその半分くらいが、動物の毛皮で包んだ赤ん坊を背負っている。
スーパーから出てきたり、ATMに並んだり。
また、木陰で休んでいる者もいれば、土産物を売ったり、シャビーンと呼ばれる薄汚い酒場で酒を飲んでいる者もいる。
普段の生活の中に、たいていの世界では御隠れになっている「おっぱい」が登場することで私の日常が壊されはしないかと、心配していたが、特に心配したことは起こらなかった。
なんてことはない、普段隠れているから神秘的なのだ。
もしあなたの体の中で神秘的な部分を作りたければ、普段そこを特別な布で隠しておけば、みんな見たくて見たくてしょうがなくなるだろう。
そしてその部分を人前に晒すことを恥ずかしいと感じる様になるに違いない。
余談だが、私は小学生のころから眼鏡をかけているが、人前で眼鏡を外すのがなんだか恥ずかしい。
透明なものであっても「覆っている」ということで何かしら特別な感情が生まれる。
このオプヲにも知り合いを頼って町で働いている人を紹介してもらっていた。
その彼が仕事を終えやってきた。
日本人でありながらもどことなくこの町の雰囲気に馴染んでいるように見えた。
勿論服は着ていた。
少し感じの良いレストランでナミビアのビールWindhoekをひっかけながら、仕事の話や町の話を聞く。
彼の仕事はこの町の役所で都市計画を推進することだった。
オプヲの町は辺りを丘に囲まれているので日の暮れが少し早い。
ビールを二杯飲んだところで暗くなってきたので彼の家に向かった。
途中牛たちが道を横切り、子供たちが空手の真似をしてちょっかいを出してくる。
と思ったら、日本の彼が先生として教えている子供たちだったようだ。
オプヲの夕暮れはピンクで幻想的だった。
彼の家は図面を書く時にも利用しているので、たくさんのオプヲの町開発の青写真が散らばっていた。
その図面を見ながら彼のオプヲに寄せる思いを聞き、これからの話をするのは大変楽しかった。
また、日本でも建築関係の仕事をしており、神社や寺の改築に携わったこともあり、屋根の構造などの面白さについて語ってくれた。
私が今まで出会ったことのない興味深い話がたくさん聞け、大変有意義な時間を過ごすことができた。
翌日は調子のいいガイドに付き添ってもらってヒンバの村に行った。
モーセとかいうガイドで、彼の母親がヒンバ族出身でその村に招待してくれるというのだ。
父親はドイツ人だと言っていた。
ドイツ人の血が入っているからか、身長が高く、顔も大きく長い。
少しいい加減なところがあるのだが、性格がなかなかお茶目で憎めない。
オプヲの町はずれから車に乗り、未舗装の道をガタガタと揺られながら30分ほど行く。
ヒンバの村としては比較的文明に近い場所にある部類だろう。
村へはモーセの勧めで、パップの粉、砂糖、油、パン、菓子などの土産を持っていった。
村は人の背丈より少し高いくらいの木組みの柵で囲われており、一か所だけ入り口として開いている。
そしてその柵の内側にロンダヴェル(円筒形の家)が7~8軒ほど並んでいる。
家々の間に日陰を作る目的で藁を葺いた木組み四阿が3つあった。
その日陰では火が焚かれ、何人かが上半身裸で昼飯の準備をしていた。
男性は上半身も何か纏っていた。
それら家々の内側にモパニの樹が点々と生え、その内側つまり村の中心に家畜を入れておく囲いがある。
動物は雨の少ない今の時期は別のところへ行っているという話だった。
お土産を渡し、モーセが私を紹介してくれた。極めて簡単に。
そして今夜泊まるロンダヴェルに娘たちが案内してくれた。
木枠で円筒形を作りその内側だけに牛糞を混ぜた泥を塗って固めてあるものだった。
広さは四畳半よりも少し小さいくらいだろうか。
床は泥で固められており、一か所車のタイヤのホイールが埋まっていた。
家の中で火を使うときの場所のようだ。
このロンダヴェルは普段は娘たちが寝ているところのようで、彼女たちの頭飾りや、腰巻などの生活用品が壁に掛かっている。
屋根は木組みに藁が葺いてあり、入り口は頭を下げないとは入れないくらい低い。
この入口の狭さがなんとなく中の空間を秘密めいたものにしており、茶室を彷彿させる。
泥壁のせいか中に入ると外の世界から切り離されたように静かだった。
ここでもお茶目なモーセは娘たちにちょっかいを出し、じゃれ合う。
彼の姉の娘なので姪ということだろう。
たまに娘が愛想を尽かし本気で嫌がっているのは見ている方は面白い。
四阿に戻るとすでに昼飯の用意ができていた。
パップにおそらく鶏肉と思われるシチュー、それからカボチャの葉のクタクタ煮。
男と女が分かれて食べていた。
私は息子とモーセと一緒に一つの皿を分け合って食べる。
しかしパップはボールにてんこ盛りになっているので量は多い。
手が三方より伸びてきてパップをちぎり、シチューに付けてそれぞれの口の中へ消えていく。
昼飯を食べ終えると、モーセが近くのシャビーン(薄汚れた酒場)に連れていってくれた。
近くと言ってもほとんど村の裏側と言ってもいいくらいの距離だ。
村を囲う柵の隙間から出て、2mほどのモパニが生い茂る林を行く。
新緑が積雲と筋雲が混ざる青空に映えている。
人の声がしてきたと思ったらビールの瓶が山のように捨ててある場所へ着いた。
なんだか不完全な建物に見える、いや不完全という美を追求した建物がいくつか建っていた。
6畳くらいの日陰を有する店では男たちが10人くらい集まって単純なゲームをやっていた。
じゃんけんに匹敵するくらいの単純なゲームだ。
それでも男たちは声を張り上げ、盛り上がっている。
日本でもAKBやらなんやらがじゃんけんしてギャラリーが盛り上がっているのとはちょっと違う。
ギャラリーではなく、本人たちが盛り上がっているのだ。
モーセもそれを見て血が騒いでしまったようで、私のガイドそっちのけでゲームに参加していた。
子供たちはその大人たちの喧騒を縫うように存在し、静かにしている。
ここでは子供たちの方が大人っぽい。
ガイドがいなくなってしまったので私は近くをブラブラとしていた。
そこらの店だか家だかの軒先で男たちがオツォンボと呼ばれる酒(mマハングに砂糖を加えたものを発酵させたもの)を飲んでいた。
男達は酔っているのでヒンバ語を解さない私にも容赦なくヒンバの言葉を唾とともに浴びせてくる。
私も適当に相槌を打っていると、そこには成立した会話があるように見えるから面白い。
酒のせいか少し目のがイッた男が私のカメラを察知し、俺を撮れと要求してくる。
鼻くそをほじるポーズをしている。
なんだ?、と思ったらスナッフという鼻煙草を吸っている仕草だった。
どうやらこの鼻煙草は彼らの誇りをのようだった。
子度を抱いた女性も加わり、その場はますます賑やかに。
たるんだTシャツの下から、まるで水風船でも出すかのように、ポロンとおっぱいを出して子供に吸わせている。
子供も子供で、騒いでいたかと思うと、おっぱいが顔の前に出た途端にまるでそれが絶対的に正しい事のように疑いもなく静かに吸い始める。
いや、絶対的に正しいのか。
そんな調子で彼らとオツォンボを共有しながらガイドが遊び飽きるのを待っていた。
村に戻ってしばらくすると、子供たちが水汲みから帰ってきたところだった。
カメラに気付いて走って駆け寄ってくる。
頭に水をのっけて。
それから色んな踊りや歌を披露してくれた。
そしてひとしきり撮り終わり、母の呼ぶ声が聞こえるとそれぞれの村の方へ散っていった。
子供たちは学校に行く義務があり、そして学校へは裸で行くことを許されていない。
そのため洋服をまとった子供たちも随分多かった。
この日は雨雲と太陽のせめぎ合いがあったため、夕日がとても美しかった。
辺りはすっかり暗くなり、四阿で焚かれた火の色が蒼暗い中に浮かび上がってきていた。
火を囲んで母と娘が夕飯を作っている。
薪の爆ぜる音が際立つくらいの話し声で母と娘が会話している。
夕飯は干し肉のシチューとマハング(キビの粉を練ったものでパップより灰色で粉っぽさが残る)だった。
夕食を終えるとしばらくそれぞれ散って涼んでいた。
男達はシャビーンに出かけていった。
あてがわれたロンダヴェルに入って寝る準備をしていると、
思春期前の子供たちはいつも家の外にブランケットを敷いて寝るようで、しばらく子供たちの寝る前のささやきが闇に聞こえていた。
その様子に修学旅行の夜を思い出しながら私もいつしか眠りに落ちていた。
朝目が覚めるとすでに子供たちは起きていて、寝る前のように布団の中でささやき合っていた。
母はその子供たちを眺めながら扉の前にしゃがんで一の始まりを静かに迎えていた。
火は昨夜から燃え続けているようで、静かにその赤さを維持していた。
後で調べると、ヒンバの人々にとって火はとても大事なもののようで、先祖の火を絶やさずに守っていくという。
そして村の長がなくなると一度消して、再び親族から火分けしてもらい改めるのだという。
私のガイドは全くそういう大事な話をしないで、娘らにちょっかいばかりを出しているものだから困ったものだ。
やがて母と娘が朝飯の支度をゆっくりと始める。
昨晩以上に静かに、薪の爆ぜる音と同じくらいの頻度で、ポツリポツリと言葉を投げ合っている。
その合間を見て、母は縫物を、娘は何か考えながら携帯電話をいじっていた。
父は少し離れた朝日の当たるところでスナッフの原料を金属のパイプの中で擦り潰していた。
口数は少ないがモーセを通して、ナミビアの将来をどう見るかを聞いてきた。
ヒンバは男は日常の一切にはほとんど触れず、政治にその時間を費やすという。
国の単位が変わり、政治をあまり執れない現在においてはヒンバの男はシャビーンでひねもす社交して終わるにとどまっている。
母と娘、子供が家の一切を行っていた。
また男達は洋服を身に着けており、よりモダンな生活にをしているようだった。
モーセが用事があるというので、我々は朝飯を待たずして村を発った。
色々なものが外れて軽量化しているトヨタのトラックに乗って来た道を戻った。
今回訪れたのは近くに店や学校などがある村で、伝統的な暮らしを諦めざるをえない人達を見てきた。
恐らく今回出会った子供たちが大人になる頃は村から出て町で働いているだろう。洋服を着て。
携帯という便利なものは隔離された場所であれば、より一層浸透しやすく、ヒンバの村もその例外ではない。
母と娘も持っており、子供もゲーム用に持っていた。
また、ダム建設などの公共事業のために、場所を追われ、本来行っていた遊牧生活が立ち行かなくなったりもしている。
余りにも生活スタイルが違う人々が同じ国に住む難しさを見たような気がした。
彼らは今後、国の制度と伝統文化の狭間でずいぶん揺れていくに違いない。