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Africa!

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2014年10月28日火曜日

お知らせ

あぁ、記事が追いつかない。越境時に出会ったバイク男や、とても感銘を受けたヨハンさんの事も書きたいが、またそのうちに。本職はなにせ自転車乗りなものでね。
最後に砂漠でもう一絞られされたいなぁ、と考えていたがポリスストップにより紅海ルートに変更。美しき海でも眺めて気持ちよく走ってきます。
エジプトはケータイでネットがどこでも繋がるので、時間を見つけてまた書きます。では。

2014年10月26日日曜日

1026 警察の厄介

ルクソールLuxorの周辺は警察に護衛される、という話を聞いていたが本当に護衛されてしまった。アラビア語が分からず、あれよあれよという間に警察に付けられ道路を走ることに。ルクソールに近い場所では車に自転車ごと載せられて、ルクソールの手前まで来てしまった。恐らく数日前の立て続けに起きたカイロ大前、シナイ半島の爆破襲撃事件によって警察内もピリピリしているのかもしれない。ただでさえ観光客が減っているのに、こんな中で外国人が被害にあったらますます、、、と外国人への保護は手厚い。
ルクソールは20年ほど前に大きなテロがあり、日本人も10人亡くなっているので記憶にある方もおるかもしれない。だからなのか警官も車中「本当にルクソールは通るだけなんだな?」と念を押して聞いてきたので。実際アブシンベルで遺跡を独り占めにできたので、お金もないしルクソールはそのまま通り過ぎるつもりだった。(決して十分見たと言うんではない。もっと勉強してからまた来たいと思うほど無数にエジプトには見るべきものがある)
しかしルクソール事件当時の状況と、革命によって観光業が地に落ちた現状とは様子が違う。今、観光客を狙ってもテロ組織にあまり利するとは思えない。とは言え情報は常にできるだけ得て、行動は慎みたい。

2014年10月25日土曜日

1025 寝床と踏み切りと

寝床は大事だ。寝床の如何で疲れの癒えがやはり違うからだ。しかしある程度以上の質を確保できれば、あとは今の私にはあまり違いがない。その満足のボーダーは、旅の間に広げに広げられ(まぁもともとどこでも寝られるタイプではあったが)、今では以下の条件さえあれば満足行くようになった。
0. 安全が期待できる
1. 雨に濡れない
2. 水、トイレに相当するものがある
3. 騒音(クラブ並みの)がない

寝床探しはこの基準をできるだけ満たすような所を探すことである。
エチオピアでは雨が毎日のように降っていたのと、数え切れぬ人間と恐怖のおクソガキ様がいたのでエチオピアでは安宿を利用していた。テントは雨を一応防いでくれるが、毎日降られると、テント生活は嫌になる。何よりもエチオピアは宿がどこにでもあり、なおかつ安かった事が私に宿を使わしめた。エチオピアの安宿は悪い人はあまり利用しないので、とても安全な気がした。鍵も壊れていて無かったり、それでも何も取られる心配は感じなかったので実際安全なのだろう。また基本的にお湯は出ないし、水もない場合がある。しかし水を浴びたいアピールをすればどこからともなく、バケツ一杯の水が供されるから不思議。それから南京虫との戦は毎夜毎夜繰り広げられ、かなり不満だった。が、殺虫剤という必殺技を手に入れてからは、安眠を手に入れやすくなった。また宿は売春宿であったり、バーが併設されているので騒音は深夜まで続く場合が多い。しかしエチオピアの宿の良い所は、多くの宿に大衆食堂が付属していていつでも気軽にチャイやコーヒー、インジェラを食べられる。また宿主はだいたい親切であった。

次にスーダン。エチオピアとは打って変わって、全く宿を利用しなかった。今思い出しても囲われた、いや屋根のある施設に泊まったのは一ヶ月のうちで二度だけだ。人がいない砂漠では野宿で、ハルツームではキャンプ場、人のいる場所では警察署内、ガソリンスタンドの裏、カフェテリア(サービスエリアのようなもの)のハンモックベッド、または人の家に誘われてもハンモックベッドを出して外で寝る、とスーダンではどこでもかでも夜風に吹かれて砂塵にまみれて寝ていた。


イスラムの人は体を祈りの前に清めるのでどこでも人がいれば水は手に入ったし、酒を飲まないのでクラブもなく、騒音源たりうるものがない。安全面においても皆が寝ている分、日本以上に外で寝ることに対しては安全な気がした。そして雨なんか滅多に降らないんでね、あそこは。二回ポツポツと雨季の残り涙に優しく触れられただけ。とにかく彼らの寝るスタイルを見れば、如何に私の通った場所の治安が穏やかかが窺い知れるだろう。ついでに言うと恐らく スーダンで宿に泊まろうとすると高い。なぜなら数が少ないから。大衆向けではない。多くの人は知り合いの家に泊まる。お互いに旅を支え合う。イスラムのスタイルがここにも見られる。

最後にエジプト。エジプトでも同じく宿にはアスワン以外泊まっていない。どこに泊まる?警察署?ダメ、恐らく警察を狙ったテロを警戒しているせいか、100m離れた場所ならいいよ、と言われた。容赦なく無慈悲な感じが却って心地よい。ガソリンスタンド?ちょっと嫌、オイルまみれになりそうだし、何よりも夜中に車に潰されないという保証ができる場所がない。
エジプトでは新しい場所を見つけた。踏み切り番の小屋の脇。これが書きたかった。寝床はそれぞれの国、地域でそれぞれ適当な場所が違い、それを探し見つけるのもひとつの楽しみなのだと。踏み切り番の小屋の脇なんて我ながらマイナーな空間を見つけたな、と満足している。

エジプトにはナイル川沿いに国鉄が走っており、 各所道路が交差する場所に踏切がある。大きい道路には自動の踏切だが、小さな街や村には線路脇に小屋、水道、トイレと全て揃った施設があり、踏み切りの守人がいる。
こういう仕事はなんて呼ぶのだろうか。転轍手とは違うし、、、昔は日本にもいたのだろうが私は見たことはない。
電車が通ることを知らせるジージーという音が鳴る。するとこの踏み切りおじさんが紅白の踏み切りを手動で下ろす。そして電車が通り過ぎると再び上げる。彼らの仕事は、単純だがとても重要だ。なにせ一歩間違えば事故になる。自動でいいのでは?という意見もあろう。それが違うのではないか、という日本への提言。日本は人件費削減の名の元、自動化によっていくつもの職業が消え、かつ消えかかっている。電車やバスの車掌、券売する人、タバコ屋(少雑貨屋)、八百屋肉屋などの商店。

私が小屋の隣で夕飯を作っていると、仕事を終えた人々が踏み切りを渡る。踏切で足を止める人、そのまま渡る人。その誰もが皆、もれなく踏み切りおじさんに挨拶し、しばし話し込んでいるのは印象的だった。時には興奮気味に話している人もいた。アラビア語なので何を話していたのかはわからない。きっと「今日の仕事はなかなかハードだったよ」とか「革命以降世知辛い世の中になったよ」とか「うちの嫁に今の彼女の事がバレちまった!」とかを話していたのかもしれない。

朝は朝で農作業に赴く親子や男たちが足を止め、ロバに乗って今日の仕事の名乗りを上げていた。きっとこの踏み切りおじさんは街のものすごい情報を持っているに違いない。
こういうポジションが今の日本には必要なんじゃないか。友人未満知人以上。気軽に声をかけられる人。人と人をジェネラルに緩く繋げられる人。かつての街角のタバコ屋の婆ちゃんは、街の相談係であり、消極的に治安維持にも関わっていたかもしれない。また仕事の効率化によって、緩い部分が削られて仕事が無機質な気がしないでもない。あらゆる方面で無駄を省き、低コストを計ってきた日本。しかしその反面、精神も切り詰めてしまって、心のゆとりがお猪口一杯。多くて湯のみ一杯。予測できない世の中。何が無駄で何が無駄ではないなんて、誰が言えるのだ。無駄か、軟骨。軟骨なしではいつか骨は磨り減ってしまう。踏み切りを通り過ぎる人々を見てそういうことを思った。

2014年10月24日金曜日

1024 ナイルに沿って

宿に置いてあったガイドブックを頭に叩き込むべく奮闘していたら出発が昼になってしまった。宿の気のいいオヤジ、フォクシーに別れを告げ宿を出た。昼飯に何回か食べに行っていたサンドイッチ屋に行ったら違う若い人がいて、値段をふっかけられた。なんで昨日よりも高いんだよ、おかしいだろ?と抗議すると少し気まずそうな顔をしたと思ったら、今日は暑いからねという一般人には理解できない異次元の論理を持ち出したので斬って別の店へ。せっかく最後に食い納めしようと思ったのに、糞兄のお陰で食いそびれた。やはりエジプトはおじさんに限る。若いのは欲が強くていかん。

アスワンは東岸にある街だが西側にもヌビアの村があり遺跡なども点在している。しばらく昼の白い日差しを受けて煌めいている青いナイルとそこに生す草、その奥にある乾いた村を見て走った。そこら中で水が飲め、飲み物を買える環境、あぁここはもうエジプトなんだな、と思う。あのスーダンで感じた渇望感はもうないかもしれない。そう思うとホッとする一方、なんとなく寂しい。


今日は踏み切り番の小屋の隣にテントを張らせてもらった。野菜を買い込んであったので、トマトソースパスタにした。あれ、久々の自炊。なんだか少し嬉しい。あぁ、緩やかなる一日なり。エジプトに入ってから朝夕は涼しい。

2014年10月23日木曜日

1023 アスワンの夕暮れ

アスワンはナイルの東岸に広がる小さな街だが、フィラエの神殿を始めとするいくつかの文化遺産により観光の街として有名だ。またヌビアの北端に位置することで、ヌビアの商人の交易の地でもある。
エジプト国鉄の終点であるアスワン駅(正確にはアスワンハイダム駅が終点)から、旅行者向けマーケット通りがナイルの流れに並行して伸びており、土産物屋を始めとして香辛料屋、香料屋、ドレス屋、カフェ、サンダル屋、果物屋など雑多な店が並ぶ。







やっぱりエジプトもアフリカのようで、同じような店がいくつも並んでいる。しかしその品揃えはさすがエジプトだなと思わせるものがあり、香辛料など見ていて飽きない。
少し細い裏路地に入るとそこはすぐに生活の場であり、子どもたちの嬌声とオヤジたちの静かな時間に満ちている。裏路地は三階建ほどの建物が迫っており、熱く黄色い日差しとは対照的に蒼の日影だ。


見上げると蒼い壁は青空に消え、その終わりにカラフルな洗濯物が翻っている。
車の荷台に収まって嬌声をあげていた子供にちょっと声をかけると大変で、写真撮影会が始まる。



地雷を踏んだと感じた。次々に僕を、私を撮って!と詰め寄ってくるパワーは凄まじい。遠くで見ていたおじさんが制してくれて、何とかこの子供トラップから抜け出すことができた。

昼飯を食べていなかったので、サンドイッチを買う。ゴマペーストとナスを和えたものと、ファラフェル(スーダンではタミヤと呼ばれていた)、それからナスのピリ辛炒めと野菜のサンドイッチ。少しぼられた気がしたが、油断して買う前に値段を聞かなかったから、まぁしょうがないかと諦めた。別の店でジュースを買おうと値段を聞く。普通の二倍弱。「あぁ、やっぱり買うのやめた」と言ってジュースを置いて去ろうとすると「いくらだ?」と聞いてくる。スーダンもその気配があったが、ものの値段がない。買う人による。おそらくそれは「ある者がなき者に与える」というイスラムの教えからくるものなのだろうと思うが、物価の分からない初めのうちは少し難しい。ちったぁ手加減してくれ。ジュースはどこでも買える。君に余分なお金を払えるほど私には余裕はないんでね、他を当たるよ。しかし不誠実そうな若者は私の腕を掴み「いくら?」としつこい。売り手が提示してくれ。それで納得したら買う。ジュースごときで毎回値切ってられるか。

少し離れた店は年配のおじさんが経営しており、「いくら?」指三本を上げて、一発で私の納得できる値段を示す。それを持ってナイルの畔のベンチに出かける。すぐに帆かけ船は如何?と声をかけられるが、丁寧に断る。こういう時は日本人のなりをしていることを恨めしく思う。その気がないんだと言っても、なかなか理解してくれない。それに日本人は西欧人に比べて、押せば通ると思われている節があり、その分しつこい。断るというのは抗生物質みたいなものだ。中途半端に断っているとその内断りが効かなくなってくる。

さらに彼らは聞く。観光に来ているのにどうして楽しまない?
いや、こうして街の風景を眺めているのが意外と楽しいのだよなぁ。私なりに。そういうことをなかなか理解してもらえない。お金を殆ど落として行かないので観光業者には望まれない旅行者だが仕方ない。メインの観光業の落ち穂を拾う貧乏旅行人だと思って見逃してほしい。

帆かけ船が緩やかに斜陽で煌めく水面を4、5艘ゆき交う。しかし観光業が再生の時は帆かけ船でひしめき合うのだろうな、と思うとなんだか今の状況が可哀想でならない。昨日も勧誘されてずっと断っ それだけ彼らも切羽詰まっているのだろう。
目の前の水際からまた1艘出帆して行った。男がマストを登り帆の縛りを緩める。下の船員が別の紐を緩めると、風の力で自然と帆が開いた。三角形の帆が風で撓んで美しい弧を描く。青い水に白い帆が爽やかだ。

変な歌声がすると思ったらどこからともなく、今にも沈みそうなビニールの筏に乗った二人の少年が、ただ今出帆した船にスィーと吸いついた。その一連の動作は馴れたもので、とても鮮やかだった。しばらく歌を歌いながら船に寄生していたが、やがて離れて別の船に寄生した。おそらくあぁやって観光客の船に捕まって歌を歌って金を得ているのだろう。世の中いろんな商売があるもんだ。
そして今日もナイルは残照を水面に漂わせながら暮れていった。

そして夜は夜で賑やかな光が川辺に遊んでいた。

お馬ちゃん待機

2014年10月22日水曜日

1022 助けるということ

夕涼みと称して夜の商店街でチャイを飲んでいると、道行く足並みにひどく遅れた二人の女性に目が止まった。国内外からの観光客が多いこの通りは皆身なりは綺麗で、特に女性は艶やかな色のイスラム女性が着る○やスカーフを身に着けている。しかし件の二人は流れに滞るような足並みに加え、ねずみ色のしかもどことなく薄汚れた印象を見るものに与えていた。おそらく貧しい商人か田舎から親戚を頼ってきた親子であろう。

通りの真ん中は石畳が剥がれ、至るところが陥没しており、年老いた女性が歩くのに難儀していた。それを中年の若いほうが気にかけ、時には手を引き、歩を緩め少しずつ進んでいたがために、人の流れに滞っているように見えたのである。

若い方は手に荷物を持っており、老いた者の手を引くときはその荷を地面に置いているから、決して軽いものではない。老いた方は弧を描いた身体の上にズタ袋が乗っており頭は見えない。その状態で一歩一歩をじりじりと歩んでいる。

少し不思議に思った。少しキツイが若い方が老いた者の荷物を頭に載せて運ぶことは出来ないのだろうか?そっちの方が速く進めるうえに婆やも楽かろう。若い方は薄情?いいや、その若い方の手の引き方や、気の使い方を見ればそれどころか温もりすら感じる。断じて薄情などではない。

ふとミレーの「落穂拾い」を思い出す。
Wikipediaより
ミレーがバルビゾンの農村にいるときに描いたもので、当時バルビゾンでは収穫を終えて取り残した麦穂は寡婦や自活できぬ貧しい者のためにとっておく風習があった。旧約聖書のレビ記に定められた律法に基づいた風習である。同じく旧約聖書のルツ記は義母思いの徳の良いルツに麦の穂を残しておくという話だ。同じようにわざと畑に残しておくことも頻繁にあったかもしれない。
どうして直接麦を分け与えないのか。答えは色々な国で見てきた。旧約聖書が編纂された当時から人間の性質についてこの様な解が出ていたのだ。そう考えると当時からいろいろな場所で何らかの形での支援は行われていたに違いない。

人を助けるというのは、甘やかすことではない。自立、自活出来る能力を授ける事である。
だからミレーが描く落穂拾いも惨めな感じではなく、人間の美しい姿が表れ、生きることに対する誇りすらも感じるのだろう。

2014年10月21日火曜日

1021 木陰と柘榴

スーダンと変わらずエジプトも白い砂地に揺れる木陰が気持ちいい。スーダンの木陰はトネリコのような葉っぱの木陰だったが、エジプトはソーセージツリーの木だ。同じく羽状複葉の葉だが葉は厚く、一つ一つの小葉も大きいので、スーダンの木陰より揺らめきが少ないように感じる。

またスーダンと同じくエジプトも木陰には男たちが屯し、挨拶に挨拶を重ねて日がな人が絶えない。彼らの仕事はいったい何なのか?どうやって食っているのか。別にスーダンやエジプトに限ったものではないが、私が旅した中で見つけた不思議のうちの一つだ。きっと彼らも私を見て、同じことを感じているだろう。ま、お互いそこん処はお互い触れんとこうじゃないか。

アスワンへのバスを待つ間、隣の八百屋で柘榴を買った。エジプトのこの時期は、日光は逃げたくなるように強いものの、日陰は涼しい。買った柘榴ものっぺりした赤とも黄色ともつかぬ外皮がひんやりしていて手に心地よい。ナイフで切り込みを入れ、手でさき割る。赤い宝石がポロポロと溢れた。柘榴の粒はどうしてこんなに美しいのか。子供の頃、その味に関しては大した感動はなかったが、その宝石の様な色は私を大いに惹きつけた。唯一見た目のために欲した食べ物かもしれない。
一粒口に放り込む。歯に少し力を込めると小さな宝石はチュッと弾けた。甘酸っぱい汁が口に広がり、私の満足もあとからゆっくり広がる。子供の頃は感じなかったが、この微妙な風味がいいのだろうな、と思う。香りはほとんど無く、主張しすぎない。それでいて仄かに感じる風味。加えて見た目の美しさ、瑞々しさ。柘榴に気品を感じるのはそういった性質のためなんだろうなぁ。

まだ淡いクリーム色の台座に群れて居座る赤い粒を見て気が付いた。
ハニカム!これは蜂の巣構造じゃないか!
一粒一粒が豊満に膨らんだ挙句に、皆で押し合いへし合い。その結果、粒の多くは何とかして六角形を作る。
ところで蜂の巣の小部屋が六角形になるのは、ある定面積を多角形で充填しようとした場合、六角形で埋め尽くすことが「最も少ない素材で充填できる」という理由にある。つまり蜂は節約上手の極みなのだ。
ものの強度は空間の多さに反比例するらしいから、ある空間を同じ面積の小部屋で埋め尽くす時に、四角形で埋め尽くすよりも六角形で埋め尽くしたほうがその小部屋を作る素材の量は少なくて済む。つまり軽量(少素材量)で強度をもたせられることと等しく、航空技術や建築技術に応用されている。

蜂の巣の小部屋は三角形や四角形でもいいのだが、それらの小部屋を作るには六角形のそれよりもより多くの蜜蝋が必要になる。かと言って円や八角形は単独では平面を満たすことは出来ないのでダメ。そうして蜂という種族は、六角形が一番節約出来ることを、進化という終わりなき挑戦の中で見つけてきた。

でも柘榴は軽量で高強度で有る必要があるのか?柘榴の粒が六角形を作るのは他の理由による気がする。そう言えばエチオピアのアビシニア高原で見た柱状節理も岩が六角形にひび割れて、六角形の鉛筆を束ねた様になっていた。亀の甲羅も六角形のユニットの集まりだ。これらは皆ひしめき合いの結果の六角形である気がする。粒や鉛筆、ユニットの個々がそれぞれ程よく満足するように成長した結果、六角形。つまり六角形は民主主義なのじゃないか。あれ、いつの間にか思考が科学から離れて怪しくなってきた。
と一粒一粒味わいながらそんなことを考えていた。とにかく柘榴の実は美しいという事がいいたかったのだ。おわり。