アスワンはナイルの東岸に広がる小さな街だが、フィラエの神殿を始めとするいくつかの文化遺産により観光の街として有名だ。またヌビアの北端に位置することで、ヌビアの商人の交易の地でもある。
エジプト国鉄の終点であるアスワン駅(正確にはアスワンハイダム駅が終点)から、旅行者向けマーケット通りがナイルの流れに並行して伸びており、土産物屋を始めとして香辛料屋、香料屋、ドレス屋、カフェ、サンダル屋、果物屋など雑多な店が並ぶ。
やっぱりエジプトもアフリカのようで、同じような店がいくつも並んでいる。しかしその品揃えはさすがエジプトだなと思わせるものがあり、香辛料など見ていて飽きない。
少し細い裏路地に入るとそこはすぐに生活の場であり、子どもたちの嬌声とオヤジたちの静かな時間に満ちている。裏路地は三階建ほどの建物が迫っており、熱く黄色い日差しとは対照的に蒼の日影だ。
見上げると蒼い壁は青空に消え、その終わりにカラフルな洗濯物が翻っている。
車の荷台に収まって嬌声をあげていた子供にちょっと声をかけると大変で、写真撮影会が始まる。
地雷を踏んだと感じた。次々に僕を、私を撮って!と詰め寄ってくるパワーは凄まじい。遠くで見ていたおじさんが制してくれて、何とかこの子供トラップから抜け出すことができた。
昼飯を食べていなかったので、サンドイッチを買う。ゴマペーストとナスを和えたものと、ファラフェル(スーダンではタミヤと呼ばれていた)、それからナスのピリ辛炒めと野菜のサンドイッチ。少しぼられた気がしたが、油断して買う前に値段を聞かなかったから、まぁしょうがないかと諦めた。別の店でジュースを買おうと値段を聞く。普通の二倍弱。「あぁ、やっぱり買うのやめた」と言ってジュースを置いて去ろうとすると「いくらだ?」と聞いてくる。スーダンもその気配があったが、ものの値段がない。買う人による。おそらくそれは「ある者がなき者に与える」というイスラムの教えからくるものなのだろうと思うが、物価の分からない初めのうちは少し難しい。ちったぁ手加減してくれ。ジュースはどこでも買える。君に余分なお金を払えるほど私には余裕はないんでね、他を当たるよ。しかし不誠実そうな若者は私の腕を掴み「いくら?」としつこい。売り手が提示してくれ。それで納得したら買う。ジュースごときで毎回値切ってられるか。
少し離れた店は年配のおじさんが経営しており、「いくら?」指三本を上げて、一発で私の納得できる値段を示す。それを持ってナイルの畔のベンチに出かける。すぐに帆かけ船は如何?と声をかけられるが、丁寧に断る。こういう時は日本人のなりをしていることを恨めしく思う。その気がないんだと言っても、なかなか理解してくれない。それに日本人は西欧人に比べて、押せば通ると思われている節があり、その分しつこい。断るというのは抗生物質みたいなものだ。中途半端に断っているとその内断りが効かなくなってくる。
さらに彼らは聞く。観光に来ているのにどうして楽しまない?
いや、こうして街の風景を眺めているのが意外と楽しいのだよなぁ。私なりに。そういうことをなかなか理解してもらえない。お金を殆ど落として行かないので観光業者には望まれない旅行者だが仕方ない。メインの観光業の落ち穂を拾う貧乏旅行人だと思って見逃してほしい。
エジプト国鉄の終点であるアスワン駅(正確にはアスワンハイダム駅が終点)から、旅行者向けマーケット通りがナイルの流れに並行して伸びており、土産物屋を始めとして香辛料屋、香料屋、ドレス屋、カフェ、サンダル屋、果物屋など雑多な店が並ぶ。
やっぱりエジプトもアフリカのようで、同じような店がいくつも並んでいる。しかしその品揃えはさすがエジプトだなと思わせるものがあり、香辛料など見ていて飽きない。
少し細い裏路地に入るとそこはすぐに生活の場であり、子どもたちの嬌声とオヤジたちの静かな時間に満ちている。裏路地は三階建ほどの建物が迫っており、熱く黄色い日差しとは対照的に蒼の日影だ。
見上げると蒼い壁は青空に消え、その終わりにカラフルな洗濯物が翻っている。
車の荷台に収まって嬌声をあげていた子供にちょっと声をかけると大変で、写真撮影会が始まる。
地雷を踏んだと感じた。次々に僕を、私を撮って!と詰め寄ってくるパワーは凄まじい。遠くで見ていたおじさんが制してくれて、何とかこの子供トラップから抜け出すことができた。
昼飯を食べていなかったので、サンドイッチを買う。ゴマペーストとナスを和えたものと、ファラフェル(スーダンではタミヤと呼ばれていた)、それからナスのピリ辛炒めと野菜のサンドイッチ。少しぼられた気がしたが、油断して買う前に値段を聞かなかったから、まぁしょうがないかと諦めた。別の店でジュースを買おうと値段を聞く。普通の二倍弱。「あぁ、やっぱり買うのやめた」と言ってジュースを置いて去ろうとすると「いくらだ?」と聞いてくる。スーダンもその気配があったが、ものの値段がない。買う人による。おそらくそれは「ある者がなき者に与える」というイスラムの教えからくるものなのだろうと思うが、物価の分からない初めのうちは少し難しい。ちったぁ手加減してくれ。ジュースはどこでも買える。君に余分なお金を払えるほど私には余裕はないんでね、他を当たるよ。しかし不誠実そうな若者は私の腕を掴み「いくら?」としつこい。売り手が提示してくれ。それで納得したら買う。ジュースごときで毎回値切ってられるか。
少し離れた店は年配のおじさんが経営しており、「いくら?」指三本を上げて、一発で私の納得できる値段を示す。それを持ってナイルの畔のベンチに出かける。すぐに帆かけ船は如何?と声をかけられるが、丁寧に断る。こういう時は日本人のなりをしていることを恨めしく思う。その気がないんだと言っても、なかなか理解してくれない。それに日本人は西欧人に比べて、押せば通ると思われている節があり、その分しつこい。断るというのは抗生物質みたいなものだ。中途半端に断っているとその内断りが効かなくなってくる。
さらに彼らは聞く。観光に来ているのにどうして楽しまない?
いや、こうして街の風景を眺めているのが意外と楽しいのだよなぁ。私なりに。そういうことをなかなか理解してもらえない。お金を殆ど落として行かないので観光業者には望まれない旅行者だが仕方ない。メインの観光業の落ち穂を拾う貧乏旅行人だと思って見逃してほしい。
帆かけ船が緩やかに斜陽で煌めく水面を4、5艘ゆき交う。しかし観光業が再生の時は帆かけ船でひしめき合うのだろうな、と思うとなんだか今の状況が可哀想でならない。昨日も勧誘されてずっと断っ それだけ彼らも切羽詰まっているのだろう。
目の前の水際からまた1艘出帆して行った。男がマストを登り帆の縛りを緩める。下の船員が別の紐を緩めると、風の力で自然と帆が開いた。三角形の帆が風で撓んで美しい弧を描く。青い水に白い帆が爽やかだ。
変な歌声がすると思ったらどこからともなく、今にも沈みそうなビニールの筏に乗った二人の少年が、ただ今出帆した船にスィーと吸いついた。その一連の動作は馴れたもので、とても鮮やかだった。しばらく歌を歌いながら船に寄生していたが、やがて離れて別の船に寄生した。おそらくあぁやって観光客の船に捕まって歌を歌って金を得ているのだろう。世の中いろんな商売があるもんだ。
そして今日もナイルは残照を水面に漂わせながら暮れていった。
そして夜は夜で賑やかな光が川辺に遊んでいた。
お馬ちゃん待機
目の前の水際からまた1艘出帆して行った。男がマストを登り帆の縛りを緩める。下の船員が別の紐を緩めると、風の力で自然と帆が開いた。三角形の帆が風で撓んで美しい弧を描く。青い水に白い帆が爽やかだ。
変な歌声がすると思ったらどこからともなく、今にも沈みそうなビニールの筏に乗った二人の少年が、ただ今出帆した船にスィーと吸いついた。その一連の動作は馴れたもので、とても鮮やかだった。しばらく歌を歌いながら船に寄生していたが、やがて離れて別の船に寄生した。おそらくあぁやって観光客の船に捕まって歌を歌って金を得ているのだろう。世の中いろんな商売があるもんだ。
そして今日もナイルは残照を水面に漂わせながら暮れていった。
そして夜は夜で賑やかな光が川辺に遊んでいた。
お馬ちゃん待機
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