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Africa!

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2014年7月19日土曜日

根っこの話

根っこが生えた。尻からも足の裏からも精神までも。どんどん伸びて太くなり、ウガンダの地に根付いてしまいそうだ。
いかん、これ以上いてはいかん!今引っこ抜かないと色んなものが肥大して抜けなくなってしまう。

さて今が抜き時だ。ほーらほら今まで地面に隠れていた瑞々しい白い根っこが。ほら抜けた、と思ったら自分の日焼けが色落ちした太ももだった。三カ月でここまで色落ちするとは安物の色Tシャツじゃないか。

レストランで働き始めて早くも三カ月が過ぎた。人の回転は以前書いたように早かったが、その中でも明るいスタッフと冗談言い合って笑い、ときには真剣に話したり、変な旅人を本当に温かく迎え入れてくれた。またウガンダで働く日本の方にも色々気を使ってもらってとても有難い日々だった。
今まで何度となく別れを経験してきたがいつもその時その時に感慨深いものがある。そろそろ長く居続けられる場所を探したくもある自分がいる。がことはそう簡単には運ばない。ような気がする。
しかしここでの出会いが将来どのような形となって現れるのか楽しみであることは疑いようがない。

薄汚く汚れた雑草を拾ってくれ、また素晴らしいし水と栄養を与えてくれたアリフには感謝してもし尽くせないだろう。

相変わらず旅の資金はカツカツだが何とか大陸縦断はできそうだ。
これから先、どのような出会いが待ち受けているのかと思うと出発前の夜は眠れない。
世話になった全てに静かに感謝する時間に使えば眠れぬ夜もまぁ無駄ではないか。


どうもありがとう。
 ウェイターと。


 ありがとうございました or 禿げる前に一矢報いる?

 マネジメントと。


 シェフと。


シェフたちと。

2013年10月3日木曜日

CapeTownへ

荷物を積んでバス停まで漕ぐ。
はじめはハンドルが取られ、容赦ない南アの車が走る車道脇を走るのが怖かったが、すぐにハンドルが落ち着き、慣れた。
ゲストハウスからバス停まで30分弱。
活気の出てきた街を抜ける。道行く人が怪訝に眺める。
バス停に着くと積んだ荷物をバラし、乗車に備える。

事前に確認したところ、自転車は別料金固定でR300かかるという話だった。
南アでの生活から、結構おまけしてくれるんじゃなかろうか、と考えていたがダメだった。
さすが首都。決まり事には容赦がない。
でも他のバッグの重さは一個計っただけで、20kg以下だったのでOKが出た。
総重量ではないのか?と思って言おうとしたが、やめた。
自分に不利になることは言わない、言わない。

南アの長距離バスは快適だ。
一番安いCity to Cityも運が良ければ比較的きれいなままで運行される。
しかし運が悪いと、大変だ。そこらへんにチキンの骨やら紙屑やらが飛び散らかる。
臭いと熱も独特だ。
しかし、GreyhoundやTranslux、Intercapeといったレベルの高いバスになると、快適だ。
時間感覚については極めて緩く、1時間遅れてくるのは当たり前だが、、、

今回はIntercapeを利用した。

安いのと自転車を積んでくれるから。

首都PretoriaからCapeTownまで19時間かかるが、R560とは格安だ。
加えて自転車料金のR300。これが少し高いが、しょうがない。
ミニバスだともう少し安くなるかもしれないが、自転車を運ぶのは難しい。

バスには運転手の他にバスレディが添乗する。
ゴミを片づけたり、アナウンスを入れたり、またはジュースを売りに来る。
これまでCapeTownとUpingtonでIntercapeを利用したが、どのバスレディもポワンポワンした英語で、語学力の未熟な私には聞き取りにくい。
日本の電車のアナウンスが独特なのと同じか。

Pretoriaを出発し、一時間ほどでヨハネスブルグに到着する。
そこでさらに人を積み、荒野に向けて出発する。
プレトリアやヨハネスブルグ、ブルームフォンテーン、ケープタウンなどの都市を埋める空間はトウモロコシ畑や鉱山地帯でほとんど何もない。
今が冬の終わりということもあるが、本当に枯れた荒野が延々と続く。
よくもこんなに土地があるもんだというほどに何もない。

パセリが「日本は小さいから南アの土地を少しあげるよ」と冗談でよく言っていたのを思い出す。
日本に帰った時に思ったのが、日本は本当に空いた土地がないなぁ、ということだった。
住宅地にしろ、耕作地にしろ、隙間なく誰かが何かに利用している。
最近は日本も休耕田が多い、と言われるが、南アフリカと比べたら大したことはない。
狭いからこそ考えて使われているのか。

ブルームフォンテーンに着いた頃にはすっかり辺りは暗くなっていた。
私は二階の前の席だったので広い前の窓から運転手のごとく進路を見ることができた。

闇に真っ直ぐ吸い込まれるように続く路面の白線。
決まったテンポで窓の下に消えていく途切れ途切れの中央線。
対向車のヘッドライトが闇夜に浮かんでは近づいて最後は消える。
ふとその上方へ目をやると、数え切れぬほどの星が静かに天空にへばりついている。
地上の動と、天の静。
その間を光の箱が動いているのか、止まっているのかわからなくなる、不思議な空間。













朝になるとすでにWitterbergeの山並みが見えており、がらりと雰囲気が変わっていた。
荷物コンテナから自転車が出てくる。故障せずに無事に運ばれた。





2013年9月25日水曜日

困った!in 空港

父と母が成田まで見送りに来てくれた。
しばらく見られなくなる日本の風景を目に焼き付けようと、曇天の下の田んぼを見ていた。

空港に着いてチェックインの時、困ったことが起こった。
今回は荷物が多く、はじめシンガポール空港でとった予約をキャンセルした経緯がある。
シンガポール航空は20kgの荷物一つだけしか預け荷物として許されていない。
それ以外は超過料金が取られる。
一方の南アフリカ航空(SAA)は前に書いた通り、
23kg×2 + スポーツ用品は無料なのだ。
飛行機の超過料金は極めて高いので、ここでへまをすると旅費が圧迫される。
だから事前に電話で確認を入れていた。

しかし、当日チェックインカウンターで係り員女性の美しさと手際の良さに見とれていると、
「15000円超過料金が課せられます」という信じがたいことを言うではないか。
よくそのわけを聞くと、全旅程は全日空(ANA)とSAAのコードシェアで、成田から香港まではANAの飛行機で、香港からJohannesburgまでがSAAの飛行機で運行されるのだという。
だから預け荷物の規定は出発地点の会社(ANA)規定にのっとるのだそうだ。

はじめのカウンターの女性からすでに6人の人の手に回され、
それでもこの場合の超過料金がいくらなのかはっきり定まらなかった。
なんだか自分がいけないことをお願いしている気がしてきた。
ようやく8人目くらいの手に回されたときに、
「もう一度計算しなおしたら3万円です。申し訳ありません」
とのことだった。

3万円はさすがに無理だと思って、その理由を詳しく説明してもらうと、
この場合は成田から香港の分だけでなく、香港からヨハネスブルグの分も加算されるとのことだった。
電話でSAAに確認を入れていたので、香港からヨハネスまでの区間もとられるのはおかしい、
と主張すると、SAAに確認をしてくれた。
すると、事前に連絡がSAAに入っていたことの確認が取れ、今回はすべての航路においてSAAの規定に則るということにしてくれた。
つまりは3万円と言われていたのが追加料金なしとなったのだ。
これはかなり大きい。
あの時、15000円から3万円に上げられていなかったら、15000円を払っていただろう。
あの時、もし私がもっと聞き分けの良い人間だったら、3万円を払っていただろう。
3万円あったら場所によっては一か月旅行を伸ばせるかもしれない。

この出来事から思ったのは、国際空港で働くのは大変だなぁということ。
さまざまな国事情を背負った航空会社と関係を持つ国際線を持つ会社は、これ!といった規定を作るのは難しいのかもしれない。
たとえば今回のコードシェアのような二つの会社が分担で航路を受け持つとき、荷物のことをどうするか?
また、今回の私の例のような「稀な存在」を相手にする場合はどうするか?
といった細かな規定をきっちり決めることは難しい。
ましてや、規定が各航空会社によって違い、それも変更が度々加えられる、預け荷物の規定は難しい。

事前に預け荷物の規定についていろいろ調べたのだが、上述のような場合はこれと言って定まったものはなかった。
魑魅魍魎が集まる空港でかっちりした規定を作るより、それぞれの乗客が嫌な思いをしないよう、
またそれによって他の乗客に迷惑がかからないような対応が求められるのかなぁと思った出来事でしたとさ。

出発

日本での最後の日は曇りで肌寒い日だった。
蒸し暑かった夏が終わり、空気全体が秋めいていた。

準備は終わっているはずなのだが、なんとなくまだ何かあるんじゃないかという気がしてならない。
ウサギとカメに別れを告げる。カメは万年だからあと9975年くらい生きるが、ウサギの方はそんなに長くないだろう。
ゆっくりと頭を撫でる。いつものようにどこかくすぐったそうな、気まずそうな顔でじっとしている。

祖母にもしばしの別れを告げる。出発前に一番心配していたのは祖母なのだ。
早く出発して、その心配の種を消してあげないといけない。

時には威し、また時には遠まわしにやめさせようと諭すこともあったが、最も私のやることをよく理解し、さまざまなサポートをしてくれたのは父と母である。
仕事もしないで遊び歩いている愚息を持ってしまった彼らに、真に深く同情する。
そうでもしないと、私は罪悪感で発狂してしまうかもしれない。

日本の秋を惜しむべく、鈍く光る紫の巨峰を口に入れて出発。
この味を来年味わうと巨峰に誓って成田へ。