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2013年10月31日木曜日

牛の夜鳴き〔CampSite(72km from Helmeringhausen) →C27→ Betta 〕

C27(Helm. to Betta): Gravel road, sandy and bumpy,worse than C13 but not so bad.
You need to fasten your bags and so on in order not to loose your stuff with vibration by a lot of bumps.
A tour guide told me that road C14 is better than C27 and takes you to Sesriem faster while the way is longer.

Betta: Camp site NS200, Shop open 8-17

今日は昨日の疲れで8時半まで寝てしまった。
朝方は寒さで目が何度か覚めたくらいで、日本の秋山を思い出し、落ち葉の香りが頭をよぎった。
そういえばもう三年落ち葉の香りを嗅いでいないのだなぁ。
大学構内に植えてあった桂の樹の落ち葉の香り(落ち葉というより木そのものが香っていた?)が好きだった。あの甘い香り。

泊まった場所から先はかなり頻繁に砂溜まりに出くわし、自転車から降りる羽目になった。
途中地図にも記されていないような小さな町があった。
ここは観光の町というよりも、小さな牧場を中心にしている町で、これまでの町と雰囲気が少し異なった。
ゲストファームなので実際に泊まることもできるのだろうが、メインは牧場なのだ。
山羊や真っ黒な羊がたくさんいる。
茶牛もいる。
そして何より、そこに生活している人が多くいた。
自転車で訪問した少しおかしな客を遠くから見ている。

私が見ると、家の中に隠れてしまったりする。
中学生くらいの女の子が出てきて「写真を撮って」と言ってくる。
何枚か撮ると、「どうやったらそれをもらえる」と聞いているらしい様子が窺えた。
というのも彼らはアフリカーンスを話すので言葉は通じない。

私が英語で「もしもメールアドレスか郵便アドレスがあれば送れるよ」というが、あまり通じなかったようで、あきらめたようで苦笑いしながら去って行った。






















一匹の山羊が私の自転車に近寄っている。

どうやらフェルドリフ(南ア)から一緒のボコム君が気になるようだ。
「おいおいお前は草食系だろ、君の食べるものでないよ」
と追い払おうと近寄ると、番犬が出てきてフェンス越しに吠えている。しかも絵に描いたようにかなり強そうなやつだ。
町は歩いてもいいが、俺の家畜に手を触れるんじゃねえぞ、と言ったところか。
山羊が私から離れていったら犬も引っ込んだ。
ゲストファームの庭で働いていた男性に声をかけ、少し話してから、
この先の道はどうかな、と聞くと、
「すまないが英語があまりわからないんだ」と謝ってきたのには驚いた。
というのも今まで私はアフリカーンスを話せない自分を責めていたのだから。
その国や地域の言葉がわからない場合は舌打ちされて軽くあしらわれてもおかしくない。
実際南アで働いていた時はそういうことがあったし、常にそこの言葉を話せない自分を責めていた。
だからとても意外だった。
とても腰の低い人だったのだろう。
でもよく考えたら、日本人も日本で外国人に英語で話しかけられたら「ごめんなさい、私英語分からないの」と言うか。
「なんでテメェは日本語を話せねーんだ」とはならないよな、、、と考える。

この小さな牧場町はおそらく長い間閉鎖的な環境で存続してきたのだろう。
白人が経営する牧場で雇われているカラードの人々。
立派な白人の家が一つあって、その周りにそこで働く有色人種のつましい生活が形造られる。
その関係が何世代にも渡って引き継がれ、まるで世界から取り残されたように残っているようだった。

ベッタに着くとさっそく観光客に囲まれる。
オランダからの御一行様だ。
皆カメラを持っているのでさながら有名人になった心持ちで少々照れくさい。
しばらく撮影会と色々なインタビューがあった後は釈放の身となり、ようやく飲み物を買いに行ける。
誘惑に負けビールではないが、ビールのサイダー割りSavanaを飲んでしまった。

これが意外に酔わない。すぅっと体に入っていき、どこかへ消えてなくなってしまうかのようだ。
途中で落として失くしたレーズンの後を埋めるかのように新たにレーズンを買った。
美味い。
日本にいたころはレーズンというのはあまり好まなかった。
なんだか見た目もしょぼくれているくせに味も甘ったるくてどうも好きになれなかった。
子供のころはばあさんの乳首だなんて言ってバカにしていたが、今この体力を極度に消耗する中で大変貴重な食料になっているし、何よりも甘みの中にわずかに酸味が隠れていて大変美味だ。
だからと言ってばあさんの乳首が好きになったというわけでもないので誤解のないよう願いたい。
(世のお婆様方、決して悪意があってのことではないので悪しからず。きっとサクランボの砂糖漬けくらいに透き通って立派なものだと思っています)


ベッタもたくさんの家畜を飼育しており、牛やヤギ、ヒツジなどがいた。

風力発電やソーラーパネルも揃っており大変近代的な感じを受けたが、シャワーは「ドンキーシステム」と呼ばれる薪で焚くスタイルだ。

シャワーを浴びようとして蛇口をひねると水しか出ないので、キャンプ場の人に
「ここは水しかでない?」
と聞くと、
「うちはドンキーシステムなの、今から沸かすから少し待ってね」(もっとそっけないけどね。。。)
と言って沸かしてくれた。
その待っている間、暇になったので洗濯をし、周りをフラフラ歩いているとキャンプ場の裏手に小さな家庭菜園と果樹園があった。
日差しが強すぎるので日よけのネットをしてあるが、あまりよく育っていない。
ヘルメリングハウゼンもベッタも、ソリテアもどこも野菜や肉を手に入れるのが難しいせいか小さな牧場や農園を持っていた。
ただセスリムだけは例外に新鮮な野菜や果物がそこまで高くない値段で手に入った。
観光地として確立されているだけに物流がしっかりしているのだろう。

アウス以降の町は人が住むような町ではなく、観光の町で物価が高い。
いわゆるお金を使う観光というスタイルをしていない私には合わない町ばかりだ。
しかしナミブ砂漠のあの砂丘をこの目で見たい!あの雰囲気を感じてみたい!ただそれだけのために、このデコボコ砂道に耐え、
皆がじゃんじゃんお金を使っているそばで、いかに節約するかを考え、惨めな思いをしている。
しかも本来見たいアフリカ人の生活や価値観を見ることもできずヨーロッパからの観光客と話す毎日。
もちろんそれはそれで面白いのだけど、本来の目的から外れるので今後はもういいかな、と思っている。
動物がたくさん見られるエトーシャ国立公園や三大瀑布の一つビクトリアの滝もよらない予定だ。
自分に言い訳しようとあれこれ考えた答えが、今じゃなくても見ることができる、だ。
あ、ただヒンバ族は今後文明の生活に浸食されて消えて言われているので、会いに行こうと思っている。
惜しげもなく露わにされているおっぱいがいっぱいある風景も感じてみたいし。

少し時間ができたので振動でスポークが緩んでタイヤが歪む。
ちょっと修正。
結構緩んでいてびっくり。侮れぬ振動くん。


さてベッタの夜だが、非常にうるさかった。
牛が夜鳴きするのだ。ウー、ウ~と。
お前らはモーモー鳴くんじゃなかったのと言いたい。



2013年10月30日水曜日

ベルギーじいさん 〔Helmeringhausen →C27→ CampSite(72km from Helmeringhausen) 〕

C27(Helm. to Betta): Gravel road, sandy and bumpy,worse than C13 but not so bad.
You need to fasten your bags and so on in order not to loose your stuff with vibration by a lot of bumps.
A tour guide told me that road C14 is better than C27 and takes you to Sesriem faster while the way is longer.
There is a farm on the way at 65km from Helmeringhausen. You could get some water here.
Sinclair Mine is bit far from the road, I couldn't see that from the road but some people are there.
You get much more sand on the road past Sinclair Mine, if your bicycle are heavy you have to get off and push it.
When you couldn't arrive at Betta for a day, don't worry there is a huge camp site as the wilds.

ダッシー君、朝の日光浴

昨日の夜は誘惑に負けてビールを一本いただいてしまった。
あぁ、喉に沁み渡るこの泡と苦み。最高だ。
本当は走った後すぐにでも飲みたいのだが、乾燥しているため飲んだら後何もできなくなりそうで今のところ避けている。
ついでに宿の人に道の状況を聞くと、C14を取った方がいいかもと言われるも、
厨房から出てきた兄ちゃんが大丈夫C27で行ける、と自信を持っていうのでC27を取ることにした。
つい先日、16歳くらいの青年が自転車でここを通ったという。
殆ど荷物はないとはいえ、一日200km走って1週間でここまで着くとは驚異的だ。
休みも入れてるとはいえ三週間くらいかけている私は遅いよ、と言われてしまった。
まぁ旅のスタイルが違うということで自分を納得させよう。。。


朝キャンプ場を出ると昨日着いた時に声をかけてきたおじいさんが朝食を中断して見送りに出てきてくれた。
彼はベルギーから観光に来ているという。
「大丈夫、君は最後まで行けるよ」とエールをもらい、別れてから食料調達に店に向かう。
昨日は着いたのが遅くて店が閉まっていたので、朝ショップなのだ。
パン、クッキー、ナッツを買い足していると、先ほどのベルギーじいさんもやってきた。
しばらく、店の中を見て回りながら私がどんなものを買うのかこっそり見ている。
私がバターミルクというものが何なのかわからず店員に聞くと、店員は説明に困った。
そこですかさずベルギーじいさんが「サワークリームみたいなものだよ」と教えてくれた。
このおじいさんの距離感を私は気に入った。
こっそり見守ってくれている、と同時に自分の興味も満たしてニコニコしている。

買い物を済ませ、店を出るとベルギーおじさんがカメラを手に、
「写真を撮らせてもらってもいいかい?息子への土産にしたいんだな」と聞いてきた。
断る理由もないので、
「もちろん、どんどん撮って」と明るく答えた。
両側に数件の建物が並んだだけの小さな町の道の真ん中で、これからの旅に期待して明るい笑顔を見せている私が、
そしてこの人のよさそうなおじいさんに出会えた満足感を表した私が、
きっと彼のカメラには収められたことだろう。
良い旅を。

昨日は知った道を少し戻ってセスリムへの道を走る。

すぐに砂と砂利の悪路になり、車のタイヤが作る規則的なボコボコに苦しめられた。

余りのボコボコで行動食の袋が破け、入っていたパンとレーズンを失くす。
地図も気付かぬ間に消えていた。
私の自転車はサスペンションがないのでこのボコボコがもろに効く。
南アでやった乗馬を思い出す。
遅めに走るとリズムまでそっくりだ。
途中から砂が10㎝溜まっており、自転車を降りた。

ハンドルが取られ後ろには悶絶した跡が。。。




君には負けたぜ。しばらく自転車を牽いて歩く。
タイトル:敗北

カカブームの樹(木性アロエ)がお出迎え。



途中シンクレア鉱山があり、ちょっと怪しげな(いかにも不法そうな)若者集団に出会う。
車で一人が待機し、残りがスコップや変な道具を持って探しているようだ。
車で待機していた若者に挨拶をすると、気まずそうにかつ不愛想に応える。
ちょっとこっちが世間話を振っても、なんだか落ち着かずそっけない。
まず、こっちの人々にはデフォルトで付いているような笑顔がない。
なんだか怪しいので行こうとすると、
「おまえ、たばこは吸わないのか?」と聞いてきた。
「吸わないよ、悪いね」というと、またそっけなく、
「そうか」と言っただけだった。
「じゃぁ」と言って去ろうとすると、
偵察に行っていたと思われる5,6人の男たちが戻ってきた。
あまりよろしくない雰囲気に逃げるようにその場を離れた。

走りながらかつ歩いて自転車を牽きながら、
「あれが本当に不法採掘者だったりしたらなんか嫌だなぁ。後をつけられて襲われるかもしれないし。今日は野宿だからなぁ。
あんな男たちに大勢で襲われたら素っ裸だな、嫌だな」
とか考えていたが、考えれば考えるほど思考が悪い方に行くので考えるのを止めた。
(結局襲ってこなかったから不法でもなく、本当に土地所有者に雇われて鉱物を探していたのかもしれない)
というか道がそれどころではなかったというのもある。
余りに砂が多く、かなりの苦戦を強いられた。
余りにすごいのであきらめて進むのを止めた。

だだっ広い荒野にテントを立ててから、
朝できなかった用足しをしていると遠くの山が赤く染まって美しい。

あぁ、赤いなぁ。そして痔になりそう。視覚と体が連鎖しそうだ。


2013年10月29日火曜日

お知らせ

今まで道の状況なども折に触れて書いてきましたが、実際に自転車で行かない人にとってはあまり必要のない情報なので、極力道路状況などは省き、旅での出来事について書いていくことにしました。
一方で旅先で出会う、またはこれから旅に出る方々への情報提供としてこの部分は英語で(旅先で出会うのは日本人ではないので)記しておきます。
そしてタイトルも地名は英語で、日本語ではもう少し内容の窺えるものにしていこうと思います。
どうぞご周知ください。

殻の大きなヤドカリ〔Aus →C13→ Helmeringhausen〕

Aus → Into Road C13 → Fork with gravel road to Tirasberge → Helmeringhausen

C13(Aus to Helmeringhausen): Sandy gravel road but not so bad
You can find the Road C13 to Helmeringhausen 5km away from T-junction with Road B4(to Keetmanshoop).
It's bit far from the petrol st. in Aus.
When you take C13, small amount of sand might hinder your driving but you can find the way to go easily on the road.
There are some camp site and farm on the way(around the corner of fork Tirasberge), but it was closed and no one stay there.
It may be open only during turism season or on demand.
You release from the sandy road about 36km away from Aus, and you'll still drive gravel road but no sand.
After 60km driving from Aus you get into sandy road again but road is a decline, so not a big deal(taking oppsite direction, being a rise).
You get to Helmeringhausen 4km away from the fork with C27.
Helmeringhausen is a lonely settlement of just a few buildings (a shop like comvinience store, GS, GuestHouse).
The shop is open from around 8 to 17 o'clock, you can buy some food and drink but no vegs & fruits.
Campsite of the guesthouse charged NS200, maybe you can get water and stay around the GS.

今日から再び未舗装道路に入っていくのだが、多少砂があるもののさほど悪くはない。
アウスの町から離れ、少し黄色く色づいた砂地の道に入っていく。

少し丘を上り、下りに広い大地が広がる。
遠くには穏やかな砂山とさらに遠くに平らな岩山が待ち構えている。

しばらく行くと左に他の場所とは色を異にする砂地があらわになっている。
赤い砂だ!
もう砂丘のあの赤い砂が見えてきてるのか!
(すでにアウスから北には赤砂の砂漠地帯が広がっていたのだ)
冬枯れした大地にこの赤砂の色は極めて映える。
蛍光マーカーのオレンジ色でマークしたようだ。

道沿いには木がほとんど生えておらず、陰という陰がまったく存在しない。
遠くの方には点々と生えているのだが、、、

また、今の季節南回帰線に近い場所にいるので太陽がほとんど真上から、頭を焦がしてくる。
自転車の陰に入って休もうにも自転車の真下に陰ができるので、私は隠れることができない。
ちなみに私の影も小さい。
実はよく背が高いね、と言われることがある。
色々なオブラートを剥がしてストレートに言うと、
“体に対して中身が小さいね”ということなのかもしれない。
一度友人のオヤジに「君は器が小さい人間だな」と言われてしばらく真剣に生き方を考え直したことがある。
そう、私の魂は殻に合っていないのだ。
ぶかぶかのヤドカリとでもいおうか。
なかなか滑稽な絵ではないか。














さて、陰がないこの広い大地で大きめの殻を背負ったヤドカリは陰を求めている。
そんなところへ大きなウェーバーの巣を背負ったアカシアの大樹が立っていた。

やるじゃないか、花も実もある立派な樹だ。
アカシアの樹の下はトゲトゲの枝がたくさん落ちているのでパンクが怖くてあまり近づきたくないのだが、
この際は仕方がない。慎重にタイヤの行く道を確認して樹の下までやってきた。
空気が乾燥しているのでひとたび木陰に入ると、そよ風の涼しいことこの上なし。
太陽に温められたぬるま湯を飲みながらカサカサのクッキーを頬張る。
ウェーバーの巣には人(鳥)影が見られなかったが、違う鳥がやってきた。

体はまっ黒だが、翼の肘の辺りに白いマークがある。
ウェーバーと違いさえずり方がとても澄んでおり、るるるるるるぅーと美しい声を発する。
また見目麗しくなかなか聡明そうな顔立ちだ。
頭が黒光りして、きちっと決まっており、私に
「もう少しこぎれいな格好をした方がいいよ」
と忠告しているようで独りで苦笑いだ。

誰が積んだでもなく岩が積まれている。


今日の終点ヘルメリングハウゼンの町は町というよりも、セスリムへ行く人や、その他の観光地へ向かう人の中継地みたいな場所で、
一つの宿と店、ガソリンスタンドしかない場所だった。
未舗装道路を結構走った疲れていたのと店も閉まっており、他に水を手に入れられそうな場所がなかったので、
キャンプ場の値段を聞いて「高いな!」と思ったが、ついつい払ってしまっていた。
この辺りがまだまだ弱いところである。

オレンジリバー沿いとは違い、この辺りは天水か、井戸水のため、水道水が美味しい。
オレンジリバー沿いはおそらく川の水を浄水して使っており、塩素臭かったりかび臭かったりしたが。。。
水がうまいだけで幸せなのである。冷たければなおよしなのだが。

キャンプ場の岩山にはダッシー(ハイラックスの一種)がおり、岩の上で夕暮れに黄昏ていた。
私が近寄ると一目散に逃げて行ったが。
やはり今日も星がきれいだ。
死した木と共に。

そういえばオリオン座の赤い星がもうすぐ明るい光を放って死ぬかもしれないんだって。
その時まで生きていられるかな。彼らの一生に比べ木の一生、ましてや人のそれなどは短い。

2013年10月28日月曜日

A bitch

A bitch

ものすごいタイトルを付けてしまった。
このタイトルから喚起される期待に添えるかいささか自信がないが、
このタイトルのまま行かせてもらおう。
ビッチ登場までは少し長いので、急ぎの方は最後の方までスクロールして飛ばして欲しい。

さて、ビッチは少し置いておいて、道路の反対側へ行ってみた話をしよう。
この町も道路を隔てて白人と観光客が集まる場所とカラードと黒人が住んでいる場所が分かれていた。

もちろん法的な拘束力はないにしてもやはり昔から続けられてきた習慣やシステムを変えるのは難しいのだろう。
建物も白人側は美しく、道にゴミも落ちておらずとても好印象だ。


道路を越える前に線路がある。

ロッシュ・ピナーやオレンジムンドで採れる亜鉛や砂利を運んでいるという。
貨客列車ではないが近いうちに人も乗れるようになると沿線に住むおばちゃんが言っていた。
明日の朝、かつてダイヤモンド鉱山として栄えた海辺の町ルデリッツへ行くという列車が待機していた。
その沿線に鬱蒼と木が茂った場所があり、コンクリート造りの小屋があった。
洗濯ものが干してあるので人が住んでいるのだろう。
入り口は線路に向いており、そちら側に回ってみると一人の初老のおばちゃんが座っておりドッキリ。
挨拶をすると「捕まえた!」とばかりに勢いよく話し始めてきた。
そして「困っている」を連呼し始めた。
すぐにピンとくる。お金を求めている。
私も負けじと話を逸らそうとする。
「独りで住んでいるんですか?」
「子どもと弟と住んでいるんだけど、困っているの」
「弟さんは働いてないの?」
「この町は職がなくてね弟も困っているの。うちの子は小学生なんだけど困っているのよ」
もう困っているの連続だ。
「この町はみんな酒を飲んでるけど私は飲まない」と酒臭い息を吐きながらおばちゃんは言う。
そこへ子供が返ってきた。
子供も母ちゃんに加勢して何かを求めてくるのか、と身構えたが、意外にも子供はあっさりしている。
何も求めずただそこへ座って母を見ている。
彼はこの時何を考えていたのだろうか。
ケチなアジア人だな、と思っていたのだろうか。
私にはわからないが、彼の眼はそんな人を批判するような眼でもなく、ましてや自分が貧しくて哀れだなんて言うような眼でもなかった。
しばらく聞いていたがすぐにその場から去って行った。
次に弟がやってくる。少し飲んでいるようだ。
陽気だ。姉とは対照的に陽気だ。何を求めるでもなく、家の中に入っていき何かを食べてまた去って行った。
母一人だけが現実を見ているせいか、お金の無心をしていた。
そしてとうとうの言葉を発した。
「もしよかったらお金をくれない?」
「申し訳ないが、お金をあげるのは私のやり方じゃない。だからあげることはできない」
おばちゃんはとても残念そうな顔をして、
「そうなの・・・」
とあっさり諦めてくれた。
「ごめんなさい」
と言ってその場を離れた。
このごめんなさいはおばちゃんに対してというよりも、自分の良心に対する言い訳のようなものだった。
または先日ロッシュ・ピナーで私にシャワーを浴びさせてくれたおばちゃんに対してだったと思う。

線路を越えるとそこらにゴミが目立って落ちているようになる。
割れたビールの瓶やお菓子の袋。

私がかつて働いていた南アフリカの田舎町と同じだ。
何がきれいな街と汚い町の違いを作り出しているのだろうか。
ロッシュ・ピナーは黒人やカラードが優占するほどたくさん住んでいたが、きれいな街だった。

道路を渡り少し坂道を上ると路地で遊ぶ子供たちが見えてきた。
健全な街のように見えるが、道で会って話す大人は酒臭い。
この町は産業がなく職がほとんどない、と学校の前に座っていた真面目そうな若者は教えてくれた。
彼は鉱山から運ばれてきた土砂の仕分けしている場所が少し離れたところにあり、そこで働いているという。
彼も妹を頼って遠い町からはるばるやってきてこの辺鄙な街に住んでいた。
職がないかあっても出稼ぎで働いて、休日で帰ってきている人しかいないので、こうも荒んだ様子を醸していたのだ。
私の後を付いて来たり、先を歩いたりして興味を持っているような少年がいたので話しかけてみた。
余り英語を解さなかったが(この辺はアフリカーンスが主要言語)、すぐそこが学校であること、
先生はそこのバーではっちゃけて飲んでいる人であることを教えてくれた。
彼の眼はこの見知らぬアジア人に興味津々といった風である。


たまたま目があったおじさんに話しかけられる。
彼を追ってきた奥さんか妹か姉かわからぬ女性が、彼の手に持っているものを奪おうとじゃれあっている。
どうやらテレビの配線を彼が奪ってしまい見れないのだと言っていた。
何とも微笑ましい光景ではないか。
彼もまた酔って目が泳いでいる。
私が質問する(質問の内容は忘れた)と、
「うむ、君の言っていることはわかっているよ」
とゆっくりと言って、
私の質問、というか言葉そのものをすべて飲み込んでしまい、あまり会話は続かなかった。
そして、「ところで、NS5(50円くらい)ちょうだい」と言うのでサヨナラした。


町の外れにサッカー場があった。
先ほどの学校のそばで待ち人をしていた若者に、
「綺麗なグラウンドだね、でもこんな暑い中サッカーは大変だ」
と話しかけると、
「これは市民グラウンドなんだ。あまりいいグラウンドじゃないよ。芝生とネットを付けてもらおうとスポンサーを探しているんだ」と言っていた。
それを聞いて(おぉ、ずいぶんと頼り欲張りだな)と思った。
グラウンドは平らで日本の学校のグラウンドみたいなものだったが、それでは物足りないようだ。
ネットだって、みんなでお金をためて買い、大事に使えばそんなに消耗するものでもないからそんなに大変なことでもないように思う。
南アフリカでもそうだったけど、寄付金が氾濫していて「頼り欲張り」が結構あるように感じることがある。
私が働いていた学校(教室は私の学生時代よりも断然涼しいし、冬も震えるほど寒くない)では、クーラーやパソコンが足りないとしばしばストライキが起こって、既存のパソコンやクーラーが破壊されていたし、近くのコミュニティーセンターではFaxとパソコンは就職するのに必要だから入れるべき(冷蔵庫が盗まれているくらいの場所なのに。。。)と言って熱くなっていた。
頼るのは上手だが、与えられたものを維持したり共有したり、あるものでどうしたら快適になるかを考えることがなおざりにされている。
そんな光景に出会うことがしばしばあり、それを見るにつけ「与えることは軽々しくやるものじゃないな」と感じていた。



そろそろビッチを登場させよう。
私は子供のころサノバビッチはスラブ系の人の名前かと思っていた。ストイコビッチ、ミラジョボビッチなんかと同じように。いつだったかサノバビッチが人を表す言葉ではあるが、人の名前ではないことを知り、いつでも使える準備はあった。あったが、人生で一度も使う機会はなかった。それほどまでに強烈な特別な言葉なのだろう。

再びガソリンスタンド兼キャンプ場に戻ろうと道路をまたごうとすると、ルデリッツへの分岐点、アウスの町の入り口のところに人が何人かヒッチハイク待ちしていた。
その中で一際活きがよく肉付きも大層よい女性が私に近寄ってきた。
「ねぇ、私たち朝から待ってるのよ、お腹へってるのよ。食べ物持ってないの?そのリュックの中とか」
と言ってリュックに手を伸ばそうとするので、
「なんもないよとその手を振り払う」
「じゃあ何が入っているのよ」としつこい。
さらに「ポケットは?」と言って私のポケットに手を伸ばしてくると思いきや、
私のナニを掴みやがったにー!?しかもピンポイントで。むむ、手慣れておるな、お主。
「何するかー!このビッチがぁ!?」と言うと一同笑っている。
もう一度手を伸ばしてくるので逃げようとすると、
「ねぇそのカメラで私を撮って」と言ってくる。
まぁ撮るだけなら別に失うものはないからいいか、と撮りはじめると、脱ぎ始めた。
しかも道の真ん中で。
あぁ、肉の塊のような体を惜しげもなく披露してくるではないか。

ぽっちゃり好きの私もこれには負けた。惨敗だ。
体幹がすごいのだ。
ファインダー越しでも目を覆いたくなるようなその肢体に思わずシャッターを切りまくった。
撮りたかったのではない。シャッターを切ればファインダーがシャットアウトされるからだ。
もうバルブで長時間露光にしたかったくらいだ。そうすればデータも白飛びして残らなくなる。

そうやってしばらくある種の地獄にいたかのような時間を過ごすと、彼女も気が済んだようだ。
そして「撮ったものを見せて。このアドレスに送って」と言われ、ようやく、私は本当に解放された。



2013年10月27日日曜日

変な動物〔CampSite(100km away from Rosh Pinah) →C13→ Aus〕

CampSite(100km away from Rosh Pinah) → Aus

Road C13: Tarred road, good maintained, gentle upward slope
Aus: Small town where about 2000 people live in.
There are two small shops opend from 8 to 17 o'clock, you can get some foods, drinks, veges and fruites but expensive and not fresh.
Petorol st. with campsite cost you NS70.You can use Wi-fi in Bahnhof Hotel charge NS30 per 1hour

テントに照り付ける強い朝日によって目を覚ます。
朝日がこれほどまでに強いとは知らなかった。
あっという間にテント内の温度を上げ、私をテントから追い出す。
緩やかな上りが続き、疲れた筋肉に効く。
アウスの手前の峠1550mまでは高度をずっと上げていく。

道のわきをスプリングボックとオリックスが警戒しながら私が通り過ぎるのを待っている。
彼らは車に対しては極めて鈍感で、草を食んでいても「ふっ、また奴か」といった顔を見せるが、
自転車は見慣れないのか、
「ふっ、また、、、、ま、ま、待てよ!?同じ丸いのが付いていてもなんか違うぞ!」
「しかも黒くてシミシミと近寄ってくるよ!ちょっと逃げた方がいいんじゃない!?」
「いや待て、相手は鈍臭そうだ、もう少し離れて様子を見てみよう」
といった風で、500~300mくらい近寄った時に気付かれ逃げて行ってしまう。
“なんだかわからん奴だから一応逃げておくか”と言った安全牌をとる感じがいかにも草食系だ。
そう、自転車は彼らにとってはまだ“変な動物”なのだ。
今後たくさんの自転車乗りがアフリカの動物たちの前に姿を見せれば車と同じように扱われるようになるであろう。

アウスはロッシュ・ピナーよりも小さい町で、スーパーはなく、小さな商店が二つあるだけである。
ただし道を挟んだ向こうにはカラードの住宅地が広がっており、人口は2000人くらいはいるという。
明日少し散策に出かけてみよう。

今夜はこれから続く長い未舗装と飢えと渇きに備えて精をつけようとステーキを食べた。
1㎝くらいのヒレ肉でベーコンを巻くという荒技の料理で、店の名前が付いていたのでお勧めかと思って頼んでみた。
ベーコンと一緒にマッシュルームとチーズベースのソースが包まれており、見かけの粗さに同じく粗い味ながらも、
肉は柔らかく、また全体に勢いがあって旨かった。
というか、今の私は何を食べても旨い!と唸ってしまうのだろう。
店のウェイトレスはカラードと黒人の女性である。
どことなく、照れ屋な感じが私を楽しませ、寛がせた。
地図を広げながら道を聞いてみると、素直に「わからないからちょっと人を呼んでくるね」という。
他にも客はたくさんいたが皆白人の観光客であった。
ここのホテルはおそらく町の色々なものの拠点になっているのだろう。
黒人女性が子供を連れて何やらスタッフと話し、書類を書いている。
そのすぐ後にたくさんの荷物を積んだトラックがやってきた。
引っ越しか何かの手続きをしていたのかもしれない。
また、ホテルで出た余り物をもらいに来たであろうおじさんがウェイトレスにお願いしながら待っていたり、
観光客相手に商売をしながら町の人とも商売という形とは別につながっているように見えた。




2013年10月26日土曜日

人がいなくなってきた

Rosh Pinah → Witputz → C.S.(100km away from Rosh Pinah)


何もないところが続くが、人のいない農場のようなものが道路から500mほど入ったところにあったので、もしかしたら水は手に入るかもしれない。
羊飼いもいたのでおそらく彼に聞けばなんかしらの水は手に入るだろう。




ずーっと木がほとんど生えておらず、休憩する影がまったくない。

しかし、10km~30kmおきくらいに四阿があり、そこに大変救われた。

しかもゴミ箱にバナナやミカンの皮を捨てられるという、荷物が少し軽くなるというお得感。

はじめの30kmほどはずっと緩い上り坂で体力を消耗した。
その後は平坦な道または緩い下りが続くので楽ちんだ。

四阿で休んでいると車で三人の家族のような人がやってきた。
車から降りるや否や四阿周辺を綺麗にし始めた。
お父さんは少しやる気がないが、蛍光色のベストを着たお母さんは俄然やる気だ。
6歳くらいの息子も遠くに飛ばされたビニールを拾いに行っている。
聞くとここの掃除隊のようだ。
のちの四阿はおかげでずっときれいだった。


テント場に着くと日がずいぶん地平線に近いところまで落ちていた。
山の影と金色の枯草が織りなす、レイトショーの始まりだ。


今日はおよそ50km圏内には人のいないところで独り眠ることになる。
月も昼過ぎに沈んでしまったので、明かりは漆黒の天に鏤められた無数の星のみだ。
大小のマゼラン星雲が視力の弱い私にもぼんやりと見える。
しかし天は本当の黒ではない。
さらに黒い部分が地平線より立ち上がる。山の影だ。
本当に黒くて吸い込まれそうなくらいだ。
その下では僅かにそよぐ風の音と、ギュムギュムと潰されたように鳴く虫の音が充満している。

こうやって真っ暗な中に一人佇んでも、不思議なことにそこまで寂しくない。
私の中には色々な記憶があるからだろう。


だだっ広い闇の中で一人の人間の小ささと大きさを思う。
この広い世界に対して人は砂粒一つと大した違いはない。
一週間あればここでは簡単に砂に戻れる気がする。
それでいて頭の上に広がっている宇宙に匹敵するほどのものを内に持ちうる。
あぁ、それは人間の驕りかもしれないなぁ。


2013年10月25日金曜日

いつか私が道で困っていたら、今度はあなたが助けてね

CampSite → National Park Gate → Rosh Pinah(ガソリンスタンド泊)


オレンジ川沿いを行く。
昨日はオレンジ川に触ることができなかったが、
少し走ると河原になっているところや岩場でも降りることができる場所があった。
降りないわけがない。

水は決して冷たくはないのだろうが、この暑さの中なので冷たく感じた。
水面に頭を突っ込み水を感じる。毛穴が喜んでいるようだ。
パンツ一丁になって(残念ながら時々道は車が通るので全裸にはなれなかった)、
体に水をかけた。火照った体に気持ちいい。
乾燥しているため体に水が付くと気化熱として熱を奪われ冷たく感じる。

気持ちいいがこの水を飲む気にはなれなかった。
昨日出会った農場の人たちはこの水は飲めると言っていたが。
まずは濁っている時点で拒否してしまう私はまだまだ未熟か。。。
臭いはなかったが。

道が右に折れ川から離れ再び山岳コースに入っていく。
ロッシュ・ピナーに水を送っている浄水場があった。

国立公園のゲートを出て右に行くも山岳ルートは続く。
坂道もつらいのだが、それよりも私を苛むものは砂だ。
この道は山と山の間の砂の吹き溜まりにあり砂が道の上に溜まってしまう。
ある間隔で除砂車が通り、きれいにしているのだが、追い付いていない。
というか、自転車が走ることは想定されていないだけだ。

ひどいところは5㎝くらい積もっており、走れないので降りて押すことになる。
これはまずい。これが続いたらひょっとして今日中にロッシュ・ピナーにたどり着けないかもしれない。
しかも眼前には丘が。。。
不安が頭に充満してくる。モワモワと得体のしれない不気味なものがやってくる。

しかしその不安もその丘を越えたところで消えた。
砂はなくなり、起伏もなくなり、加えて未舗装道路が終わった!
先ほどの水を送る施設の中継ポンプがある。
舗装道になればなんてことはない。
すぐにロッシュ・ピナーに着いた。
亜鉛の鉱山で栄えている町だ。
高校もある。
ナミビアに来て思うのは南アフリカよりも黒人と白人の距離がより近いということ。
街中で一緒に歩いていたり、談笑していたり、よく一緒にいるのを見かける。
おそらくロッシュ・ピナーは田舎町だと思うが、黒人の子どもと白人の子供が一緒に遊んでいる。
南アの田舎ではなかなか見かけることのなかった光景が見られる。

また、町もゴミで汚れておらずきれい。
ゴミを拾っている人や寄せ集めている女性を見ることもあった。
そうした一人一人の意識が違うのだろうと思う。
テニス場でそこらで遊んでいるような子供たちが遊んでいるなど、日本と変わらない雰囲気だった。
南アではしっかり鍵がかけられ、子供が入れるようなものではないことが多い。

町に出ている店などは、道端の露店や肉を焼いていたり、散髪屋があったりと南アと同じような感じだが、
危険な匂いは感じられなかった。
スーパーマーケット(スパー)にも行ってみたが店内は清潔だった。
オゾン殺菌水なる水の量り売りもあり、買ってみたらとてもうまかった。
1リットルNS1.2(12円くらい)。

昼飯を木陰で座って食べていたら、背後の敷地から声をかけられた。
Katewaという男性だ。
オシバンボというナミビアの言葉とアフリカーンスを話すので、英語はできなかったが、なんとなく会話が成立していた。
この敷地は仕事がなくて食べ物に困っている人に給仕している施設なのだそうだ。
そしてKatewaはそこで働く職員だった。
その働く姿を見てみたいと、次はいつ給仕ですか?と聞くと、金曜日はもう終わりだと言って、また明日。と言われた。
明日あなたの働く姿を写真に撮らせてくれ、とお願いし別れた。
*翌日出発前にもう一度行ってみたが、早すぎてまだだった。

髪が伸びてきたので散髪。
南アにいたときから一度路上散髪屋に行ってみたいと思っていたが、
バリカンを持っていたので行かなかった。
それが今回ようやく体験できたのだ。
そもそも黒人の髪質とアジア人のそれは全く異なるのでヘアスタイルが違う。
壁にはモデルの写真がいくつかあるが、どれもしっくりこない。
アラブ人っぽいモデルの髪型にしてもらうことにした。

切ってもらっている間は話の時間。これは日本と同じ。
一日に6人くらい切りにやってくるが(少なっ!)、結構みんな少しだけ整えて!と、無料でやる羽目になるからほとんど儲けはないのだそうだ。
そんな彼も将来はミュージックビデオを撮りたいのだそうで、そのためにコツコツとその資金を散髪屋で稼いでいるとか。
そういう、押され弱いところは黒人が商売をやっていくうえでの弱いところだなぁ、なんて思いながら聞いていた。
その点中国人やインド人は強い。商売は商売と割り切ってやる。そこが違うのかもしれないなぁ。

ガソリンスタンドに戻り、自転車を洗車屋に見ていてもらい、シャワーを浴びられる場所を探す。
すぐ隣に宿があったので、いくらか払えばシャワーを浴びられるかもしれないと思って訪ねた。
受付で話していた女性に聞くと少し嘲笑の含みを持って断られた。
まぁ、当然か。宿泊客ではない人間に貸していたらきりがない。と思いながら次なるところへ向かおうとすると、
カラードの女性が道まで出てきて「もし、そこのあんた」と言って私を呼び止めた。
「力になってあげられるわ」と言って、先ほどのロッジの奥の方へ案内してくれた。
彼女はロッジに住み込んで働いている女性だった。
白人が経営し、有色人種がワーカーとして働く。一般的なスタイルだ。
その彼女は言った。
「私のシャワーを使いなさい。いつか私が道で困っていたら、今度はあなたが助けてね」と。
この言葉はとても私には重く響いた。
今でもふとこの言葉を思い出す。
スプリングボックで困っているように見えたおじさんを疑って助けなかった。
飲んだくれのおばさんがR5くれ、と言っても振り払ってきた。

彼女の言葉は今後の私の行動や思考に変化をもたらすことは間違いない。

ガソリンスタンドに戻って、テントを張り今日の寝床の準備をした。
テントから離れようとすると、二人組のおじさんが
「だめだよ、持ち物から離れちゃだめだ。この町は安全だけれども荷物を置いてい離れるのはまずい。あそこに警察があるからそっちで泊まるなら大丈夫だが。。。」
こういうアドバイスをしてくれる人がいること自体、この町の健全さを示しているのかもしれない。
おじさんは、「これで冷たい飲み物でも飲みな」とNS20を差出してくれた。
お金よりもなによりもその気持ちがありがたかった。旅の安全、そして旅を楽しむことをささやかに応援してくれる。

よく道中で人々に聞かれることがある。
「スポンサーはどこ?だれ?これをやるとお金をもらえるのか?いくらもらえるのか?」
そのたびに私は説明する。
「私にはスポンサーはいない」
「これでお金は少しも得られない」
でもよく考えるとスポンサーは上述のように旅の行く先々で現れるし、
何よりも私に自由に旅をさせてくれる私の家族は間違いなくスポンサーだ。
お金は得られるどころか消えていくばかり、日本に帰ったら本当にすっからかんになるが、
それ以上のものが付いてくると思っている。

価値観の違う彼らにそれを説明するのは難しいかもしれないが、
そういう人間も世界のどっかにいるということを奇異な目でもいいから見てもらうことで私も彼らに何かを残せるのではないかな、と思っている。
そのためにも私はできるだけ彼らにとって奇異な存在であり続けるのがいいのかもしれない。

先ほどの洗車屋はウェスターという。
ガソリンスタンドの裏にスタンドとは別に洗車屋が付いているのだ。
結構そういうところはある。
彼の同僚にもう一人女性がいる。
はじめは警戒してかあまり近寄ろうとはしなかったが、私が一方的に話しかけていたら少しずつ打ち解けてきてくれた。
ロッシュ・ピナーからは無補給の山岳地帯が165km続きアウスに行く。水を大量に積まなければいけない。
できるだけ荷物を軽くしたかった。
彼らに豆や砂糖、油を使わないか?と持ち掛けたら喜んで受け取ってくれた。
その際に私の生活が如何様なものなのか色々と質問したり、味見したりしていた。
プレトリアで買った大豆ともここでお別れ。少し炒って塩辛くしたものを残して。

平たんな道であれば荷物が増えようと大した差はないのだが、こと上り坂になると、荷物の重さが効いてくる。

ウェスターにパラフィンはないか聞いたら、さすが洗車屋、出てきた。
スプリングボックの自転車屋に教わったパラフィンを使ったチェーンの洗浄法をさっそく試してみた。
うほぉっ!きれいになる。パラフィンをかけるとチェーンに付いた油が流れさらりとする。
そこでいらなくなった歯ブラシでチェーンに付いた砂粒をはらい落とす。
綺麗になった。

2013年10月24日木曜日

風呂に入りたい

Aussenkehr → National Park Gate → CampSite(70km from Aussenkehr)


キャンプ場から幹線道路に出る道沿いにはずっとぶどう畑が続く。

朝の光を浴びてますます美しい。
ぶどうの樹が作る日陰では働く人の話し声が聞こえてくる。


オーッセンカーの農場で働く人々が住む地域を左手に登りと下りを繰り返していく。
家々は壁も屋根も茅葺である。その様は勝手に私が思い描いていた「アフリカ」の印象と重なった(印象なんてものは本当に勝手だと思う)。


砂埃が舞う道路を鮮やかな色の布を羽織った一人の少女が横切った。

「写真を撮らせて」とお願いするが言葉が通じないため怪訝そうな様子だ。
身振り手振りで伝えると、はにかみながらもこちらを向いてくれた。
皆が働きに出払っていた町は静まり返っていて不気味だったが、よーく耳を澄ますと遠くで大勢の子供の声がする。
学校があるのだろう。

あの緑あふれるぶどう園のプロジェクトはこのようにナミビアでの大きな雇用も生み出していた。
つましい暮らしを見ると、彼らの賃金は決していいものではないであろう。
しかし、強い日差しを遮る緑のぶどう棚の下からは笑い声や話し声が聞こえてきて、とても楽しそうに仕事をしていた。
話しかけると言葉があまり通じないため、ニコニコ笑いながらぶどうの葉や枝に手を動かしている。
町の誰もがお金持ちではなく、貧乏でもなく、同じような茅葺屋根の家で暮らす。
それはそれで一つの幸せの形なのかもしれないと思った。



オレンジ川沿いの峡谷をゆくのだが、景色は圧巻だ。
何十億年の造形に息をのむ。


水による風化が少なく、気温の日較差によって破砕されると思われ、岩石はすべて尖って険しい。
容赦のない強い光を黒い岩肌が鈍く反射し、強烈なコントラスが作られる。

しばらくオレンジ川から離れる道になる。

先ほど右手に見ていた岩山へ分け入っていくのだ。
もちろん登りもなかなかきつい。
余りの上りに二日以内にRosh Pinahに着けるか心配になってくる。
着けないと水が厳しくなる。

一か所余りの急登に自転車を降りて押す。
砂溜まりもあり、苦労する。
Aussenkehrから36kmくらいで峠を越えたようで、そこから一気に下る。
その下りは爽快で、心なしかパワーが出てきた。
オレンジ川に再び合流すると、視界に緑が再び入ってくる。
頭の茶色い山羊が道を横断している。
遅れた子ヤギがめぇ、めぇ言って必死になって追っかけていく。
白人一人と黒人二人で営んでいる農場だ。
スイカも育てていると話していた。涎が出た。
山羊を追っかけていた青年に話しかける。

「ここでの暮らしていると食べ物はどうしているの?水は?」
と聞くと、ニコニコしながら、
「食べ物は野菜がここで採れるし、肉も山羊がいる。水もオレンジ川の水を飲んでいる」
と答えた。自給自足の暮らしだ。
農場を挟んで道の向こう側には小さな小屋があり、そこが彼の家なのだろう。
彼はとても満足そうでとても穏やかな顔をしていた。
話していると突然先ほど話したオーナーのおじさんが、その青年に遠くから何かを叫んでいた。
すると青年は農場を横切ってかけていき群れから離れた山羊を追っかけていた。
なんだかのんびりしているなぁ、と思った。
でもこんなところで農場なんてすごいなぁ、というかどこに収穫されたものを持っていくのだろうか?
たしかにあのオーナーのおじさんは挨拶しても無視という風に、少し世離れした感じがしたからなぁ。
それでも別れ際には不器用な感じで、「まぁ旅を楽しめ」と言ってくれた。
今考えるともっといろんな話をしたかったなぁ、と思う。

農場以降は川沿いに平らな道を行く。
途中ダイヤモンド鉱山の管理事務所があった。
そこから3kmくらいのところに平原があったのでそこをテン場にした。

これを独り占めだぃ!
テントを張り、周りの植物を見て散歩してから、せっかくだからオレンジ川に水浴びに行こうと思い立った。
広い平原を歩いて川に向かっている間、なぜだかふと松本の下宿に住んでいた時に通っていた風呂への道を思い出した。
水田に水が張られてしばらくするとカエルが鳴き出すあの暗い道。
夏は涼しく、冬は濡れた髪が凍るほどに寒いあの道。

そんなことを考えながら川縁に行くと、なんとツタの絡み合ったブッシュが。。。
しかもいろんな動物様のおうんち殿が散らばっている。
ウシやらシカやらイノシシの類だろうと思う。
何とかそれを潜り抜け、川が見えてくるも、今度は崖になっている。
あきらめた。
堕ちて這い上がれなくなったら笑えないと思って。

その帰り道、またふと松本の風呂を思い出す。
そういえばあの時も、バイトを終えて汗だくで風呂に行ってみると、
もう掃除のおばちゃんが来ていて時間切れで入れなかったなぁ。。。
その時の気分と同じようでなぜか一人笑ってしまった。
荒原の枯草が風にたなびいて私の憐れな姿を朗らかに笑い飛ばしているようだ。
そんなことで落ち込むなよぉ!と。
大丈夫、落ち込んではいない。ちょっとがっかりしただけさ。


風は強かったが、これを書いているときはだいぶ弱くなってきており、星がきれいだ。

2013年10月23日水曜日

自分が小さくなっていく

Vioolsdrift → Noordoewer → Aussenkehr(Caravan Park NS170)


お世話になったチーチョにエジプトに着いたら手紙を送ると、別れを告げ国境へ。
オレンジ川を渡る橋からは畑仕事にいそしむ人々の姿が見えた。

ナミビアと南アはとても良い関係なので国境警備もとても緩い。
オレンジ川も今の時期(雨季前)なら泳いで渡れるだろうし。
入国審査もすんなりと言われたとおりにこなせば30分かからない。

周りが山岳地域のため上りと下りが多い。
左手には岩がゴロゴロした険しい山、右手には風化して砂山のようになった山容穏やかな山が続く。


その二つの山並みの間の盆地のような荒原を行く。
フィオールスドリフト辺りから暑さが激しくなった。
汗と呼吸による水分の損失が激しい。

*スプリングボックでは夜は寒いくらいだったが、国境あたりからは夜も暑かったり、日没からしばらくしないと涼しくならなかったりする。

乾燥しているせいか、指先が荒れる。
こんなこと人生で初めてだ。

景色が遠くに、しかも雄大になったため、走っていてもほとんど風景が変わらない。
一つの山が見えたら一時間くらいずーっとその山を見て走る。
自分の小ささがことさらに際立ってきたように感じる。
建物とか人の匂いのするものと言ったら電線とそれを吊るす電柱くらい。

おっと、もう一つ、標識だ。
こいつは自転車を立て掛けられるので助かる。

植物もほとんどないし、動物もいない。
一頭サソリが道を脱兎のごとく横切るのを見たくらい。
あとは私という豪華客船にカモメの如く集るハエくらい。
そのうち「ハエ物語」も書いてみたい。
日中は暑いせいか鳥も見ない。
日中動くのはバカとハエくらいなものか。

そんな単調な景色の中、陽炎をかき混ぜながら進むと、突然土色の景色の中に緑が現れる。

オーッセンカーのぶどう畑だ。
ナミビアの株式会社のもと行われているプロジェクト(もしかしたら政府も絡んでいるかも)で、オレンジ川の畔に緑をというものだった。
オレンジ川は豊富な水量を絶えず湛えている。
もっとも枯渇している今の時期でも松本の梓川くらいあるんじゃないか。
その水をうまく利用して、ぶどうや野菜を河畔に育て、緑を増やす。

そのためオーッセンカーの町は緑であふれている。
樹木は葉っぱの長い松のようなマオウ(たぶん)がほとんどだが、防風林のようにブドウ園を囲んでいた。
緑があればそこに虫が集まり、鳥が集まり、色だけでなく音も豊かなものになる。
水というのは本当に凄い力を持つ。

土色のところにいたときの不安が緑を見た瞬間に癒された。
人の本能というものだろうか。
緑があれば水がある。それもパサパサな緑ではなく、瑞々しい緑。
ナミビアに入ってから特にそうだが、常に水の心配をしている。
携帯浄水器を持ってきたが、そもそも液体の水というものが存在しないため使えない。
水への渇望は日に日に増していく。
日本の山で飲めるような清涼な水を浴びるように飲みたい。
自転車をこいでいるときに飲むのは、お湯でしかも消毒のような変な味がする。
水、水、水。
体の外をなめらかに這うように流れる水。
体の中のどんなに細かいところまでも行きわたる水。
あぁ、水が恋しい。
掴んで抱きしめたいけどできない、水!
口づけしようとしたらいつの間にか飲んじゃっているよ!
それでも水は怒らない、ただ廻るだけ。


川縁はリゾート地になっており、キャンプ場も付いていたのでそこに泊まることにする。
しかしさすがリゾート地だけあって高い。
NS170(1700円)も取られたが、気持ちがすでにここに泊まることになっていたため承諾した。
水道から出る水を頭に浴び、塩の噴いた顔を洗った。
水への思いが遂げられる瞬間。

ここで働く人々の家は川縁に建っており、昨年の雨季には少し川に沈んだらしい。

しかし、ドアの前にはぶどうの樹が植えられており、いい感じで日陰を作っている。
園内もアカシアやマオウの樹がたくさん植えられており、揺れる葉が作る影が傾きかけた午後の陽ざしの下で優しく躍る。
カワセミの仲間(冠を被ったようなやつ)やウィーバーのさえずりがしばしの安息を与えてくれる。

他にも園内にはパンツ一丁のおじさんがいた。
隣のキャンパーだ。
「これからシャワーですか?」と聞くと、
「いいや、泳いできたんだ、そこのプールで」という。
それ水着ではないぞ、確実に。それでもおじさんはさわやかだ。
とてもプールでのひと泳ぎが充実していたのか気分がいい。
「ここ星きれいですかねぇ?」と聞くと、
「ティラスだ!ティラスがいいぞ!」と勢い込む。
どこかわからない、という表情を浮かべているとおじさんはおもむろに地図を広げて見せてくれた。
パンツのままで。
おじさんはそのティラスがとても気に入っていたようだった。
砂丘で有名なセスリムへの道の途中だ。
これから通る場所ではないか!ラッキー
おじさんありがとう。
しかし私はパンツ一丁でキャンプ場を歩くことはできなかった。
堕ちろ、堕ちるんだ!

その後にはもう一組のキャンパーが4人やってきて一緒にビール(もちろんナミビアの首都名を冠したWindhoekだ)を飲んだ。
彼らはドイツからやってきている。三週間のバカンスだそうだ。
南アやナミビアでは結構ドイツの旅行者を見る。
ナミビアはドイツの植民地であったこともあるから、ドイツ名の町が今も多く残っている(南アもドイツの入植者は点々といた)。
そういう意味でも来やすいのかもしれない。
しかもみんなデカいのだ。立呑みで彼ら四人に対していると、まるで私が子供のようだ。
そういえばなぜか飲む前に日本語で「乾杯」って言っていたな。
流してしまったが、今考えると不思議なことだ。

明日からの未舗装道路に備えて重い食料を少しでも減らす。
豆と魚の缶詰を使う。
豆が意外と食べても食べても減らないのだ。
翌日は屁がたくさん出るし。あぁ燃料になればいいのに。屁よ。
お前はただの役立たずなのか。しかも臭くて迷惑かけることもあるな。

オレンジ川よお休み。