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2013年10月28日月曜日

A bitch

A bitch

ものすごいタイトルを付けてしまった。
このタイトルから喚起される期待に添えるかいささか自信がないが、
このタイトルのまま行かせてもらおう。
ビッチ登場までは少し長いので、急ぎの方は最後の方までスクロールして飛ばして欲しい。

さて、ビッチは少し置いておいて、道路の反対側へ行ってみた話をしよう。
この町も道路を隔てて白人と観光客が集まる場所とカラードと黒人が住んでいる場所が分かれていた。

もちろん法的な拘束力はないにしてもやはり昔から続けられてきた習慣やシステムを変えるのは難しいのだろう。
建物も白人側は美しく、道にゴミも落ちておらずとても好印象だ。


道路を越える前に線路がある。

ロッシュ・ピナーやオレンジムンドで採れる亜鉛や砂利を運んでいるという。
貨客列車ではないが近いうちに人も乗れるようになると沿線に住むおばちゃんが言っていた。
明日の朝、かつてダイヤモンド鉱山として栄えた海辺の町ルデリッツへ行くという列車が待機していた。
その沿線に鬱蒼と木が茂った場所があり、コンクリート造りの小屋があった。
洗濯ものが干してあるので人が住んでいるのだろう。
入り口は線路に向いており、そちら側に回ってみると一人の初老のおばちゃんが座っておりドッキリ。
挨拶をすると「捕まえた!」とばかりに勢いよく話し始めてきた。
そして「困っている」を連呼し始めた。
すぐにピンとくる。お金を求めている。
私も負けじと話を逸らそうとする。
「独りで住んでいるんですか?」
「子どもと弟と住んでいるんだけど、困っているの」
「弟さんは働いてないの?」
「この町は職がなくてね弟も困っているの。うちの子は小学生なんだけど困っているのよ」
もう困っているの連続だ。
「この町はみんな酒を飲んでるけど私は飲まない」と酒臭い息を吐きながらおばちゃんは言う。
そこへ子供が返ってきた。
子供も母ちゃんに加勢して何かを求めてくるのか、と身構えたが、意外にも子供はあっさりしている。
何も求めずただそこへ座って母を見ている。
彼はこの時何を考えていたのだろうか。
ケチなアジア人だな、と思っていたのだろうか。
私にはわからないが、彼の眼はそんな人を批判するような眼でもなく、ましてや自分が貧しくて哀れだなんて言うような眼でもなかった。
しばらく聞いていたがすぐにその場から去って行った。
次に弟がやってくる。少し飲んでいるようだ。
陽気だ。姉とは対照的に陽気だ。何を求めるでもなく、家の中に入っていき何かを食べてまた去って行った。
母一人だけが現実を見ているせいか、お金の無心をしていた。
そしてとうとうの言葉を発した。
「もしよかったらお金をくれない?」
「申し訳ないが、お金をあげるのは私のやり方じゃない。だからあげることはできない」
おばちゃんはとても残念そうな顔をして、
「そうなの・・・」
とあっさり諦めてくれた。
「ごめんなさい」
と言ってその場を離れた。
このごめんなさいはおばちゃんに対してというよりも、自分の良心に対する言い訳のようなものだった。
または先日ロッシュ・ピナーで私にシャワーを浴びさせてくれたおばちゃんに対してだったと思う。

線路を越えるとそこらにゴミが目立って落ちているようになる。
割れたビールの瓶やお菓子の袋。

私がかつて働いていた南アフリカの田舎町と同じだ。
何がきれいな街と汚い町の違いを作り出しているのだろうか。
ロッシュ・ピナーは黒人やカラードが優占するほどたくさん住んでいたが、きれいな街だった。

道路を渡り少し坂道を上ると路地で遊ぶ子供たちが見えてきた。
健全な街のように見えるが、道で会って話す大人は酒臭い。
この町は産業がなく職がほとんどない、と学校の前に座っていた真面目そうな若者は教えてくれた。
彼は鉱山から運ばれてきた土砂の仕分けしている場所が少し離れたところにあり、そこで働いているという。
彼も妹を頼って遠い町からはるばるやってきてこの辺鄙な街に住んでいた。
職がないかあっても出稼ぎで働いて、休日で帰ってきている人しかいないので、こうも荒んだ様子を醸していたのだ。
私の後を付いて来たり、先を歩いたりして興味を持っているような少年がいたので話しかけてみた。
余り英語を解さなかったが(この辺はアフリカーンスが主要言語)、すぐそこが学校であること、
先生はそこのバーではっちゃけて飲んでいる人であることを教えてくれた。
彼の眼はこの見知らぬアジア人に興味津々といった風である。


たまたま目があったおじさんに話しかけられる。
彼を追ってきた奥さんか妹か姉かわからぬ女性が、彼の手に持っているものを奪おうとじゃれあっている。
どうやらテレビの配線を彼が奪ってしまい見れないのだと言っていた。
何とも微笑ましい光景ではないか。
彼もまた酔って目が泳いでいる。
私が質問する(質問の内容は忘れた)と、
「うむ、君の言っていることはわかっているよ」
とゆっくりと言って、
私の質問、というか言葉そのものをすべて飲み込んでしまい、あまり会話は続かなかった。
そして、「ところで、NS5(50円くらい)ちょうだい」と言うのでサヨナラした。


町の外れにサッカー場があった。
先ほどの学校のそばで待ち人をしていた若者に、
「綺麗なグラウンドだね、でもこんな暑い中サッカーは大変だ」
と話しかけると、
「これは市民グラウンドなんだ。あまりいいグラウンドじゃないよ。芝生とネットを付けてもらおうとスポンサーを探しているんだ」と言っていた。
それを聞いて(おぉ、ずいぶんと頼り欲張りだな)と思った。
グラウンドは平らで日本の学校のグラウンドみたいなものだったが、それでは物足りないようだ。
ネットだって、みんなでお金をためて買い、大事に使えばそんなに消耗するものでもないからそんなに大変なことでもないように思う。
南アフリカでもそうだったけど、寄付金が氾濫していて「頼り欲張り」が結構あるように感じることがある。
私が働いていた学校(教室は私の学生時代よりも断然涼しいし、冬も震えるほど寒くない)では、クーラーやパソコンが足りないとしばしばストライキが起こって、既存のパソコンやクーラーが破壊されていたし、近くのコミュニティーセンターではFaxとパソコンは就職するのに必要だから入れるべき(冷蔵庫が盗まれているくらいの場所なのに。。。)と言って熱くなっていた。
頼るのは上手だが、与えられたものを維持したり共有したり、あるものでどうしたら快適になるかを考えることがなおざりにされている。
そんな光景に出会うことがしばしばあり、それを見るにつけ「与えることは軽々しくやるものじゃないな」と感じていた。



そろそろビッチを登場させよう。
私は子供のころサノバビッチはスラブ系の人の名前かと思っていた。ストイコビッチ、ミラジョボビッチなんかと同じように。いつだったかサノバビッチが人を表す言葉ではあるが、人の名前ではないことを知り、いつでも使える準備はあった。あったが、人生で一度も使う機会はなかった。それほどまでに強烈な特別な言葉なのだろう。

再びガソリンスタンド兼キャンプ場に戻ろうと道路をまたごうとすると、ルデリッツへの分岐点、アウスの町の入り口のところに人が何人かヒッチハイク待ちしていた。
その中で一際活きがよく肉付きも大層よい女性が私に近寄ってきた。
「ねぇ、私たち朝から待ってるのよ、お腹へってるのよ。食べ物持ってないの?そのリュックの中とか」
と言ってリュックに手を伸ばそうとするので、
「なんもないよとその手を振り払う」
「じゃあ何が入っているのよ」としつこい。
さらに「ポケットは?」と言って私のポケットに手を伸ばしてくると思いきや、
私のナニを掴みやがったにー!?しかもピンポイントで。むむ、手慣れておるな、お主。
「何するかー!このビッチがぁ!?」と言うと一同笑っている。
もう一度手を伸ばしてくるので逃げようとすると、
「ねぇそのカメラで私を撮って」と言ってくる。
まぁ撮るだけなら別に失うものはないからいいか、と撮りはじめると、脱ぎ始めた。
しかも道の真ん中で。
あぁ、肉の塊のような体を惜しげもなく披露してくるではないか。

ぽっちゃり好きの私もこれには負けた。惨敗だ。
体幹がすごいのだ。
ファインダー越しでも目を覆いたくなるようなその肢体に思わずシャッターを切りまくった。
撮りたかったのではない。シャッターを切ればファインダーがシャットアウトされるからだ。
もうバルブで長時間露光にしたかったくらいだ。そうすればデータも白飛びして残らなくなる。

そうやってしばらくある種の地獄にいたかのような時間を過ごすと、彼女も気が済んだようだ。
そして「撮ったものを見せて。このアドレスに送って」と言われ、ようやく、私は本当に解放された。



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