昨夜一緒に飲み歩いたチャールズは「今日は仕事いかない」と宣言していたし、アリフは普段から週末辺りはほとんど来ないので、今日はマネージャーなしのレストランだった。
そんな中でレストランで働いていて一番やりたくないな、と思っていた仕事が回ってきてしまった。
クレーム対応だ。
日本語でだって難しいのに、英語を自由に使いこなせない私にはかなりの精神的負担だ。でも日本だったら、これだけの能力ではこんなことさせてもらえないだろうな、ということもここアフリカではさせてくれるので自分の壁を乗り越えて色々なことが試せる。
更に言うとクレームに対応するのには英語を使えるだけでは意味がない。そのお客さんの文化を理解した対応でないといけない。しばしば私はアリフやチャールズがヨーロピアンのクレームに対応するのを見て、日本とは違うなと感じていたことがある。彼らはまずなかなか謝罪の言葉は出さない。どうしてそのような状況になったのかを滔々と説明してお客さんに納得してもらうスタイルを取る。日本だったら言い訳せずにまずは謝ったらどうだ?と言われそうだが、ヨーロッパのお客さんにはその方が受けがいいようなのだ。だからお客さんのクレームへの対応は難しい。こと多国籍のお客さんを相手にするようなレストランでは。
日曜日にしては結構な賑わいで昼は過ぎた。日曜の夜は普通、月曜に備えてお客さんがあまり遅くまで残らない。この日も静かに過ぎ去ろうとしていた。そんな時に華奢な体でどこかアンニュイな雰囲気を漂わせている新人ウェイトレスのプレシャスが問題を拾ってきた。中国人と思しきお客さんがフランスのワインがないのはおかしい、とおっしゃっている、ときた。初めはプレシャスがそのクレームに対応していたがどうもお客さんは納得しないようで、給仕毎に日本酒の味がおかしい、イカの刺身に筋があるなどの新たなクレームを担ぎ込んで来る。
少々疲れ気味のプレシャスちゃん。しょうがないのでヘッドウェイターのキジトウが行くが、お猪口に酒を入れたものを持ち帰ってきただけで終わった。責任者に味見させろということだった。そのお猪口に注がれた例のお酒を味見してみるが、私の研ぎ澄まされているわけではない舌にはおかしなところを検知できなかった。むむ、お客様はなかなか鋭い人かもしれぬ。ますます相手は手強い。
オーナーに連絡してどう対処すべきか聞くと、とにかく説明に行って、件の料理と酒は料金を取らないようにしてくれ、ということになった。やれやれ、こんな英語もキチンと話せない私を、クレームをしているお客さんに送り込むとは喧嘩を売るようなもんじゃないのか?とかブチブチと考えながら、お客さんの席のある離れに向かう。もう他のお客さんは姿を消して、離れの部屋に残っているのは件のお客さんだけであった。
スタッフの見立て通り中国からのお客さんだった。親子と思しき二人の男性。息子は20代前半、親父は60歳くらいだろうか。テーブルには途中で放棄された日本酒と、オーストラリアの赤ワインが二本、イカの刺身が二皿載っていた。なぜかその二人のお客さんを目にしたとき、クレーム処理は嫌だなと思っていたものがさらっと消えてなくなった。アジア人で比較的文化が近くてほっとしたということもあったのかもしれないが、何よりもの生身の人間を前にしたときの安心感が大きかったと思う。
私は電話で話すのが嫌いだ。小さいときにいたずら電話を掛けて電話越しにひどく怒られたというトラウマを引きずっているという恥ずかしい理由も否めないが、何よりも相手の顔が見えないのが嫌だ。相手の情報が少なすぎる。匂いもないし。メールは顔も見えないし声も聞けないがまだいい。なぜならそれは文としてのコミュニケーションと割り切っているからだ。
ウェイトレスからお客さんのクレームを聞いたときは、まだお客さんがどんな人かわからない。いくらでも想像によるキャラクタライズが可能だ。頑固な人だったらどうしようとか、お前はどうしようもないやつだ!とか罵倒されるかもなぁ、とかね。
でも初めに彼らと対面して話して思ったのは、「あぁ、話せば分かってもらえる」ということだった。結局のところクレーム処理だって人間同士のコミュニケーションであって、楽しめばいいのではないかということに気がついた。勿論楽しんだだけで終わっていまえば、それはお客さんの誠意を踏みにじることになるから、改善すべきところは改善しなければならないが、多くのお客さんのクレームはアドバイスであると考えれば気が楽だ。
さて、英語を話せる息子と対峙して座った。片言の英語をしゃべる親父さんは私の右手に。二人とも真剣だが度を越えた怒りを見せているわけではなかった。日本酒の味が一回目の注文と二回目ので味が違う、二回目は水を混ぜただろ?と聞かれた。まさかそんな事はするはずがない。でももしもお客さんがそのように感じたのであれば彼らの怒りは十分すぎるほどわかる。とにかくまずは不快な思いをさせてしまったことを詫びた。日本人である私は根っからの謝り症が身についており、どうにもならず、お詫びの言葉がまず初めに出てしまった。もう国民症に違いない。
彼らに味見してみろと差し出された酒を口に含む。特にいつもと変なところは見当たらない。正直に「私には水が混ぜられているようには感じない」、と言うべきか、それとも彼らにおもねって「あなたの舌は確かだ、これはおかしい」と言うか刹那の逡巡を経て、正直にいつもと変わらないという旨を伝えた。相手を怒らせてしまうかもしれないなぁと思いながら。
しかし意外にも相手の男性は、お前の舌は腐っているな!なんてことは言わずに、「そうかぁ?この味じゃ水混ぜてるでしょ?おかしいなぁ。じゃぁこの筋のあるイカの刺身はどうだ?」
すると隣で英語をしゃべれないながらも親父さんが「ほら、ほらっ」と口から出したに違いないイカの筋を得意げに見せてくる。むむ、これは確かにイカの皮をうまく剥がしていなかった我々のミスだ。これまたペコリ。
オーナーの言う通りにイカとお酒はお金を頂かないという旨を申し出るが、お金の問題でないと言う。ごもっともなり。ただ気にいってもらえない料理で料金を頂くわけにはいかない。しばらく粘ったがそれでも食べたものは払うという。彼らの意思は固かった。彼らの意思は変えられないと踏んで、今後はこういうことがないようにスタッフ一同気を付けることを伝え引き下がることにした。
すると意外にも「しっかりと対応してくれてありがとう」という言葉を投げてくれた。この言葉で緊張が一気に溶けた。
彼らが赤ワインを飲んでいたので、ウガンダ在住の日本の方が丹精込めて作っているビターチョコレートを手に再び親子のもとを訪れた。それからがまた大変なことになった。
今度は破顔でのお出迎えなのだ。ななな、なんだぁー?さっきの意地悪そうな顔はどこへ行ったのだ?
チョコレートを差し出すと「まぁまぁそれはもういいから」と私を掘りごたつ式の座に座らせた。そしてワイン飲むか?ときたもんだ。なんだか嬉しくなっていつの間にか彼らと一緒にワインを一本空けていた。
話を聞くと今日は親父さんの60歳の誕生日だという。そして親子水入らずで我々のレストランに来てくれていたのだった。親父さんはウガンダでの商売で成功して裕福そうな話をしていたが、色々外国で成功するには苦労も多かったに違いない。アフリカで出会う日本人は富裕層か、または旅人(旅をしている暇があるくらいだからまぁそこそこ恵まれた人たちであろう)である。一方中国人は大使館などの一部を除けば、その多くは中国の農村で貧しい生活を強いられていた人々だ。初めは英語を話せないでやってくる中国人も多い。それでも血縁や知り合いを頼りにアフリカという未知の世界へやってきて、家族ぐるみで小さいビジネスから始める。彼らもそうであったのだろう。一人息子と共に築き上げてきた喜びをささやかに分かち合っていたのだ。60歳という区切りの日に息子が親父を労うためにもてなし、楽しく酒を飲もうとしたら酒の味がおかしいとなったらそれは大変気分を害されるだろう。特別な日であると知ってますますペコペコした。
しかし親父さんは「もうそんなんはいいから、それより一緒に飲めてありがとう」と言って、首の辺りに優しく両手を合わせて、少し首をかしげるようにして私の目を覗きこみ何度もお礼を言っている。初めのクレーム時には見せなかった、優しくそして満たされた笑顔がそこにはあった。いつしか連絡先を教え合って、また飲みましょうと言っていた。そんな不思議な出来事がこの世にはあるのだからたまらない。
何はともあれいい思い出になったようでよかった。レストランで働く人間にとっては一発逆転のような喜びがあって、仕事が終わってすぐにベッドに転がり込んでぐっすりと眠ってしまった。
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