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Africa!

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2014年8月9日土曜日

0809 地元レストラン

Isiolo−Moyale間は二年前くらいまで部族間の紛争や山賊が出るなどで自転車乗りは銃で武装したバスやトラックをヒッチハイクして飛ばす人が多かった。さらにあまり開発されてない場所で町があまりないこと、砂漠地帯で暑いことも自転車乗りに敬遠される要因になっていると思う。しかし砂漠で絞られ、寂しい場所を走るのが好きなマゾヒスト兼、放置されたい私はそんなイスィオローモヤレ間をどうしても走ってみたくなった。そしてここにはSamburuサンブル族という赤や黄色の原色ビーズの装飾を身につけたノマド生活する民族が住んでいる。
イスィオロで情報を集めた結果、現在は件の区間の治安は落ち着いていることが分かり自転車で行くことに決めた。今では部族間の和平合意が成立し、更に警察の警備体制の強化により、ここのところは山賊の被害が出ていないという事だった。
ケニアにはウガンダから入ったためにマサイ族の住む南部にはいけなかった。だからチャンスがあればケニアの伝統的な生活をする民族を見ておきたいという思いがあった。
朝、ムスリム男性が着用するローブ様の白い服トーブにサングラスをかけたオーナーに何だか別れ難いように見送られながらイスィオロを発つ。
七時少し過ぎだというのに太陽の光が熱い。こりゃ肌が痛くなると思い、久しぶりに日焼け止めクリームを使った。南アで買ってずっと手放さずに持っていてよかった。
中国の事業者が昨年辺り道路を敷いたとかでかなり心地よい快走。しかもゆるい下りが多いので、あっという間に水が流れる川のあるアーチャーズ・ポストに着いた。これ以降も川を幾つか渡るがワジだ。このエワス・ンギロ川はケニア山水系からも水を集めて流れるが東にいく過程で水が消えてワジとなる。砂漠の砂の表面を、流れているのかいないのか分からないくらいに極めて緩やかに下ってゆく水。その周りには緑が集まる。そしてその緑を求めて虫たちが、それを求めて鳥たちが集い賑わう。そんなところは人も山羊も牛も集まるんだよね。
アーチャーズ・ポストを越えるとますます景色が乾燥したようになり、人々がラクダを放牧している。その他牛や山羊、羊を追う子供達。遊牧民のためか家々もモンゴルのパオみたいなドーム状で、細くてっv撓る枝でできた骨組みと布やビニールを使って出来ている。太陽が高度を増し、ますます気温が上がり吹く風は温い。例のごとくボトルの水は温水だ。
セレデゥピという町で昼飯に食堂に入った。店に入ってまずはチャイを。むむ、スモーキーテイストですな。これはわざとなのか、それともボロボロの鍋で湯を炭火で沸かすやめに付いてしまう味なのかわからないが次の町で飲んだのも同じだったので、ここで流行っているチャイスタイルかもしれない。次に豆とご飯をいただく。量が多いなぁ。かなり胃袋が大きくなっているがこれは食えなかった。そもそも私の体は大量の豆を食うようにはできていないのかもしれない。この後しばらく豆たちが喉のあたりをウロウロしていた。
食堂で前に座る二人と隣の兄ちゃんはなんとなく格好がユニークだと思っていたら、彼らがサンブル族の男だった。耳たぶにはフエラムネサイズのドーナッツ形の物が打ち込まれ、上半身は裸。マサイのような鮮やかな赤い腰巻きに原色ビーズの首飾りと太い腕輪。黒い肌は汗で光り薄暗い食堂では却ってそれが不気味さを与える。そんなオシャレ系イカツイ男が、前に座った私をジロリ、そしてチャイをずずず。この睨めつけはなんとなく野生のそれを感じさせる。私も彼らのなりを記憶するために山羊のような目でじっと見つめ返す。豆を食いながら。隣の男は私に挑んでくる勢いすら感じる。テーブルの上には彼の木で出来た大きいキセルみたいな物体が無造作に置かれている。男の象徴みたいな物だろうか。武器にもなると聞いたこもある。彼が私の刀であるカメラに興味を持ったので貸してあげる。私も彼のキセル様の物体に惹かれ手を伸ばすと彼がそれを制した。何だお前は俺の刀に触れておきながら自分の刀には触れさせぬ気か。無礼な。
結局ちょこっとだけ触らせてくれたけど。
そして前の二人はチャイをおかわりしてどこからか携帯を出してビデオを見始め二人で笑っている。なんともシュールな光景。ATMに並ぶナミビアのヒンバ族に匹敵する。これが辺境民族の現実。携帯の影響力は世界の末端に達する。しかしこの町では電波が弱くほとんど携帯は使えないと言う。
それから隣の兄ちゃんが鼻ほじったと思ったら、収穫物を壁にこすりつけていた。三十年生きていると世の中には不思議なことがたくさんある事に気が付く。そのうちの一つにいろんな壁についた汚物の存在だ。どうやったら付くんだという所に付いている。付く過程を想像しては、いやそんな筈はないと打ち消しては考え悩んだトイレの時間があった。日本でも見るが、トイレの壁に擦り付けられた汚物。百歩譲って手に付いたとしよう。それがどうして壁に付くんだ。その過程がブラックボックス。でもこの兄ちゃんが鼻クソを壁にこすりつけている光景を見ていたら、それはそんなに不思議なことではなく、サイコロ振って1の目が出るくらいに比較的頻繁に起こり得る事象なのではないかと思えてきた。
メリレに着いたのは3時くらいだった。太陽が低くなりはしたが、相変わらず熱の残渣と砂埃が強風にかき混ぜられている。
始めの宿はおばちゃん達は賑やかで良かったがオーナーらしきオジサンがムズングと見てか値段を釣り上げたうえ、態度がでかく横柄だったのでチェンジ。ムズングを見て値段を変えてくる奴は商売上手なのは認めるがどうも好かんし、信用ならん。変えて正解だった。
二番目の宿は値段もよければ愛想もいい。水を盥に一杯もらって水浴び。トタンで囲われただけの浴場。屋根はない。靄のかかった満月が、乱雑な雲が群れた不機嫌そうな空に浮かんでいる。そんなところで服を脱ぐと何だか砂漠の風に抱かれるみたいで心地よい。野外で裸になるのは気持ちいいのだ。東北の奥地の綺麗な川で、南アのヌーディストビーチで全裸になった時もなんというか自然に抱かれるという気分になって気持ちよかった。これを人という自然の中でやるとわいせつ罪で吊し上げられるから世の中不思議なものだ。よほど用心して生きないと危ない浮世だ。日本は露天風呂という口実があるのでまだいいが。
内陸の乾燥地なので夜は気温が下がってくるが11時頃はまだ建物が吸収した余熱で寝苦しい。外に出てみると夜の砂漠を翔けてきた風たちが頬に心地よくあたっては去ってゆく。その優しさが心地よくて、椅子を持ってきて満月眺む。暗がりの地べた、壁の隣の空間に人が寝ているであろう盛り上がりが見える。暑いからこうして外で寝る人もいる。もう一人どこからともなく敷物を持ってやってきて、寝た。
食堂を締めた宿のおじさんがおもむろに椅子を隣に持ってきて座った。町には電気が通っておらず辺りは暗いが霞がかった満月の明かりで彼の顔の輪郭ははっきりしている。(部屋の電球はLEDでソーラーパネルで点いている)そよそよと頬を撫でるリズムのごとくおじさんの口調は穏やかで静かだ。この辺ではラクダもロバも食い物で、それらのミルクも利用するという。そして乾季はミルクの出が悪くなるので人々は血管に小さな矢を指して血を絞るという。そしてミルクに混ぜて飲むのだと。苺ミルクか。色はいいが味を想像すると私は飲めない。確かにラクダやロバの体には血管が浮いており採血しやすそうだ。しかしミルクが出にくくなるくらいの過酷な環境で採血されるとは家畜も大変だろうの。もちろん死なない程度に絞るのだが、勘弁してくれ、と乞う山羊の目が想像できる。ただでさえなんとなく憐れな目が更に憐れに。ロバは血抜かれても気付かなそうだが。
そうして夜風邪談話を楽しみ部屋と体が冷えてきた頃、私も寝た。

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