国境に架かる橋より
ジンバブエ産のワイン(Mukuyu) |
以下公園内より
滝を見つけたリビングストン(現地の人はすでに見つけていた) |
ジンバブエとザンビアを結ぶ橋 |
まさかビクトリアの滝に来るとは思っていなかった。
貧乏旅行をしていると観光地というものはあまり魅力がない。
もっと言えば行くと惨めになるのであまり行きたくはない。
観光地は何でもお金がかかるので貧乏旅行者にとっては生きにくい世界なのだ。
しかしナミビアのセスリムに続いてビクトリアの滝まで来てしまった。
電車に乗ることがメインなのだが、ここまで来て滝を見ずに帰るのもなんとなく納得いかないので、見ることにした。
滝は国境を超える橋からも見えるのだが、手前のゴルジが邪魔してほとんど見えない。
滝を満足に見るためには外国人は入園料30ドル払って入る必要がある。
30ドルって本当に高い。
日本だって富士山の入園料を1000円取るかで揉めていたのに、3000円って。
園内で泊まるわけでもないのに。
不満はあったが、想像力のない私は滝の音からビジュアルを再現できないので300ドル払って入園した。
払ったからには公園を存分に楽しんでやろうと、本を持ち込んで優雅に森林浴をしながら過ごした。
ビクトリアの滝があるザンベジ川周辺は熱帯雨林になっており、今まで通ってきたアフリカのどことも雰囲気の異なる森が広がっている。
湿気でむわっとして木々の息吹が感じられた。
よくもまぁ、こんなに大きな溝ができたもんだというくらいに大きな皹が大地には走っており、ビクトリアの滝はその皹を横断するザンベジ川が作っている。
ザンベジ川は遠くはコンゴ民主共和国から、そしてアンゴラ、ザンビアの地に降った雨をごっそり運んで来るので水量は極めて多い。
今の時期は最渇水期で水量は少なかったが、それでも十分に轟音を響かせ、水煙を巻き上げて熱帯雨林に潤いを与えていた。
今までの国ではあまり国内旅行者(アフリカン)を目にしてこなかったが、ビクトリアの滝では多くのジンバブエ人が家族連れでその偉大な滝を楽しんでいた。
ここジンバブエでは観光業の国内需要があるようだ。
少し歩くと滝の上を眺められる場所に出る。滝の上を流れる水は、まったくもって自分がこれから厳しい試練に臨もうとしていることを知らないかの如く、極めて静かに、極めえてたおやかに流れている。数秒後には100mも落ちていくとも知らずに。
アフリカを旅していて感じるのは人々の運命に対する従順さである。自分に与えられた境遇に対して極めて従順なのだ。まるで落ちていく滝の水のように。
しょうがない、何もできない、という言葉でネガティブに捉えればあきらめている、ポジティブに取れば受け入れている人をたくさん見てきた。
日本ではどうだろう。どちらかというと悪い状況があれば一生懸命そこから這い上がろうと、何かしらの手を打つことが多いのではないだろうか。
だからこそ変えられない運命の場合に煩悶し苦しむ。そうして自分を追い込みすぎてどんどん生気を失って行っている気がする。
勿論アフリカでもそういうことはあるが、人々はもっと早い段階で運命を受け入れ、それに従い生きている人が多い。
どちらがいいとは言えない。
状況を好転しようと煩悶することも大事だし、あるところで受け入れ、それ以上悪くならないように気持ちを入れ替えて上を向かなければならない時もある。
時には滝の水の如く、行き当たりばったりに落ちていってもいいのかな、と思う。
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