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Africa!

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2013年9月26日木曜日

到着

別の大口荷物用の窓口から自転車アンドリュー(どういう経緯でつけた名前か忘れた)が無事に出てきた。

空港でMTNの一番安い電話を買う。
R170(1700円くらい)。

携帯にプリペイドのポイントをチャージしていると、空港に配属されている軍人さんが、話しかけてきて「ジュース代をくれ」という。
おっ、いきなり南アだ!と思って、しばらくいろいろ話を聞いている。
ただで上げるのも嫌なので「国道をプレトリアまで自転車で走って大丈夫か?」と聞いてみる。
なんだかわからないんだろうな、という様子満々で「大丈夫さ」とか言ってくれる。
信用ならん。そもそも金をせびってくる軍人に信用などない。

「また戻ってくるからジュース代をくれよ」と言ってきた。
なんだろう、久しぶりの南アのせいか、あの「裏切られる感じ」を味わってみたかったのだろうか、彼の言葉に賭けてみたくなった。
あの何とも言えない感じを久々に味わってみたかったのだ。

そしてしばらくいろいろ準備をしていたが、軍人はもちろん帰ってこず。
あぁ!これだよ、これが南アだ!再び三か月前の記憶が蘇ってきた。
さぁ、これから始まる南ア、気合を入れるか!


さて本格的に自転車で走れるか聞いてみることに。
タクシー乗り場に行くとワラワラと人がまとわりつく。
自転車で国道を走れるか聞いてみると、
「この国道はフリーウェイだから車以外は走っちゃだめだ、捕まるよ」というではないか。
でもタクシーに乗せようという魂胆かもしれない。
少ししつこく、本当?本当?と聞いてみると、あきれた素振りを見せるので本当なのだな、と悟った。
まぁ確かに日本の高速も自転車は入れないからなぁ。

仕方なくタクシーを使うことに。
次は値段の交渉だ。
もちろん観光客と思って高めに吹っかけてくる。
以前使ったときの値段まで下げようと思って、こっちも別のを使うからいい、というと、あっさり値段を下げてくれた。R380
たぶんもっと下げられたな、と思いながら自分の甘さを思う。

車のところに行こうとすると、なんかよくわからないのがぞろぞろ荷物を持ち始め着いてくる。
「あ~来なくていいから!」と言っても聞かない。
「運んでもお金払わないから」と言っても聞かない。
案の定車に着くとお金を要求してきた。
「払わないといっただろう」というと。
「ジュースだけ」と人のきわどいところを突いてくる。
いや、ここで負けてはだめだ。と思い、サヨナラを言う。

さぁいよいよ始まるアフリカ。楽しみだ。

2013年9月25日水曜日

困った!in 空港

父と母が成田まで見送りに来てくれた。
しばらく見られなくなる日本の風景を目に焼き付けようと、曇天の下の田んぼを見ていた。

空港に着いてチェックインの時、困ったことが起こった。
今回は荷物が多く、はじめシンガポール空港でとった予約をキャンセルした経緯がある。
シンガポール航空は20kgの荷物一つだけしか預け荷物として許されていない。
それ以外は超過料金が取られる。
一方の南アフリカ航空(SAA)は前に書いた通り、
23kg×2 + スポーツ用品は無料なのだ。
飛行機の超過料金は極めて高いので、ここでへまをすると旅費が圧迫される。
だから事前に電話で確認を入れていた。

しかし、当日チェックインカウンターで係り員女性の美しさと手際の良さに見とれていると、
「15000円超過料金が課せられます」という信じがたいことを言うではないか。
よくそのわけを聞くと、全旅程は全日空(ANA)とSAAのコードシェアで、成田から香港まではANAの飛行機で、香港からJohannesburgまでがSAAの飛行機で運行されるのだという。
だから預け荷物の規定は出発地点の会社(ANA)規定にのっとるのだそうだ。

はじめのカウンターの女性からすでに6人の人の手に回され、
それでもこの場合の超過料金がいくらなのかはっきり定まらなかった。
なんだか自分がいけないことをお願いしている気がしてきた。
ようやく8人目くらいの手に回されたときに、
「もう一度計算しなおしたら3万円です。申し訳ありません」
とのことだった。

3万円はさすがに無理だと思って、その理由を詳しく説明してもらうと、
この場合は成田から香港の分だけでなく、香港からヨハネスブルグの分も加算されるとのことだった。
電話でSAAに確認を入れていたので、香港からヨハネスまでの区間もとられるのはおかしい、
と主張すると、SAAに確認をしてくれた。
すると、事前に連絡がSAAに入っていたことの確認が取れ、今回はすべての航路においてSAAの規定に則るということにしてくれた。
つまりは3万円と言われていたのが追加料金なしとなったのだ。
これはかなり大きい。
あの時、15000円から3万円に上げられていなかったら、15000円を払っていただろう。
あの時、もし私がもっと聞き分けの良い人間だったら、3万円を払っていただろう。
3万円あったら場所によっては一か月旅行を伸ばせるかもしれない。

この出来事から思ったのは、国際空港で働くのは大変だなぁということ。
さまざまな国事情を背負った航空会社と関係を持つ国際線を持つ会社は、これ!といった規定を作るのは難しいのかもしれない。
たとえば今回のコードシェアのような二つの会社が分担で航路を受け持つとき、荷物のことをどうするか?
また、今回の私の例のような「稀な存在」を相手にする場合はどうするか?
といった細かな規定をきっちり決めることは難しい。
ましてや、規定が各航空会社によって違い、それも変更が度々加えられる、預け荷物の規定は難しい。

事前に預け荷物の規定についていろいろ調べたのだが、上述のような場合はこれと言って定まったものはなかった。
魑魅魍魎が集まる空港でかっちりした規定を作るより、それぞれの乗客が嫌な思いをしないよう、
またそれによって他の乗客に迷惑がかからないような対応が求められるのかなぁと思った出来事でしたとさ。

出発

日本での最後の日は曇りで肌寒い日だった。
蒸し暑かった夏が終わり、空気全体が秋めいていた。

準備は終わっているはずなのだが、なんとなくまだ何かあるんじゃないかという気がしてならない。
ウサギとカメに別れを告げる。カメは万年だからあと9975年くらい生きるが、ウサギの方はそんなに長くないだろう。
ゆっくりと頭を撫でる。いつものようにどこかくすぐったそうな、気まずそうな顔でじっとしている。

祖母にもしばしの別れを告げる。出発前に一番心配していたのは祖母なのだ。
早く出発して、その心配の種を消してあげないといけない。

時には威し、また時には遠まわしにやめさせようと諭すこともあったが、最も私のやることをよく理解し、さまざまなサポートをしてくれたのは父と母である。
仕事もしないで遊び歩いている愚息を持ってしまった彼らに、真に深く同情する。
そうでもしないと、私は罪悪感で発狂してしまうかもしれない。

日本の秋を惜しむべく、鈍く光る紫の巨峰を口に入れて出発。
この味を来年味わうと巨峰に誓って成田へ。

2013年9月16日月曜日

祖母

私の祖母は今年89歳になった。
一緒に暮らしていたことがなかったので、今回実家で初めて一緒に暮らすことになった。
今まであまり関わりのなかった世代なのでとても新鮮な毎日だ。
一緒に暮らす中で感じたのは、私の世代や親の世代よりもずっと「もったいない」や「人様に迷惑」という観念が強いということだ。
南アフリカにいて常々感じていたのは、日本人ってすごく他人への迷惑を考える国民だなぁ、とか、物を大事にする国民だなぁってのは感じていた。
そして祖母との暮らしから昔の人はもっとそういう気持ちが強かったのじゃないかと思う。
豊かになって、グローバル化が進み、そういった日本が本来持っていた性質も幾分薄まってきているのかもしれない。
「人様に迷惑がかかる」は、様々な価値観を持ち、背景の異なる人々が一緒に暮らす中ではとても重要な感覚だと思う。むしろグローバル化していく中で大事になっていくことではないか。
「もったいない」という感覚は「MOTTAINAI」として世界にも認識されているように、今後資源量が限られる地球環境の中で一人一人の意識された「もったいない」がとても大きな意味を持ってくるだろう。
日本は世界に発信できるいいものをたくさん持っているなぁ、でも薄まってきてるなーと思う出来事だった。

さらに、もう少し言いたい。
日本が持つ価値観で「清貧」というのがある。
清いために貧しい。清く貧しく。
清くあるためには貧しいことにも引け目を感じない。これは貨幣至上主義からの脱却の大事な要素になると思う。
見方によっては私のようなお金にあまり恵まれない人間の戯言のようにも思われるかもしれないけれども。でもそうではない。日本にはお金があろうと、なかろうとそういう感覚を持っている人はたくさんいる。

南アフリカにいたときに感じたのは貧しいことが恥ずかしいことで、幸福になるのがあたかもお金持ちになることとイコールであるかのような錯覚。
お金を得るためには何でもした人の話がいろんなところで囁かれていた。
いろんな人に将来の夢を聞いたときに9割以上が「お金持ち」と答えたことからもそれは垣間見える。
もちろん日々物質的に満たされない暮らしを強いられている人々にとっては、お金持ちというのは夢として語られてしかるべきことである。

誤解のないように付け加えるが、勿論南アフリカにも清いがために貧しい人はたくさんいる。
しかし社会に金至上主義の空気があるため、貧しいだけで蔑まれる面があるように感じた。

日本にも物質的に決して豊かではない時代があったにもかかわらず、そのような価値観が生まれ根付いていたというのはとても興味深い。
この背景には武士(または武士道)がとても大きい役割を果たしたように思うが、農民や商人はどうだったのだろうか。
歴史に記載されない歴史が面白そうだ。
そうやって長い歴史の中で根付いてきたものを捨てるのか、大事に守るのか、それは今を生きる人たちしか決められない。

2013年9月13日金曜日

団地

団地って心地よい。
自転車でのトレーニング中にとても大きな団地を見かけ、中を通ってみたのである。

団地と言ってまず何を思い浮かべるか?
「団地妻」がたぶん一番ではなかろうか?
私のグーグル君は以前に調べたものを記憶している賢い奴で丁寧にWikipediaの「団地妻」を候補に挙げてくれた。

ということは私は以前、団地妻という言葉をwikiで検索したことになるが、その意図は聞かないでもらいたい。

おそらく昼ドラや日活のおかげでこの言葉が皆様(?)の脳に焼き付いていったのだと思う。

まぁ、それはどうでもいい。
私が団地って心地よい、というのは決して団地妻が関係しているわけではない。

おそらく自分自身の幼少期を団地で過ごしたことに起因しているのだと思う。
今回その中を通りながら感じたのは、
・布団を叩く音や、買い物袋を持ったひとなど沢山の人の生活感を感じる。
・あんなに建物が集まっているのに明るいイメージがある。
・小さな店や郵便局が近くにあり、小さいながらも広がりを感じる。
・近くに幼稚園や小学校があり、子供の明るい声が聞こえる。
・私のような健全な青年が通るだけで怪しい人物に間違われるのではないか、という不安を持つほど治安が良い。

などなど。

もしや団地は日本らしいとても優れたシステムなのではないかと思う。
勿論その平和に見える水面下で昼ドラの事件や、日活ロマンポルノが起きているのかもしれないが、私にはとても平和で桃源郷のごとく見えたのは事実だ。


今でも子供のころの記憶の音が聞こえてくる。

昼寝時 布団叩きの オーケストラ




2013年9月11日水曜日

トルコの事件

先日トルコで日本の大学生二人が殺傷される事件が起きた。
私の旅程にもトルコが含まれているし、この二人のように大学時代に旅し、
世界を舞台に挑戦していこうという友人が身近にいるので、とてもこの事件を身近に感じた。

今回の事件の一連のニュースを見ていて感じたのは、
「親日的なトルコで!?」的なやたらとナショナリズムを絡めた報道がいやらしい、ということ。

どんな国だって人を殺める人がいれば、人を救ってくれる人がいる。
その事実をたった「親日的」という言葉だけで見るものに忘れさせようとするテレビ局の姿勢に嫌気がさす。

カテゴライズして述べようとする姿勢はしばしば極めて有効だが、同時に危うさを含む。
特に国や国民を性質によってカテゴライズする事は、政治の上ではとても重要だ。
旅するときにはそれは自分の目を曇らせ、見えるものも見えなくなる。

私自身、南アフリカで生活する中で、
「もー南ア人は○○○なんだから、困ったもんだ」(○○○には大体ネガティブな言葉が入る)
と言ってある種の諦観をもって接することがあった。
それは「彼らを理解しようとしてもなかなかできない」または「物事がうまくいかない」事に対する自分の力の無さを隠そうとする、
体のいい理由になっていたんじゃないかと思う。
そうして自分は楽をしようとしてきた。

それでは何も解決しないし、いい関係を築いていけない。
今回の旅では先入観を捨て、ラベルを付けないでやっていくことを目標にしようと思う。

2013年9月6日金曜日

保険

旅の保険にセールスレディはいない。
自分で探すしかない。

しかしちょっと長期旅行の人のブログを見れば、いいものが見つかる。
世界一周旅行をしている人が使う損保ジャパンの代理店である金子秀人損害生命保険事務所に依頼する。
とても対応が早い。
メールをすると即対応。
期間が長い上に、比較的リスキーな旅行をする人にはもってこいの保険が要されている。
条件が条件なので一年間で15万円と貧乏旅行者には高いが、何かあった時のことを考えれば安い。

一応、何かあった時のことを考えて、加入することにした。
有事の時に実際に迷惑がかかるであろう、オヤジさまに
「死亡したときは保険金でないオプションにするけどいいか?」と聞くと、
「いやぁ、せっかく産んで育てたんだから何かしらもらいたいもんだが」と言われたので、
それもそうか、親の気持ちとしては当然かと思い、
「わかった、じゃぁ死亡保険も付けとくよ」というと、
「で、いくら出るんだ?もしかして家が建つか?」と聞くので、
「500万だ」というと、
「なんだそれじゃ家は建たないじゃないか、床の張替えがいいところだ」と言われてしまった。

この身一つで床の張替えしかできないとは悲しいではないか。
絶対に生きて帰ってやると思う出来事だった。