陽が完全に落ち、辺りが暗くなっていた。バスが着いたのは郊外のショッピングモールだった。モールの光から外れると、ところどころのナトリウム灯が僅かに道路を照らしているだけだった。便利なものでGPSがあるので地球上のどこに行ったって迷わない。宿の多い海沿いの通りのある方向はすぐにわかった。スマートフォンを持っていないときは、見知らぬ場所に太陽のない夜に降ろされることほど混乱することはなかった。とにかくバカになったようにスマートフォンを片手に海辺の通りを目指す。
ここらは工業地帯らしく、人通りも少ない。物騒な印象を受けたが、家族連れが歩いているのを見て安心する。隣に並行して走っている鉄道を越えたいのだが、どこまでも塀が伸びていて一向に渡れない。ようやく切れ目を見つけて渡ると、軍人が二人見張りをしているようだった。突然暗闇からやってきたから驚かせてしまったようで、明るく挨拶をして去った。線路を越えるとそこは光に溢れた町だった。夕飯時か通りはテーブルが出たりしてにぎわっていた。自転車を振動が駆け上ってくる。通りは全て石畳だ。人の密度を考えると狭いがこぎれいな通りだった。子供や大人が去り際に呼びかけてくる。石畳の通りを路面電車が滑るようにゆるりと走り、子供たちがどこからともなくやってきてそれにしがみついて乗っていく。
古代ギリシアのマケドニア王アレクサンドロスが築いた町、エジプト第二の都市、アレクサンドリア。私の旅の終着地。着いたのが夜で町全体の雰囲気はわからないが、人々が楽しそうに食べたり、飲んだり、水煙草を吸って話し込んだり、夜なのに子供がそこらじゅうにいる様子から、とても安全な印象を受けた。
この町もそうだが、エジプトやスーダンではストリートチルドレンを目にしなかった。どこかにはいるのかもしれない。表面に出てこないだけで。でもイスラムの国はそういう面でも、なんとなく今までのアフリカ諸国とは違う雰囲気を感じていた。働いている子供も子供だけで働くというより、親が働いている横で「手伝い・見習い」で働いており、顔も明るかったり、凛々しい子供が多かった。
光の連続があるところから切れて、その先は途方もない闇に所々に光の点が光っている。あそこがきっと地中海だ。ペダルを踏み込もうとすると、「ハロー、ちょっと待って!」と男性に呼び止められた。人の好さそうな顔の男性だった。会釈だけして通りすぎようとしたが、少し様子が違う。きゅっと自転車を止めると、
「君、ヨースケ?」
と嬉しそうに尋ねてきた。
「あれ、もしかして自転車屋の人!?」
「そうだよー、日本人と自転車ですぐにわかった」
帰国用に自転車を梱包する箱を、カイロにいた間にアレクサンドリアの自転車屋に頼んでおいたのだ。
「箱のことは大丈夫、何とかしてあげるよ。それより明日は私の友人が君を町に案内してくれるよ」
そんなことまでしてくれるのか、と驚きながらかつ本当だろうか?と思いながら明日を楽しみにして別れた。
そして真っ暗な地中海へ。友人同士や恋人、親子が防波堤に寄りかかって暗い海を眺めている。私も一緒になって見てみると、町の明かりでわずかに照らされ、黒い海に白い波が模様を作っているのが見えた。海の香り。紅海の香りとはやはり違う。もっと磯らしい香りだ。そして波の音が聞こえる。湾になっているため両側には光の塔がずっと続いて闇に張り出していた。
ようやく辿り着いた。ゴール。
海風が気持ちよく頬を撫でていく。本当に一言では言えないいろんなことがあった旅だったが、途中で出会った人々の厚意を托鉢しながら、そして日本にいる人々に励まされて走り切ることができた。怒りや、悲しみ、苦しみもいくらかあったけれど、今となっては全ていい思い出となっていることに気が付く。旅の中でゆっくりと負の感情が熟成されてまろやかになった様だ。今後はそれらをさらに熟成し、しっかり何かを伝えられるようにしていきたい。
ここらは工業地帯らしく、人通りも少ない。物騒な印象を受けたが、家族連れが歩いているのを見て安心する。隣に並行して走っている鉄道を越えたいのだが、どこまでも塀が伸びていて一向に渡れない。ようやく切れ目を見つけて渡ると、軍人が二人見張りをしているようだった。突然暗闇からやってきたから驚かせてしまったようで、明るく挨拶をして去った。線路を越えるとそこは光に溢れた町だった。夕飯時か通りはテーブルが出たりしてにぎわっていた。自転車を振動が駆け上ってくる。通りは全て石畳だ。人の密度を考えると狭いがこぎれいな通りだった。子供や大人が去り際に呼びかけてくる。石畳の通りを路面電車が滑るようにゆるりと走り、子供たちがどこからともなくやってきてそれにしがみついて乗っていく。
古代ギリシアのマケドニア王アレクサンドロスが築いた町、エジプト第二の都市、アレクサンドリア。私の旅の終着地。着いたのが夜で町全体の雰囲気はわからないが、人々が楽しそうに食べたり、飲んだり、水煙草を吸って話し込んだり、夜なのに子供がそこらじゅうにいる様子から、とても安全な印象を受けた。
この町もそうだが、エジプトやスーダンではストリートチルドレンを目にしなかった。どこかにはいるのかもしれない。表面に出てこないだけで。でもイスラムの国はそういう面でも、なんとなく今までのアフリカ諸国とは違う雰囲気を感じていた。働いている子供も子供だけで働くというより、親が働いている横で「手伝い・見習い」で働いており、顔も明るかったり、凛々しい子供が多かった。
光の連続があるところから切れて、その先は途方もない闇に所々に光の点が光っている。あそこがきっと地中海だ。ペダルを踏み込もうとすると、「ハロー、ちょっと待って!」と男性に呼び止められた。人の好さそうな顔の男性だった。会釈だけして通りすぎようとしたが、少し様子が違う。きゅっと自転車を止めると、
「君、ヨースケ?」
と嬉しそうに尋ねてきた。
「あれ、もしかして自転車屋の人!?」
「そうだよー、日本人と自転車ですぐにわかった」
帰国用に自転車を梱包する箱を、カイロにいた間にアレクサンドリアの自転車屋に頼んでおいたのだ。
「箱のことは大丈夫、何とかしてあげるよ。それより明日は私の友人が君を町に案内してくれるよ」
そんなことまでしてくれるのか、と驚きながらかつ本当だろうか?と思いながら明日を楽しみにして別れた。
そして真っ暗な地中海へ。友人同士や恋人、親子が防波堤に寄りかかって暗い海を眺めている。私も一緒になって見てみると、町の明かりでわずかに照らされ、黒い海に白い波が模様を作っているのが見えた。海の香り。紅海の香りとはやはり違う。もっと磯らしい香りだ。そして波の音が聞こえる。湾になっているため両側には光の塔がずっと続いて闇に張り出していた。
ようやく辿り着いた。ゴール。
海風が気持ちよく頬を撫でていく。本当に一言では言えないいろんなことがあった旅だったが、途中で出会った人々の厚意を托鉢しながら、そして日本にいる人々に励まされて走り切ることができた。怒りや、悲しみ、苦しみもいくらかあったけれど、今となっては全ていい思い出となっていることに気が付く。旅の中でゆっくりと負の感情が熟成されてまろやかになった様だ。今後はそれらをさらに熟成し、しっかり何かを伝えられるようにしていきたい。
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