ウェイラの顔が私の頬十センチに迫り、久々に接近した女性に私は少しドキッとした。彼女はあまりスムーズに出てこない英語を駆使して、私にネックレスの編み方を教えてくれている。細くすらっとした白い指に、小さく整った爪が乗り、その指が紐を導き編んでいく。「Small, small」、「Slow, slow」と彼女は何かを表現するときに二回言葉を繰り返すことがある。それが愛らしい。小さい、小さい、小さい、あぁ本当に小さそうだな、と思う。ゆっくり、ゆっくり、あぁ本当にゆっくりなんだ、と思う。ウェイラは小柄で線が細く、黒くて長い髪が美しい中国人だ。目は少し垂れており、いわゆる美人ではないが、どこか愛嬌のある顔をしている。
イスラム教の国であるスーダン、エジプトではほとんど女性と話さなかった。私が女性恐怖症になったかって?いいや、スーダンに関しては町を歩いている女性がいなかったし(ハルツームは例外だが、それでも女性は少なかった)、スーダンで会話を交わした女性は一か月も滞在していたのにたった一人だ。エジプトも同様に外で見かける女性は圧倒的に少なく、いたとしても英語が通じないので、まともな会話にはならない。勿論言葉なんてなくても、という人もいるだろうが、私はやはり言葉で通じ合いたいし、それによって相手の事を知りたいと思う。アスワンで日本の二人の女性旅行者に会った時もなんだか嬉しくて、しゃべりすぎた感がある。これだけ女性との触れ合いがないと、やはりどこかで心のバランスが崩れるのかもしれない。だって町はおじいさん、おじさんばかりなんだもの。本当に。オジサン天国があるとしたらそれはスーダンやエジプトにあるに違いない。
そういう状況の中、カイロの宿でたくさんのアジアの旅人に出会う。やはり見れば何となくほっとするアジア顔。しかも言葉が通じる。先日ツアーで一緒になったミニョンもイギリスに留学していたので、難なくコミュニケーションがとれたし、文化が近いせいか、いろいろなことに共感しやすい。
ある朝ウェイラは冷ややかなバルコニーで一人ぽつんと朝ごはんを食べていた。彼女は一人で旅をしており、羽休めでカイロに一か月近くも滞在しているという。私も朝ごはんにバルコニーに出て話しかけたのがきっかけで知り合いになった。寝起きのままと思われる顔に何となく親近感を覚えた。すごく肩の力の抜けたひとだな、と。なかなか寝起きの顔なんて日本じゃ見られるものじゃないからドキッとする。旅を長くしている女性は結構、化粧に頼らない人が多い。面倒なのもあるのだろうが、外見にあまり重きを置いていないというポリシーを感じる。
重慶出身。彼女の町の話、家族の話。将来小さな店を持って旅で見つけた美しいもの、惹かれるものを売りたいという夢を話してくれた。
ある日、日本人の女性がマクラメ(ワックスを染み込ませたひもを使った編み物でネックレスやブレスレットなどを作る)を旅の途中で教わってきたと、私らにも教えてくれた。結局興味があって教わったのはウェイラと私の二人だけだった。談話室には日本人が5人くらい集まり、その喧騒の中、彼女は黙々と教わりながら編み上げてあっという間に一つネックレスを完成していた。私は日本語を聞き取れてしまうので、ちょこちょこと会話に参加しながら作っていたのでウェイラの二倍以上かかってしまった。教わってから彼女はマクラメに惚れこんだのか、宿で彼女を見かけるとマクラミをしていた。そのたびに「お、やってるね」と声をかけていたら、「今度紐を買ってくるから一緒にやりましょ」と言う。私もせっかくエジプトに来たのでツタンカーメンのマスクに使われている、星が煌めく宇宙を思わせる深く青い石、ラピスラズリで何か作りたいと考えていた。初めのマクラメ講座の時にスーダンで拾った本当に真ん丸な石英を使ってしまっていたので、持っている石はもうなかった。「今度石を市場で買ってくるからそしたら一緒にやろう」という約束をした。
それから数日経って美しいラピスラズリを見つけたので買って宿に戻った。ウェイラも紐を買ってきており、一緒に始めることになった。喧騒とたばこの煙から逃れるようにしてまた二人でバルコニーにやってきた。ウェイラの隣に座った。
ウェイラが聞く。
「やり方、覚えている?」
「うん、編み目を覚えているから編み方もわかると思う」
そうして始めると、意外に戸惑ってしまった。手に持った紐をあーでもない、こーでもないと彷徨わせていると、
「違う、こうよ」
と、冒頭のシーン。ドキッ。30歳でドキッ。帰国直前でドキッ。無職でドキッ。いや無職は関係ないか。しかしすぐにドキッは収まった。そうして二人で編み物をしながら穏やかな時間を過ごした。
で、出来上がったラピスラズリのペンダントは紐が少し伸縮するものだったせいか、ラピスラズリをうまくホールドしなかった。
「あら、先生がいけなかったわ。ごめんね」とウェイラは言うが、そんなの微塵も問題ではなかった。ラピスラズリが落ちてなくなるのが怖くてつけられないが、一緒に作ったお土産ができたことが嬉しかった。
だから私は、「いい思い出に」と心を込めて言った。
明日ウェイラがカイロを一時離れるという日、私がキッチンで夕飯を作っていると、ちょうどウェイラがやってきて、
「これも使っていいわよ、今度帰ってくるの十日後だから」
と野菜をくれた。いや、くれたと思ったら、
「私も食べたいなぁ」と言う。
「あぁ、いいよ、いいよ。一緒に食べよう」
と私は嬉しくなり、私が二品、彼女も二品を作って豪勢な夕飯になった。お互い一人旅なので、こんなに豪勢なのはなかなかないね、と言って笑った。独りで旅していると、宿で自炊しても一人暮らしのように一品か二品作るだけで精いっぱい。店に行っても節約のため品数は必然と少なくなる。私は卵スープと野菜入り炒り卵(卵ばっかじゃないかとは言わんで下さい)、そしてご飯は余った昆布で昆布飯。ウェイラはジャガイモのきんぴら(またしてもこれだ!ジンバブエの中国人夫妻、先日のツアーの韓国人ホストが作ってくれた。私はこれにどうも縁があるようだ)、レタスの炒めサラダを作ってくれた。さすが中国人が作る料理は旨い。いや彼女が特別だったのか?それとも二人で食べたから?ある材料でちゃちゃっと作ってしまった彼女に感心した。私のは、、、ん、まぁまぁだ。そんな風に旨い別れの御馳走を食った。
そうして翌日、ウェイラはザックを背負ってスィーワのオアシスへ旅立っていった。元気でね、いい旅をとお互いにお互いの幸せを願いながら。
イスラム教の国であるスーダン、エジプトではほとんど女性と話さなかった。私が女性恐怖症になったかって?いいや、スーダンに関しては町を歩いている女性がいなかったし(ハルツームは例外だが、それでも女性は少なかった)、スーダンで会話を交わした女性は一か月も滞在していたのにたった一人だ。エジプトも同様に外で見かける女性は圧倒的に少なく、いたとしても英語が通じないので、まともな会話にはならない。勿論言葉なんてなくても、という人もいるだろうが、私はやはり言葉で通じ合いたいし、それによって相手の事を知りたいと思う。アスワンで日本の二人の女性旅行者に会った時もなんだか嬉しくて、しゃべりすぎた感がある。これだけ女性との触れ合いがないと、やはりどこかで心のバランスが崩れるのかもしれない。だって町はおじいさん、おじさんばかりなんだもの。本当に。オジサン天国があるとしたらそれはスーダンやエジプトにあるに違いない。
そういう状況の中、カイロの宿でたくさんのアジアの旅人に出会う。やはり見れば何となくほっとするアジア顔。しかも言葉が通じる。先日ツアーで一緒になったミニョンもイギリスに留学していたので、難なくコミュニケーションがとれたし、文化が近いせいか、いろいろなことに共感しやすい。
ある朝ウェイラは冷ややかなバルコニーで一人ぽつんと朝ごはんを食べていた。彼女は一人で旅をしており、羽休めでカイロに一か月近くも滞在しているという。私も朝ごはんにバルコニーに出て話しかけたのがきっかけで知り合いになった。寝起きのままと思われる顔に何となく親近感を覚えた。すごく肩の力の抜けたひとだな、と。なかなか寝起きの顔なんて日本じゃ見られるものじゃないからドキッとする。旅を長くしている女性は結構、化粧に頼らない人が多い。面倒なのもあるのだろうが、外見にあまり重きを置いていないというポリシーを感じる。
重慶出身。彼女の町の話、家族の話。将来小さな店を持って旅で見つけた美しいもの、惹かれるものを売りたいという夢を話してくれた。
ある日、日本人の女性がマクラメ(ワックスを染み込ませたひもを使った編み物でネックレスやブレスレットなどを作る)を旅の途中で教わってきたと、私らにも教えてくれた。結局興味があって教わったのはウェイラと私の二人だけだった。談話室には日本人が5人くらい集まり、その喧騒の中、彼女は黙々と教わりながら編み上げてあっという間に一つネックレスを完成していた。私は日本語を聞き取れてしまうので、ちょこちょこと会話に参加しながら作っていたのでウェイラの二倍以上かかってしまった。教わってから彼女はマクラメに惚れこんだのか、宿で彼女を見かけるとマクラミをしていた。そのたびに「お、やってるね」と声をかけていたら、「今度紐を買ってくるから一緒にやりましょ」と言う。私もせっかくエジプトに来たのでツタンカーメンのマスクに使われている、星が煌めく宇宙を思わせる深く青い石、ラピスラズリで何か作りたいと考えていた。初めのマクラメ講座の時にスーダンで拾った本当に真ん丸な石英を使ってしまっていたので、持っている石はもうなかった。「今度石を市場で買ってくるからそしたら一緒にやろう」という約束をした。
ラピスラズリは黄鉄鉱が僅かに鏤められて夜空のよう |
ウェイラが聞く。
「やり方、覚えている?」
「うん、編み目を覚えているから編み方もわかると思う」
そうして始めると、意外に戸惑ってしまった。手に持った紐をあーでもない、こーでもないと彷徨わせていると、
「違う、こうよ」
と、冒頭のシーン。ドキッ。30歳でドキッ。帰国直前でドキッ。無職でドキッ。いや無職は関係ないか。しかしすぐにドキッは収まった。そうして二人で編み物をしながら穏やかな時間を過ごした。
で、出来上がったラピスラズリのペンダントは紐が少し伸縮するものだったせいか、ラピスラズリをうまくホールドしなかった。
「あら、先生がいけなかったわ。ごめんね」とウェイラは言うが、そんなの微塵も問題ではなかった。ラピスラズリが落ちてなくなるのが怖くてつけられないが、一緒に作ったお土産ができたことが嬉しかった。
だから私は、「いい思い出に」と心を込めて言った。
明日ウェイラがカイロを一時離れるという日、私がキッチンで夕飯を作っていると、ちょうどウェイラがやってきて、
「これも使っていいわよ、今度帰ってくるの十日後だから」
と野菜をくれた。いや、くれたと思ったら、
「私も食べたいなぁ」と言う。
「あぁ、いいよ、いいよ。一緒に食べよう」
と私は嬉しくなり、私が二品、彼女も二品を作って豪勢な夕飯になった。お互い一人旅なので、こんなに豪勢なのはなかなかないね、と言って笑った。独りで旅していると、宿で自炊しても一人暮らしのように一品か二品作るだけで精いっぱい。店に行っても節約のため品数は必然と少なくなる。私は卵スープと野菜入り炒り卵(卵ばっかじゃないかとは言わんで下さい)、そしてご飯は余った昆布で昆布飯。ウェイラはジャガイモのきんぴら(またしてもこれだ!ジンバブエの中国人夫妻、先日のツアーの韓国人ホストが作ってくれた。私はこれにどうも縁があるようだ)、レタスの炒めサラダを作ってくれた。さすが中国人が作る料理は旨い。いや彼女が特別だったのか?それとも二人で食べたから?ある材料でちゃちゃっと作ってしまった彼女に感心した。私のは、、、ん、まぁまぁだ。そんな風に旨い別れの御馳走を食った。
そうして翌日、ウェイラはザックを背負ってスィーワのオアシスへ旅立っていった。元気でね、いい旅をとお互いにお互いの幸せを願いながら。
0 件のコメント:
コメントを投稿