今日は120km走って首都ハラレまでだ。
ジンバブエは標高こそ1000-1500mで高くはないが、小さな丘がたくさんあり自転車乗りを気持ちよく疲弊させてくれる。
そのため一日の走行平均距離が100km弱だ。
120kmとなると心して走らねばなるまい。
朝、鳥のさえずりが聞こえ始めるころ目を覚ます。
まだ日は昇っておらず辺りは薄暗く青が支配している。
標高が1300m強なので朝方は涼しい。
パッキングをして飯を食べ始めるころ、橙の朝日がテントの頭を染めた。
今日は久々に本気だ。
しょっぱなから緩い上りがあり、またすぐに下る。
それを幾度となく繰り返すのだ。
道の両側は森になったり、草原になったり。
その隙間にトウモロコシ畑が緑を蓄えている。
今日は久しく雲が疎らな青空だ。
天気も味方している。
マスフィンゴ辺りからだろうか、道路脇で子供たちがじっと座ったり、友達兄弟たちと遊びながらキノコを売っているのを見かけるようになった。
写真を撮らせてもらおうと声を掛けると、かしこまって「気を付け」をしたりはにかんだりする様が愛らしかった。
休憩している時に兄ちゃんが近寄ってきた。
ディーゼルをトレーラーから買い取って、森に隠しながら道を通る車に売って儲けているという。
月$200というからさほどでもないのだろうが、無いよりはましだ。
私が積んでいる予備のタイヤを見てチューブも予備があるに違いないと思ったのか、
「予備チューブを持っていたらくれないか?」と聞いてくる。
今までも何度かそういうことがあったのだが、どうしてそういうことが言えるのか理解できずにずいぶん腹を立ててきた。
私は道で出会った人に売るためあげるために予備のチューブやタイヤを積んでいるのではないことがどうしてわからないんだろう、とどんな神経しているんだ!お前らは!と怒鳴ってやりたい衝動を何度押さえつけてきたことか。
旅に必要だから積んでいるんだ!バッキャローイ!!
よくよく考えると、彼らの中には貯蓄、とか予備という概念が薄いことが関係しているんじゃなかろうかと思えてきた。
お金然り、食べ物然り、あれば全部消費してしまう。
暖かい地方で生活してきた人々は年中食べ物が取れる生活のため、「何かを取っておいて、後に使う」という習慣がない、だから貯蓄できない、とどこかで聞いたことがある。
まさにそれなのだ。
だから私が予備で持っているという重要さを理解しないで、くれ!となるのだ。
これから使うものだからあげられない、と答えると、
「じゃあ$2で買うよ」「元値がそもそも$2じゃない」「いや、チューブは$2だ、$2で買えるはずだ」と一向に話がかみ合わない。
そう、彼らの使っているチューブは確かに$2やそこらで手に入る。
でも粗悪品だ。すぐにダメになるし、下手をすれば周辺部もダメにしてしまう。
そんなものと日本が誇るPanaracerの品を同等に見られているということに、意味のないことだと思いながらも腹が立ってきた。
もう住んでいる世界も、ものに対する価値観もちがうんだよなぁ、なんて考えながら彼らの申し出を拒否一点張りしてやった。
でも話しているうちに段々彼らが根は良い奴だと言う事がわかってきたので、使えなくなって荷物を抑えるように使っていたチューブを見せて、これならやってもいいよ、と言うと、$2を取りだしたので、アホゥ、傷んだチューブで金を取れるか、と言ってくれてやった。
私は荷物がかなり重いので空気圧を極めて高く保たなければいけないが、普通乗りの自転車であれば、またバルブの取り外されたチューブでもボンドでなんとかなると考えているたくましき彼らならきっとなんとか有効活用してくれるに違いない。
やはり本気モードはエネルギーを使いせいか、腹が減る。
そんな腹の虫が動き出したころに、一か所日本のパーキングエリアのような場所を見つけた。
農産物販売所やレストランが数軒並んでいた。
農産物を売っているおばちゃんは、私が自転車で旅をしていることに仰天した様子で、しばらく興奮しながらリンゴを齧る私に話しかけてきていた。
その後はレストランでサザを頼んで、鶏の硬い胸肉のシチューと一緒に食べた。
食べ物を食べたい時に食べられるというのは幸せなことだ。
アフリカではお釣りがないと言われる場面にしばしば遭遇する。
店は釣銭を用意していないのが普通だ。ぴったり持っていない客が悪い。と言うわけだ。
日本の商売人が聞いたら卒倒してしまうに違いない。
そういう些細な心掛けがないから全部中国人やインド人に美味しいところを持って行かれてしまうんだよ!
とこっそり思ってやる。
そんなわけで今日も「小銭がないから水でも買って」と言われるが、そんな無駄はできない。
水なら水道があるじゃないか。
結局後で飲む分のジュースも買って埋め合わせた。
満腹になったところで後半戦に入る。
0 件のコメント:
コメントを投稿