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2014年10月13日月曜日

1013 そういふ事もあるさ

長く旅をしていれば失敗もあろうと納得しようとしている私がいる。
ハルツームを出たのはかれこれ2週間前になる。出てすぐに実は胸騒ぎを感じていた。それが何によるものなのか気付くのにさほど時間はかからなかった。砂漠のハンモックベッドに横たわって弱いとも強いともつかぬ涼風に吹かれていると、ふと「エジプトビザ」は国境で取れるのだろうか?と気になった。アフリカ縦断でネックになるのはエチオピアとスーダンだけだったので、それらを取り終わった時点で私の頭の中にはビザの心配はすでに微塵もなかった。勝手にエジプトも国境で取れると思い込んでいた。
清々しく風そよぐ夜に冷や汗が出た。手元にある古いガイドブックを確認する。
「首都で取るべし」
ぐゎ!いやこのガイドブックは古い、きっとルールは変わっている。翌日ネットを繋げられたので調べてみる。ロンプラの口コミサイトは本当に色んな、そして有益な情報があるから助かる。とあるヨーロピアンの質問に他のヨーロピアンやカナディアンが返答する。現在はフェリーの上で取れるとあった。ほらー!ねっ?
そして安心してワディ・ハルファに行きエジプト領事館に赴いて申請すると領事様直々に出てきてくれ(私がアラビア語を話せないので)、「日本人にはハルツームでしか出していない」とビザ申請の手引きのようなものを調べて教えてくれた。
がちょん!
なんて言う音が久しぶりに聞こえた瞬間だった。ハルツームまで戻らねばならない。自転車でか?いや往復2,000㎞あるぞ。ゴールについてしまう距離だ。律儀に自転車で行くのが自転車旅行者たる者の筋かもしれないが、私は優柔不断の流れ小島なので、即断、バスで行こう。とあいなった。
バスは翌日早朝に出る。オスマンさんの厚意に甘えて、親戚のテナントに泊まらせてもらって、そこから発つことにした。5時にお祈りのあるスーダンとはいえ、4時ではまだ町は眠っている。寝待ちの月が煌と砂の路地をぼんやり照らし、風がひょうと吹く。人影はない、と思ったら水瓶に水汲む男の影と水音。
バス停は白熱灯が幾つか灯り、薄暗い中、人がたくさん集まっていた。紅茶を一杯頂いてバスに乗り込む。橙の外観に内装も橙で統一されている。天井までがケバケバしたイソギンチャクみたいなもので覆われて、ニモにでもなったようだ。フロントガラスには「祝」と入った提灯が垂れ、他にも金の落花生やらサイコロがぶら下がっていた。日本でもたまに見かける喧しい系の内装だ。徐々に人が乗り込み、次第にそこここで荒い声が聞こえてくるようになる。席は指定されているはずなのに、こうなる。やはりここはまだアフリカなのだ。私にも火の粉が飛んできて一人の男が「そこは俺の席だ」と言う。私は切符に書いてあるアラビア文字を読めないので、人に聞いてこの席に座っていた。私の切符を見せるが、やはり正しい。そして私の隣に座っていた男に白羽の矢が立った。彼はバスを間違えていたようだった。結局ゴタゴタで予定時刻を45分押して出発となった。南アのバスで慣れているので、時間については期待していない。バスは目的地に連れて行ってくれさえすればいいのだ。
はじめはエアコンが効いていたが途中から効かなくなりうだるような暑さに包まれた。しかし水が提供されたり、ジュース、お菓子が提供されたり、なかなか気の利いたサービスが用意されていた。そして検問所でバズが停まるとデーツやらグレープフルーツなどの売り子ゲリラにバスが一時占拠される。
実を言うと昨日食った何かに当たり、私の腹は雨後の濁流のようになっていた。
私は腹を壊すと暫し絶食する。一番これが自分にあった治療法のような気がするからだ。運良くバスで寝ていればいいだけだし、エネルギーは特に必要ない。しかし途中でどうしても我慢ならなくなったらどうしたらいい?言葉ができぬ私は身振り手振りで運転手に伝えて停めてもらうことになるだろう。その画を想像して一人おかしくも恥ずかしかった。しかし日本より来るワカマツ君!君は凄いよ!完全に私の希望に答えてくれた。ありがとう。そうして私は特に苦しむこともなく、ハルツームについたのであった。しかし、何だね、私が暑さで干乾びて、やっとこさ2週間かけて走った900㎞を、バスはたった11時間だよ。ワットの発明は偉大だなぁ、君!

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