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2014年9月14日日曜日

0914 エチオピアにさようなら

もうすぐエチオピアも過ぎ去ろうとしている。振り返ってみれば一番言葉が通じず難儀したものだが、また一番エネルギッシュで忙しく、何よりも学び多き国であった気がする。相変わらず今日も子供達には「金ー」「バナナ」「ペン」とモノをせがまれ、マグソにたかるハエの如く執拗に追いかけられ、石つぶてや棒切れを投げつけられ、「ファッキュー!」と罵られ、それでも悪びれずに笑顔でファランジをおちょくって。
エチオピアの子供はひとまず脇においておいて、エチオピアの大人には大変温かく迎えてもらった事をまず書きたい。
言葉が通じずとも色んなところで手料理をご馳走してくれ、薄暗いブナベット(喫茶店)から手招きされて、甘ーいコーヒーや紅茶で体を温められ、アムハラだろうとオロモだろうと、とにかく関わろうと声を掛けてきてくれたのが、その星の数ほどの頻度から言えば煩わしくもあったが、ともすれば言語ができないので孤立しがちになる私を彼らの世界に引き留めてくれたことは何よりもありがたかった。またエチオピアは礼儀を重んじる人々でもある。興味深いのはお辞儀だ。エチオピアでは挨拶の時、アジアと同じように頭を下げてお辞儀する。だからすごく挨拶しやすかったし、なんだか親しみを持てた。道に座って何かを待っている人に、いやただ日がな座っていた人も多かったに違いないが、挨拶するとオシリをヒョイっと上げて中腰になって挨拶を返してくれる。田舎で年配の人に挨拶すればこちらが恐縮するくらい丁寧に立ち止まって手を差し伸べて返答してくれる。いかにも砕けた感じの若者も挨拶にははにかみながらも応じてくれる。礼には礼を持って尽くすエチオピアの文化を垣間見た気がする。
しかしだ、どうして子供はあんなに無礼なのだ。エチオピアの人間界にはある境界が存在しているにちがいない。だいたい15,6歳くらいだろうか。人ではない何者かから、人になる境がある。その辺りを境にまるで人格が変わったようにその態度が変わる。いくつかこれに対して仮説を立ててみた。一つは、本当にある境を機に人が変わるメタモルフォシス仮説。二つ目は、年齢が上がると無礼な態度の子供は地下に潜る、または社会的に消える淘汰仮説。そして最後に今の若い世代に蔓延してる一種の風潮のようなもので、世代特異的仮説と名付けよう。
どれも可能性があって短期間の滞在からは判然としないが、とにかく子供たち(絶対的な貧困からは抜け出している)に蔓延している「ファランジ=カネ」、挨拶するよりもカネ、という共通のイメージはいちファランジとしては薄気味悪いし、人として金を求める対象にしか見られていないのは悲しいし、極めて不快。何が彼らをそのようにしているのかいくつもの要因があろうが、今まで彼らと関わりのあったファランジが何でもかんでも無条件で与えすぎたことは一要因として外せないだろう。彼らは貧しいから、人の生きる権利を守る、と言って中途半端な支援をして彼らの人として大事な何かを、尊厳を奪ってしまったのではないか、と感じる。
ともあれどんな事があろうと、アフリカは世界の流れに容赦なしに食われていく(今の様子からはどうしても「組み込まれる」という表現は適切ではない気がする)。中国やインドを始めとするいろんな国々からの投資で翻弄されていくことだろう。その時に目先の金にうつつを抜かしていれば、いずれ大きな痛手を食う。本当に大事なものは何か、金か、それは先進国が間違えた道ではなかったか。彼らを見て自分自身も国へ帰ってからもう一度考えねばならないと思った。
おそらく今日明日でスーダン入りをする。また新たな発見と気付きがあるに違いない。大きな期待を胸に、いざ灼熱の国スーダンへ。寒さに震えたエチオピアから一気に標高を下げて乾燥と暑さの国へ行くのは少々体が心配。クマムシが羨ましい。

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