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2014年9月15日月曜日

0915 最後の晩餐

勝手な思い込みとエチオピア人のアドバイスにより、アイケルAykelからスーダンまではもう下るだけかと思ったら、そんなことはない。まだまだ丘が待ち受けていた。
昨日は食ったものが悪かったようで、夕方から朝までずっと体調悪くて起きたり眠ったりを繰り返してベッドに潜っていた。久々にナンキンムシ・フリーで心地よかったのも、ある。朝早くに目が覚めると気分は良くなり、熱も引いて出発。朝の空気が透明で清々しかった。
谷が深く切れ込んだところを下る、下る。蛇行しながら下る。タイヤのリムを替えてからブレーキがガクガク言うので(エチオピアで買ったいわゆる安物なので繋ぎ目が膨らんでいるため)あまり過激に下りたくないのだが、恐らくこれが最後。自転車に無理言って下った。
あぁ子供達の催促がなければなんと美しい場所なんだろう。黄色い菊が、丘に生した緑を処々に塗り替えて愈々明るい。立体的な大地のそこかしこに黒や茶、白、またはそれらの斑模様の牛たちが、のどかに草を食んでいる。しかし気をつけよ!おクソガキ様は常にこののどかな牛一行の近辺にいることを!のどかだなぁなんて眺めていると、牛の群れの陰からファランジの匂いを嗅ぎつけておクソガキ様が跳びだす。面白いのは農耕タイプよりこの牧童タイプのおクソガキ様の方がスティッキー(粘着質と書くとあまりに負のイメージが強いので)でアグレッシブだということだ。この牧童タイプおクソガキ様、常に棒やムチを持っている。ムチの場合、威嚇のためか、楽しそうに得意げに地面を打ち、パンッとピストルみたいな音を鳴らす。正直、不快だ。それから彼らのトレードマークは半ズボンに裸足、またはいい具合に大地にカモフラージュするほど汚れた長靴だ。そこに寒い地域ではシーツほどに大きい布を纏っている。更に頭には茶色い王冠。今まで上り坂で私を付け回し、マネー攻撃を仕掛け、石を投げてきた奴はこの王冠を被っているものが多かった。だから今ではこの王冠を見ると体が臨戦態勢に入る。この王冠、先日までずっと何か牧童の位を示すものかと思っていたらなんのことは無い、ただ雨が降った時に被るポンチョであった。うまい具合に畳んで、持つのが面倒だから頭に頂いているだけである。雨が降ってる時にこいつらどこからポンチョ出してくるのかなぁと思っていたら、王冠、それであった。雨が降るとそれをすっぽり被り、じっとしている、と思いきやファランジ見るなり「マネー」だから本当にたくましい。
山岳地域は牧童タイプが多いので要注意だ。しかし下りはオジサン強いよ。マネーと叫んだ時には20mくらい先に行っている。君らのマネーがドップラー効果で大人びて聞こえるくらいだ。
随分下って大地が切れた岩山から緩やかな丘に変わった。空気も温く湿っぽい。腹の調子がまだ悪いせいか昼飯食ったあとはどうも気持ち悪くて、何度も吐きそうで涙を目にためていた。どこへでも吐いていいという安心感のみが私を支えてくれていた気がする。そんな最悪のコンディションに子供達のマネー!緩やかな上り下り。更に背後から迫る雷と雨雲。逃げているのに、オエ(追え)ッてのも滑稽な画ではないか。
西の空のみが明るい。そこへ向かってひたすら走る。すでに空気は温くじっとりして、さながら日本の夏だ。日本の皆様はこの蒸し暑さを乗り切って今頃は秋の長夜に虫の音か。秋刀魚が旨そうだのぅ。そう思うとペダルを踏む脚に力が戻った。道の両側を埋めるアカシアの灌木が道路にせり出して風に揺れ、ランナーを応援してくれている。空は常時飛行機のエンジン音の如き雷鳴が響いて私を急かす。
しばし休憩。考えてみたらエチオピアでは道端で休憩を殆どしなかった。何故か。一人になれる空間がなかったからだ。お、ここは人がいないぞ、一服するかな。と腰を据えるとどこぞで臭いを嗅ぎ取ったかおクソガキ様がやって来てマネー攻撃を仕掛ける。ゆっくり休む事が出来ないのだ。だから休憩は町はずれのブナベット(喫茶店)ですることが殆どだった。
それがここへ来て人口密度が減り、一人になれる空間が手に入ったことで可能になったのだ。雷様はまだ少し遠い。気温も高いので濡れるなら濡れてもいいか、という気持ちになってアスファルトに寝転んだ。日光で温められて温かい。鈍色の空に入道雲が立っている。おい、お前は青空に立つべきじゃないのか、と小さく批判しながら、風の音、雷鳴、風で揺れる木々のざわめきを聞いていた。
私は台風が来る前の雰囲気が好きだ。次第に風が強くなり、木々を煽ってゆっさゆっさ揺らし、林に刹那、海を作る。梢の動き、出す音が波のようだ。それを見る私は家の窓の内という安全な場所にいるから、雨で濡れ、風に冷やされ、不快な思いになることはない。そういう嵐の中にある安心感が私に小さな幸福をもたらす。
今はその私を守るべき囲いはない。そのため幸福感までは得られなかったが、久しぶりに自然に懐かれて休める事が嬉しかった。
今日の目的の町マガナンMagananに着いたのは五時近かった。結局雨にやられず宿に着いた。
宿を見つけて入ろうとすると快活な女性が声をかけてきた。宿の前の店兼オープン食堂の人らしい。おばちゃんと言うにはまだ早いような、でも雰囲気が頼りがいがあってなんとなくおばちゃんだからここはおばちゃんと書いてしまおう。早速宿の方へ案内して宿の受付でテキパキとテンポ良く部屋を取ってくれ、自分の食堂でのメニューもちゃっかり取っていった。こういう面倒見がよくサバサバした人に悪い人はいない。
早速シャワーを浴びてさっぱりした体で食堂へ行く。西の空だけが晴れていて山吹色の夕空を低い場所に見せていた。西からこちらに伸びる場所は厚い雲に覆われ、すでに納戸色の世界が広がっていた。店先にはブリキの七輪が置かれて炭に赤く火が入っている。その上では薄手のアルミやかんが置かれて、こーひの注文を待っていた。食堂のおばちゃんに挨拶すると、すでに注文してあったインジェラとトマトのサラダが用意されていた。エチオピアに入った日に食べたのもトマトソースとインジェラで、今日最後の夕飯に頼んだ野菜とインジェラがどういった因果かトマトのサラダ。エチオピアはイタリアの影響を受けており、各所にその名残が散見される。トマトとパスタが至る食堂で見られるのもそういう背景があるからだろう。ちなみにエチオピアでバイバイは「チャオ」だ。パスタに関しては他のアフリカと等しく、アル・デンテを無視した小麦粉の土左衛門であるが、ことトマト料理に関してはハズレがない。今日のトマトサラダも美味しくインジェラと合わせて食べることができた。
私が食べている間、おばちゃんは他の客の料理、ティブス(細切れのヤギ肉をニンニクやタマネギ、唐辛子で軽く煮たもの)を作っていた。側溝を挟んで道路に面した店の前に据えられた、ブリキの七輪の上で30分くらいかけて。これが150円。先日40分くらいかけて散髪した時に払ったのはやはり50円。エチオピアの労は安い。そういう労働の上に私はゆっくりじっくり旅ができている。そういうふうに安く働いている人がいることを心に留めて、安価、高価によらず労働そのものが尊いものである事を覚えておきたい。

2 件のコメント:

  1. 帰国したらうまいさんま食べに行こう!!その時期にはさんま終わってそうだけど。

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    1. 秋刀魚は死なず!冷凍でも缶詰めでも頂きますよ。また集まって旨いものを食おう。

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