ウガンダに入ってから再び宿の値段が下がったが質も下がった。部屋にトイレがついていないのはもちろんのこと、今日の宿はトイレがどこにあるのかすらわからない。小さい方はどこでもできるが、大きい方が顔を出してきたらどうしてくれるんだ。明日の朝一番で聞かねばな。
カバレKabaleもルバンダ同様、標高が高いので朝靄が出て幻想的だ。しかしアフリカらしい砂埃と町の喧騒がその幻想的な雰囲気から引きずり出してくれる。
ヒラリーは相変わらず私を出発させてくれない。大家さんが朝のパンと紅茶を出してくれたので、もう朝飯は十分というのに、うちの朝飯も食べて行け、と言って聞かない。昨日のピーナツソースをからめたジャガイモとバナナの煮込みだ。見るからにガッツリなそいつを、食えないから少しにしてくれよ、というも皿にてんこ盛りにしやがって、ニコニコと満足そうに私の前に差し出すではないか。私もヤケだ。これを食わねば出発させてくれそうにないとみて、掻き込む。意外とすんなり収まったが腹が苦しい。これじゃ腹痛になるよ。それからそこらに落ちていたノートの切れ端でお世話になった二人に感謝の意を込めて折り鶴を二羽折ってプレゼントした。二人の明るく長い未来を祈る意味も込めて。出発の時は姦し三女も相変わらずの姦しさで見送りに来てくれた。
カバレに向かう途中にマラウィで買った予備のタイヤを使ってしまっていたので、出発前に買っておく。店の中は駄菓子屋のようにごちゃごちゃした感じで、色々なものがぶら下げられて揃えられていた。ゴミ屋敷と違う点はある程度規則的に散乱し、かつ三次元への広がりがぶら下がることによって成し遂げられていることくらいだ。タイヤはどこ製か書かれていないが主人曰く、オリジナルだそうだ。期待しよう。値段は700円くらい。質はジンバブエで買ったものよりも少しいい感じか。それにしても意外にマラウィで買ったタイヤの履き心地がよくて驚いている。
ヒラリーも水道水を煮沸して飲んでいたので、私も惜しいが水を買う。1.5リットルで60円くらい。今日あたりから山岳コースを少し抜けた感が出てくる。平らな道や緩やかな坂が多くなる。タンザニア以来ずっと山岳コースで鍛えられてきたので、多少の坂は坂に見えないから私の筋肉も成長したものだ。地図の道がずいぶん変更されて新しく道ができている。未だ工事中でトラックが砂埃を巻き上げて往来するのに閉口した。口の中がじゃりつき汗をぬぐった手ぬぐいは茶色になる。
ントゥンガーモNtungamoで泊まっても良かったが、天気も持ってくれそうだし、まだ時間があったので次の町ルフンガRuhungaまで行ってしまうことにした。ルフンガも国道のわきに日本の商店街のように店を並べている。ただ、日本の商店街と違うのは同じような店が多いということだ。チャイとチヤパティを出す喫茶店、雑貨屋、携帯電話関係の店、自転車屋、露店八百屋、定食屋、薄汚れたバー、、、そして私の目当てのホテルは。。。あった。
マラウィから宿を使うようになったのだが、安宿(売春宿を含む)の上手な探し方を書いておこうと思う。国によってそれら安宿の呼び名が異なり、
マラウィ:ゲストハウス、
タンザニア:ゲスティ、
ブルンジ:オテル、
ルワンダ:ロッジorロッジメントなどで、
ウガンダはホテルだったりロッジだったりする。安宿があるのは、国道(またはメインの道)沿いか少し脇道に入った場所にあり、現地の人々の生活の熱気を感じる場所にある。見た目はいかにもカビ臭そうな感じで、他の店とあまり区別できないが、レストランを有していることが多く、入り口と思しき場所に、埃っぽい外界と薄暗く妖気が充満した内界を隔てるべく薄汚い暖簾がかかっていることが多い。何よりも一応目立たないながらもホテルやロッジとは書いてあるのでそれを見つければいい。何日か訓練すれば簡単に見つけられるようになる。というか宿はたくさんあるのでぼうっと歩いていると暖簾をくぐって仕舞うかもしれないよ。気をつけて。
一番手っ取り早い方法はそこらにいる人に聞くのがいい。バーで屯してウダウダしている男に聞くのは禁物だ。絡みが鬱陶しいうえに、教えてあげた料を請求されることが多い。自分から名乗りをあげてくる奴も胡散臭いやつが多いが、本当に助けようとやってくる漢もいるので難しい。これを見分けられるようになるには私はまだまだ修行が必要だ。それでも最近は少し目が違うことに気が付いた。まぁ無難なのは女性、しかも店を持っているおばちゃん級の女性が一番いい。自転車ポーターやバイクタクシー野郎に聞くのもいい。彼らは気のいい兄ちゃんたちであることが多く、ノリさえしっかりつかめば、最高のもてなしをしてくれるだろう。ちなみに自転車野郎よりもバイク野郎の方が生活水準が高いので英語が話せたり、いろんな知識があることが多いので、道を聞くのはバイク野郎の方が頼りになる。付け加えるとアフリカで地図を広げて道を聞くのはナンセンスの極みだ。彼らの多くは地図を見る機会が殆どないので混乱させるだけ。彼らの世界は平面図上にはない。言語の世界かまたは線で結ばれた世界にある。
ロンリープラネットや地球の歩き方に載っている宿はムズングが主に利用するもので、温水シャワーがあったり、心地よさ(臭くないとか夜中まで音楽がガンガンなっていないとか)がいくらか確保されているので安宿というある種の「野放図な臭さ」を感じない。これらのムズングが集まる宿はネット環境や旅の貴重な情報が手に入るという点で重宝する。ちなみに今まで泊まってきたいわゆる安宿で観光客に出会ったことは一度もない。つまり主に現地の人が使うものなのだ。
今日も宿探しモードに入り、道を走っているとすぐにホテルの文字が目に入り、自転車を停めて聞きに行く。ところがどっこい、ホテルと書いてあるのに宿でなかったり、ホテルと案内されて行ったら兄ちゃん自身の部屋で、この兄ちゃん一緒に寝るつもり満々だ(補足:彼はゲイではない。アフリカでは男同士ベッドを共有するのは全く抵抗がないように見える。南ア、ジンバブエ、ウガンダで私は誘われるがままにベッドを共有させてもらった)。
「え、嫌だよ、今日は一人にさせてくれ」
と言うと、いいよとさらりと返す。
「いいよって、じゃ、君はどこに泊まるのさ?」
と聞くと姉の家に泊まるからいいのだという。
教員住宅のようだった。
これからシーツを取り替えると意気込んでいたが、なんか胡散臭かったので保留にして別の宿を探すことに。探していると少し離れたところにムズングボランティアがよく利用している宿があるという情報を得た。久しぶりにムズング同士で話すのもいいなぁ、と思って行ってみるが飯が付くとはいえ1500円以上する。やっぱりムズング宿は私の手の届かない場所にあるという落胆で去ろうとすると、管理人らしいおばちゃんは「あんたは一人だから1200円でいいわ」という不思議な理由で値下げしてくれるも、まだまだ高かったので去って再び町に戻った。
それから見つけたのが400円の宿。近くのレストランで夕飯食べたら80円くらい。おまけにパイナップルとバナナを買って帰ってデザートも付いた。
最近は標高が高いせいか、また星がよく見えるようになった。ナミビアの砂漠ほどではないが。これからビクトリア湖の畔へ行くとまた見えなくなるんだろう。さらば南十字星よ。そういえばカンパラはほぼ赤道直下じゃないか。南十字星がどんどん地平線に近づいていく。
カバレKabaleもルバンダ同様、標高が高いので朝靄が出て幻想的だ。しかしアフリカらしい砂埃と町の喧騒がその幻想的な雰囲気から引きずり出してくれる。
ヒラリーは相変わらず私を出発させてくれない。大家さんが朝のパンと紅茶を出してくれたので、もう朝飯は十分というのに、うちの朝飯も食べて行け、と言って聞かない。昨日のピーナツソースをからめたジャガイモとバナナの煮込みだ。見るからにガッツリなそいつを、食えないから少しにしてくれよ、というも皿にてんこ盛りにしやがって、ニコニコと満足そうに私の前に差し出すではないか。私もヤケだ。これを食わねば出発させてくれそうにないとみて、掻き込む。意外とすんなり収まったが腹が苦しい。これじゃ腹痛になるよ。それからそこらに落ちていたノートの切れ端でお世話になった二人に感謝の意を込めて折り鶴を二羽折ってプレゼントした。二人の明るく長い未来を祈る意味も込めて。出発の時は姦し三女も相変わらずの姦しさで見送りに来てくれた。
カバレに向かう途中にマラウィで買った予備のタイヤを使ってしまっていたので、出発前に買っておく。店の中は駄菓子屋のようにごちゃごちゃした感じで、色々なものがぶら下げられて揃えられていた。ゴミ屋敷と違う点はある程度規則的に散乱し、かつ三次元への広がりがぶら下がることによって成し遂げられていることくらいだ。タイヤはどこ製か書かれていないが主人曰く、オリジナルだそうだ。期待しよう。値段は700円くらい。質はジンバブエで買ったものよりも少しいい感じか。それにしても意外にマラウィで買ったタイヤの履き心地がよくて驚いている。
ヒラリーも水道水を煮沸して飲んでいたので、私も惜しいが水を買う。1.5リットルで60円くらい。今日あたりから山岳コースを少し抜けた感が出てくる。平らな道や緩やかな坂が多くなる。タンザニア以来ずっと山岳コースで鍛えられてきたので、多少の坂は坂に見えないから私の筋肉も成長したものだ。地図の道がずいぶん変更されて新しく道ができている。未だ工事中でトラックが砂埃を巻き上げて往来するのに閉口した。口の中がじゃりつき汗をぬぐった手ぬぐいは茶色になる。
ントゥンガーモNtungamoで泊まっても良かったが、天気も持ってくれそうだし、まだ時間があったので次の町ルフンガRuhungaまで行ってしまうことにした。ルフンガも国道のわきに日本の商店街のように店を並べている。ただ、日本の商店街と違うのは同じような店が多いということだ。チャイとチヤパティを出す喫茶店、雑貨屋、携帯電話関係の店、自転車屋、露店八百屋、定食屋、薄汚れたバー、、、そして私の目当てのホテルは。。。あった。
マラウィから宿を使うようになったのだが、安宿(売春宿を含む)の上手な探し方を書いておこうと思う。国によってそれら安宿の呼び名が異なり、
マラウィ:ゲストハウス、
タンザニア:ゲスティ、
ブルンジ:オテル、
ルワンダ:ロッジorロッジメントなどで、
ウガンダはホテルだったりロッジだったりする。安宿があるのは、国道(またはメインの道)沿いか少し脇道に入った場所にあり、現地の人々の生活の熱気を感じる場所にある。見た目はいかにもカビ臭そうな感じで、他の店とあまり区別できないが、レストランを有していることが多く、入り口と思しき場所に、埃っぽい外界と薄暗く妖気が充満した内界を隔てるべく薄汚い暖簾がかかっていることが多い。何よりも一応目立たないながらもホテルやロッジとは書いてあるのでそれを見つければいい。何日か訓練すれば簡単に見つけられるようになる。というか宿はたくさんあるのでぼうっと歩いていると暖簾をくぐって仕舞うかもしれないよ。気をつけて。
一番手っ取り早い方法はそこらにいる人に聞くのがいい。バーで屯してウダウダしている男に聞くのは禁物だ。絡みが鬱陶しいうえに、教えてあげた料を請求されることが多い。自分から名乗りをあげてくる奴も胡散臭いやつが多いが、本当に助けようとやってくる漢もいるので難しい。これを見分けられるようになるには私はまだまだ修行が必要だ。それでも最近は少し目が違うことに気が付いた。まぁ無難なのは女性、しかも店を持っているおばちゃん級の女性が一番いい。自転車ポーターやバイクタクシー野郎に聞くのもいい。彼らは気のいい兄ちゃんたちであることが多く、ノリさえしっかりつかめば、最高のもてなしをしてくれるだろう。ちなみに自転車野郎よりもバイク野郎の方が生活水準が高いので英語が話せたり、いろんな知識があることが多いので、道を聞くのはバイク野郎の方が頼りになる。付け加えるとアフリカで地図を広げて道を聞くのはナンセンスの極みだ。彼らの多くは地図を見る機会が殆どないので混乱させるだけ。彼らの世界は平面図上にはない。言語の世界かまたは線で結ばれた世界にある。
ロンリープラネットや地球の歩き方に載っている宿はムズングが主に利用するもので、温水シャワーがあったり、心地よさ(臭くないとか夜中まで音楽がガンガンなっていないとか)がいくらか確保されているので安宿というある種の「野放図な臭さ」を感じない。これらのムズングが集まる宿はネット環境や旅の貴重な情報が手に入るという点で重宝する。ちなみに今まで泊まってきたいわゆる安宿で観光客に出会ったことは一度もない。つまり主に現地の人が使うものなのだ。
今日も宿探しモードに入り、道を走っているとすぐにホテルの文字が目に入り、自転車を停めて聞きに行く。ところがどっこい、ホテルと書いてあるのに宿でなかったり、ホテルと案内されて行ったら兄ちゃん自身の部屋で、この兄ちゃん一緒に寝るつもり満々だ(補足:彼はゲイではない。アフリカでは男同士ベッドを共有するのは全く抵抗がないように見える。南ア、ジンバブエ、ウガンダで私は誘われるがままにベッドを共有させてもらった)。
「え、嫌だよ、今日は一人にさせてくれ」
と言うと、いいよとさらりと返す。
「いいよって、じゃ、君はどこに泊まるのさ?」
と聞くと姉の家に泊まるからいいのだという。
教員住宅のようだった。
これからシーツを取り替えると意気込んでいたが、なんか胡散臭かったので保留にして別の宿を探すことに。探していると少し離れたところにムズングボランティアがよく利用している宿があるという情報を得た。久しぶりにムズング同士で話すのもいいなぁ、と思って行ってみるが飯が付くとはいえ1500円以上する。やっぱりムズング宿は私の手の届かない場所にあるという落胆で去ろうとすると、管理人らしいおばちゃんは「あんたは一人だから1200円でいいわ」という不思議な理由で値下げしてくれるも、まだまだ高かったので去って再び町に戻った。
それから見つけたのが400円の宿。近くのレストランで夕飯食べたら80円くらい。おまけにパイナップルとバナナを買って帰ってデザートも付いた。
さぁ見てくれ、何もやましいことはないぞ! |
最近は標高が高いせいか、また星がよく見えるようになった。ナミビアの砂漠ほどではないが。これからビクトリア湖の畔へ行くとまた見えなくなるんだろう。さらば南十字星よ。そういえばカンパラはほぼ赤道直下じゃないか。南十字星がどんどん地平線に近づいていく。
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