国道がモザンビーク国境に近づくルワンガの町でもルワンガ川で獲れた魚がたくさん売られて美味そうだったのに、パンを買うお金を残すために茹で卵一個しか買えなかった。匂いだけ嗅いで満足してその場を去った。
この場所に来て、不思議な事を経験する。出会う子供らが「ペンちょうだい」と言ってくるのだ。今までもお金やお菓子を求められることはいくらかあったが、ペンは初めてだった。恐らくどこかの慈善団体が学校で使うペンを子供たちにあげているのだろう。異邦人を見たら求めなさい、と親に言われているのかもしれない。
そんな子供らに見つめられながらのパンク修理はあまり気持ちのいいものではなかった。道路に落ちていた針金がタイヤにめり込んでしまっていた。子供らがどんどん集まってくる。英語が通じる高校生くらいの青年も混じっていたので、「ペンを求めること」についてどう考えているのか聞いてみた。
「どうしてここの子供たちは私を見つけるとペンを求めてくるの?」
「それはペンは学ぶのに大事だからさ、特に我々の民族にとって学ぶことはとても大事なことと考えられているからね」
「いや、それは答えになっていない、誰だってペンは大事だし、学ぶことは大事なものだよ。君たちに限ったことじゃない」
そういうと、彼は訳がわからないというように困ってしまい、私も思わぬ回答にその後、何言ってるんだお前は、的なことを言ったと思うがあまり覚えていない。
自分たちで買えないから、お金のある人にもらって当然。
私は支援する側が必要以上に謙遜したり相手の尊厳を傷つけまいと「支援させていただいている」という態度に違和感を覚える。そりゃ支援しているのだって大局的に見れば自分のため(アフリカに関しては今後ますます需要が増すレアメタルを含む資源というカードを持っているので)という側面もあるにはある。でも「支援させていただいている」という態度は行き過ぎではないかと思う。むしろそういう態度が、被支援者に変な誤解を与えており、彼らを甘やかしてしまっているのではないか、と心配でペンもあげられない。
例えばここで上げた例も、もらって当然、我々の民族は優秀で勉学に励まねばならない(少し深読みかもしれないが、彼の態度はそういう風だった)、といった態度が見て取れる。
誰だって誇りは傷つけられたくないし、そのために努力してきた。そして傷つけられれば、その怒りをエンジンにして個人がそして国が発展してきた。それが20世紀までだろうか。今は相手が勝手に誇りを傷つけないようにしてくれる。いい世界になった、とも言えるし、それに甘んじている人はどんどん置いていかれる。格差は広がるばかりだ。
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