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2014年2月3日月曜日

オジ賛歌

幸運にもニンバNymbaという町でお金を引き出すことができた。そのお金を持ってなんか食ってやろうと店に寄った。店の前にいたお婆さんに「何か買って」と言われ、おろしたばかりでほっこりしていたのでつい「いいよ」と言うところだったが、そこは何とか抑えて「だめ!」と断ったら苦笑いしていた。茹で卵を二つ買おうとおろしたばかりの大きなお札を店主に差し出すと「お釣りがない」という。少し迷った店主は、「いいよ、持って行きな」とばかりに卵をくれた。

彼は白い装束を纏っておりムスリムであるという。私はイスラム教を国教とする国へ行ったことはない(マレーシアがあるが、キリスト教が主体のボルネオ島がメインだった)のでムスリムがどのような人なのかあまり知らない。しかし彼の佇まいや雰囲気がとても静かで礼儀正しくイスラム教の国へ行くのが楽しみになった。

卵とパンを食べながらぐずぐずしていると行き先の雲が濃くなってきた。暫くして雨が降ってきた。店の裏の物置に自転車ごと避難させてもらった。子供達が距離を保って近寄ってきている。興味がありながらも言葉が通じない私を警戒しているといった感じだ。それでもカメラを向けるとはにかみながらも写真に収まろうと集まってくる。
店の裏に住んでいるお婆さんに聞くと「今日はもう雨は止まない」と言うので、今日はこの小屋に泊めてもらうことにした。

そうして準備をしている間も子供達がチョコチョコと見に来たり、遠巻きに見ている。夕飯を済ませて寝る準備をしていると、ニコラスと名乗るオジサンがやってきた。チブク(トウモロコシを原料にしたどぶろくのようなもの)を飲んでおり、酒臭い。英語が話せるのでコミュニケーション可能だが、酒のせいで言っていることがめちゃくちゃだ。愚痴を吐いているようだが半分くらい聞き取れない。それでも色々聞いていると、どうやら私と文通したいらしい。こんな田舎ではメールなんてできない。お金があってちょっといい携帯があれば可能だが、彼のような貧しい人にはそれは難しい。私に手紙をくれ、と言ってくるができない約束はしたくないので、まずはあなたが手紙をよこして下さいよ、とお願いした。そうしてタバコ用の新聞紙(煙草の粉を紙に巻いて吸う)の切れ端を差し出し住所を私に書かせた。きっとこの紙も煙草の巻紙に使われて仕舞うのだろうな、と彼の胸ポケットに入っていく様子を見守った。

そんな呑兵衛の彼だが、自分の子供だと言う二歳くらいの男の子を連れてきて私に紹介してくれた。何をしてもあまり反応のない子だったが、親父が買ってくれたビスケットをむしゃむしゃと食べていた。夕飯前ではないの?と気になって聞いたがこんなところで私は何を聞いているのだ?と可笑しくなった。

私がそろそろ寝なければいけないからと、彼の帰りを促すと「湯は浴びんのか?」と気遣ってくれた。そして自分は何もせず、店の裏のお婆さんを呼んでお湯を用意させた。私はお婆さんに申し訳なかったが、言葉が通じず礼しか言えなかった。

私が小屋の裏手の湯浴み場から帰ってもオジサンはチブクを飲んでいた。寝るから、と言うとまた朝会おう、と言って帰っていった。飲みかけのチブクを置いて。
夜中そのテントのそばに置かれたチブクを犬が旨そうに音を立てて飲んでいた。なる程無駄なものはないってことか。

さて、世にの奇妙なオジサンが世にはたくさん蔓延っているようだが、私もおじさんになるという。いや、既におじさんだって?そうじゃない。見た目のことを言っているのではない。法律的におじさんになるということだ。つまり叔父さん。父になるというのは自分の行いの果てなので納得できるし、父という称号は至極立派なものである。一方、おじさんはどうか?ひどいもんだよ。自分の与り知らぬところでいつの間にか勝手におじさんと冠せられ、叔父さんであると同時に“オジサン”と誤解される危うさが潜んでいる。オジサンには怪しい響きがどうしても拭い去れない。変なオジサン、怪しいオジサン、オジサンに注意。オジサンに付く形容詞ときたらまともなものが思い浮かばない。

とにかく私も叔父さんになるのだ。私ができるのはせいぜい“オジサン”にならないように気を付けることだ。

(これを書いている時は既に叔父さんになっていた。インターネットへのアクセスが出来なかったため、叔父さんになったのを知ったのはマラウィの首都Lilongweにてである)

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