朝から小雨が降っており警官が「行くのか?」と聞くが「行かなきゃ進まないからね」と言って出発。しかしすぐに土砂降りの大雨になり、近くのガソリンスタンドに逃げ込む。
昨日から既に肉食獣がいる地域だ。特にマクティMakutiからは公園になっているので多いのかもしれない。警官にも脅されたが今までに人が襲われたことは?と聞くとアヤシイ噂話を聞かせてくれるだけでどれも信憑性のないものだった。今までもナミビア、ボツワナと肉食獣がいる地域を走ってきたが、毎回そのたびに謙虚な気持ちになるからたまには必要なのかもしれない。
運命に対する従順さを私はいつから忘れてしまったのだろうか?日本で生活していた時には「運命は自分で変えるもの」という気持ちが強かった。しかし、アフリカを走っていると「あぁ、運命って変えられないもんなのかもなぁ」という気になってくる。運命を変えようと必死になるよりも「運命なのだ」と受け入れるある種の従順さを持ってした方が楽になることがある。そういう考え方は絶対神を持つキリスト教の考えにリンクする。そういう運命に従順な方が生き易いアフリカだからこそキリスト教も浸透したのかもしれない。
このライオンに食われるかもしれない場所を走る時も同じだ。ライオンに喰われる、喰われると怯えているよりも、「ライオンか、出てきたら仕方ない、私の負けだ、一発で逝かせてくれ」と受け入れる方がずいぶん楽に走れるものなのだ。
もちろんできるだけの危険回避をして(最大の回避は行かないことだが)、明るい時間の走行、止まって休憩をしないなどの対策は取るが、そこを通る以上ある程度のリスクは取る必要がある。そして何よりもの確率の問題。今まで人が襲われたのはどれくらい事例があるか?それを鑑みたとき旅行者が強盗に会うよりも圧倒的に少ないだろうことがわかる。だからこそ走ることを選んだ。そして選んだからにはライオンに対する恐怖もある。そしてその恐怖で不快になるよりも、いっそ自然に身を任せて「よろしくお願いします」と身を任せてしまう方が断然有意義な走りができることに気が付いたのだ。
そうしてバオバブの木がじゃんじゃん生えた道を無心に走って走って走って、象の糞やレイヨウの姿を目にして、トラックの休憩所の手前でパンクした。雨の中泥にまみれての修理で不快だったが、危険地帯は抜けたことに安堵した。
ジンバブエ‐ザンビアの国境の町チルンドゥChirunduはトラックの行列ができていたが自転車はすいすいだ。モテル付属のレストランでジンバブエ最後の晩餐を頂く。サザにビーフシチュー、コヴォだ。最後だというのに牛肉が腐った味がしたのでその旨をボーイに伝えると無言で料理を下げ、暫くして無言で新しいサザとコヴォを持ってきた。ビーフは無しで。あれどうなの?大丈夫なのか?と聞いたら、値段が安いからね、と言っていた。腐っているかどうかは値段には関係ないぞ、おい、こら!でも値段を下げてくれたのでサムーサ(三角形の春巻きみたいなもの)も食べることができた。
ザンベジ川に掛かった橋を越えることで越境となる。さらばジンバブエ。楽しかった。
ザンビアサイドには家がたくさん並んでおり、ジンバブエサイドよりも人が多かった。山羊に首輪を付けて散歩する親子がいたり。人はジンバブエよりもシャイな印象を持った。
国境を越えてすぐに泊まる場所を見つけた。トラックの休憩所だ。出てきたカラード女性の胸がなかなか魅惑的で、かつ楽しそうに揺れており、それは危険地帯を抜けてきたご褒美に違いなかった。そして夜にはテントの外で蛍が光っていたのも忘れられない。
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