ページ

2013年11月18日月曜日

イメージのアフリカとその現実

夕焼けを見ている。
カリビブを過ぎたあたりから気候が変わった。
雲をよく目にするようになり、空気にもいくらか湿り気を感じるようになった。
一様に空の一部を覆っている層雲が夕陽で朱く染められている。
寝転がって見ていると柔らかな朱色の海を見ているみたいだ。
その海にちぎれた雲が島の如く浮かび、朱色の海に長い蒼い影を落としている。

雲のない空の部分は地平線から天頂にかけて、黄色から青へと緩やかに色を移している。
その多彩な色の移ろいに息を延べながら、夕涼みを楽しんでいる。

考えてみれば、子供のころは自分がアフリカに行くなんてことは思ってもいなかった。
常に入ってくる情報は、紛争、旱魃、経済の破綻、暴動、それによる飢餓の人々、犯罪に走る人々。
日本のメディアが伝える情報は行きたくなるような代物ではない。
私にとってアフリカはメディアの上での同情の対象でしかなかった。
身近にアフリカ人がいなかったせいもあるだろう。
肌の色が全く違い、話す言葉も違う得体のしれない人々はどこか別世界の住人のように感じていた。
確かにアフリカには先にあげた側面はたくさん残っている。
しかし、ちょっとしたきっかけで南アフリカで二年間生活することになり、アフリカの日常に触れ、彼らは子供のころよりもずっと私に近づいた。

アフリカだってきれいな夕陽は見られるし、美しい花だって咲いている。


アフリカツユクサ:日本のツユクサに似るが柱頭および雄しべの柄が色づいている
動物だってたくさんいて、そこらじゅうを歩いている。


ちょっと刹那的に見えることもあるけど、男と女が出会い幸せな時間を紡いでいる。


時には喧嘩して、またくっついて。人と人が日々、一時も途切れることなく関係し合っている。
そして、子を育てる親がいて、親の懐で安心して育つ子がある。


そりゃレパートリーはちと貧弱だけど、毎日朝昼晩と物が食べられ、
水だったりもするけど、体をきれいにし、ゴキブリいっぱいのトイレだけど、新聞で尻を拭くけど排泄し。
最後に一日の終わり、日本の朝方にベッドや敷物の上で同じように眠りにつく。
そうやって一日暮らして、次の朝を迎える。


質や量が違うことはあれ、そうたいして違うものではない。
肌の色が濃いので暗闇では見えにくいから突然現れ驚きもするが、全然怖くもないし、言葉だってたいていの人は英語を話せるので意思を伝い合える。
文化が違うので考え方が違ったりもするけど、そんなことは我々とそっくりな中国や韓国の隣人たちとて同じこと。

アフリカは危険か?
危険なところはどんな国にだってある。
安全なところだってどこにだってある。
人を傷つけて生きようとしているのは一部の限られた人間。
大事なのは、
「多くの人々は周りの人と幸せに生きようとしている」
ということ。


そういうことが見えたとき、私にとってアフリカはもっと身近な存在になっていた。

0 件のコメント:

コメントを投稿